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hasunoha 問答検索結果 : 「 死後 」
検索結果: 1344件

男性経験がないのにこんなことをしてしまいました。

(プロフィールを読んでください) あの時の事は忘れたいけど恐らく忘れられないかも知れません。 しかしそこでは色々とゴタゴタがありすぐにやめてしまいました。 それから色々しながら何とか目標金額を貯め、目あてだったことをすることができました。 そして4月に就職し、現在に至ります。 しかし、終わったあとに自分の身のなんと汚れたことかと気がつきました。 本当はこんなこと絶対したくなかったと気づきました。 している最中はとにかく精一杯で、弟と会ってもなにも思わなかったけれど今は目を合わせることが出来ません。嫌いです。今自殺も考えています。仕事中、やってしまった事がフラッシュバックして希死念慮に襲われてしまい、周りからは白い目で見られるしどうすればいいのか分かりません。 私は昔から容姿も要領も悪く運動も勉強も中の下だったのでいじめられていました。(主に男のこから)現在に至るまで彼氏はいません。 弟は容姿も要領も良く運動や勉強に対する努力も出来る、秀才タイプでした。 プロフィールに書いたような奴ですが内弁慶で外面は良く気遣いもできる為高校時代からの彼女もいます。彼女の方から告白してきたそうです。 目を合わせなくなった私にも「何で目を合わせてくれんの?」「怒っとる?」と最近気遣いを見せます。(事情で会うのは長期休みのみですが)が、プライドが高いため私に対してはすぐ不貞腐れます。 お聞きしたいことは ・仕事中、希死念慮に襲われないにはどうすればいいか。 ・死後、女性は初めてを捧げた男性に背負われて三途の川を渡ると聞きます。私はどうすればいいのでしょうか。 ・弟の事を許せそうにありません。どうすればいいでしょうか。 ・もし、自殺したらどうなりますか。 長々とすみませんでした。皆様の回答をお待ちしております。

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自分の行く場所

「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492  ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。

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相談に対するご回答に腹が立ちました

以前、こちらでの相談に対する回答の一つに腹が立っておりました。 いま言語化できる気がしたので、怒りをぶつけさせていただけます。 質問はこちらです。 https://hasunoha.jp/questions/5942 パスタファリアニズムについて、仏教徒の方々に宣教する気はないので、詳細は割愛しますが、私が腹を立てていた、今思い出して腹が立っているのは、次の一文です。 「それだけでパスタファリアンを名乗るのは本家パスタファリアンに失礼」です。 私は、信徒であることの証明書を持っております。 ちなみに、通販で、当時40ドル程度で購入しました。 重要なのは、パスタファリアニズム(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教)は、宗教に対するパロディであること、つまり、信仰そのものがパロディであるべきだということです。 パロディとは風刺です、風刺とはつまり批判のことです。 上記で、頂いたご回答にいかに怒りを抱いているかわかると思います。 私は預言者が一人の宗教が大嫌いです。 なぜなら、その最初の一人の考えに引っ張られるからです。 以下何人弟子がいようと、何世代続こうと、その最初の一人の考えが根幹(root)として存在するからです。 だから私は仏教徒になりたくないのです。 そんな奴らの一員にされたくないからです。 失礼なことを申し上げているのは存じていますが、この怒りは紛れもなく事実です。 だから、私は死後戒名は「絶対に」つけてほしくないし、できれば葬式も上げてほしくありません。 なぜここに相談したのかというと、日本人なら否応なしに仏教形式の葬式を挙げられ、否応なしに戒名がつけられるからです。 私の意志とは関係なく。 だから、仏教徒の方にクレームを付けたくなったのです。 そして、そのシステムを作り上げているあなた方に、回避方法を聞きに来ました。 怒りが言語化できてとても満足していますし、申し訳ない気持ちも同時にあります。 ですが、あえて怒りをぶつけさせていただきました。 十数年ぶりに、怒りという感覚を思い出せましたので、とても満足しています。 怒りを感じていなかったのは、人に期待をしていなかったからです。 なぜなら、私はちょっと人とは違う考え方をするようですので、意見が合うことが少ないようでしたので。 ありがとうございました。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 21
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