お疲れ様です。またご相談があり相談させていただきます。 正直今回は、確かめようがないですし、本当なのかも分かりません。 とあるサイトのコラムにこのような記事がありました。 女性のほうが死後、地獄に行くことが決まっているという話です。 本当なのか、嘘なのかは分かりません。 その文章には、女性特有の月経や出産などは穢れとしてみられるそうで。 じゃあ、子供なんて生まなくていいんじゃないかと思えばそれもダメだそうで・・。 親よりも先に死んでもそれもダメで・・・。 そのあとも色々と、仏教を信じてない人も罪らしく。 不安になりました。 本当なのかは分かりません。実際問題本当にあるのかどうかも 分からないので・・何とも言えません・・。 本当なのかそれも本当じゃないのか教えていただけると嬉しいです。
ニュースを見たくありません。 最近は見れば死体が見つかりました。 死後○日はたっています。殺人のようです。 こんなニュースがここ最近毎日流れ、はっきり言ってなぜ簡単に殺してしまうのか解りませんが、悲しくなります。 数日たつと犯人は身内や昔付き合ってた人や昔同じ職場だったりと逆恨みが多いんですよね。 もう、こんなニュースは沢山です。
原因不明・完治が難しい多くの症状に悩まされ、鬱・パニック状態に陥るようになってしまいました。症状緩和のため、自分なりに努力していますが、時々発作的に死んでしまいたいと思う事があります。 実際に踏み切る勇気もないのですが、死後の世界は悪くないと聞く中、自殺者の魂はこの世での課題を放棄したペナルティが課されるという事も聞きかじりました。 これは自殺者からの真のメッセージなのか、或は自殺防止のための宗教的教えなのかと疑問に感じています。 アドバイスよろしくお願いします。
子どもが事故死しました。軽い障害がありました。 私の不注意のせいです。 子どもの障害のことで、自分がうつになった事に気づきませんでした。家族も気づいてくれませんでした。 子どもの死後、私が自殺し失敗して病院に運ばれて、うつに気づきました。 毎日、色々な後悔と悲しみばかりです。 他に何かしても、朝から寝るまで子どもの事や後悔と悲しみばかりが頭に浮かんできます。 今も、うつで通院しており薬も飲んでいますが、変わりません。 亡くなった子の事を忘れたら良くなるのかと考えましたが、どんどん悲しみが増えてしまいました。 どうしたら前向きに生活できるでしょうか。
私は小学生の頃からずっと嘘を吐いて来ました。 例えば、宿題をやってなかったのに、「やった」と言って、誤魔化したり、 怒られるのが怖くてすぐ自分に都合の良い事を言ってその場を凌ぐという事を何回もしてしまいます。 そして現在でも、何か自分がやらかすと、すぐに自分の都合良く、嘘を言ってしまいます。 嘘を言わないようにする為にはどのようにしたらいいでしょうか? 小学生の頃から虚言を吐いてきたので碌な人生・死後を迎えるだなと思うと正直怖いです。
数年前亡くなった祖母の死亡届を見つけてしまいました。 祖父が亡くなった1年後に祖母が亡くなりました。 当時死因は聞かされていませんでした。心不全か何かだと思っていておじいちゃんのところに行けてよかったねと思っていたのですが、死因が自殺でした。 それを知ってからずっとモヤモヤしてしまって夜眠れません。 親がどんな気持ちだったか想像すると本当に辛いし 自殺に対する、偏見がすごくあったのでとてもショックで、恐怖を感じてしまいます。 自殺したひとは天国へ行けないんですよね、てことは祖母はまだ祖父に会えていないということですか… 死後の世界ってあるのでしょうか? どうすれば気持ちを落ち着かせることができるでしょうか
ニュースのせいで、怖い思いをして死ぬのが怖いです。 残酷な死に方や殺され方をしたくないです。 毎日妄想してしまいます。 そういう症状の病気もあるかもしれませんが普通に想像してしまいます。 前に相談したら気をつけろと言われて、まあそうかもしれないけど少し違うと思いました。 もし苦しんで死ぬことになったらどう思えばいいんでしょうか? ちなみに死後は幸せだと思ってるので怖くありませんが生きてる間が怖いです!
私は過去に悪い事をしてしまいました。 当時はそれが悪いとは思わず、その後悪い事であると気づき「あの時に知っていたら」「過去に戻りたい」と今でも後悔を繰り返しています。 また、その事が原因で家族や友達に迷惑をかけたらどうしよう、自分は生きていてもいいのか、などと考えてしまいます。 私はこの先、皆と同じように夢に向かって生きていても良いのでしょうか。 また、こんな私でも死後は良いところへいけるのでしょうか。
2回目の相談です、うちの父は僧侶なのですが老衰でもう、意識も朦朧としていて話が出来ないので伺います。 父の死後どのようにともらったらいいのか。 お寺の住職ではありません。 師匠に当たる住職さんは亡くなってしまい、父の戒名も(御坊さんはもらっている)わからず普通に家族葬のように簡素なお葬式では駄目なのでしょうか? お坊さんは引導を渡さないと言いますが、どのようにしたらいいのかわからないのですが。
私は、アルバイトをしているんですが、業務を真面目にできません。 自分の中では真面目にやってるつもりなのですが、手を抜いているように思えます。 このまま、大人になっても自分から変わらなければ仕事なんて出来ないままで、クビにされるのがオチだと思います。 そんな自分では、相手の時間を無駄にさせてしまうだけだと、好きな子にも話しかけることすらできません。 また、これから少子高齢化、それによる税金問題などの将来の問題も考えるとどんどんしんどくなってきます。 例え死後がどんなに辛くても逃げてしまった方が良いのでは と思うようにもなりました。 これから自分の将来はだんだんと暗くなるばかりに思えます。 どうすれば私は生きられますか?
自分の失態により仕事も家族も友人も失い、もう未来に希望が持てなくなりました。 精神疾患も患い、毎日薬で眠り、わずかな食事でただ生きているだけの生活に限界を感じています。 毎日、死ぬことしか考えられなくなりましたが、知人から自死ではお浄土に行けけないから止めるように諭されました。 自死するほどの苦しみを抱えた人が死後も救われないとは、なんと不幸なのでしょうか・・・ どなたか 本当のところを教えて頂けないでしょうか
始めまして。 現在高校三年生、男子です。(17歳) 私は友達が隠していたお金を盗みました。 一回だけじゃなくて何回もです。 盗んだお金は約17万2000円程です。 一気に使ったわけではなく、盗んだたびに使ってて気づいたらこの金額になっていました。 動機は単に欲しい物があってお金が無かったからです。 このような盗みは仏教で偸盗というらしいですね。 盗みを犯すと死後地獄に落ちるのですか?? または変なものに生まれ変わったりするのですか?? このような私でも救われる方法はありますか?? あったら具体的に教えて下さい。 教えて下さいと言いましたがこれも私利 私欲ですよね笑これも煩悩ですね。
葬式、お経、戒名について御質問させていただきます。 自身は無宗教です。 死後、葬式・お経・戒名は希望せず。です。 お坊様に対して、この様な事を言ってすみません...。 葬式はせず、直葬(火葬のみ)、納骨はせず、遺骨の全てを散骨(又は焼き切り火葬)を希望ですが、親族が代々、仏教(一般的葬式、墓に納骨)の場合、私だけ外れるのは御法度でしょうか? 親族は白い眼で見られますか? 金銭的な問題もあり、出来るだけ安くおさえたいです。 お経、戒名は必要ですか? 御回答、宜しくお願い致します。
いつも有難うございます。 「逆修」で生前に戒名を授かることになりました。 (真言宗です) 戒名を「逆修」で授かったかどうか、 御坊様から見て判断できる点がありますか? 死後に授かった戒名と特に変わりは無いですか? 今度の日曜日に自分の戒名が分かるのでドキドキです。 本当は「慧」という字を入れてほしいなと思っていたのですが、 ご住職様から、入れてほしい字はあるかと聞かれなかったので、 自分から入れてほしいとは言えませんでした。
先日の身体的弱者と出家の質問を書いていてふと思ったのですが、 重度の知的障害者というのは仏教のなかではどの位置にあるのでしょう。 重度の精神・知的障害者の方たちが僧職にはつけないことは理解できますが、仏教というものを私達の言葉・ものさしでは理解・表現できない、身体的・精神的に障害があるひとたちは、仏教徒にはなりえるのでしょうか。 仏教によって、例えば先ほどの浄土真宗の死後成仏し救われるといったような仏道の道というのは彼らにも開いているのでしょうか。
お父さんがいなくなって3ヶ月が経ちました。 苦しんで苦しんで苦しんで亡くなりました。 今は苦しんだり、辛い思いをしたり、さみしくて泣いたりしているのでしょうか。 怖い思いはしていないでしょうか。 例えお寺の方であっても死後の世界は分からないと思いますが、お父さんの事がただ心配で、会いたくて。 月日が流れるにつれ、気持ちが落ち込み、涙が流れます。 何もやる気が起きず、横になる毎日、食欲もなく、毎日過ごすのが辛いです。 誰も頼れる人もいません。 これから生きる自信がありません。
わたしは日頃から思っています。 自分が死んで骨になったら… 普通は主人と同じお墓に入るんでしょうが、 わたしは自分の親のとこにも入りたい。 両方に分けて入れてって、 言ってもいいのかな? 主人がイヤな気持ちになるだろうか?
(プロフィールを読んでください) あの時の事は忘れたいけど恐らく忘れられないかも知れません。 しかしそこでは色々とゴタゴタがありすぐにやめてしまいました。 それから色々しながら何とか目標金額を貯め、目あてだったことをすることができました。 そして4月に就職し、現在に至ります。 しかし、終わったあとに自分の身のなんと汚れたことかと気がつきました。 本当はこんなこと絶対したくなかったと気づきました。 している最中はとにかく精一杯で、弟と会ってもなにも思わなかったけれど今は目を合わせることが出来ません。嫌いです。今自殺も考えています。仕事中、やってしまった事がフラッシュバックして希死念慮に襲われてしまい、周りからは白い目で見られるしどうすればいいのか分かりません。 私は昔から容姿も要領も悪く運動も勉強も中の下だったのでいじめられていました。(主に男のこから)現在に至るまで彼氏はいません。 弟は容姿も要領も良く運動や勉強に対する努力も出来る、秀才タイプでした。 プロフィールに書いたような奴ですが内弁慶で外面は良く気遣いもできる為高校時代からの彼女もいます。彼女の方から告白してきたそうです。 目を合わせなくなった私にも「何で目を合わせてくれんの?」「怒っとる?」と最近気遣いを見せます。(事情で会うのは長期休みのみですが)が、プライドが高いため私に対してはすぐ不貞腐れます。 お聞きしたいことは ・仕事中、希死念慮に襲われないにはどうすればいいか。 ・死後、女性は初めてを捧げた男性に背負われて三途の川を渡ると聞きます。私はどうすればいいのでしょうか。 ・弟の事を許せそうにありません。どうすればいいでしょうか。 ・もし、自殺したらどうなりますか。 長々とすみませんでした。皆様の回答をお待ちしております。
「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492 ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。
以前、こちらでの相談に対する回答の一つに腹が立っておりました。 いま言語化できる気がしたので、怒りをぶつけさせていただけます。 質問はこちらです。 https://hasunoha.jp/questions/5942 パスタファリアニズムについて、仏教徒の方々に宣教する気はないので、詳細は割愛しますが、私が腹を立てていた、今思い出して腹が立っているのは、次の一文です。 「それだけでパスタファリアンを名乗るのは本家パスタファリアンに失礼」です。 私は、信徒であることの証明書を持っております。 ちなみに、通販で、当時40ドル程度で購入しました。 重要なのは、パスタファリアニズム(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教)は、宗教に対するパロディであること、つまり、信仰そのものがパロディであるべきだということです。 パロディとは風刺です、風刺とはつまり批判のことです。 上記で、頂いたご回答にいかに怒りを抱いているかわかると思います。 私は預言者が一人の宗教が大嫌いです。 なぜなら、その最初の一人の考えに引っ張られるからです。 以下何人弟子がいようと、何世代続こうと、その最初の一人の考えが根幹(root)として存在するからです。 だから私は仏教徒になりたくないのです。 そんな奴らの一員にされたくないからです。 失礼なことを申し上げているのは存じていますが、この怒りは紛れもなく事実です。 だから、私は死後戒名は「絶対に」つけてほしくないし、できれば葬式も上げてほしくありません。 なぜここに相談したのかというと、日本人なら否応なしに仏教形式の葬式を挙げられ、否応なしに戒名がつけられるからです。 私の意志とは関係なく。 だから、仏教徒の方にクレームを付けたくなったのです。 そして、そのシステムを作り上げているあなた方に、回避方法を聞きに来ました。 怒りが言語化できてとても満足していますし、申し訳ない気持ちも同時にあります。 ですが、あえて怒りをぶつけさせていただきました。 十数年ぶりに、怒りという感覚を思い出せましたので、とても満足しています。 怒りを感じていなかったのは、人に期待をしていなかったからです。 なぜなら、私はちょっと人とは違う考え方をするようですので、意見が合うことが少ないようでしたので。 ありがとうございました。 失礼いたしました。