死と宗教について
私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。
学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。
ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。
仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。
しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。
古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。
天の国を悟りと考えたいのかもしれません。
邪道と言われる方もいると思いますが、
父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、
僕がキリスト教で育つことになったのですが、
今の両親は、無宗教に近いです。
既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、
ぼくも似ています。
しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、
家族の意見ががバラバラだったのです。
親も老いてきて考えると、
仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、
キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、
違うものであってほしくないと思ったのです。
母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。
父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。
キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。
これをどう思われますか?
これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。
死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。
それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。
考えて行こうと思いますが、
何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。
1人の凡夫として諭していただけたら
本望かと存じます。
有り難し 26
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