私は阿弥陀如来様が大好きです。 毎日救っていただくことへの感謝として念仏を唱えています。ハスノハでもたくさんの問答を見るのが楽しみです。 ところが、先日、ハスノハで真宗のお坊様が「極楽浄土があると信じていない」人への解答で、「阿弥陀如来様や浄土というのは働きのことで、実際亡くなった人が浄土という場所で生まれ変わるということではないのだろう。だから浄土とはこの世での働きのことで、死後の世界としてあるわけではないと思う」「仏様というおとぎ話を使って今生での安寧を得るのだ。だから阿弥陀如来様が実在するか否かはどうでもよい」「自分も科学的に極楽浄土の世界は懐疑的」 という旨のことを仰っているのを拝見しました。一人ではなく何人かのお坊様がそういったことを仰っているのを見ました。 誤解していただきたくないのですが私はハスノハのお坊様方のことを尊敬しております。ですが少なからずショックでした。私は今生で死んだら、阿弥陀さまに迎えに来ていただいて極楽浄土に生まれ、そこで仏となる修行をできることを嬉しく思っていたからです。 また、何があっても阿弥陀如来さまがいつも一緒にいてくださることが喜びであり、心の支えです。 法話を聞いたりしていると、「阿弥陀如来様という素晴らしい仏様がいらっしゃる(=阿弥陀如来は実在する)」「死んだら極楽浄土にいき仏になる(=極楽浄土は実在する)」とお経も親鸞様もハッキリ仰っているように思います。 阿弥陀如来様や極楽浄土の存在を確信するのが、浄土真宗ではないのですか? 私が、元はキリスト教を学んでいたこともあって、阿弥陀如来様や極楽浄土への解釈が違うのではないかと不安です。 (極楽浄土と天国は、極楽浄土は阿弥陀如来様の国(他の仏様もそれぞれ浄土をもっていらっしゃる)。という違いだと理解しています) 私はこれからも阿弥陀様といつも一緒だと思っていても良いですか?
結婚生活について悩んでいます。 お付き合いをして3年、結婚して4年半になります。 当初は誰もが、仲がいいねいつも一緒だねと言 う関係でした。 よく話しもして、休みの日は2人で出掛けてました。 最近は一緒にいる時間もなく、日常会話はしますが、立ち入った話をすると黙ってしまう。 さみしいのと、愛されていないのではないかという孤独感で、幸せとは思えない。 それでも夫婦でいられるならと、私なりにがんばったつもりですが状況は変わらず。 子どもがほしいのですが、聞いても黙ってしまうのでもう諦めるしかないのかなと思うけれどあきらめきれない。 年齢的に妊娠は難しくなってきています。 子どももいない、コミュニケーションもスキンシップもない、とても家族といえる関係ではないように思います。 私のエゴかもしれませんが、連絡をとりあったり思いや考えを話し合える関係になりたい。 どうしたらうまく話ができるでしょうか? それとも夫婦に会話は不要なのでしょうか。 長文乱文で、申し訳ないですが、なにかアドバイスいただけたらと思います