以前の投稿では表現が回りくどくてイマイチ聞きたいことが伝わっていない様でしたので簡潔な質問文にして投稿し直しました。 宜しければご回答お願い致します。 私の悩みの元に関してはプロフィールに記載しました。 『なぜ愛する女性の命を出産という危険に晒してまで子どもを望んだのですか?』
お忙しいところ閲覧ありがとう御座います。 私の生業は絵を描く関係の仕事なのですが このたび、友人を自殺で失くし、供養のため 何かできることが無いかと思い、写仏や仏画等による供養があることを知りました お地蔵様や観音様を好んで描いているのですが 本当に供養になっているのでしょうか 自殺した友人のためになっているのか、 自己満足になっているだけなのか、 よろしければお教えください。
先日、舅が他界しました。 舅には大変申し訳ないですが、覚悟は出来ていたので主人と葬儀等のことを話し合っていました。 私は今、普段でも普通の40代の生活は送れておらず、休み休み生活しています。 だから応対とか無理なので最小限にさせて頂こうと決めていました。 近い親戚にも伝えてありました。 しかし舅他界→隣に住む親戚に伝える→親戚が組の人に連絡→組の人が家に集まる→(舅はあまり人づきあいがないのに)町全体に知らせる→私は家で応対 そして遺族の意思はそっちのけで通夜・葬儀は決まりました。 そしてキャパを超える人に来て頂き、食事・お菓子が足らなくなり、なぜか主人が親戚から叱られ、私は通夜の晩、一睡も出来ませんでした。こんなこと怖くて主治医の先生に言えません。 火葬場ではめまいがして倒れそうになりました。 なにより悼む暇もなく舅は骨になってしまいました(涙) 少し話はそれますが、菩提寺のご住職様に枕経に来て頂いたとき、枕経が終わって、ほぼ間もなくご住職様から「お布施は」「脇導師は4人で」とか言われたことも驚きました。 私は葬儀が不要と言っているのではありません。 むしろ大切で難病と言われた私は自分の葬儀を自分で決めて死にたいなと思っているぐらいです。 実は3月に猫を亡くした時、お経をあげて頂いたお坊さんは優しく「大丈夫ですか?良かったら(猫)ちゃんに家でも手を合わせて下さいね。きっと喜ぶから」と悲しみに寄り添って頂いたとき、人間と一緒にしてはいけないだろうけど悼み、供養していくのは遺された者のためなんだなぁとしみじみ思いました。 ただ遺族に見合った形で故人を見送ることがそんなに許されないことかと主人に言ったら、普段は温厚な主人が「葬儀はな、所詮世間体でするもんなんや!」と怒ってきました。 だから冷静に伝えておきました。「私の葬儀を世間体でしたら必ず化けて出ますから」と…。 世間体で出した葬儀で私は死にかけたんですけど…。 まっ、難病=怠け病って言う人もいるぐらいで理解され辛いので仕方ないなと思うこともありますが。 完全アウェーの状態だったので第三者の方のご意見が聞いてみたかったのです。やっぱり私が変なのでしょうか? 体だけじゃなく頭もおかしくなったのか不安なのです。 後回しで構わないのでお時間があるときに回答下さい。お願いします。
結婚も出来ず子供もいません。 好きな人には好きになってもらえない運命だったんです。 死にたいくらいの嘘つかれました。私には存在価値はないとわかりました。 死んだ後も苦しみが続くとか聞きますが生きてても苦しみは続きますから自殺する事に決めました。自殺した罪を死んでから償えば極楽浄土にいけますか?
一年前に自殺未遂をしました。意識はあったので、自分でロープを外しました。 その事が原因だと思うのですが、失語症になってしまいました。 相手が何を言ってるのかは、わかるのですが、こちらからは、あまり喋れません。頭の中に単語がほとんど無いので、話しかける事も難しいです。 テレビ、ラジオ、本などは、私が喋る事が出来ない単語がほとんどなので辛くなり駄目になってしまいました。 楽しめるものが何もありません。 家族とも、相槌ばかりで輪の中に入れません。元々が人と喋る事が好きだったので、毎日が地獄です。 いろいろな病院に行ったり、言語のリハビリをオンラインでしたり、自分で英単語を覚えるみたいに単語を覚えようとしたのですが 、治りません。絶望して死のうと思っています。 ですが、自殺したら地獄に行ってしまうと聞きました。 自分の自殺未遂でこの様に障害が出て、それを苦に自殺したら私は、地獄に行ってしまいますか? 行かない方法を教えてください。また、お恥ずかしいのですが、私は主人が大好きです。 生まれ変わっても、結婚したいと思っています。どうか、教えて下さい、よろしくお願いします。
2015年の4月に離婚し、ばつ二回になりました今は一人で派遣社員の仕事してます、二回の結婚で実の子供が三人いまが子供たちにわ 父親らしいことは何一つ出来てなく養育費も渡してない状況ですこんな自分が情けなく子供たちに申し訳なく日々、死にたい気持ちと格闘してます。 でも死ぬ勇気がない自分が情けなく思います こんな自分がこの世の中、生きてる意味有るのでしょうか、こんなくそみたいな世の中、生きてる意味有るのでしょうか?お金がないと何も出来ない世の中…
17年連れ添った猫を失い、次の猫も家に来て二ヶ月目に交通事故で失いました。その子はまだ1歳にもなっていませんでした。 なぜあの子達は死ななければならなかったのでしょうか。 なぜ私は失い続けるのでしょうか。 悲しみ以外、涙以外、私は全てを少しずつ失い続けます。 仏様、私はあまりにも愚かです。私には真理を悟ることができません。何もみることができません。 私は死者の出なかった家のカラシの種が欲しい。 あの子が死なずにすむなら、何度でも車の前に飛び出したい。 仏様、私は救済に値しません。もう疲れてしまいました。ただただ疲れてしまいました。
娘を亡くしました カルマと言う言葉がありますが 娘も私も前世で罪を犯して こんな思いを現世でしているのでしょうか もし来世があるのなら、同じ事を繰り返しになるのでしょうか ならもう生まれ変わりたくないと願います 私はともかく娘は本当に悪いことをした事がない人間でした なぜこんな目にあったのでしょうか
男の子二人の母親です。 上の子が幼稚園で頭を縫う怪我をして、翌日には下の子が自宅で頭を切る怪我をして縫いました。 立て続けで、怪我をした場所が二人共頭の左前部分(額の左上)の同じ様な場所だったので、気になっています。 数日前に無事に抜糸をして、今は二人共元気です。 実は、上の子を授かる前に、二度流産しました。 主人と結婚して、夫婦で子供を強く望んでいましたが、残念ながら二度の初期流産を経験しました。 とても哀しくて、ネットで調べたお寺で二人の水子供養のご祈祷を一度受けて、その後は毎年二人の命日(流産の処置を受けた日)に、家族でそのお寺の水子供養塔の様な所にお参りに行っています。 ご祈祷を受けた際に、住職から、近い内に子宝に恵まれるから、大丈夫ですよ。と、言って頂いて、実際に二度目の流産の二ヶ月後には上の子の妊娠が判りました。 又、二年近く前に今の新居を購入して入居した直後に、下の子の妊娠が判りました。 水子、新居が今回の怪我と関係あるのか、水子やご先祖様からの何かメッセージなのか、とても気になります。 どうかアドバイス、宜しくお願い致します。
「身体」と「精神」に障害を持つ者です。 昨日の相模原市の障害者施設での殺人事件で動揺しています。 健常者はやはり本音の部分で「障害者なんて死んでしまえばいい」と 思っているのでしょうか。 子供のころから実際に言われているので、「やはりそうなのか。」 と思ってしまいます。 負けずに戦えばいいのでしょうか。聞き流せばいいのでしょうか。
死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。