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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2838件

13回忌について

兄がなくなり、13回忌の時期が迫っています。 兄は長患いの末、なくなりとても私の悲しみが深く、まさか亡くなるとは思っていませんでしたので、両親も未だに悲嘆にくれております。 今、段取りを組んでいるのですが、今までのようには、わけあって自宅でできず、法要する場所とお坊さんを探しています。 お坊さん探しもさることながら、段取りも場所が自宅でないのならどうして良いかわからす、困っております。 永年供養出来るよう、兄の死後、父の一家とは別に、自宅近くで急遽お寺さんに墓地、墓碑をつくり、3回忌、7回忌早く自宅でおこなっていました。 しかし、そのお寺の住職さんは3回忌では、従姉妹にアルバイトを持ちかけ、7回忌に至っては日にちを忘れてしまい、慌ててくるという始末で、その方にはもう二度と頼みたくないというのが私たち家族の本音です。 悲しみを理解してくれ、きちんと心を込めたお経をあげていただきたいのですが、法要だけを行う葬儀社は少なく、ましてお坊さんをどう探せば良いかわからず、非常に困っています。 具体的な提案と共に、どう考えれば良いでしょうか。兄の知り合い、親戚もの方も、少人数ながら来ていただきたいのです。 長々失礼いたしました🙇

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オリジナルの信仰? 天台宗?

私が拝んでいる御本尊様は千手観音様(開眼供養済み)で、最近手に入れた釈迦如来様の仏像も秋頃に予定している開眼供養が済んだら崇拝対象にするつもりです。 私の信仰は ・自力でできる功徳(例えば曹洞宗で教えられている「日常生活全てに禅を見出すこと」など)はしっかり積む(それは修行にして生き様であり、見返りは求めないとする) ・自力でできないこと(例えば収入を増やすことはできないが、少ないお金で満足できる無欲さがほしい、怒りっぽい性格を治したい、ここぞという大切な時に運が欲しいなど)は釈迦如来様と千手観音様の他力本願にお頼りする ・釈迦如来様と千手観音様に向かってお題目や十句観音経を唱えるなど という、曹洞宗と浄土真宗と日蓮宗を混ぜたような信仰です。 なぜ曹洞宗かといえば、昔に人が空想で作った実在しない仏様がいっぱい居るという私の予想に対し、確かに実在された仏様である釈迦如来様が御本尊様であること なぜ浄土真宗かといえば、人間の力には限界があり、その限界を超えるには人間を超えた存在の力をお借りする「他力本願」が必要なこと なぜ日蓮宗かといえば、「人はみな等しく仏になれる」という法華経は願いを叶える力があると信じているからです(その体験談を多く知っている) 私の願いは、仏になることすなわち解脱で、穏やかなあの世にスローライフ永住をしながら人々や自然を守りたいです。こんな、あらゆる宗派のいいところを混ぜた信仰の仕方でも大丈夫でしょうか?  簡単に言えば、「曹洞宗」の御本尊様に「日蓮宗」のようにひたすら祈り「浄土真宗」のように他力本願も混ぜる、といったところです。自分だけの仏教ですが、よくよく見てみると天台宗に近いかもしれませんね。天台宗に入信するべきでしょうか? 祈りの内容は主に世界平和に関する自利利他が基準のルールにしようと思います。これでいい、こうした方がいいなどご回答よろしくお願いいたします。ありがとうございました。 (ちなみに現在はほぼ無宗教(というよりオリジナル宗派)ですが、お墓を買うお金が無くて檀家になれないのでお墓は父方の浄土真宗に入ることになります。また、私のオリジナル信仰にかなり近いならば天台宗の信徒になると思います)

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 どちら共 心に響くんです

 先日 墓前に手を合わせてきたのですが いつもなら ただ心のままに手を合わせ小さい時から耳馴染んできた南無阿弥陀仏と声に出さずとも…なのに 今は亡き父が闘病生活で今まで仏壇すらなかった家に見たこともない位に大きなそれに手を合わせ南無妙法蓮華経と一心不乱に題目してた記憶が頭の中を駆け巡り自然と南無妙法蓮華経と呟いていた自分が居ました。横で手を合わせていた子ども達が不思議そうに私を見て ふ と我に戻ったような気持ちで家についてからも悶々とした状態でした。数ヶ月前から、何度となくハスノハに質問し、有難い回答を宗派問わず色々な角度から聴かせて頂き、座禅会や供養で敷居が高いと遠慮していたお寺にも足を運び 随分と穏やかに過ごせるようになった今 菩提樹もなく仏壇もない自分ですが 一つの宗派にとことん向き合い毎日を丁寧に生きたいと強く思うようになりました。 ただ一つに決める事が出来ず身近な信頼してる人の話しを聞いたり足を運んだりしながらも本を読んでみたり…良いとこどりのズルイ信心だねと 、からかわれたり…  しばらく、こんな状態が続きそうで ごめんなさい、コチラで愚痴らせていただきました。 ハスノハは、こんな中途半端な私の拠り所となり有難い居場所です。 

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本尊開眼、父の供養を僧侶の方にお願いしたいです。

父の法要の際、ある事情で僧侶を呼んで葬儀を執り行えず、また仏壇の本尊を新調する際、僧侶を呼んで開眼供養を行えませんでした。数年経ってからおかしなことが起こり、非常に今苦しんでおります。 現在の宗派を辞めて、平安時代の伝統仏教に入信して、修行を積んだ僧侶の方に、父の供養を執り行っていただきたいと、切に望んでおります。 しかし、親戚に現在の宗派の盲目的信者がおりまして、やめようとするならば、私ではなく、私の母を責めます。母は、何も悪くありません。 むしろ、献身的に家族、親類に尽くしてくれました。母を苦境に立たせたくありません。 しかし、現状のまま仏壇の本尊を開眼供養せず、亡き父も僧侶に供養していただかないと、あの世で浮かばれずに苦しんでいると、視える方に言われました。 最初は、別の困り事で相談したのですが、何をしても解決せず困り果てて、藁にもすがる思いで偶然相談に乗っていただいた方の話によりますと、原因が本尊の開眼供養をしていない、僧侶を呼んで法要を執り行っていないことなどを告げられ、宗旨変えするしかない状況ですが、親類のからみもあり、うかつに行動に移せません。 私は真言宗に変えたいのですが、ご祈祷で親類と争い事無く、開眼供養のない本尊の危険性を伝え、理解して欲しいのですが、凝り固まってしまって理解させるのは到底無理だと思います。 密教の縁切り術で親類との縁を切ろうかとも思いましたが、母はそれも 心苦しいと縁切りも拒みます。 普通の話し合いが通用する連中ではありません。 父を救うために僧侶の方に供養してもらう、その為には宗旨替えを行う必要があります。 また、本尊の開眼供養を行わないと、様々な問題が起きてくるので早目に手を打ったほうが良いとも言われました。(私はうつ病の手前にいると言われました。) 密教の縁切りに頼る私は親戚に対して薄情で、仏教の慈悲の心から、掛け離れているのでしょうか。考え方が安易なのでしょうか。私なりに半年以上考えぬき、苦しんで考え抜いた結果です。 朝から晩までこの事ばかり考えてしまい、頭がおかしくなりそうです。 できれば、真言宗、天台宗の僧侶の方に、回答して頂きたいと思います。

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