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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 」
検索結果: 32076件

虚しいと感じる気持ち、どう対処すればよいでしょうか?

皆さまの問答を拝読し、いつもたくさん勉強をさせていただいております。 今回、自分の気持ちとの向き合い方をご指南いただけないかと思い、相談させていただきます。 私は、自分がとても充実した生活を送っていると思います。 やりたい仕事をさせてもらい、健康で家族にも恵まれ、何不自由なく過ごせていることに感謝をしています。 今以上のことを欲張って願ったりする気持ちはありませんし、自分がいまここに在ることを周囲の人たちにもご先祖さまにも感謝しています。 でも時折、本当に不意に、「虚しさ」が心の中に生まれます。 それまでなんの問題もなく歩んでいた足が突然動かなくなるようにして、心のなかに「空虚」が表れ、それに捕らわれてしまうことがあるのです。 そうなると、全てが後ろ向きに感じられ、自分の存在意義があるのか不安になり、立ち止まったまま途方に暮れてしまいます。 自分はどうして自分なのだろう。 どうしてここにいるのだろう。 なんのために生きているのだろう。 こういう疑問ばかりが、ぐるぐると頭の中を回ります。 なにもかもを投げ出してしまいたくなります。 終いには、それを考えることも放棄してしまいます。 そして、自分の中が空っぽになってしまったような、そういう恐怖を感じてしまうのです。 お坊さまの修行の中や、お釈迦様の教えの中に、そういう心と向き合うためのヒントはないでしょうか。 とても漠然とした質問で申し訳ないのですが、私もその原因不明の漠然とした虚しさに、何度も悩まされてまいりました。 虚しいと思う、空っぽになる心への対処方法、またそういう自分との付き合い方など、なにか参考になるようなことがありましたら、ぜひご教授くださいませ。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 414
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2023/03/19

自分を傷つけてはいけない理由とは

自分を傷つけてはならないのは、なぜでしょうか。 私はストレスが溜まった時や、溜め込んだ感情が爆発しそうになったときに自傷行為をしてしまいます。 過量服薬により何度か病院に運ばれ、現在は入院しています。 私が何度も自傷行為を繰り返すことには、理由があります。 一つは、自傷行為をしてはいけない理由が分からないためです。周りの人には、自分を傷つけるのはよくない。もっと自分を大切にして。あなたが傷つくのを見ると悲しい。などと言われます。たしかにそれももっともだと思います。私のためを思って言ってくれているのだと分かるのでとても感謝しています。 けれども、どうにも納得がいかないのです。 私はこれまで周囲の人たちから傷つけられてきました。他者は私を傷つけるのに、なぜ私は私を傷つけてはいけないのでしょうか?それがいまいち分かりません。 二つ目は、自傷行為を悪いことだとは思っていないためです。よく、他者を傷つけるのはよくないと言います。私は他者を傷つけてはいません。ストレスや感情が爆発して、他者を傷つけるくらいなら自分を傷つける方がよほどましだと思うのです。 それに、もし自傷行為が原因で命を落としてしまったとしても、そうなったのは自分の責任だと思います。死のうが生きようが、それも自分の選択だと思うのです。 どうして周囲の人が私を入院までさせて自傷行為を止めさせようとしているのか分かりません。 今は自傷行為を別の代替方法に置き換える練習をしています。ですが、そもそも自傷行為をしてはいけない理由がよく理解できていません。そのため、練習自体も渋々といった感じで行っている状態です。 私に、自分を傷つけてはいけない理由を教えていただけないでしょうか。

有り難し有り難し 36
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生より死が近く感じてしまう

生きてしまいました。 まずは、私の質問や悩みがどれだけ愚かであっても常に優しい言葉を掛けて下さること、心より感謝申し上げます。一件一件に御礼を書き込むだけの精神的余裕が得られる見込みがないため、この場にてお許し下さい。誠に申し訳ありません。 自業自得により、生よりも死の方がリアルに感じられる状況にあります。心の弱さや人間不信を理由に、しかるべき時に就職活動を行わなかったことで、自らの将来を閉ざしてしまいました。 元々の社会に対する悲観的な意識や積み重なった上手くいかない経験により、「生きる」「幸せになる」「人並みでいられる」「やるべきことができる」自分の姿よりも、「死ぬ」「失敗する」「落ちこぼれる」「救おうとするふりをして救ってくれない社会きら見離される」自分の方がリアルに見えてしまいます。 私はちょっとしたことで傷付く性質で、家族からもよく「そんなんじゃ生きていけない」と言われて来ました。 今更になって就職活動のようなものを始めてみましたが、しかるべき時にに始めていた方々でも苦労するのに、私のような人間が上手くいくとは思えません。筆記試験、業界研究、面接対策。「就活」「いつかは、なるべく早いうちに正社員に」と思うだけで呼吸が乱れます。 新卒で正社員になれなければ、その後のハードルは大きく上がります。正社員でなければ、という焦りは尽きることがありません。 私は、今の社会や世界では、全員を生かすことは出来ないと考えています。どうしても物質がなければ生きていけない以上、生きられる命には限りがあります。そして今は、その限られた以上の命を抱えてしまったのだと思います。 そして、満たされていた過去を知っていた人々は、今までのように満たされようと他から奪い、奪われた人々がまた他から奪うループであると感じています。 私はいつか、こうして私に優しくして下さった方々のように、苦しみを抱えた方々にに向き合うことをしたいと考えております。しかしそれにはまず私が生きて、しっかり労働生活をしなければなりません。自業自得により、常識のレールから外れた私が、もう一度戻れるでしょうか。そして、この世界に絶えられるでしょうか。社会が受け入れてくれるとは考え難く、自分で自分を追い込んでしまいます。 生きることがこんなに辛く難しいものだとは思っていませんでした。

有り難し有り難し 35
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犠牲になったもののことを考えると辛いです

私の今の暮らしがたくさんの犠牲の上に成り立っていることを考えると、このまま生きていて良いのか疑問に思います。 食べるために動植物の命をいただくのは、仕方のないことだと思っています。それは感謝して頂く他ないと思います。 しかしそれ以外にも薬の開発のための動物実験だったり、開発による自然破壊だったり、多くの命を奪っていると思います。私の生活は様々な科学技術に支えられていますが、その技術が開発されるまでには事故が起きたり、誰かが命を落としたりしています。私が安い洋服を買う背景では、途上国の綿花生産者や工場労働者が苦しんでいるかも知れません。 食べるのは良いのに、矛盾していると思われるかも知れませんが、私の便利な暮らしの背景で何か・誰かが犠牲になっていると思うと辛いです。生きている限り何かを犠牲にし続けると思うと、そこまでして生きる意味はあるのか疑問に思います。 自分でも気持ちをきちんと整理できていないのですが、消えてしまいたい、死んでしまいたい、という強い思いがあるわけではなく、生きるていることは新たな犠牲を産むことに加担していることのように思われるということだと思います。私が生きることで間接的に何かの命を奪っているのも、誰かを苦しめていると知りながら何もできないのも辛いです。 生きている限り何か・誰かが犠牲になっていると思うのですが、お坊さんはこのような犠牲についてどのように考えますか。 読みにくい文章だったと思いますが、最後まで読んで下さり有難うございました。

有り難し有り難し 16
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死ぬことに決めたのに死なせてくれない

義理の母には子供の頃から迷惑をかけてきて、怪我をさせたことや所持品を誤って壊してしまったこともあります。父親に騙されて再婚したと言っていましたし、恨まれる理由には山ほど心当たりがあるので、昔から何度も「気持ち悪い」「嫌いだ」と言われても納得できます。自分でも世間様に馴染めない人柄だとは自覚しています。 なのでもう無理に生きていたくないのですが、どうにも母は私のことを「生き汚く悪賢い怠け者」と思っているようです。日々聞かされる私の存在を疎ましく思う言葉の数々に堪えてまで生き恥を晒そうなどとは考えていませんし、昔から考えていることは何もかもうまくいかない空回りの人生で悪知恵などあろうはずもありません。怠けたいのは事実ではありますが、そんなぐうたらな人間に生きる価値などないことも百も承知、なので死にたいのです。 こういった話をどこにしても、「母は本当は私のことを想ってくれているよ」と知ったようなことを言われます。そんなこと万が一もないのは、一つ屋根の下で暮らしている自分が一番理解しているのだから、そんな無責任な慰めで我慢を強いられるのは納得がいきません。もう何かを耐えてまで生きていたくなんてないんです。 でも父は悲しむでしょう。口数が少なく何を考えているかわからない父ですが、多分悲しむんじゃないかな、とは思います。母から、未だ学校生徒の、自分の腹を痛めて産んだ子供たちの目の前で日常的に離婚を求められていてまで、仕事をしていて生きてて楽しいのかな、とは思いますが、これ以上の心理的負担に耐えられるか心配なのは事実です。 お医者さんに今度かかることになりましたが、初診の日まで母の「はやく消えろ」アピールを耐えてまで診療してもらうような理由がないというか、そこまで人生に希望が持てません。なので次に何か耐えられなくなったら、もう現世の人間関係なんてどうでもいい。自分ひとりだけでも楽になりたいので、死ぬことにします。 母はヒステリックでなんでも決めつける人なので、私が死んでも見当違いのことしか言わないでしょう。それは生きて聞いた人が勝手に解釈すればいい。 せめて、本当はなんでこの人は死んだのか?というのを、どこかに書き残したかったのです。これを読んだ人にだけ、理解してもらえれば、それだけで生きてて満足でした。もう何も要りません。今は死だけ欲しいです。

有り難し有り難し 30
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本人に余命を知らせないこと

いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 39
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