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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6190件

死の苦痛が怖くて仕方ありません

死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。 最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。 多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。 例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。 フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。 それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。 調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。 私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。 思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。 以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。 コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。 死の苦痛も、私の中では同じです。 死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。 ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。 夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。 こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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死について考えるとパニックになります

死ぬことがとても怖いです。 死んだ後、こうやって今文字を打ってる、自分という存在はどうなるのかと考えると、怖くて仕方ありません。 死は逃れられないのだから、どうにか死を受け入れられるように、死というものに悲しいイメージを抱かないようにと、お釈迦さまの考えや、聖書など様々なものを読みました。 ですが、いざ死について考えた時、魂という存在や天国、地獄など、それらのものが無かったら?と考えてしまいます。 最近はニュースなどで殺人や自殺など誰かが亡くなってしまう内容を見ると、死は突然訪れるのだと強く感じ、とても苦しく、死にたくないと叫び泣いてしまいます。 こういう話を周りに相談すると、後悔の無いように生きることを全うする、考えても仕方ないのだから考えないようにするなどアドバイスをいただきます。 ですが、後悔の無いように生きても、私は死にたくないんです。死ぬ前に生きてて楽しかったな、なんて思える気がしません。 不老不死でいいのかと言われたら、それで構いません。私という存在が無くなることの方が怖いです。 死からは逃れられないという気持ちと、死ぬことが怖いと思う気持ちどちらも交互に出てきて、また教えやアドバイスを受けても、実際はどうなのか分からないじゃないかと考え受け入れることが出来ない、そんな自分はどうすればいいでしょうか。 まとまりのない文章となり申し訳ございません。お願いします、助けてください。

有り難し有り難し 62
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死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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死への恐怖が辛いです

何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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とにかく死が怖いです

初めて質問させて頂きます。 幼い頃から【両親の死への恐怖】が止まらないです。 最近さらに増したように思います。 私は一人っ子のため、相談できる兄弟も居らず、今苦しい時間を過ごしています。 両親とは離れて暮らしていますが、とても仲が良く、月に1度は長距離を移動して会っています。母とは毎日電話をするほどです。 しかし、元気だった父の反応が最近鈍ってきたように思い、病気で逝ってしまったらどうしようと思い始めたのが死への恐怖が増したきっかけです。 長年透析をしている母はいつまで元気で居てくれるのか。 さらに今年出産をして、両親だけではなく、自分の家族への死の恐怖も覚えてしまいました。 隣で寝息を立てている息子に何かあったらどうしよう。 いつもしっぽを振って懐いてくれる犬はいつか居なくなってしまうのかと、そんなことを考えては涙が止まらないのです。 夫は良い人で話を聞いてくれますが「悩んでも仕方ないんじゃ?」との答えばかりです。 大好きな家族との別れを考えては涙し、不安になり、体調を崩しそうになります。 先のことを考えてばかりではダメ、今を生きなければと分かっているのですが…。 拙い文章で申し訳ございません。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
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2023/05/15

死を意識する子ども

6歳の娘を育てていますが、その子がやたらと死を意識するような言動が多く不思議です。子どもとして正常なのでしょうか? その子のまえに2歳離れた娘がいましたが、先天性の疾患があり4ヶ月でお空に帰ってしまいました。わが家には長女の仏壇があり、朝夕に手をあわせ、月命日には墓参りをしています。 3ヶ月前にはわたしの祖母が亡くなりお通夜に参列しました。棺に手紙を入れて、亡骸と対面もしています。 飼っていた猫も老衰し、亡くなる時を見守り、ペット葬儀場でお骨になるまでをみせています。 同年代の子どもより亡くなった人(ペット)と接するエピソードが多いからかもしれませんが、「◯◯ちゃん(長女)はお空にいるんでしょ?今日は背負って一緒に小学校に行くんだ~」 成人式のニュースをみて、どんな振り袖が着てみたい?と話しかけた主人に「パパは成人式の時まで生きてるの?いつまで生きてるのかな?」 祖母のお通夜をした葬儀場前を通ると「大バァちゃんはまだここにいるの?死んだらどこにいるの?」などよく聞いてきます。 死に対して恐怖を感じてる様子はありませんし、死を意識した会話を悪いことだとは思っていませんが、なにかにつけてまわりの大人たちに「いつまで生きるの?」と聞くため、変な子どもと言われます。 長女の死について詳しく話したことはありません。長女の死因や死生観についてなど、なにか特別な説明や教育をしてやったほいがいいのでしょうか?どうしてやればいいのかわからずモヤモヤします。ただ、変な子どもと言われるのは不本意だし、よくないなと思っています。なにかいい言葉がけなどあれば教えてください。よろしくお願いします。

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友人の死を受け入れていないのでしょうか

2年前に、友人が病気で亡くなりました。 他の友人も交えて仲が良かったので、友人(以下A氏)が友人が亡くなった(亡くなった友人はB氏)3ヶ月後位に、B氏の母親に電話で、「B氏にお線香をあげたい」と言ったら、B氏の母親は「辛いので来ないで欲しい」と言われました。 A氏と2人でやり取りして、B氏の母親にお花とB氏が元気だった頃の写真と寄せ書きを送りました。 B氏の母親は喜んで「ありがとうございます。B氏の横(納骨していなかったので骨壷)に置いておきます」という電話を頂きました。 それからB氏の母親と寒中お見舞いなどでやり取りするようになり、今年になって「B氏のお墓まいりに一緒に行きましょう(一周忌でお墓に納骨した)」という手紙を頂きました。 B氏が亡くなって2年経って、B氏の母親とお墓まいりに行きました。 墓石にはB氏の名前が書いてあり、B氏の母親は「B氏はここにいるよ。今日はお友達が来てくれたよ」と話しかけていました。 私よりも先に、B氏の母親とお墓まいりに来たA氏は「A氏はまだ居ると思ったけど、お墓を見て死んだと実感した」とB氏の母親に言ったそうです。 私はお墓を見ても、B氏の死を実感出来ず、B氏の母親からA氏の言ったことを聞いて、ただ涙が出ました。 お墓を見れば、B氏の死を実感すると思っていましたが、実感するどころか、死を信じられず、「この中には別の人がいるのではないか」とも思いました。 お墓を見ても、その方の死を実感出来ないというのは、まだB氏の死を受け入れていないのかも知れません。 このような気持ちでお墓まいりをしたことは、B氏やB氏の母親にとって、失礼になりますか? 宗教について知識不足ですが、お坊さんの視点からお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 16
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死恐怖症改善したい

初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。

有り難し有り難し 105
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