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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6207件

死への恐怖が辛いです

何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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とにかく死が怖いです

初めて質問させて頂きます。 幼い頃から【両親の死への恐怖】が止まらないです。 最近さらに増したように思います。 私は一人っ子のため、相談できる兄弟も居らず、今苦しい時間を過ごしています。 両親とは離れて暮らしていますが、とても仲が良く、月に1度は長距離を移動して会っています。母とは毎日電話をするほどです。 しかし、元気だった父の反応が最近鈍ってきたように思い、病気で逝ってしまったらどうしようと思い始めたのが死への恐怖が増したきっかけです。 長年透析をしている母はいつまで元気で居てくれるのか。 さらに今年出産をして、両親だけではなく、自分の家族への死の恐怖も覚えてしまいました。 隣で寝息を立てている息子に何かあったらどうしよう。 いつもしっぽを振って懐いてくれる犬はいつか居なくなってしまうのかと、そんなことを考えては涙が止まらないのです。 夫は良い人で話を聞いてくれますが「悩んでも仕方ないんじゃ?」との答えばかりです。 大好きな家族との別れを考えては涙し、不安になり、体調を崩しそうになります。 先のことを考えてばかりではダメ、今を生きなければと分かっているのですが…。 拙い文章で申し訳ございません。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1
2023/05/15

死を意識する子ども

6歳の娘を育てていますが、その子がやたらと死を意識するような言動が多く不思議です。子どもとして正常なのでしょうか? その子のまえに2歳離れた娘がいましたが、先天性の疾患があり4ヶ月でお空に帰ってしまいました。わが家には長女の仏壇があり、朝夕に手をあわせ、月命日には墓参りをしています。 3ヶ月前にはわたしの祖母が亡くなりお通夜に参列しました。棺に手紙を入れて、亡骸と対面もしています。 飼っていた猫も老衰し、亡くなる時を見守り、ペット葬儀場でお骨になるまでをみせています。 同年代の子どもより亡くなった人(ペット)と接するエピソードが多いからかもしれませんが、「◯◯ちゃん(長女)はお空にいるんでしょ?今日は背負って一緒に小学校に行くんだ~」 成人式のニュースをみて、どんな振り袖が着てみたい?と話しかけた主人に「パパは成人式の時まで生きてるの?いつまで生きてるのかな?」 祖母のお通夜をした葬儀場前を通ると「大バァちゃんはまだここにいるの?死んだらどこにいるの?」などよく聞いてきます。 死に対して恐怖を感じてる様子はありませんし、死を意識した会話を悪いことだとは思っていませんが、なにかにつけてまわりの大人たちに「いつまで生きるの?」と聞くため、変な子どもと言われます。 長女の死について詳しく話したことはありません。長女の死因や死生観についてなど、なにか特別な説明や教育をしてやったほいがいいのでしょうか?どうしてやればいいのかわからずモヤモヤします。ただ、変な子どもと言われるのは不本意だし、よくないなと思っています。なにかいい言葉がけなどあれば教えてください。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 11
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友人の死を受け入れていないのでしょうか

2年前に、友人が病気で亡くなりました。 他の友人も交えて仲が良かったので、友人(以下A氏)が友人が亡くなった(亡くなった友人はB氏)3ヶ月後位に、B氏の母親に電話で、「B氏にお線香をあげたい」と言ったら、B氏の母親は「辛いので来ないで欲しい」と言われました。 A氏と2人でやり取りして、B氏の母親にお花とB氏が元気だった頃の写真と寄せ書きを送りました。 B氏の母親は喜んで「ありがとうございます。B氏の横(納骨していなかったので骨壷)に置いておきます」という電話を頂きました。 それからB氏の母親と寒中お見舞いなどでやり取りするようになり、今年になって「B氏のお墓まいりに一緒に行きましょう(一周忌でお墓に納骨した)」という手紙を頂きました。 B氏が亡くなって2年経って、B氏の母親とお墓まいりに行きました。 墓石にはB氏の名前が書いてあり、B氏の母親は「B氏はここにいるよ。今日はお友達が来てくれたよ」と話しかけていました。 私よりも先に、B氏の母親とお墓まいりに来たA氏は「A氏はまだ居ると思ったけど、お墓を見て死んだと実感した」とB氏の母親に言ったそうです。 私はお墓を見ても、B氏の死を実感出来ず、B氏の母親からA氏の言ったことを聞いて、ただ涙が出ました。 お墓を見れば、B氏の死を実感すると思っていましたが、実感するどころか、死を信じられず、「この中には別の人がいるのではないか」とも思いました。 お墓を見ても、その方の死を実感出来ないというのは、まだB氏の死を受け入れていないのかも知れません。 このような気持ちでお墓まいりをしたことは、B氏やB氏の母親にとって、失礼になりますか? 宗教について知識不足ですが、お坊さんの視点からお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

死恐怖症改善したい

初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。

有り難し有り難し 105
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2025/05/11

自死遺族

前回は、私や亡くなった母に南無阿弥陀仏を唱えてくださりありがとうございました まもなく四十九日を迎えます ショックは軽減されて来ているのですが、ふと母のことを思い出すと苦しくてたまらなくなります 母は今は安らかだとわかっているのですが、亡くなる直前の母を想像してしまい、それを考えるととても苦しいです どんな気持ちで、どんな顔でその行為をしてしまったのか… 母は縊死だったのですが、あれから私も呼吸がしづらく夜中に目が覚めることもあります 時間薬とはよく言いますが、自死遺族の傷は癒えるのでしょうか 母が亡くなってから、残された実家の家族も精神的に落ち込み持病が悪化したり仕事に支障を来したりして生活もままなりません ゆっくり、穏やかに傷を癒やすこともできません 日に日に全員が病んでいっています 母の死をきっかけに、緩やかに家族が崩壊しているように感じます それが辛くて、本当は私も死を選んでしまいたい 毎日が辛くて苦しいです 逃げたいのです でも、私までも自死を選んだらそれこそ家族がしんどいと思うのでなんとか踏みとどまっている状況です みんながしんどいのは、わかっているので… 役所なども頼っていますが、皆さん親切にしてくれるのですが「できないものはできない」「支援のないものはない」 この国は、一体誰のためのものなのかわからなくなり、絶望してしまいます お金がなかったり、メンタルの弱い家族は生きていけないのでしょうか 一家心中も考えてしまいます みんなで母のところへ行けたら… 時間薬が助けてくれるでしょうか それとも、私がもっと強くならなければいけないのでしょうか あと、お仏壇を処分するにあたって魂抜きをするお金がありません… そのまま処分しても、御先祖様は怒りませんか? もう、どうしていいかわかりません…

有り難し有り難し 6
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主人の死と向き合えていなかったこと

こんばんは。 歩き出しては立ち止まり、迷ってはお坊様方にいただいた回答をもう一度読み返し、気持ちを切り替えてきました。そして、ようやくひとつ先へ進めたかのように思えていた矢先に、ある音楽を耳にしました。それは、2人で良く聴いていた曲でした。 私はとても嫌でした。聴いていられませんでした。なぜだかそのときはわからなかったのですが、あとからじわじわと気づきました。 私は主人の死に全く向き合えていませんでした。 亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。 主人の為にお葬式や新盆はしっかりやってあげたかったし、会社の方が来られてもしっかりした様子を見せたくて気を張っていたし、子供たちにはあまり悲しい顔を見せないように、もちろん子供たちが辛いときは一緒に悲しみに寄り添い、いままでと変わらない元気で明るい家族でいたくて頑張ってきました。主人の為、子供たちの為に進んでいくしか、生き方がわかりませんでした。 周りの人に「ちゃんと前に進めてるよ」って言ってもらいたかったのかもしれません。 そのために死を受け入れる時間は後回しに、どう向き合っていくことが幸せなのかを優先に考えてしまったのだと思います。 主人の死を受け入れるためには、どうすべきなのでしょうか。向き合う必要性があるのかすら私にはわからないのです。

有り難し有り難し 30
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2025/08/14

「死」とは何か、納棺体験の意義はあるか。

人生の折り返し点を迎えました。 昨年、全身麻酔で外科手術を受けました。定型的で難しくない術式なので、医師に任せておけばいいとは思ったのですが、医療に完璧はありません。迎えた手術日当日、急に穏やかではない気持ちになりました。朝の空が昨日まで綺麗な朝だったのに黒い雲で暗く、カラスが鳴き、談話室に行けばちょうど亡くなられた方がいたのか、葬儀の打ち合わせ、生前整理のパンフレット…。 そういったネガティブ要素が重なるに重なりました。 もっとも手術自体は無事終わり、今は元気に日々を暮らしておりますが、思えば人生の折り返し点です。ここにきて何か「死」に対してこと考えるようになりました。全身麻酔も言ってみれば安全に手術を行うために人間を限りなく「死」に近づける医療、目が覚めた時、手を動かした時、生きてるとも感じました。 まだまだ、これからやることはたくさんあります。 生きたいと思います。 日々、生きるためにどうやって今回あったようなネガティブな要素を消していけばいいのか、悩んでいます。結構クヨクヨする性格ではあります。 と、そういう話を繰り返すうちに「納棺体験」というところに当たりました。何かこの先、自身が生きるための一つのアプローチにはなるかなとは思ったのですが…これってどうなのかなとも思いました。

有り難し有り難し 5
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2025/03/01

「死」を強く考えてしまう。

「死にたい」と思うことは、良くないことなのでしょうか? 私の心の奥には、 「できたら早くあの世に帰りたい」と思う気持ちがあります。 行動にする気はなく、 心のなかで思ったり、つらい気持ちとして、だれかに「死にたい」という気持ちを吐きだすことがあります。 「前向きにがんばろう」という気持ちを感じて、なにかを一生懸命、行うときにも 心のどこかには 「早くあの世に逝くため」と思ってしまいます。 どうしても 「死」というものは、 残された者には、悲しいものであったり、苦しいものであったり、あまり良い印象ではないと感じています。 ですので、 家族や友人など、周りの方々に不安を感じさせてしまうと思い、 私が、「早くあの世に帰りたい」という気持ちを、感じやすいんだよ、ということを なかなかお話することができないので少し苦しいです。 私自身も 「死」のことを考えないようにしたいのですが、どうしても考えてしまい、 「どうして、私はこのようなことを考えてしまうのだろう…」と苦しさや自己嫌悪を感じています。 お坊さんにお聞きしたいのですが、 「早くあの世に帰りたい」と考えることは、悪いことなのでしょうか? 家族や周りの方々だけでなく、 あの世の、神様や菩薩さま、仏さまにも 「どれだけ恵まれているのか分かっていない」と悪行として見られているのでしょうか? もし、悪いことだとしたら 「死」のことを強く考えたり、「早くあの世に帰りたい」という気持ちを少なくできる、方法が知りたいです。 お忙しいとは存じますが、 どうか、苦しみから抜けだす為にも、 お力をお貸しください。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
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毎日死について考えてしまいます

私は毎日、大切な人たちの死を考えてしまい、悲しくて苦しくてこの先の人生に希望が持てなくなるような瞬間があります。 大切な人たちというのは主に家族で、特に両親や姉妹のことです。 昨年、結婚し初めて実家を出ました。 元々結婚願望がなかった私でしたが、婚約してからはあっという間に家を出ることになってしまい、当時29歳でしたが、なんだか現実に起こっていることと自分の心がついてこないような感覚でした。 あぁ、私も結婚する歳なんだなぁ…大人になってたんだよなぁ…というような感じです。 結婚生活はとても楽しく、実家にもよく顔を見せに帰っていますし、姉妹とも連絡は頻繁に取っています。 しかし、いつも楽しく幸せだと感じる裏側で、いつかこの幸せも終わってしまう、いつまでも幸せではいられない。そう思ってしまうのです。 もしかしたらあと10年後には両親がいないかもしれない。もう少し前の私であれば、そんな考えが浮かんでも「まだまだ若いし元気だから大丈夫」と自分を励ますことができたのですが、最近ではもう親の死も他人事ではないというか、あり得ないことではないと落ち込んでしまいます。 いつだって人は死と隣り合わせで生きているし、親がいくつだろうと、自分が大人でも子どもでも関係ないことだったのに。 この先私が親や姉妹よりも長生きするとすれば、私の未来にはとても悲しくて辛い出来事が必ず当たり前のように訪れます。 「大切な人の死」という、想像しただけでも胸をえぐられるような悲しみ以上に、楽しいことや幸せだと思えることが今後あるのでしょうか。 もちろん私の両親も自分の親とのお別れを経験しているわけですし、人はそうやって生きていくものだと思いますが、こんなことを夜な夜な考えてはこの先の未来に影を落としてしまいます。 少しでも前向きに考えていけるようになりたくて、ここでお話しさせて頂きました。 わかりにくい文章で申し訳ございませんが、何かお言葉を頂けたらと思います。

有り難し有り難し 3
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初めて身内の死を経験してから

3年半前、祖母は余命2~3ヶ月の末期癌と診断されました。 ですがよい病院に巡り会え、度々余命宣告されても、家での治療を続け元気な姿を見せてくれました。 その祖母も、春に余命2週間を宣告され、そのとおりに亡くなりました。 亡くなる数日前までは酸素も回復し、本人も「みんなでお花見しよう」「退院したら○○へ夕飯行こう」なんて楽しそうに話していて。 突然危篤状態になり、次の日にという流れでした。 私はこの3年間延命してる姿を見て「こんな笑ってる人が死ぬわけない」と思い込み、祖母に優しくできなかったことをとても後悔しています。 仕事を理由に何度も誘いを断り、私が口ベタなこともあり話のキャッチボールが少なかったり。 まともな思い出も去年秋の旅行と、亡くなる前の誕生日会くらいです。 亡くなって2ヶ月半経ちますが、かなりの頻度で夢に出てきます。 街中で同年代のお年寄りを見かけるだけで悲しくなります。祖母の願いであった私の結婚報告も、式の参列へも、叶えられなかったことを考え泣いてしまいます。 亡くなる数時間前、駆けつけた私を見て涙目で手を握ってくれました。 必死に抱きしめようとしてくれましたが、医療器具やベッドの柵が邪魔で出来なかった悲しみや、死の直前まで生きたいと願っていた祖母の姿が頭から抜けません。 死の悲しみは誰もが通る道だとは分かっていましたが、、 どうすれば前向きに生きられるでしょうか。

有り難し有り難し 15
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