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hasunoha 問答検索結果 : 「 縁 」
検索結果: 13877件

これが私の人生だ

母のガンで大学進学ができなかったけれど 成人してから病気ばかりで 最後は難病になってしまったけれど 夫がモラハラで言いたい事も言えなくて いつもいろんな気持ちを押さえているけれど 学歴コンプレックスで自分を認められず でも自分をよく見せたくて いろいろチャレンジしては失敗して そのたびに自分は駄目だとガッカリして 最後の最後に自分で自分を裏切るような そんな大失敗をしてしまったけれど これが私の人生だ でもそんな自分も認めてあげたい 最後に死ぬときには いろいろあったけれど 逃げないで良く頑張って来たねと 自分に言ってあげたい あの時自分で自分を殺さなくて良かったねと 自分に言ってあげたい そんな風に思います 今朝、息子のお弁当を作りながら 私がどうしてこんな生き方しかできなかったか その原因に気がついて涙が出てきて 止まらなくなってしまいました すべては自分の中にあるものでした 誰のせいでもない すべては内なるもの ああ、今も書きながら泣けてきます 困ったな涙が止まらないや こんな生き方しかできなかったけれど 自分をしっかりと見つめて 励ましながら生きていきたいです 思いを垂れ流してすみません ずっと誰かに話したかったのだと思います 読んで下さってありがとうございました

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自分ばかり苦しんでいると感じます

 私の育った家には、金も教養もなく、愛もありませんでした。認知症を患った祖父母と、互いに軽蔑しあう両親と、私を時には過剰に可愛がり、時には理由もなく拒絶する姉がいるだけでした。  家の外の社会でも、多くの人たちが、あるときは面白半分に、あるときは明確な(そして理不尽な、と私自身は感じています)敵愾心をこめて、私に対して悪意をぶつけました。それらに対して、ささやかな反抗を試みたこともありますが、いつも叩き潰され、大勢の前ではずかしめられました。そのときに私の肩を持ってくれたり、慰めたりしてくれる者はなく、むしろ嘲りを受けました。  子供の頃から、なるべく人との衝突を避けるように、気持ちを傷つけないように、という思いで生きてきました。周囲からも概ねそのような人柄だとみなされていたと思います。それがかえって目をつけられたのかもしれません。ずっと加圧器の中にいるような人生だったと感じています。  いまの私の悩みは、自分が幸福になるイメージが描けないことです。大袈裟なようですが、私自身のなかに、ともすれば私の生まれる前から、なんらかの呪いや悪い因子のようなものがあって、それに私は一生絡めとられたまま抜け出せないのではないか、救われることはないのではないかという思いがあります。  周囲から愛され、環境に恵まれ、伸び伸びと知性や人格を育てた人を見ると、羨ましいという以上に、もう自分には決して追いつけないほど人生に差をつけられているのだ、と感じます。なにをしても虚しく、意味がないと思ってしまいます。  なにか人のためになることがしたいのですが、人を信じたり、愛情を向けたりすることが難しいと感じます。新しいコミュニティに入ることにも、いつも恐怖を覚えてしまい、なかなか踏み出すことができません。

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自分と彼女の未来について

少々長文ではございますが、一読頂けると幸いです。 彼女とは5年間、約800kmの遠距離恋愛をしていたのですが、先月遂に同棲をスタートすることが出来ました。 しかし、同棲を始める2週間程前に彼女が他の男性に告白をされました。 彼女にとって告白が新鮮だったのか、その方に惹かれてしまったのです。 気持ちが惹かれたまま同棲をスタートすることになり、彼女と自分と相手の方の三角関係も同時にスタートとなってしまいました。 それから先1ヶ月、彼女の好きな人は相手の男性。でも今、暮らしているのは自分というとても複雑な関係で、辛く泣いてしまう日も増えていきました。 そんなある日、自分が夜寝ていた時にハッと目が覚めたときに彼女が相手の方と通話をしていたのが聞こえました。話を聞くつもりはなかったのですが、聞こえてしまった言葉は「好き…」と囁くような彼女の声でした。 彼女の笑顔、幸せを願うのならば自分と一緒にいるよりも相手の方と一緒になった方がいいのかもしれないと考えていた自分はその日、彼女に別れを告げてしまいました。 その日の夜から次の日の夜まで突然の別れにショックを受け一日中泣いていた彼女を見て深く後悔をしました。 別れなんて告げなければよかった。幸せを願って告げたのに自分も彼女も笑顔がなくなり辛い日常に変えてしまいました。 復縁を求めましたが、彼女の心は決まってしまったみたいで、しばらくは同居、働いてお金が貯まれば今住んでいる家を出ていくと言っています。 別れを告げたのは自分からですが、やはり最愛の人と離れたくないという気持ちが強すぎて精神が壊れてしまいそうです。 この先、どうすればまた2人の生活にもどれるでしょうか? 意見でも感じたことでも大丈夫ですので声をお聞かせください。 拙い文章で申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

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高校の頃の友人

またよろしくお願い申し上げます。 私は高校生の時三年間ずっと一緒のクラスで三人ぐらい仲の良い子がいました。その中でも凄く仲の良い友達がいて、その子とは移動教室や休み時間、昼食とかも行動を共にしてました。 高校卒業して三年ぐらいして同窓会があり同窓会に行ったらその仲の良かった子が来ていなくて他の子に聞いたらあの子は病気で亡くなったと聞きました。同窓会までは電話とかメールで同窓会楽しみだねって話ししてたのに亡くなったって聞いた瞬間に力が抜けました。三年間ずっと喧嘩もした事もなくてずっと仲が良かったから信じられずに何で亡くなったのって聞いたら癌で亡くなったと ひまわりにも知らせようかって思ったけどひまわりが悲しむからと思って同窓会まで言わないで口止めされてたと ひまわりに渡して欲しい物があると言われたので受け取ると亡くなった友達からの私への手紙でした。その手紙を読んだ時は凄く涙が止まりませんでした。9月は友達の月命日です。鹿児島には帰れないので亡くなった友達の両親に手紙を書こうと思います。 月命日に帰れなくて手紙書いても亡くなった友達は私の事もあの世で覚えてくれてますよね❓

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お坊さんの立場からのご意見をいただきたいです。

はじめまして。 私には、学生時代からおつきあいをしている男性がいて、彼は今修行僧の身です。 彼は実家がお寺というわけではなく、すでに跡取のいる方を師匠としています。 修行に行く際、 ・修行期間が最低でも五年以上になること ・修行を終えても入るお寺があるかどうかはまだわからないこと ・晴れてお寺に入れたとしても、私と結婚できるかはわからないこと(娘しかいないお寺に入り、婿養子となる可能性も大いにあるため) 上記の理由から、縛られないで、お互いの人生を生き、二人がまた出会えた時に、二人とも結婚できる状況にいたら一緒になろうと約束をしました。 今年で離れて6年 私は、この度結婚が決まりました。 親よりも前に彼に伝えました。 とても優しく温かい言葉が返ってきました。 「『待っといてくれ、絶対結婚しよう』とは無責任すぎて言えない」と彼に言われた時から、割り切ったつもりでいました。 私は自分の人生をしっかりと生き、彼に恥じない日々を送ろうと。 でも、今になって、涙が止まらない日々を送っています。 あと2年ほどで修行が終わりそうだとは聞いていました。 しかし、仕事、親、自分の状況。 そして彼との未来の不透明さ。 たくさんのことを考えた時、私にその2年は待てなかったのです。 辛く厳しい日々の中、一回だけでも会いにきてくれた。 毎年誕生日にはお手紙と近況報告をくれた。 こちらの恋愛事情などは、配慮して絶対に聞いてこなかった。 幸せになってくださいと言ってくれた。 私はこんなに大好きな人を裏切ってしまったのか、二人にはこの選択しかなかったのか。と、問い続ける毎日です。 主人となる今の彼にも失礼なのはわかっているのですが、なんの弊害も無かったら、私は彼と一緒になりたかったです。 私の選んだ人生なので、こんなことを言うのも自分勝手だとは思いますが、たくさんのことを考えてしまって涙が止まりません。 同じ雲水さんを経験されたお坊さんたちから見て、私は、私の選択は、どう映るのでしょうか。

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どうしてそんなに生命を軽く扱うんですか?

生来の体質ゆえに普通の人と同じような人生を送ってこなかった私ですが、十代の頃から長いあいだ「希死念慮」という死神に貼り付かれてきました。死ぬほうが楽なことは一杯ある。いままでそれに負けなかったのはひたすらに自分自身に負けたくない気持ちゆえにです。子供の頃からずっと「死」について考えてきました。 私は特定の信仰を持ちませんが、なんとなく「生かされている」という気がしています。 「お天道様が見ている」というのに近いかな? この「お天道さま」は誰も人が見ていなくても非道なことをすると罰を与えます。「天罰」というやつですね。 大事故で九死に一生を得て助かる人もいますし、大災害で亡くなる方もあれば、奇跡的に助かる方もおられます。特に東日本大震災のような災害で、本当にわずかな差で生死を分けた人の話を聞いたりすると、本当に不思議な気持ちになります。 なにが運命を分けたのかわかりませんが、私はこう考えてしまいます。「助かった人は生き延びてまだやるべきことがあったんだ」と。 不幸にして亡くなられて、遺族に大きな悲しみを残された無念の死を迎えた人も、その大きな犠牲によって、多くの人に訴えるものがあって、改善のきっかけになったこともあるし、遺族がその人の分も力強く生きていこうとする力の源になったのかもしれないなあ…とも…。 すべて私が勝手に思っているだけのことですが、だからこの世に「無駄な生命」はひとつもないのです。天命だか運命だか、寿命がある人はその時まで、生き延びる運命にあるかもしれないし、短く定められた寿命の人は普通なら大丈夫、くらいのわずかなことで命を落とされることもあります。 …だから、私も、生きているということは自分なりの役目があるから生きているんだと思っています。それがちゃんと出来てからじゃないと死ねないかもしれません。 黒柳徹子さんのエピソード。ユニセフの仕事で「寿命があるなら大丈夫だから」と地雷原にずんずん入っていかれるという話。単に無謀とは違って黒柳さんの中にも「生かされて生きている」感覚が強かったんじゃないでしょうか。 生きているうちはこの世での役目があって、それが完了するのが死ぬ時。自分勝手に途中で投げ出したら、それまでの苦労も無駄になりますよね。 相談ではなくてすみません。一度しかない人生、大切にしていただきたい切なる願いです。

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娘の死

35歳の娘が2年近くの闘病生活をしてまいりまして、3週間前に天国へ旅立ちました。 2回の大手術、放射線、抗がん剤、丸山ワクチン免疫療法とやれる事は全てやったつもりですが、転移、再発を繰り返して、最後は腫瘍による腸閉塞になり、点滴生活が1ヶ月半でした。 この2年で私にもお友達にもほとんど泣き言を言わず、いつも明るく前向きで、大丈夫が口癖でした。 5月に入り、3日間くらい何を話しかけても話をしなくなってしまった時にもうこのままだめなのかなあと諦めかけました。 すると4日めで目覚めて、とても怖い夢をみていた、目をつぶると死ぬよと言われ一生懸命開けてたと。 変なおじさんもいたと。 その時、私は娘は奇跡をおこせるのではと思いました。 3月の終わりに、病院でこのまま病院にいても家に帰っても点滴しかやる事がないと言われて退院してきます。 在宅看護でしたが、看護師さんもすごい生命力といってくださいました。 それから、3日間くらい、主人と私と3人で一日中一緒に過ごしましたが、しゃべってしゃべって、朝方までしゃべり続けるのです。とても元気になったのだと思ってた。 ところが、その3日後にお友達が会いにきてくれてその夜から眠ったままになってしまいました。 疲れたのだろうと思っていましたが、亡くなるまで、一言二言話すだけで、最後の3日間くらいは、顎で息をして、目は開いたままで瞼を閉じてあげようとしても、無理でした。 尿もほとんど出ず血圧も下がってきていたので、あれだけ死んだら絶対だめだと心の中で叫んでいたのに、もう楽になってほしいと思ってしまいました。 顎で呼吸になるとすぐにだめになる人が多いと看護師さんから聞いて、4日間も頑張っている娘に対して今は申し訳ない気持ちでいっぱいで、会いたくて会いたくて毎日泣いてばかりです。 目を閉じなかったのはなぜなんだろう、時々泣きそうになる顔は何を言いたかったんだろう。全部私が悪かった。これからどうやって生きていこう。 死にたいと思うが死ぬ勇気もない。 2年近く入院以外は毎日一緒だったので、どの部屋に行っても思い出して辛い事ばかりです。 神様も仏様と助けてくれなかった。 今は娘が仏様になったので、ご飯を作る事だけが、精一杯です。 娘は誰にも泣き事を言わず明るくしていました。 どんな事を思っていたかと思うと胸が張り裂けそうです。

有り難し有り難し 22
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自分の性格に自信が無く、、

私は昔から自分の思うままに生きてきました。 それは悪い意味で、怒りの感情を思うままに相手に突き付けたり、思った事を何も考えずに相手に押し付けたり、、本当何も考えようとしずに生きてきました。 高校になった頃に間違いを指摘してくれる友達に出会い、やっと自分がいかに相手を傷つけていたか思い知らされました。それまでは恥ずかしながらなんの悪気なく言っていたのです。 それからと言うもの、徐々に自分の発言に過剰に気にしすぎるようになり、思う事をうまく言えないようになり、イラっとされるのが怖く、相手の顔色ばかり伺い、思ってもない事で機嫌を取ったりしてします。 でもちゃんと自分で相手の事を考えた上での事はしっかり指摘出来たり意見を言ったり出来るのです。ちゃんと考えられる自分が嬉しかったりもします。 嫌なのは今まで長い事、相手の事を考えずに発言していた性格が出てしまった時や、出てしまっていたんじゃないかと、感じる時です。 そして友達と遊んでバイバーイ!と楽しい気持ちで手を振った直後に、(あの時の発言は失礼だったかな)とか、(冗談のつもりだったけどイラっとしてたしてたような、、)とか考えてしまいます。 お酒を飲んでテンションがあがり、調子に乗ってしまった時など特に落ち込みます。無条件に。。周りが見れなくなる事があるので勢いに任せて何か失礼な発言してなかったかと怖くなります。 友達には(調子に乗ってごめんね)と謝って嫌な思いしなかったかと詮索してしまいます。じゃないと気が休まらないです。 呑んでる時は終始皆で楽しく仲良くやってたはずなのに帰ってくると急にそういった後悔や自己嫌悪に陥ります。次の日にも持ち越します。自分の性格に自信が無さすぎて、反省する事が多く疲れます。でもすぐに変われるわけでもなく、急激に成長出来る訳でも無く、どうしたら良いのか分かりません。何か間違っているのは分かるんですが、何をどうすれはいいのか分かりません。

有り難し有り難し 27
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お墓がない

主人の父は、気が小さく心配症なのか、自分以外の人を信用できないようで、大変気難しい人なんです。 その、義父のおかげで、現在、9年前に他界した義母のお墓はいまだなく、遺骨は主人の実家の『仏壇』という箱の中に保管されています。 『仏壇という箱』とは、どういうことかというと、仏壇に魂入れをしていないのです。 火葬が無事終わり、初七日は義父が大々的な法要にせず、義父だけで静かに済ませ四十九日までに仏壇もきちんと納めていただき、親せきらにも来ていただいて法要をしたいということでしたので、主人はじめ、主人の兄家族らも、義父の意向に従うことにしました。 ところが、四十九日になっても、法要の連絡もこないので、いつするのか聞いてみたところ、お坊さんはもう呼ばず、自分ら家族だけで集まって供養しようと言い出したのです。 よくよく聞いてみると、初七日の法要に来ていただいたお坊さんから、早く仏壇を買うように勧められ、仏壇屋さんまで斡旋してきたとのこと。 義父は、それがどうも気に入らなかったようで、『マージンをもらってるからと商売の話ばかりをする』と完全に、お坊さんをシャットアウトしてしまい、四十九日も来てくれるなと言って追い返したようなのです。 なかなか限られた文字数で説明するにはあまりに難しいのですが、とにかく義父は一度シャットアウトしてしまうと、だれが何を言おうと聞く耳を持たないどころか、説得しようとする人までも悪者にしシャットアウトしてしまいます。 現に、そのころの義父は、何度電話しても電話にでないし、連絡がつかないから直接実家に行ってみても居留守を使うという状況でした。 三男の主人には一番、心を許していたようなので、私が主人に説得するように言ったのですが、主人は、説得や意見することで自分までもお父さんの敵になってしまったらパイプ役がいなくなるから、義父の話を聞くだけで説得などはしません。 そのため、当初、亡くなって2年は手元においておいてその後はいいお墓を探して納骨すると言っていたのが未だされてません。 私たちでお墓を作れればいいのですが、正直、いつかは!という思いはあっても、今現在、このご時世、自分たちの生活で精一杯で、お墓を購入する余力がありません。 やはり、お墓がなければ、義母は成仏できませんか? 義母を偲ぶだけでは供養になりませんか?

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2024/05/06

自分が情けないと思う

こんばんは。私は幼いころ人に沢山迷惑をかけたり傷つけたりしてきました。 思い出すだけで穴に入りたい気分になります。 定期的に思い出してはどうしてあんなことをしてしまったんだろう、なんて未熟な人間だったんだろうと後悔するばかりでそのことが頭の中でずっとグルグルしています。すぐに切り替えられる時もあるのですが、休んでいる時や何もしていない時などは特にグルグル思考に陥ってしまいます。 ある出来事がきっかけで人に迷惑をかけない、傷つけないと決めてからなんとか自分を変えてきたつもりで、現在20代も半ばですが自分を好いてくれる人も多いです(恋愛的な意味ではなく信頼の意味) ですがその人たちをなんだか騙しているような気がして情けなくなります。自分はそんな好いてもらえる人間ではないと思ってしまいます。 今年に入ってすぐですが、私がとても傷つけられた出来事があり病んでしまい仕事を退職しました。暫くはその事を引きずっていたのですが今は落ち着いてきました。それと同時に人って大なり小なり人に迷惑をかけたり傷つけたりするんだな、私だけじゃないんだなと思う反面、過去にしてきたことが帰ってきた因果応報なのではないかと思ってしまいます。 考えたって過去は変えられないというのは頭では分かっているつもりなのですがどうしてもグルグル思考から逃れられません。 私は今後この後悔とどう向き合っていけばいいのでしょうか。

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死への恐怖を改善したい

初めて質問をする者です。 よろしくお願いします。 当方、大学4年生で就活活動中です。 タイトル通りなのですが、 いわゆる自分はタナトフォビアなのだと思います。 きっかけは恐らく 幼稚園の頃に経験した祖母の死 小学生の頃に経験した祖父の死 高校生の頃に経験した母親の死 だと感じています。 身の回りにこれだけの身内の死を経験した人がいなく、あまり共感はされません。 仕方のないことだと分かっています。 避けられないことだとも分かっているのです。 しかし、怖いのです。最近時間があるせいか、毎日のように死んだらどうなるのか、これからの別れに耐えられるのか、生きる意味とは何なのか、そういうことばかり考えています。 何も手につかなくなってしまいます。 周りの人たちは、こういうことを考えず前向きに将来のことを語っているのに、今の私にはそれが出来ません。私も前向きに将来を語りたいです。 心配性なところもあり、果たして自分はいつまで生きることが出来るのか、考えても仕方がない未来のことを心配してばかりいます。 周りからは明るい人間だと言われるのですが、今はとてもそんな状態ではありません。 きっと母親の死が大きすぎたのですが、高校生活が忙しく、適切に処理出来ていなかったのだと思います(泣いたら駄目だと思っていました) 同じように悩んでいらっしゃる方をここのサイトで知ることが出来、私だけではないのだと感じることが出来たのですが、やはり心配性、恐怖は改善されませんでした。様々なQ&Aを見てきた中で、なぜ仏教を学ばないのかと不思議に思うことがあるという回答をしていらっしゃったお坊さんがいたのが印象的でしたので、初心者にもおすすめな本などがあれば教えて頂ければ幸いです。 避けられない運命を、せめて受け入れられる考え方、心得を教えてほしい、助けてほしい。 以上、長文にお付き合いいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 10
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昨夜

お母さんが夜21時50分ごろ、逝ってしまいました。実家に帰ってお母さんのところへ行って小1時間も経たず。 今お母さんはどうしてるのかな、何を思ってるんでしょう。最後はなかなか眠りもできなかったみたいなので、今寝てるんかな。お父さん迎えに来てくれたかな。 寝たきりになってから2年半も経ってないです。68歳。もう少し生きて欲しかったけど、お母さん本人には酷な事なんだろうと思います。 17年まえ1番いい時に、これからという時にお父さんに先立たれて。家族皆のためだけにずっと動きまわり続けて、あげく脳出血。神も仏も無いと感じました。、、すみません。。 いつも謙虚過ぎるくらい謙虚で、いつも笑っていました。辛かっただろうに、寂しかっただろうに。 お兄ちゃんとお兄ちゃんのお嫁さんが最後まで付きっきりでお母さんとずっと一緒にいてくれました。 私は何もしなくて本当にごめんね。不義理なままでごめん。 お母さん方のおじいちゃんとおばあちゃんも去年、おとどしで亡くなりました。 なんにもしてあげられなくて、自分勝手なだけな私は、愛想尽かされてもう皆んなに忘れられるな。 本当にごめんね。 さみしい、これからもっとさみしいです。 お母さん居なくなってないよね?さみしいよお母さん 読んでくださった皆様ありがとうございます。自分よがりな事ばかりで気分を悪くされたら本当に申し訳ありません。 聞いていただいてありがとうございます。

有り難し有り難し 17
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明けない夜はない

明けない夜はない。悪いことは長続きしないと言う意味の言葉がありますよね。好きな言葉の1つです。 この言葉は本当なのでしょうか?本当に悪いことはいつまでも続かないのでしょうか? 父が病気になって6年後に亡くなり、母は二回目の脳内出血でそれまで楽しくほぼ不自由なく、暮らしていたのに二回目の病気のせいで 高次脳障害になり、車椅子生活なってしまいました。私のせいで姉とは仲たがいをして、それっきり姉とは、ほとんど合ってません。 みんな大好きでした。冗談ばかり言い合って明るい、仲良し家族でした。 父のこと、母の病気のことを除いて、いくら介護疲れとはいえ私は母に手を上げました。そのせいで、家族はバラバラになりました。許してくれとは言いません。これは許されることではありません。自分のことは良いのです。でも、母の病気を少しでも軽くすることが出来てたら、きっと私はこの家に生まれて来た意味があると思えるのです。 明けない夜はない。悪いことは続かないって本当だって思っていても良いんですよね? いつも同じ事ばかり聞いてすみません。頂いてアドバイスを聞いてないわけではないのです。 こちらのお坊様方に、そして私の仲間たちに話を聞いてもらえて、どんなに楽になったか。 いつか今の状況を時間が解決してくれる、前みたいに仲良くなれる、と思えるようになりました。 それでも、時々、自分の気持ちを吐き出したくなってしまうことがあります。 大丈夫だ、物事は絶対に好転するんだ、だから明るく生きよう、前みたいに生きようって、思うために、確認したくなることがあります。分かりにくく長文ですみません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 76
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