hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「母親 できない できない」
検索結果: 5343件

実母の死

こんにちは、今年の5月にアメリカ人の義母の死について相談に乗って頂いた者です。 その節は大変お世話になりました。 今年は災難続きで12月はじめに今度は日本にいる最愛の母を亡くしました。 高齢でしたが健康そのものの母でしたので、家族も親戚も驚きでいっぱいでした。 連絡を受けて5時間後には飛行機に飛び乗り日本へ向かうことが出来、意識はないものの母に会えたし、病院で数日間過ごし苦しむことなく亡くなる母の最期看取る事が出来ました。 葬儀も済みアメリカに戻ってきましたが、まだ母が亡くなった実感が湧きません。 姉は母が亡くなって次の日に、少し元気になって布団から少し身体を起こして無言で吸い口で水を飲む母に高い壁越しから見かけて「ママもうそんなに快復したの?!」と思わず声をかけた夢を見たと言っていました。 なのに私は全く母の夢を見ないのです。 母が亡くなる2日前に電話で話しをした時の最後の会話は、「夫が私や子供達の事を大事にしてくれること、子供達が健康で健やかに成長していること、三月に日本に子供達を連れて日本に遊びにいくよ、私はアメリカで幸せに暮らしているから」みたいな事を話したのですが、母が夢に出てきてくれない事が悲しくて毎朝起きてはガックリしています。 まだ四十九日も来ていませんが、母ともう一度話してみたいのです。私たち家族は大変仲良しでしたが、私の所にも夢に出て欲しいのです。 私の事を溺愛してくれた母が夢にも出てきてくれないのは何故なのでしょうか?

有り難し有り難し 49
回答数回答 4

なぜ自分が生きているということが尊いのでしょう

虐待の末に、親に子供が殺されてしまったニュースを見聞きします。 悲しい、切ない気持ちと共にいつも思うことがあります。 「幼くして散った命でも、この子にとっては幸せだったんじゃないか」と。 私は児童虐待の生き残りです。 暴力で、言葉で、態度でズタズタに傷つけられて育ちました。 幸い良い人と巡り会い、結婚し、主人の実家とも実の家族のように接してもらえています。 心療内科に通い、もう怯えたり自分を責める必要はないんだと、先生と話し合いながら、病気の治療を進めています。 怯えながら、憎みながら生活していた昔を思うと、本当に幸せな生活です。 悲しいことも悔しいことも、もう叶えられないかもしれないこともありますが、幸せなんだと思います。 ただフラッシュバックなどで苦しい時、よく思うことがあります。 「今の幸せが全部チャラになったとしても、この世に生まれてきたくはなかった」 理不尽に虐げられて生き抜いても、大人になってしまった以上、自分でなんとかしなくてはいけないという更なる理不尽。 苦しい中を生き抜いて、まだ戦わないと安らげないのなら、この命は最初からない方が良かったと感じます。 そして冒頭に戻ります。 虐待の末に命を落としても、その先に待ち受ける苦しい人生を思えば、その方が幸せなんじゃないかと。 社会は無慈悲で無理解です。 自分に責がなく精神疾患を背負っても、大人になっていればその責を本人に負わせます。 精神疾患を持っているが故に業務が滞っても、自分達と同じように仕事ができないことを責めるというケースはよく聞く話です。 「与えられた命は大事にしないといけない」そんな言葉は聞き飽きました。 望まずして与えられた命、希望の持てない、真っ暗闇な自分の未来。 なぜ、私が生きていることは尊いのですか?

有り難し有り難し 86
回答数回答 5

誰とも関わらず自分のことだけ考えるのは間違いでしょうか?

私は関西から知り合いのいない福島県に嫁ぎ10年以上主人や姑、小姑、その娘のために尽くして来ました。震災の際には自分の実家にみんなを連れて避難し、飛行機の手配から実家での世話まですべてしました。箸1本運ばせてもいません。それなのにここに書ききれないくらいのひどい仕打ちを受けましたが主人に何を言ってもお前が悪い!お袋は間違ってない!といいます。これも嫁姑の関係、しょうがないと諦めもしていますが、実家に帰っても今度は実の妹(独身で母と同居)が何かにつけ言いがかりをつけ自室に閉じこもって何日も出てきません。実家に帰ったからと言ってのんびりできる訳でもなく親孝行だと家の用事を一生懸命して年2回の帰省、楽しくみんなでと思って動いているのに、今年のお正月も大晦日突然切れて部屋に篭もり母が呼びに行っても罵声を浴びせる、泣き喚く、母が持っていった赤飯のおむすびも食べず1度も出てきませんでした。認知症の始まってる母にこれ以上の心労をかけるのも嫌で早めに帰省を切り上げて帰ってきました。さかのぼれば私の結婚式の数日前にも妹は切れて結婚式には出ませんでした。 余程私が楽しそうなのが気に入らないのでしょう。母は私が帰ってくるのをいつも楽しみに待っていてくれるので年2回だけの帰省ということで長めに帰っていました。昨年は母が胆石で入院したので妹の仕事に影響ないように帰省して看病もしました。震災のときに主人の家族や6人も連れてお世話になったその恩返しだとつくしましたがそれももうやめにしようと思います。どちらの親兄弟のために一生懸命尽くしても結局最後は悪者になってしまう、主人だけでも味方になってくれれば耐えられもしたでしょうがそれも望めない。私の中で何かが崩壊しました。感謝して欲しいわけじゃないです。恩着せがましくしてるつもりもありません。ただみんながうまくいくように心を砕いてるだけなのに、やはり私が間違えてるのでしょうか?主人が言うようにやり過ぎですか?こちらから困りごとはないか聞いて回ってるわけじゃないんです。でも「ご相談」といってみんな困ったときだけ擦り寄ってくる。もう全部断って自分の生活だけに専念してはいけませんか?自分の親にも寂しい思いをさせるのは辛いですが帰省は今後はしないつもりでいます。どうか何が正しいのか御導きください。

有り難し有り難し 134
回答数回答 6

修行の道を選ぶことは社会の弱者より自分を優先すること?

(すべての宗派がそうではないことは理解していますが)座禅をすることによって悟りへの道が開かれる、ということへの質問です。何十年も修行をしたり座禅をしたりすることは確かにその僧侶にとっては悟りへの一歩かもしれません。 でも、その間に途上国ではその日をも生きられるかわからないひとたちがたくさんいます。この日本でも貧困層は存在します。もしも座禅をするかわりにそのひとたちの手をとってくれたら、パンを与えてくれたら、生き延びる道を一緒に検討してくれたら、助かる命もたくさんあるはずです。 修行の道(とくに長い期間社会から断ち切る行為)というのは、ある意味で自分を選択、優先することになる、と思ったことはありませんか?(これは侮辱ではなくて、本当に疑問、のレベルです。本当に本当に悪い意味でいっているのではないことをご理解ください) 自分の道に専念するその思いは素晴らしいと思う。そして得たものを周りのひとに伝えていこうとする気持ちも。でも、現実のこの社会のなかで、仏教が天台宗で言うような「一隅を照らすひとになる」ことが大切だとすれば、それはどこか矛盾していると感じてしまうことは間違っているでしょうか。 僧侶として、途上国や先進国を問わずに、貧困や飢餓などで今日をいきられるかわからないひとたちを前に仏教はなにができると思われますか?

有り難し有り難し 86
回答数回答 4

夫婦とはなんでしょうか。

過去に2度浮気しました。 1度目は旦那と付き合っている時、まだ気持ちが残っていて一度体の関係を。 2度目は結婚してから、旦那と同居と育児のストレスでSNSで知り合った人と一度。しばらくやりとりをした後、このままではダメだと思い関係を切りました。 それでもSNSはストレスが溜まると再開したり辞めたりを繰り返し、自分の淫らな写真をあげて承認欲求を満たしたり、旦那の愚痴を書いたりしていました。 それが去年旦那に知られ、離婚すると言われました。何度も謝り泣き縋り、子供が成人するまでは情けで一緒にいてやる。と言われました。 それからやっていたSNSサイトは心を入れ替えてキッパリやめ、家庭育児、仕事に専念してきました。旦那との仲も普通になり、旦那もこれからやっていこうと思えたからと3人目をつくりました。今9ヶ月です。 先月旦那が用事やら仕事、友人関係でほとんど家におらず、子供2人ほとんど私一人で見ていて、妊娠中の情緒不安定もあり、常にイライラしていたり、子供にもキツくなってしまい、怒鳴ってしまったり。妊娠前からもそういう所があります。性格的な所なんだと思います。 何度も注意され、その度に直そうと本を見たりネットで調べた方法を実践してみるものの、良くなるのは始めだけで続かず。 旦那には「絶対に変わらない」「お互いに高め合えないのなら一緒にいる意味がない」「離れた方が良い(離婚しよう)」と言われました。 産後落ち着いてから去年の事も交えて両家で話し合って終わらせようと。 私は変わらない所があるのはお互い様なんじゃないのか?とも思います。旦那は育児にもあまり率先的では無く。家にいる時はほとんど自室で好きな事をしていました。そのくせ一番上の子だけでも面倒みると言う。 子供を見てるとやはり父親の存在は大きいと思うので別れたくはありません。 ですが旦那は離婚の意思は強いと言います。 旦那には日頃こうして欲しい、ああして欲しい。してもらったら素直に感謝してきました。 段々一々言わないとわからないの?とも思っていました。そういう不満を言えば「俺といてお前が辛いなら他の人探したらいい」と言うので不満もなかなか言えず 段々夫婦ってなんだろうと思ってきました 私はこれからも共に歩んでいきたいと思っていますが、もうダメなのでしょうか どう伝えたらいいのでしょうか アドバイスいただきたいです

有り難し有り難し 159
回答数回答 5

お婆ちゃんのこと。

こんばんは。 今度はおばあちゃんについてです。おばあちゃんは認知症です。 元々千葉県に住んでいました。浦安市です。ディズニーの街です。 中2になると同時に、姉・母・私で、おばあちゃんの介護の為に、お父さんを千葉に残し、広島県廿日市市に引越しました。宮島の街です。 中学校が変わり、パートを始めた母に代わり、私がご飯を作ったり、出したりしていました。 中3で塾に行き始めましたが、おばあちゃんに晩御飯を出してから、塾に通っていました。 私は今、岐阜の大学に通っていて下宿をしています。 一人暮らしをして、友達を沢山呼んで・・・という夢は諦め、大学寮に住むことに決めました。 家賃は4300円。光熱費は5000円弱。 ですが、安いですが、抜群に汚く、私は気管を痛めてしまいました。 それでも、デイサービスに行くおばあちゃんの為に自分にかけるお金は、減らして欲しいと思い、大学寮は出ませんでした。 今では、排便や食事もままならず、施設に入っています。 成人式で帰った時に、おばあちゃんに 「俺誰かわかる?」 と聞いたら 「はー、誰じゃったかいねー?」 と言われてしまい、後頭部を強く殴られたかのようなショックを受けました。 「ユーリだよ。」 「大きくなったねー」 どうやら、私は、早稲田大学に通っているらしく・・・ 今年7月に半年ぶりに帰り、施設を訪ねて、同じ質問をしました。 「俺誰かわかる?」 少し考え・・・ 「ユーリ君!!」 私は、驚きました。半年前に忘れていた人間を認知症の彼女が、思い出せるでしょうか? 施設の人曰く、 「いい子にしてたら、家に連れて帰ってもらえるって、思ってるんじゃないかな?」 私は、その場で大号泣してしまいました。 今の私があるのも、彼女がいたからです。 親は、「大変だろうから帰ってこんでええ。交通費もあるし。」と言います。 ですが、2年間のバイトでそれなりに貯金しました。 私は、野球部に所属していて、長期休暇はほとんど練習です。 さらに、勉強。自分磨き。 実際、最近、前述のことを言い訳にしてお婆ちゃんの老いていく姿を、見ないようにしている自分がいるような気がします。 やはり、時間を無理矢理絞り出してでも、会いに行くべきですよね? そして、どう声をかけたらよいでしょうか・・・? 

有り難し有り難し 64
回答数回答 5

父を思い遣ることができなくなりました。

以前夫のことで投稿させていただきました。今回は私の実父のことです。父は現在75歳で一人暮らしをしています。父は真面目に長年働いて元々優しくて礼儀に厳しい人でした。それが今から10年くらい前から様子が変わり、誰か知り合いの女性にお金を「貸す」という名目で渡し続けるようになりました。私と弟が気づいたときには貯金の残高もほとんどなくなっており、毎月の年金も支給されるとすぐに「頼まれた」といって貸しています。周りの者から見ると明らかに騙されてるのにも関わらず、「気の毒な人だから」「騙す人じゃない」「ちょっとずつでも返してくれてる」といって相手の人がどこの誰かも絶対に言おうとしません。貯金もなくなり年金もすぐに渡していては父自身の生活ができません。「今日食べるものもない」といって毎月のように私にお金を送ってほしいと言ってきていました。でも相手の人のことも言わないし、お金のことになると顔つきが変わり目の前にあれば私の財布も持っていこうとする父に腹が立ち、もう一切お金を援助することをやめました。 年金を全部持つと全額すぐに渡してしまうので、今は弟が管理していて少しずつ父へ送金していますが送金したらすぐに「また貸したから」と言って追加を依頼しています。弟は、父はその人にマインドコントロールされてるみたい、と言います。 子供のころの思い出など同時に思い返しますが、優しい父だったことを差し引いても今の父がイヤでたまりません。 親戚の叔父に弟のところに同居したら、と勧められたとき、「死んだほうがまし」と父は言いました。弟の嫁がその場にいなくて良かったと思い涙が出ました。 以前は母の法事もきちんとしていたのに、もうここ数年はお金がかかるから、と言って何もしなくなりました。先日も大変お世話になった親戚の人が亡くなったのに、一番に言ったことは「香典いるなぁ」でした。年金の管理を弟がしてることも、「取られた」と言います。 私も弟も父をもう信頼していませんし、戸籍上親だから、というだけで仕方なく関わっていますがこのような父にも親を思いやる気持ちを持たないといけないのでしょうか。

有り難し有り難し 56
回答数回答 7

相手にたいして無になるには?

私はできちゃった婚で、挙式もなければ指輪もプロポーズもありませんでした。一緒に住んだこともないです。子供を妊娠してるときも、アパートに住んでくれる事もなく、なんの援助もなし。一緒に住んでいないからお金を渡す必要がないと、そんなこんなで今も旦那は自分の実家に住み続け、こちらには金銭的援助はありません。実家は、旦那の名義で建てなおしをしたり、好きなように生活しています。 週末に旦那はアパートに泊まりに来ますが、私が土曜日も仕事のため、子供たちを連れて自分の実家へ戻り面倒をみてるといった感じです。 そんな旦那なので子供たちには必要なパパです。 私自身、父子家庭で色んな事我慢して耐えてきました。だから同じ思いを子供たちにはさせたくないので、私さえ金銭的な事を気にしなければ、まるく収まるのでしょうが、自分だけ定期的に美容室に行ったり、1万はする靴を買ってたり、友達と出かけたり。私なんて美容室に行くお金も、服を買ったり化粧品を買ったり、友達と遊びに行くお金なんてないので、どうしても目につき苛々してしまいます。フルで働いても私の少ない給料は生活費と保育園の費用などで消えるので、余裕はないのです。今までだって貯金を崩しながら生活してたので。 そーゆうことを知っていながら、涼しい顔をしている旦那に、人間的にどうなの?とホントいらいらして。 家族のためにという自己犠牲はないんだなぁーと悲しくもなります。 子供たちのためだ、子供たちが大人になったら離婚すればいいと自分に言い聞かせて、今に至りますが、抑えきれなくなるんです。 どうすれば、旦那に対して苛々せずに接することが出来るようになりますか? 何度となく金銭的な相談をしますが、聞き流されます。 まわりからは同居しちゃえと言われてますが、あちらの実家には旦那の姉もその子供もいます。お姉さん働いていないので、それに対しても私は苛立ちがあるので、一緒に住むなんてとんでもないことです。 付き合ってた時は、そんな人だとは思わなかったのにな。私が元彼からのDVで誰とも付き合いたくなかった時も、ずっと思い続けてくれて、待っててくれてたのに。 相手に変わってほしいなんて望んでないと言ったら嘘になりますが、せめて相手に対して無になれたらと思い、教えて頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 68
回答数回答 5

ハスノハ内の回答について。

ハスノハ初心者です。 殆どのお坊様方の下さるご意見は温かく時に厳しいものもあり、大変親身になってお答え下さっているのだと感じます。 しかし先ほど私の質問に対してではないのですが、ショッキングな回答を見かけてしまいました。 あるお坊様が「結婚は女性向き」「結婚制度は女を守る為のもの」等と回答に書かれておられたのです。 要約すると、女は自分に見返りを求めたがる傾向が強いからこそ結婚すべきだし、女は結婚により守られる存在だ、といった感じです。 このお坊様以外にも「子供を作らないのは身勝手」だとか 「男女には向き不向きがあるからこうした方がよい」等と仰るお坊様方もおられました。 男女は対等な存在であり、結婚は支えあい愛する為にするもの。 女だからといって弱くて至らない存在として守ろうとするのは対等ではなく見下しているのと同じ。 子供は授かりもので、その選択も夫婦の自由意思によるもの。 男女に性差はあるがあくまで傾向でしかなく、腕力等ハッキリ違いがあるものを除いて「向いている向いてない」と決めつけるものではない。 私はこう考えています。 そして当たり前のことではないでしょうか。 とても前時代的なお坊様がおられること、そしてこんな書き方はしたくありませんでしたが差別的な発言をされる方が少なからずおられることにショックを受けております。 こんな風に思う私はおかしいのですか? ハスノハの印象が変わってしまいました。

有り難し有り難し 297
回答数回答 8

霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 168
回答数回答 7

旦那の風俗

はじめまして。やっと質問できました。ありがとうございます。わたしには一才にならない娘がいて育児中です。 出産後は確かにホルモンの関係などでイライラし、旦那には冷たく当たったりしました。旦那が逆ギレすること、自分は妊娠中に仕事を辞めてしまって収入がない負い目などもあり、意見をすることが億劫になり、段々と会話が減りました。 そして、旦那の部屋を掃除していて証拠を見つけて一瞬固まりましたが、二、三日聞き出せず眠れない夜を過ごしました。 しかしついに我慢できずに、私はあんたの子を命削って育ててんだよ、なめんな!とぶちギレました。外に愛人でも作られるよりはマシですが、それまでは真面目で風俗など縁もない人でした(と信じていただけかもしれませんが。) 結婚してから、だらしないところばかり気になり楽しくなくなり頻度が減り、セックスについても話し合いを何度もしました。駄目なら風俗いくぞ、と言われたこともありますが泣きながら、それだけはやめて、と頑張りますがやはりそんなに旦那の要求に応えられないことが増えてまた話し合い、みたいなことになります。子供ができたら夫婦の絆もまた強くなるかなあ、と思ったのと、年齢のこともあり頑張ったところ何度かで運良く妊娠できました。正直、妊娠したらしばらく旦那とセックスしなくていいと思うと気が楽でした。妊娠してから育児も落ち着いてきたし、そろそろ旦那の要求にも応えてあげないといけない頃かなあ、と思っていた矢先でした。 顔を見るのも辛く、平日は旦那が帰る前に就寝し、出勤してから起き出します。土日はどうしても顔を合わせるので必要最低限の会話はします。 友人や両親に相談しても一向に気持ちが晴れず、一度許そうと決めたけれど、信用も愛情もなくなり、顔を見るのが辛い日々です。 こんなことをする人間にしたのは自分にも一因があります。自分が我慢すれば、前を向けるようにすれば良いことでしょうが、1ヶ月以上経った今でも、どう旦那と向き合えばよいのか分かりません。このまま気持ちが変わらなければ、定職に就いて生活の目処がついたら娘と家を出るつもりです。でも可能ならば旦那と老後を過ごしたいという気持ちがあります。 何かお言葉をいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 165
回答数回答 5

お坊さんが怖い

先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。

有り難し有り難し 169
回答数回答 6