2023/02/14いないかもしれない霊能者を探してみたい
私もそうなのですが
hasunohaでは「亡くなった人に会いたい」と言う相談も多数あるようです。
たとえば
忠臣蔵
(ここでは史実はどうかより 歌舞伎に基づいた話をします)
浅野内匠頭が吉良上野介に苛められてた結果、松の廊下で斬りかかって
内匠頭は切腹、浅野家取り潰し、上野介はお咎めなし
そして城代家老、大石内蔵助を始めとする遺臣(赤穂義士)たちが吉良上野介を討ち果たし
泉岳寺の墓前に吉良の首を添えて感泣する。江戸の町民は拍手喝采。そして最後は義士達も切腹。
切腹の時に 大石内蔵助は言います「一足先に殿のもとに参る。あちらで皆を待っておるぞ」
これは、霊魂が存在し、内匠頭の霊魂の思いがどこにあるか明確になってこそ成立する話で
この前提なければ虚しい話になります。
「ばかみたい。喜んでくれる人もいないのに妄想に凝り固まったあげくに多くのもの(命も家族も)を喪っただけじゃねーか」
ともなりかねません。
松の廊下の事件直後も紆余曲折があり
赤穂城では
すぐ上野介を討てと言う者、弟を擁立した浅野家再興の活動を主張する者、幕府に抗議して城で皆で切腹を主張する者、籠城抗戦を主張する者、おとなしく開城して新たな生活を考える者
いろいろ割れました
割れた原因は内匠頭の霊魂と対話できる人が誰もいなかったから。
もし本物の霊能者が存在して 内匠頭の霊と対話できていれば赤穂藩家臣で新たな対立や憎しみを生むことはなかったはず。
たとえば
今でこそフグ料理はある程度確立されており調理には特別な免許が必要で飲食店で死亡事故は聞きませんが
昔の試行錯誤をしていた時代に「おいしいフグ料理を作るぞ」と意欲を燃やして毒にあたって死んだ料理人がいて遺言も何も残さなかったとします。
もしあの世や霊魂があるならばその人は子や弟子に遺志を継いでほしいと思っているのか、危ないからやめろと思っているのか?
親 又は師匠の意向に沿いたいと思っているならば、霊魂やあの世の存在を知りたいと思うことは当然だと思います。
人によって動機はいろいろだと思います
能力もないのに金をだまし取るニセ霊能者・詐欺師だらけなのも分かっているつもりです。
そのため なかなか行動に移せないのですが
自分の生き方を探すために
慎重に、本物の霊能者を探してみたいというのはおかしな発想でしょうか?
有り難し 23
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