皆様が深いお悩みをお抱えの中、私がこんな質問をするのは場違いかと思ったのですが、どうしても気になったので、教えていただきたく思います。 お坊さんのことについて、いくつか質問があります。 ・一般人からお坊さんになるには約何年くらいの日数が必要なのでしょうか ・修行僧のうちはスマホを所持できないというのは本当ですか ・修行僧はお坊さんよりも朝早く起きてお経を読んだりすると伺ったのですが、寝る時間などは規則で決まっているのでしょうか。
最近、何をしても楽しくなく、憂鬱な気分です。 自分の趣味をしているときも、土曜。日曜日も。 楽しいはずなのに、なんでか楽しめないです。 仕事をしている時、上司が溜息ついていたりすると、自分のせいかな…とか思ってしまったり、 自分なんて必要ないのかな。とか思ってしまい、とても暗い気持ちになります。 こんな自分、どうすればいいのでしょうか…。
仏道を真に体現している方にお会いしてみたいのですが、どうすればお会い出来るでしょうか? 座禅会などには行っているのですが、これはと思うほどの方には出会えていません。 僕の観る目がないのかもしれません。そもそも、何をもって正師かどうか判断すれば良いのかもわからないです。 アドバイスいただけたら、ありがたいです。 よろしくお願いいたします。
こんにちは。毎日平日お昼の坂上忍さんの番組のバイキングって番組で毎週木曜日にお坊さんが出てます。今日は副住職の泰丘良玄さんって方が出演されてます。いつもは何処のお寺の人と名前が書いてあるプラカードを置いてあるのですが、今日はただ副住職の泰丘良玄とプラカードが置いてありました。最近はお坊さんもバラエティ番組に出たりするんだなと思い見てました。お坊さんにも番組側からオファーがきて出演されるんですかね❓来週は何処のお寺のお坊さんが出演されるか楽しみです
こんにちは、はじめて質問させていただきます。 よく思うのですが、禅宗などのお寺では、毎日何時間も禅をすると聞きます。でも、そんなに毎日何時間も禅をしていたら、いつ世の中について考えるんでしょう? この質問にお坊さんの方が回答していらっしゃるように、お坊さんなら人々を救うために説法が必要なんじゃないのかなと。でも、禅をして心の中を無にしてたら、考える暇がないんじゃないのかなと。 それとも、心を無にしてたら、ある日すごく立派な考えが出来るようになるんでしょうか。 私はすごく考えるタイプなので、禅をして心を無にしてると、時間を無駄にしてるだけなんじゃないのかと思って、禅をするのも意味があるのかなと勘ぐってしまいます。 禅をして心を無にしてるお坊さんは、いつ世の中について考えてるんでしょうか?
去年の夏、地元のお寺に観光に行ってきました。 そこで修行僧の方からお話を聴いたのですが、「私はまだ入ったばかりなのですが10年も修行をしている方もおられますし 結婚して継ぐためにお坊さんになられる方もいます。」と(あやふやですが)おっしゃっていました。 それから、お寺を継ぐと決めていて そのために仏教の大学に進学した先輩がいます。 お坊さんになるには最低何年修行を積まないといけないのですか?その大学で学べば誰でもお坊さんになれるのでしょうか 最後に、下品な話かもしれないですが 修行僧がたくさんいるお寺でお金の面はどうしているのでしょうか 私の行ったところは観光でも有名なので拝観料をまわしていたりするのでしょうか 特に 僧になりたい!とは思っていないのですが、なんとなく疑問で考えてしまいます。お答えしていただけると嬉しいです。
相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。
仕事やめようと思います。疲れました。燃え尽きたのです。お坊さんなりたいです。
先日、義父が亡くなり、葬儀を済ませたところなのですが、49日の法要について悩んでおります。 檀家ではないため、お寺さんがなく、法要をしてくださるお坊さんがいません。 また、義父の入るお墓もありません。 49日法要はしたいと考えています。 悩んでいるのは、 1、自宅でお坊さんに49日法要だけ上げてもらい、納骨せず自宅でお骨を保管し続けることはできるのか? 2、檀家でもない初めての家へお坊さんは来てくれるのか?来てもらえる場合、どのように話を進めたらよいのか?義父は、浄土真宗本願寺派だったようです。 以上、2点気になっております。 義母、妻とともにきちんと送ってあげたいとの気持ちはあるのですが、急な死去だったため、どこに相談したらよいかもわからず困っております。 ご回答よろしくお願いいたします。
浄土真宗の法話を伺いに行こうと思っております。そこで、色々調べさせていただきますと、いくつかのお寺で何人ものお坊さんが法話をされているようです。 私は、お坊さんは一つのお寺にずっといらっしゃり、あるお寺ではそのお寺のお坊さん(ご住職)が法話をするものだと思っていました。 有難いことに、ところによっては音声の法話をアップロードしてくれていました。しかし、いざそのお坊さんのお話しを伺いたいと思っても、もうそのお寺では伺えないのです…。 できれば、法話などでご縁のあったお坊さんとお話しさせていただき、信心を深めさせていただければとも思うのですが、こういうことは難しいのでしょうか?
登校拒否をしていた小学生の頃、法要か何かでお坊さんとお食事する機会がありました。その時、そのお坊さんが話してくれたお話です。 だいたいの内容しか覚えていません。仏教のお話か、そのお坊さんが作ったお話かも分かりませんが、こんなお話をご存知でしたら何というお話か教えてください。 ・ある子供が誰かから人生の毛糸をもらった。その毛糸を巻き取ると時間も早送りされる。 ・嫌な事があると、その子供は毛糸を巻き取り続けた。 ・気づいたら老人 ・死ぬ時に薄っぺらい人生だな、って思う ふと、このお話を思い出す時があります。
お宝を鑑定するテレビ番組が始まった頃、母方の先祖代々のお墓が墓荒らしにあいました。 小さいお墓がたくさんあるのですが、それぞれお墓は倒れたり、欠けたりしています。 土葬されているかたもいますが、それも掘り起こされていたようです。 もとに戻すには多額の費用がかかる、そのままでよい、とお坊さんに言われ、何十年とそのままです。 自分達でできる範囲で、倒れたお墓を戻したりしてあります。 しかしもう何十年とそのままです。 母は一人っ子のため、父と結婚してからも母方の先祖のご供養は、母がしています。 遠方のため一年に一回ですが、家族でお墓参りもしています。 20年以上そのような状態であるのを、家族一同ずっと気にしています。 今年亡くなった父の納骨を来月予定しています。父方の先祖代々のお墓に入る予定ですが、お墓について改めて考えるようになりました。 お坊さんの言うとおり、このままでよいのでしょうか? 家族一同、どうにかしたいと思っているのですが、詳しい金額はわかりませんが、お坊さんの多額の費用がかかるという言葉で、どうにもできずにいます。
いつかhasunohaのお坊さんが、おっしゃっていました。 お世話になったひとに直接お礼を言いに行きなさい、と。 hasunohaのお坊さん方にお会いしたいです。せめて声が聞きたいです。今すぐ。
聴くのも演奏するのも好きです。言葉にならない想いを楽器を通して表現したいです。楽器を買いたいです。 お坊さんは音楽好きですか?お経好きですか?お坊さんみたいに素敵な声になりたいです。
もしかすると?密教系のお坊さん限定の質問になるのかもしれませんが、 月輪観や阿字観を習得するのに何座くらいかかりましたか? 習得といっても、完成度を考えると無限になってしまうかもしれませんが、おおむね密教のお坊さんとして認められる習得度合いというところまで どれくらいかかったか、教えてください。 また、ご自身や、お知り合いのお坊さんの中に、できなかったという方はいましたか? よろしくおねがいします。
はじめまして 初めて質問させていただきます。 今度のバレンタインでお坊さんに 仏様のお顔のチョコを渡そうと思っていますが、仏様のお顔を食べるのは皆さん(お坊さん)としては躊躇されますか? もしよろしければ ご回答の方をよろしくお願いいたします。
昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。
お盆にお坊さんにお経をあげて頂くため、昨年もお願いした同じお坊さんに連絡しましたところ、いっぱいと言われました。 「命日の7月半ばにお盆もいっしょにやりましょうか?それとも8月初めなら空いていますけど」ということです。 7月に命日といっしょにお盆の読経をしていただいたり、8月初めにして頂くのは大丈夫なのですか?お盆の読経は、霊が戻って来ている間にしてもらわないと意味がないのではないでしょうか?それとも、自宅でお供えなどすれば、お盆に読経は必要ないのでしょうか?
四十九日法要のために、お坊さんサービスを介してお坊さんを頼みました。 直接、お坊さんからご挨拶のお電話があった時に、初盆と四十九日をいっしょにするなら、初盆の分を半額にしますよと言われました。しかし、四十九日はお盆を過ぎた後ですので、初盆は来年のはずですし、四十九日とは死者があの世に向かわれる日で、お盆とはあの世におられる死者の霊を迎える日ですよね?それでは、四十九日で送り出した数分後にまた呼び戻すということですか? 最近は合理化の為、葬式の日に初七日もいっしょに行なったりするようですが、四十九日と初盆を同時にというのも一般的なのでしょうか? 私には違和感があり受け入れられませんので、当然お断りいたしました。
自分、解雇とか自己退職で、何回か離転職を繰り返して、あまり安定しないのですが、そういう人は、どう思いますか? また、子供が、そうだったらどういう対応しますか?