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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6190件

芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

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人と立て続けに疎遠になる意味と、その喪失感の埋め方

最近立て続けに人と疎遠になります。 疎遠になる理由と、その喪失感の埋め方を教えて頂きたいです。 私は現在、大学四年生です。 就職も無事決まり来年から社会人になります。 それまで真面目な学生では無かったので人より頑張らないと、と思い遊ぶ事も辞めて就活と卒業単位取得に集中していました。 面接のために見た目も磨いたので就職活動する前と後では大分見た目も中身も成長したと思います。 その頑張りのおかげで、こんな不真面目学生な私でも無事就職活動を終えることが出来ました。 就職活動を終えたので、遊べなかった人達と遊ぶとなんとなく違和感を覚えました。 ハッキリ何が違和感なのかは分かりませんでしたが、結局その時遊んだ長年の友人に連絡を絶たれてしまいました。これには凄く落ち込みました。 就職活動を終えた辺りから人間関係が一気に変わったように感じます。 長年の友人の後にも何人か疎遠になりました。 そして今仲良くして貰っている友達は皆、就活を乗り越えた仲間です。 人と立て続けに疎遠になるのは、新たな出会いがあるからでしょうか? それは希望かもしれませんが、そう思っていないと寂しさでいっぱいになります。 そしてこの寂しさをどう埋めたらいいのか……。 時間が解決するとは思うのですが、立て続けに人との御縁が切れたので、寒い季節も相まって気持ちが沈む日々です。 これを読まれたお坊さんの解釈と、喪失感や寂しさの埋め方、紛らわし方をお伺いしたいです。 拙い文章で失礼致します。

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なぜ死んではいけないのか

はじめまして。お忙しい中、この質問を見てくださってありがとうございます。 表題の通り、「なぜ死ぬことが悪いのか」ということを教えて頂きたいです。 決して、今から死ぬということではありません。ただ、「いつ死のうかな。早く死にたいな」と思って生きています。思い上がりかもしれませんが、私が死んで悲しんでくれる婚約者や姉兄がいるのは知っています。それでもどうしても死ぬことを考えてしまいます。考えないように「命は尊い」と思い込もうとするのですが、イマイチぴんときません。 私が初めて死のうと思ったのは5歳の時でした。物心ついた時から両親の怒鳴り声の絶えない家庭でした。親のことはあまり思い出せませんが(理由はプロフィールに簡単に記載しております)、父親は私が言うことをきかないと決まって「じゃあお父さん今から死ぬわ。お前が言うこと聞かないから死ぬ。お前のせいで死ぬ」と目の前で自分の首を絞める振りをしたりしていました。幼稚園に入るか入らないかくらいの年齢だった私は、本能的に「死ぬ」ということがとても怖いことだと思って泣きながら謝っていました。 そのせいなのか、気付いたら私の中の「命の価値」は相手に言うことをきかせるためのトレード品程度になってしまいました。 5歳の時に死のうと思ったのは確か、家族の誰かと喧嘩をしたので自分の言うことをきかせるためだったと思います。そして少しばかり「お前のせいで私が死ぬんだぞ、責任を感じろよ」と思っていました。 大人になった今でも、どうしてもわかりません。「神から授かった命」とか「地球より重い」とか言われても全く頷けないのです。自分の命は交渉材料でしかありません。私が今死んでいないのは今まで自殺に失敗してしまった経験から二の足を踏んでいるためです。「生きたい」と思えません。死にたいとこぼすとそんなこと言うな!と頭ごなしに叱られますが、結局どうして死ぬことは悪いのでしょうか? 自分なりに考えても答えが出なかったので、皆様のお考えをご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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2024/11/18

生への執着のなさは普通でしょうか

はじめまして、なかなか周りの人に聞くことができず、相談に乗っていただけますと嬉しいです。 もうすぐ40歳の主婦兼ワーママです。 娘が2人おり、ママ大好きと慕ってくれていてとてもかわいいです。 主人も、優しく、子煩悩で、温厚で、お仕事もとても頑張って稼ぎもよく、家事もしてくれます。主人のこともこどものことも大好きです。 私の職場の方もワーママが多く、子育てに理解があり、本当に優しい方ばかりです。 実家も仲が良いです。 大きな挫折も経験したことなく、人間関係に悩むこともなく、恵まれて育ってきたと思います。 ただ、私はいつも、このまま消えてもいいと毎日思っています。 死にたいとかでは決してありません。 ただ、このまま朝目覚めなくてもいいかなという程度です。 理由はわかりません。 何も嫌なことはないのです。 もしかしたら、良い人生だっから今終わっても悔いがないという方が近いのかもしれませんが、こういった感覚になるのは普通なのでしょうか。 昔から生きる意味とか、考えたことはなく、 向上心もあまりない方です。自己肯定感も低いと思います。 友達もいますし、多趣味だといわれます。楽しんでしますが、何をしていてもすべて死ぬまでの暇つぶしという感覚なのです。 最低ですが、私がいなくなっても、主人なら絶対子供2人を育ててくれるし、別に大丈夫だろうと思ってしまいます。 こういった感覚は、よくあるものなのでしょうか。 若いころは、こんな気持ちになったことはありませんでしたので、毎日家事育児の生活で、同じ毎日の繰り返しのような感覚もあるので、そういったところもあるのかもしれませんが・・・。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 毎日いつ消えてもいいやと思いながら生きているよりかは、何かいい方向に思考をもっていけたらと思っています。 どうぞ宜しくお願い致します。

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簡単に死にたいと思う

死ぬ勇気なんて全く無いし、自殺未遂すらしたことがないのですが、 簡単に死にたいと思ってしまうし、よく病んでしまいます。 人に嫌われる勇気も、(生きている間に)逃げる勇気も、だからといって立ち向かう勇気もありません。 自分でももうどうしたいのか、何をしたいのかが分からなくて、 これじゃあ死んでいるのと変わらないと思ってしまいます。 ただただ、自己嫌悪が募り、この世界(時間)から逃げたいと思っていて、 そのためには死ぬしかないのかなって思ってしまいます。 自分より辛い人も大変な人も沢山いるだろうに、ただ休みたいと思ってしまいます。 でも自分の身勝手な行動で、誰かに迷惑をかけてしまうことを考えると、そんなことも言ってられなくて、 ただ日々をこんな気持ちで過ごすことに、虚無感と情けなさを感じています。 人それぞれで皆さまざまな苦労があることは分かっていますが、前向きに努力を続けておられる方を見ると、 さらに自分への嫌悪感が増します。 ハスノハの過去の相談を見ていても、同じ想いを抱えている人は沢山いるんだなと思いました。 本心では死にたくないと思うのですが、自分がどうするべきなのか(どうしたいのか)、もうよく分かりません。 自分が不器用すぎて弱くて卑怯で、それなのに他人に何か言われると、いちいち傷ついてしまって、本当に嫌です。 稚拙でもはや相談でもない文章ですが、よければ皆様にご助言をいただきたいです。

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お姑さんの水子供養と災難

お姑さんの水子供養についてお訊きしたいです。 5年前にうつ状態でできちゃった結婚祝した私。お姑さんとは仲良くなりたいと思う程に空回りしギクシャク、お姑さんは自己中で話し方もキツくたまに会う度にストレスフルでした。 そして先日溜まりに溜まったモヤモヤがひょんな事がきっかけで爆発し、お姑さんと本気で話し合いました。 そもそもできちゃった結婚の私が気に入らないのかと思っていたら、お姑さんから思いもよらぬ事を聴かされました。「実は私達もできちゃった結婚だったんだ。でも世間体が悪いからお姑さんに結婚したいならお腹の子をおろせと言われ、おろしてしまったの。だから息子から赤ちゃんができちゃったと知らせがあった時嬉かったし、早く赤ちゃんと貴女にもに会いたかった。」と。私は嬉かったのですが、同時におろしてしまった赤ちゃんは供養したのか不安になりましたが、今になって訊き返すのはまたお姑さんを苦しめるから恐くて訊けません。 と言いますのも、お姑さんは自分の弟さんの不慮の事故や親戚の自殺未遂、次男(主人の兄)の運転中の後ろからの追突事故、スキー場での他のスキーヤーの後ろからの追突による脳震盪、主人が中学生の時に風邪をこじらせ心臓病になって手術したり、自分も車に乗ってたら後ろから追突されたり、歩行中、誰かに押された感覚を感じたりと災難が多々あり、偶然なのか?水子か先祖供養に因果関係があるのか?と気になり始めました。 また嫁いだ頃に気になっていたのが沢山あったご先祖様のお墓は数年前に1つにまとめて供養してくれたようですが、それとは別に誰のお墓か分からないお墓にも未だに手を合わせてますがこういった祟りなんかも関係しているのでしょうか。 たまに帰省してお墓参りするのですが、お墓参りをし過ぎると、他のお墓のご先祖様にうらやましがられ、うらやましいがうらめしに変わり祟られるからあまり墓参りに行くなと言われる時もあるので、水子供養やお墓に関する疑問は長男の嫁でもないし、なかなかお姑さんには話し辛いです。 でもこれ以上災難をお姑さんに遇わせたくないし、これから孫やひ孫にも影響がないか不安です。 私にできることとは何でしょうか。 祟りでなく、偶然なのでしょうか。 長文、解りにくくすみません。 ご助言宜しくお願い致します。

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苦しみと生きる方法【凡夫のライフハック】

以下①~⑧について、ぜひ忌憚の無いご意見をお聞かせ願います。  最近辛いことが多く、自分なりに試行錯誤し、実践している次第です…。   ***   ■苦しみと生きる方法【凡夫のライフハック】(仮)   ①自分自身や周囲への「期待値を下げる」  ⇒そもそも人生なんて、うまくいかない、辛くて当たり前、と考える  ⇒「一切皆苦」であることを思い出す   ②苦しい感情を、自分の中に溜め込まず、「吐き出す」  ⇒具体的には、紙に書き出したり、レコーダーに録音したりする  ⇒足りないなら、友人やカウンセラー等に、話を聞いてもらったりする   ③ただ感情を「観察」し、あるがままに「受け入れる」  ⇒上記の方法や、瞑想を通じて、今の状況や感情を「観察」する  ⇒このとき、善悪の評価をせず、自分自身の感情をただ「受け入れる」   ④苦しみを産み出す「問題」について、思い悩むことを一時保留にする  ⇒際限なく思い煩わないために、最悪でも、時間を区切って悩む   ⑤「問題」とは直接関係の無い、仕事や作業、趣味に没頭する  ⇒部屋掃除など、無心で手を動かせるものも◎  ⇒あるいは、何も考えずぼーっとするだけ、でもOK   ⑥自分の身体を大切にする・いたわる  ⇒食事、睡眠、運動、入浴などを軽視しない  ⇒規則正しい生活リズムは堅持する   ⑦「問題」に、少しずつ向き合う  ⇒理想の実現に向けた努力や、現実を明らかに見る努力をはじめる  ⇒最悪、「諦めきれぬ事があるなら、諦めきれぬと諦める」  ⇒苦しくて日常生活に支障が出るなら、上記②や④に戻る    ⑧時間の経過を、待つ。   *** 以上です。   質問の背景です。 物事への執着が苦の根本原因であり、修行を経ても執着は消えないならば、執着・苦とうまく付き合う「具体的な方法」を模索したいと思った次第です。   そのことが、自分自身を護ることに繋がるかと。 結果、オマケとして、自分を取り巻く他者にも良い影響が出たら…と。   お手すきの折に、ご意見いただければ幸いです。 そもそも考え方が良くない、この行動はオススメ、etc.   寒い日が続きますので、皆様ご自愛ください。 長文失礼しました…。  

有り難し有り難し 23
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