生きるのも死ぬのも嫌な時は、、
初めまして。ご覧いただきありがとうございます。
私は現在29歳ですが、これからの人生を生きるということに迷いがあります。
なぜ迷っているのかをお話しする前に、私の生い立ちを書かせてください。
私は本来あまり喋らない性分ゆえ、小学生時代はいじめっ子の標的でした。
そのため中学に上がる際には、いじめられたくないという思いから、本来の自分よりも明るく振る舞い、他人に嫌われないようにすることを第一に心掛けました。
また、親が厳しかったことからも、親の機嫌を損ねないようにすることを無意識にしていました。すると、気づいたときには、嫌われない・怒られないように他人の顔色ばかりうかがい、自分のやりたいことなど何もない主体性のない人間になっていました。
中学・高校時代は幸いなことに友達にも恵まれ、勉強部活恋愛全てにおいてとても充実していました。大学受験も成功し、就職も無事できましたが、特に入りたかった企業ではありませんでした。
そして働いて数年が経つころに、先述した自らの主体性のなさに気がつきます。
そこから自分のやりたいことは何だろうと考えたのですが、そう簡単に見つかるわけもなく、生きる意欲だけが削がれる堂々巡りが続きます。そこに、愛犬の死が訪れます。
身近な存在の死は幼い時に祖父を亡くして以来で、非常に辛いものでした。そしてこれ以降、人生において特にやりたいこともないのに、これから先には家族や友人の死、自分自身の老いなど、向き合いたくないことが沢山待ちかまえているとなると、もう生きなくても良いのではと思うようになりました。
既に書いたように、非常に充実した学生時代を過ごしました。十分楽しんだと胸を張って言えます。しかし、私が死ぬと悲しむ人がいるため、簡単に自ら死ぬことはできません。
生きる意味がわからないながらも日々頑張って生活している人が多数いることはわかっていますが、多数がそうしているのだからそれにならって頑張りなさいというのは腑に落ちないのです。常に多数派が正しいとは限らないからです。
自分自身が納得する結論は出ないと思います。主体性がないので、やりたいことが見つかることはきっとありません。
しかし、生きるべきか死ぬべきか、生きるならどうするべきか、途方もない難題に苦しむ日々が嫌になりました。少しでも楽になる方法はありますでしょうか。長文失礼しました。
有り難し 11
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