ドラマなどでよく聞く台詞に「不幸はいつまでも続かない。生きていればそのうち良いことがあるよ」というのがあります。実際不幸な過去と訣別して幸せを掴んだ人もいます。 前回相談に乗ってもらってから自分なりに生き方を変えてみようとしました。自室は整理整頓を心掛け、不要な物はある程度処分しました。少しずつ過食を控えるように心掛け、定時に仕事が終わった日は3〜40分程ウォーキングをしてから帰宅することにしました。夕食後はできるだけTVゲーム以外のことに時間を使うことにしました。 自分なりに努力しているつもりなのですが、心に変化が現れる兆しが一向に見えません。なにしろ私は50年近く成功体験も無く、承認欲求を満たすこと無く生きてきた人間です。自分磨きは一朝一夕に結果が出るものでは無いし、試行錯誤を繰り返しているうちに体力気力共に尽き果てた爺になって失意の生涯を終える可能性の方が高いと思います。今日も気晴らしに出掛けたショッピングモールや大型書店で、家族連れや若い人達の一団に逢って、打ちのめされた気持ちで帰宅しました。 「 生きていれば良いことがある」は単なる気休めなんでしょうか。泣き言も言い訳も封印して地道な努力を続けた人しか幸せを掴むことはできないんでしょうか。 乱筆長文失礼しました。因みに私の求める幸せは、「生涯未婚でも野垂れ死にしない程度の財産を築いて卑屈にならずに生きる」です。
おはようございます。 いつも、ありがとうございます。 お忙しい中、私のこんな質問をしていいのか悩みましたが…いつも心の中で思う事です。 よく、テレビ、雑誌などで凄く尊敬してる人と関わる事でこうなりました。 みたいなのを聞きますが、ふと思うと私は今まで、この人は凄いな!とかこの人は尊敬できる!と思う人が周りにいません。 近くの人じゃなくても、歴史的に有名な方にも、それほど尊敬!とまでは思いません。 亡くなった父の事は好きだったし、尊敬してました。 周りに尊敬できる人がいれば、私の生き方、考え方が変わっていたのでしょうか? この人をお手本にしたい!と思う人と出会えなかったのは寂しいなって最近思います。 和尚様の考えをおききしたいです。
情けない相談事なのですが、 不倫をして、妊娠してしまいました もともとw不倫だったのですが、 最近、私は離婚してバツイチになり娘と2人です 彼と一緒になるとかで離婚したわけではありません。 1年一緒にいた彼との子供ができて産もうか迷ってしまっています。 産みたいけど産んではいけない、と考えてしまいます 今も話は産まない方向です どうすればいいのでしょう 赤ちゃんと娘に申し訳ないです
自分の人生を想像したら、上手くいく未来が見えず生きてるのがとても辛くなり死にたくなります。 私は今、就職するために試験勉強していますが、理解力や発想力などに優れているわけでもなくむしろ劣っていて試験に受かる気が全くしません。故に自分の将来を考えた時にこれまでに何事も上手くいかず失敗ばかりしてきた経験から将来安定した生活が出来るのかと不安になり、自分には大した価値もないので生きている意味がないと考えてしまい無性に死んでしまいたくなります。これまで自殺しようかと頭を過りましたが、家族のことを考えると自殺を思いとどまらせてきました。 将来のためにもっと勉強(努力)しろよと思われるかもしれませんが自分の中では何の才能も取り柄もない中頑張っているつもりですが、それでもうまくいかず自信が持てません。 自分の弱さを認めているからこそ、将来が不安で生きる意味などがわからずにいつでもいいからさっさと消えてしまいたいと考えてしまいます。 甘い考えかもしれませんが、どうしたらこの苦しみから逃れることができるのでしょうか? 最後までこの長い文章を読んでいただきありがとうございます。ご回答いただけると嬉しいです。
こんばんは。 私はいまだに大人になりきれず、毎日がしんどかったり不安で情けない気持ちで生きています。 独身で子供もおらず、親もまだ介護の必要もないので、この年齢まで誰の世話もすることなく自分のためだけに生きてきました。 人の役に立ちたい気持ちはあるものの何をすれば良いかわかりません。 とにかく気持ち的にも娘気分が抜けていないのですが、これを読んだかたは『本当にこの年代なの?!』と不思議に思われると思います。 まだまだ甘やかされたいとかチヤホヤされたい気持ちが強く、若い女の子がチヤホヤされているのを見ると仕方ないと頭では理解しつつも心が苦しいです。 日々若くいるために食べ物も普通以上に気を付けていて、肌の手入れも気を遣っています。 若く見えるメイク法も研究しています。 体重も最近入り少し増えたためジムに通い減量中です。 とにかくいつまでも女の子・お姉さんと呼ばれたい気持ちが強すぎて自分でも怖いくらいですが、生きるエネルギーになっているのも確かです。 努力の甲斐あって年齢よりは若く見られるのですが、時々『努力しようが何だろうがいつかは必ずおばあちゃんになるだろうし、その時に自分は受け入れられるのだろうか?もしも受け入れられるのであれば今頃は女の子でいたい、なんてとっくに思っていないのではないか?』『やはりメンタルに問題があるせいでは?なら、一生このままで、年齢を追うごとにもっと苦しくなるのでは?』と思ってしまいます。 私が私が、ではなく、他人への思いやりとかそちらへ気持ちが向けられれば良いのですが、つい自分を構ってくれない人がいたら『私が若くないからでは?』などひがみっぽくなってしまい、これだから年はとりたくない!という思考に結び付けるのがやめられません。 やりたいことや打ち込めるものもなく、このままただ年齢を重ねることに怯えて生きていくのかと思うと辛くてたまりません。 出きることなら幼稚園~中学生くらいの頃に戻りたいそして甘やかされたいと、今でも真剣に思っている自分が情けなくてたまりません。 恥ずかしい悩みだとわかっているので、まわりの人には誰にもこんな事で悩んでいるなんて言えません。 本当に年をとるのが嫌でたまらず、シミやシワなどにも敏感な状態で毎日を楽しむ余裕もないです。 こういった精神状態から脱却するにはどうすれば良いでしょうか?
過去に縛られないのが仏教ですよね? だけど今の私には過去のいろいろなひとの言葉や対応してくれた事が心の支えです。 半年ほど前に「恐ろしいくらいに図々しいな…いい意味で。」と言われました。あの時は面白い事を言われた、くらいにしか思いませんでしたが、仕事でうまく成果を出せず苦しいとき、その言葉に何度も何度も救われます。 それと、もうひとつ。 20年ほど前に「生きること」を約束したひとがいます。自己責任で、その方と疎遠になっていますが…。 辛い過去だけではなく、心の支えになっている過去に目を向ける事ができるようになりました。 「恐ろしいくらいにポジティブだな…」そう言われた事もありました。 いつの間にかポジティブを身につけて、いつの間にか逸れていました。 今度は「ポジティブ」を見失わないようにします。
雨の日や曇りがちの日、日光が当たらない時とても憂鬱になります。 心の中がずっとモヤモヤしてしまうのです。 やらなくてはいけないことが毎日あるのにやる気が出なくなります。 ひどい時はいつまでもこの憂鬱を繰り返して生きていかなくてはならないと思うと発狂してしまうこともあります。 どうして自分が選んだわけでもないのに生きていかなくてはいけないのか。 私はいつでも晴れ晴れと生きていたいのに。
こんにちは、初めて質問させていただきます。 最近とても疲れてしまって、楽しいことも嬉しいことも感じなくなってしまいました。 家族に心配されて優しい言葉をかけられても、怒りの感情が湧いて突き放してしまいます。その後「なんであんなことしたんだろう…」と自分を責め、1人で泣いています。 小さな頃は体が弱いなりに元気に走り回って活発な子でした。しかし、ここへ来てエネルギーが空っぽになった感じがします。身体が重くて、大好きだったことも、勉強も、遊びもやりたく無くなってしまいました。ずっとずっと寝ていたい。。。そんなことばかり考えるようになってしまいました。実際に寝てしまうと、罪悪感で押しつぶされそうになります。 休め、と言われても、休むことができません。なぜなら、私が止まっていても周りは進んでいって、置いていかれることに焦りを感じるからです。とても怖いです。動かなくては、進まなくては、と思っているのに身体は重くて動かなくて、矛盾だらけで情けない自分が本当に嫌いです。 どうしてこうなってしまったのだろう。ぐるぐると考えて、夜も眠れなくなりました。特に何かある訳でもないのに、涙がポロポロ落ちてきます。 家族はみんな優しくていい人ばかりです。家族の誰かが自殺しようものなら、彼らは自分たちを責めてしまう、壊れてしまう。それでも、家族なんてどうだっていいから、生きることをやめたい、どうしようもなくなった去年の夏、母にその気持ちをうちあけました。すると母は「私を殺してから死ね!!」と怒鳴りました。私は怖くて、もちろん大好きな母を殺すことなんてできなくて、ここまで生きました。 もう、疲れてしまいました。どうしようもなく、疲れてしまいました。休め、と言われても休み方が分かりません。休むことが怖いです。どうしたらいいのでしょうか。
・常態化するJアラート、危機感が薄れ切った頃に直撃弾、甚大な被害と日本列島に広がる地獄 ・経済破綻、下がる生産性、増える消費、選別される生存権。破壊と略奪、犯罪、弱者切り捨てが正当化される社会 ・他人に対する不信感と軽蔑が社会を支配し、一部の有能な人間しか生き残れない。諍いは当たり前となり、誰もが誰かを憎みながら生きる ・人々の無理解、「自分が苦しいのだからお前も苦しめ」が常識となる。誰もが他人の幸せを恨み、壊そうとする ・弱さへの無理解。正義を語る破壊行為 ・最早遠くないであろう第三次大戦 どこを向いても絶望、絶望、絶望しかない。こんな問題だらけの世界でどうして平気でいられるのでしょうか。どうして平気なふりをしなければならないのでしょうか。 成功体験の多い人間が世界を動かすから、地獄で這い蹲っている人間は救われない。自己責任。 弱さは理解されない。自業自得。 人心は荒み、社会は乱れ、環境は汚される。人間という生き物にとことん嫌気がさしているのです。生きることことを徹底的に拒絶したい。 どうせ若輩者の偏った思考なのでしょうか。年齢を重ねればどんな形であれ生きることを肯定できるのでしょうか。 嘆きは簡単に見つかりますが、幸せを見つけるのは簡単ではありません。 もうなにもわからない。 誰もが嘆きながら仕方なく生きているのではないのでしょうか。 何度希望を持とうとしても、結局は絶望に帰ってきてしまう。 何も感じたくない。 こんな世界で何を信じて、何を希望として生きていられるのでしょうか。 一切の希望を棄てたならば楽になれるのでしょうか。 あるいは、私が何かを拒絶、排除しているのならばそれは何なのでしょうか。 絶望予想は荒唐無稽なものなのでしょうか。それとも改善に向けて動かなければならないものなのでしょうか。 希望を持ちながら生きることに疲れました。どんなに希望を持ったところで薄氷の上、砂上の楼閣でしかないからです。 何を頑張ったところで、近いうちに全て破壊されるのですから。 ……本当は諦めたくないのかもしれません。絶望的な未来なんて迎えたくない。 けれど、絶望は簡単に見つかります。沢山の人々が絶望を語り、そっちの方が希望よりもずっと現実的なように思います。 野坂昭如氏は言いました。「日本にお悔やみを申し上げる」と。 諦めて地獄を生きるにしかないのでしょうか。
いつもお世話になっております。 母親からの発言で生きる意味を益々見いだせなくなりました。 自分は存在してもいいのか、生きていてもいいのかわかりません。 精神的な不調により仕事を辞めて療養のため実家に身を寄せることにしました。 貯金は底をつき年老いた両親に頼ってしまっている状態です。 両親はそれでも”気にしなくていいから…”と言ってくれたこともあり、その方向で話を続けていました。 色々と心配をかけてきたこともあり、倒れるまで母に現状を離せない状態でしたがちょっとした事がきっかけで話をする事になり退職まで話が進んだ…という感じです。 数日後に引越しを控えているのですがふと何かを思い出したように”アルバイトはいつからするの?””最低限のお金はどうにかなるよね”と話し始めたのです。 そんなに給料もらってる訳でもないし(両親は現在も共働きしています)おんぶにだっこじゃ困るのよ!と。 正直な所、今の精神状態ではとても仕事に出られる自信はありません。最低限のお金をと言われても貯金も底をついてしまった話をしていたので頭はパニック状態。 挙句、”そんな性格生きにくいでしょ?もっと気楽に考えなさいよ”と。 言葉が出ませんでした。私だって好きでこの性格になったわけではありません。 1番現状を理解して欲しい人に、突き放されてしまったような…自分を全て否定されたような…。 とにかく谷底に落とされたような気持ちです。 1番受け止めてほしい人にそんなふうに言われて、仕事もお金も何も無い私は生きている意味があるのかと、なんのために生きているのかと考えるようになりました。 正直、今すぐにでも身辺整理をして関係する人達の記憶ごと消え去ってしまいたい思いでいっぱいです。
私は長崎の大学に通う学生です。 今までネガティブ思考で生きてきました。今は夢も希望もありません。どうか、前向きに生きれるようにお言葉をください。
本当にあった事なのに なかった事にされました 恨みが消えません のうのうと生きてる事が許せません この気持ちがなかったら こんな事がなければ 私は生きていけるのに 天罰なんて無いんでしょうか
現役大学生です。 自分の頑張れない、嫌なことから逃げてしまうところにうんざりしています。 課題もいつも取りかかりが遅くギリギリになって中途半端に仕上げて提出、就活中で採用試験の勉強もしなきゃいけないのに全然しない、最近は苦手な授業を休んでしまうようになりました。 罪悪感でいっぱいです。 まわりの友達は私よりも忙しいのに真面目に一生懸命頑張れる人たちばかり。なんで自分はみんなのようにできないんだろう、こんな頑張れない、嫌なことから逃げてばかりの人間なんて生きてる価値がないと思ってしまいます。ここ最近はもう死んでしまえばいいんじゃないか、死んでしまってもいい人間なんだと思うようになりました。ふとしたときに涙が止まりません。 こんな人間でも生きていてもいいのでしょうか。
私は大人になるのが怖いです。 正確には、歳をとること、子どもでいられなくなることが怖いです。歳をとれば人から必要とされなくなるし、歳を理由に言動、行動、身につけるものすらも制限されるからです。それに、責任だってまだまだないし、自分で考えたことに自信が持てません。 できるならずっと女の子と言われる歳でいたいし、期限切れなんて言われたくありません。男の人なら歳を理由に非難されることが少ないのに、女の人はその辺がかなりシビアになってると感じます。 まだ恋愛も遊びも何も出来てないのに、怖がったまま生きてきてしまったので上手く心が成長できてないみたいです。 それに、子どもじゃないと誰にも見てもらえない気がします。なので、色んな人に見守られながら生きている年下の子を見ると嫉妬で嫌な自分になってしまいます。 とても苦しくて、毎日このことばかり考えて他のことに頭が回りません。
どんな願いもひとつだけ叶えられる魔法があるとしたら、何をお願いしますか?
はじめて質問させていただきます。 ご回答頂ければ大変嬉しく思います。 私は実家が浄土真宗本願寺派の門徒でありまして、最近になりもっと浄土真宗のみ教えや、仏教のことを学んでみたく思うようになりました。 普段なかなか私自身、浄土真宗の門徒でありながら、家でお勤めをしたり、念仏を唱えたりということが出来ていないのが現状です。 そこで、浄土真宗本願寺派の通信教育で仏教や浄土真宗のみ教えを学習すれば、少しでも私自身の信心が芽生えてくるのではないか、浄土や仏さまを信じる気持ちも出てくるのではないかと思い、この度通信教育講座を受講しようかと考えてる次第でございます。 そこで今回の質問なのですが、通信教育講座で学習することによって、信仰心が芽生えたり、お念仏を唱えたいという心持ちに変わったりするものでしょうか? それとも学習はやはり色々な知識を詰め込むだけで、そこからは信仰心というものは芽生えてこないものなのでしょうか? 私自身もっと信心をもって、日々の暮らしをあまり悩み過ぎることなく歩んで行きたく思っています。 どうか皆様の良きアドバイスを頂ければ幸いに思います。よろしくお願いいたします。
こんにちは。2回目の相談になります。 今回は、家族の事についての相談です。 最近、愛犬がよく体調を崩したり異変を見せる事がよくあり、症状から察するに大病でないか心配です。 愛犬は老犬であり、よく体調を崩すものの元気はあります。しかし、余命宣告を受けるような大病ではないかと疑うと、いてもたってもいられないほど不安になり、安心できずどんどん気を病んでいきます。 私は前回の質問でもお話したように、かなり精神を病んでいます。こんな状態でもし愛犬にも何かあったら、私はもう生きていけないと思います。 母も愛犬の事が大好きで、常に「愛犬に何かあったら生きていけない、私の体が持たないかもしれない」と話しており、母にも何かあったらさらに私は生きる希望をなくしてしまいます。 どんなに長生きしたとしても、必ずお別れは来ます。それでもいつも一緒にいるのが当たり前になってる大好きな愛犬がもしいなくなったらと考えるだけでも、絶望的な気持ちになります。 今だって、そう想像しては自殺を考えてしまうほど塞ぎ込んでいますし、趣味に触れたりお気に入りの料理を食べたりなど何をやっていても心ここにあらずで、元気が出ません。出たとしても、またネガティブに想像してはすぐに焦燥感と不安でいっぱいになります。 母は私よりも前向きに考えるようにしていて「落ち込んでても運気が下がってしまうから、あまりくよくよ考えないんだよ」とよく言われるので、私もそうしたいのですが、ネガティブに考える癖が根づいてしまってるせいでなかなか元気が出ません。 どうしたら、必要以上に不安にならず、穏やかな心構えで過ごせるでしょうか? アドバイスをいただきたいです。よろしくお願いします。
心が狭くて「許す」「受け入れる」ことがなかなかできません。 友人に構ってちゃんや、悪意なく暴言を吐く子がいるのですが、私はその子達の発言はスルーしたくなります。他の友人たちは構ってちゃんの「私なんて…」発言にもその都度「そんなことないよ」と励ましてあげたり、暴言はその子の個性として受け入れてるように見えます。 私は友人を切り捨てることにためらいがない冷たい人間なのだと思います。 どうすればその子達を否定することなく受けれられるようになるでしょうか。
私は現在高校生です。 父親がもうすぐ亡くなると昨日本人から伝えられました。 人前で泣いたことのなかった父親の泣きそうな顔がチラついて、何をしていても集中出来ません。泣いてしまいます。 悲しいのか寂しいのかよく分からない涙が溢れてきます。 少し前から、父はもう長く生きられないんだろうな とはなんとなく思っていました。 こんなに泣くこともありませんでした。 改めて本人から言われて死ぬのだと実感しました。 生きていたらいつかは死ぬことは分かっているのですが、どうしても気持ちに整理がつきません。
私はとても小さく長男を生みました。 その為 色んな検査、手術を受けました。 今後の為に治療は受けるべき と言うのは 分かってます。ですが 心がどうしてもついて行かないのです。 手術をした日 動くといけないからと 身体中をベッドに固定され包帯だらけの痛々しい息子を見て 初めて この子を殺そうと思ってしまいました。 一緒に死のうと。 でも 小さな手が 私の手を握り返しました。 殺せるわけがない。 これだけ辛い検査と手術をして 結果は 何も変わらないだろうと言われました。これからの検査、そして この子は 障がいを背負って生きて行かなければいけない。私が小さく産んだばっかりに この子は痛みと闘い続けなればいけない。 初めて自分がここまで 障がいと言うものに偏見を持っていた事に気付きました。 普通に毎日歩けていること、友達とお喋りが出来ること、美味しいものを食べて 美味しいと思えること。 『当たり前』というのは 本当は とても有難いこと。 その『当たり前』が 私たちには ありません。 どうしたら 前向きに子供と生きていけるでしょうか。ずっと ごめんねと言っている自分が情けないです。