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hasunoha 問答検索結果 : 「私 あの世 」
検索結果: 740件

愛を気持ち悪いと思ってしまう

色々な映画や小説で純愛や恋について扱われますが、いつも不思議に感じます。 正直気持ち悪いなと思います。人間醜いものなのに美化して、悦に入ってるなと。愛する人と他の女性との違いはあるのか。一夫多妻制が当たり前の時代だったら、当然のように他の女性に興味を持つのではないか。そう思ってしまいます。 自分は女性を特別好きだと思ったことがありません。不純で最低ですが可愛いな、綺麗だな、やりたいなと常に女性を見るたびに思います。自意識が行き過ぎて少し話しかけられただけで自分のことが気になっているのでは?と色々な妄想をしてしまいます。 そんな女性を性的な目でしか見れない自分のことを気持ち悪いし、最低だと自覚しているので女性には自分から話しかける事はありません。というか、自意識が邪魔して話しかけられません。性的な目で見るなと言われても無理です。考えるより前に見てしまうので。 でも、それとは裏腹に日々性欲は増していき、どうにか女性と親しくなりたい、付き合いたいと思ってしまいます。このジレンマで悩まされています。 仏教では悟りを得るために性欲を抑制しますよね。どうにか性欲を抑える方法はないでしょうか。 これに加えて家族愛も気持ち悪いなと思います。出産とは自分が描いた理想的な家庭像をなぞるためのもので、幸せになるためのツール、エゴでしかないと思っています。産むも産まないも産む人の判断です。ペットショップで高額なペットを飼うのと一緒です。人間に遊ばれるためだけに交配させられ、生まれてきます。 自分が不登校になった時の親の反応を見てそう感じました。息子の感情を度外視して、世間体を気にするあたりです。親というのは息子が理想の優等生だった時と劣等生になった時でこうも対応が変わるのかと驚きました。 とはいえ、人間関係が嫌いなわけではなく、息が合う友人と話す時間は心地良いです。お互いに尊重し、お互い心地良い、でも少し互いに見下しあっているという引いた距離感も好きです。 仏教では愛についてどう考えているのでしょうか?また、人間関係(主に恋愛関係)においてどう考えていけばいいでしょうか?もしくは、性欲を抑える方法などあるのでしょうか?

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四十九日が済んでも気持ちが落ち着かない

お早うございます。 先月末、父の四十九日が終わり、一つの大きな区切りを迎えたはずなのに、どうしても、どんなに頑張っても、父が旅立った悲しみ、淋しさから抜け出せません。 四十九日を迎えて、もう気持ちの整理がつく頃なのに…。未だに夢にまで出て来て、気持ちの整理がつく所か、更に悲しみが増えました。父の生前と比べて、明らかに笑顔が激減しています。テレビを見ていて、「面白い」とは思っていても、笑う事も出来ず、ただ時間だけが過ぎて行きます。 道を行く車を見ていても、「昔お父さんが元気だった頃、車で色んな所に遊びに行ったよね」と思ったり、家の中のあらゆる物を見ては「これを買った日、お父さんと、こんな会話したよね」等々、どうしても父と結び付けてしまいます。 今でもまだ、ふとした瞬間に父が居そうな気がして、私が仕事から帰って来て、玄関を開けたら、そこに座っているんじゃ無いか、また母と些細な事で、言い争っているんじゃ無いか等々、考えるときりが有りません。毎日毎日、溜息ばかりです。 本膳も四十九日までは、初七日に始まり、1週間ごとにしていました。然し父は、煮物や漬物が大好きだったし、それ以前に食べる事が大好きだったので、今月からは毎月、月命日に本膳をたこうかと思うのですが、こんなに悲しいなら、止めといた方が良いのかな?とも思います。 本当に、どうしたら良いか判らず困っています。

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お空に還った子どもに聞きたい。

昨年の秋に第一子を出産しました。妊娠していた頃から、いくつもの心疾患を抱えているとこが分かり、お腹の中で亡くなる可能性、産まれてすぐ亡くなる可能性もあると言われていましたが、 エコー越しで手を振り「ぼくはここにいるよ。」と存在を示す姿や主治医からの乳児期に適切な手術を乗り越えれれば生きれるとの言葉を聞き、私たち家族は、育てていく決意を固めました。 トツキトオカ、お腹の中で無事に育ってくれ、やっと会うことができました。 しかし、生まれてから翌週に手術、なかなか身体に血液循環が馴染まず、再度手術と39日間の間に4回の手術をしました。4回目の手術で、少し良くなり経過観察をしていました。翌週に、レントゲンを撮り、改善できる箇所が見つかり、追加で処置を受けようとした日に心不全で亡くなりました。 身体を拭いている時に沢山の頑張った証があり、寝ている状態が長かったので筋肉も硬くなり、沢山頑張らせすぎてしまったと、胸が苦しかったです。 生まれてから生きるために何度も手術を頑張ってもらいましたが、39日間、何本もの点滴、機械に繋がれ、毎日処置してもらう子どもは幸せでしたでしょうか? ある本で子どもは自分の命の期間、人生をわかった上で、ママとパパを選び、生まれてきてくれると書いてありました。 ひとつの人生を全うした息子は、また、私たちを探して会いにきてくれますでしょうか? 私たちが会いにいくと、のどの奥を鳴らして、挨拶とかではなく、何か必死に伝えようとしてくれていました。思うように動けず、痛みも沢山感じているはずなのに、笑顔をよく浮かべていました。 私たちにどんなメッセージを送っていてくれたのでしょうか? そして、亡くなった今、まだ、生きる術はあったのだろうかと、調べてしまいます。 ある日は、本当に私たちのもとに生まれてきてくれたのだろうか。夢だったんじゃないかとも思います。 毎日涙があふれます、息子は、哀しむ姿は望んでいないと思いますが、哀しくて仕方ありません。どんな姿であろうと、家族で支えていきたいと思っていました。生きてて欲しかった願うばかりです。 幸せだったか、何を伝えようとしていたのか、また会いにきてくれるのか、教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 29
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死について漠然とした不安があります

 またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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継承したお仏壇をどうするか・祀りかた

私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか? 一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。 結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。 養母はH19年7月他界。 お仏壇は養父が養母のために購入しました。 <宗派は浄土真宗・西本願寺> 養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。 当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。 今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、 お仏壇のことが気がかりです。 私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。 お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。 また、夫は長男で、下に妹2人居ます。 義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。 夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。 私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。 私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、 娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。 私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。 最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。 養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。 色々なご意見、頂戴できれば幸いです。

有り難し有り難し 15
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突然の父の死について

初めまして。 父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。 今年2015年3月18日に、父が急逝しました。 浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。 享年83歳でした。 私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。 父親はプライドが高く頑固な性格で 子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており 大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。 しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり 自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。 そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。 今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。 父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。 (再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった) これから父を支えていきたかった。 そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」 という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。 葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」 「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが 私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。 また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり 父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。 そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり 実家には自分1人で住んでいます。 自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると 様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。 特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり 毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。 父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。 後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり 何か助言を頂けたらと思っています。 宜しくお願いします。

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父の死と死後の世界について

最愛の父が他界してから、死後の世界について考えています。 父は愛妻家かつ子煩悩で、死の3日前まで母と私に「大好きだよ」と言っていました。 大食漢で行動的な人でしたが、病のせいで食事も運動もままならない中、愚痴ひとつ言わずいつも笑っているような人でした。 死後の世界があるのなら、痛みからも苦しみからも解放されて、好きなものをたくさん食べて、好きなことをたくさんしているのだと思えます。 死後の世界がないのなら、大好きだった父は何処にもいないのなら、二度と会えないのなら、私も死にたいと考えています。 大学一年生の頃、仏教の講義が必修科目でした。 18歳だった私は宗教や死後の世界は生きてる人間のためにあるもので、死んだら無になると考えていました。 今になって死後の世界があって欲しいと強く思うのですが、長年否定していたものを肯定するのは都合の良い話に思え、抵抗があります。 祖父が亡くなった時は季節外れの蝶が部屋に舞い込んできたり、替えたばかりの蛍光灯が明滅したりと不思議な出来事があり、もしかしたら…と思える時もありました。 ですが「ずっと側にいるよ」と言った父の存在を感じることはなく、消えて何も無くなったように思えてしまい、胸が苦しくなります。 長文かつ乱文で申し訳ありません。 どのような心持ちで過ごせばいいのか、ご教示願います。

有り難し有り難し 31
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