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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6207件

祖父の死が信じられなくて苦しい

半年前、私をとても可愛がってくれていた大好きな祖父が亡くなりました。 80歳を超えていましたが現役バリバリで仕事をし、街の発展に尽力した人で、街の誰からも尊敬され、愛される、自慢の祖父でした。 私が小さいときには、公園に連れて行ってくれたり、一緒に昼寝をしたり。成人してからは、家に遊びに行く度に、様々な御説教をしてくれたり、小さい頃からの約束だった「祖父母と3人での海外旅行」をしたこともありました。 祖父は2年前に肺がんを患っていることがわかり、抗がん剤治療をしながらも、相変わらず街の為・人の為にと普段通りに生活をしていました。 私は今、仕事の都合で地元を離れて暮らしており、なかなか祖父母に会いに行く時間を作れずにいましたが、神社などで健康のお守りを頂いては祖父に送ったり、手紙を書いては電話で返事をくれる位に喜んでくれていました。 最後に会ったのは亡くなる3ヶ月程前で、その時の祖父は自転車に乗って威勢良く「仕事に行ってくる‼︎また遊びにおいで‼︎」という元気な姿でした。 ある日、母から「祖父が入院した」という知らせがありました。それまでに何度か検査入院などもしていたので、その時も検査入院か2〜3日で退院できる程度だと思っていました。 それから2週間後、「祖父が亡くなった」と連絡がありました。その時、大きな仕事を抱えていた私には、容態が悪い事を伏せてくれていたようです。連絡を受けて、とにかく必死でその日のうちに祖父の元に向かいました。 地元に着いた時には、もう祖父は棺の中で安らかな顔をしていました。祖父の葬儀でそこまで泣いている孫は見たことがないと言われる位に泣いて泣いて、泣きました。あの元気だった祖父の死が、半年以上経ってもまだ受け入れられません。 パパっ子だった私の母も、必死に前を向こうとしてはいますが、小さなきっかけで悲しく涙を流すのです。そんな母を見ると、私もとても辛く、地元には祖父の面影がありすぎるし、元気な姿しか想像出来ないのにどうして会えないんだろう…と苦しいです。 大好きだった祖父の死を受け止めるにはどうしたらいいでしょうか。 また、ありがたい事にとても仲の良い家族で、いつかは別れの日が来るのだと思うと辛くて悲しくて、その現実と向き合う事も出来ません。 前向きに明るく生きていくには、どのような心持ちで居ればいいでしょうか。

有り難し有り難し 24
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最愛の次男の死

先日、次男の自死について、質問させていただきました。次男を失ってから約2週間経ち、彼の最期の姿を常に思い出す事は徐々に減りつつあります。しかしただただ寂しく、喪失感が強くなるばかりです。彼の遺書らしいものはまだ見つけられず、スマホもロック解除が出来ないため、最期に何か伝え様としていたのか全くわかりません。しかし彼のアカウントのパスワードはわかったので、彼がこの一年近く色々と悩み、苦しんでいた事を垣間見ることが出来ました。けど父親として、それに気付いてやる事が出来なかった。会話の多い家庭だと思っていたのに、苦しみや悩みを彼は伝えてくれなかった。とても優しい子だったので、家族に心配をかけたくなかったのか、自分の似てプライドの高い子だったので、知られたくなかったのか。自分も約5年前自死を決断し、実行したことがあります。その時は意識が薄れる中で、家族の姿がチラつき思い留まりました。次男は家族のことを思いやらない様な子ではありませんでした。だからこそどれだけ最期の最期まで苦しんだかと思うと、父親として本当に申し訳なくて、仕方ありません。彼の最期の決断を認めたくはないですが、ただただ今はよく頑張ったと言ってやることしかできません。本当に悔しくて、悲しくて、寂しいばかりです。自分の様ないい加減な人間に仏様や神様が試練を与えるのは理解が出来ます。しかし本当に真面目に頑張っていた次男に仏様や神様はこんな苦しい試練を与えられたのでしょう。一番悪いのは、次男を救ってやれなかった自分である事は、十分にわかっています。しかし真面目に頑張っている妻や長男、そして次男にこの様な試練を与える仏様や神様に 、なぜ試練を与えたのかと言いたくなります。ほぼ毎日仏壇に手を合わせ、ご先祖さまや仏様に家族の安寧を祈っていたのに。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

将来を約束した彼の死について

1月末に結婚を前提にお付き合いをしていた彼が亡くなりました。 心筋梗塞での突然死でした。 彼は数ヶ月前にも心筋梗塞をおこし、その時は私が一緒に居たので呼ばなくても良いと言われながらも救急車を呼び、即手術して一命を取り留めました。 心臓の3分の1が壊死してしまい機能不全になりましたが術後の経過もよく日常生活に戻りました。 私はシングルマザーで高校生の娘と暮らしており、病気した彼と生活を共にはなかなか出来ませんでした。 亡くなった日も2時間前まで会っており、何気ないふたりの時間を過ごし、娘の待つ家に帰りました。 その2時間後くらいに彼から電話が入り、なんかおかしい…と。 救急車呼ぼうか?との問に、まだ大丈夫やから○○すぐ来て!!と。 急いで用意して8分後に折り返し電話。 もう繋がらなかった。 かけながら彼の家に行き2階に上がると向こう向きに倒れてて血色も既に悪くて… 電話があって駆けつけたのが15分後くらいだと思います。 問いかけにも返事はなく119に電話。 動揺しており息をしてるのか心臓が動いて居るのかの質問もわからず言われるかまままに心臓マッサージを行いました。 すぐに救急車が来ましたが既に亡くなってた状態の様でした。 搬送先の病院で蘇生を続けてくれましたが心臓が戻ることはありませんでした。 亡くなって2ヶ月たちます。 だけど全く彼の居ない生活を受け入れられず、どんな気持ちで彼は亡くなったのだろう…と。一緒に暮らしていなかったことを後悔したり、子供と仕事と恋愛とで疲れ果てて喧嘩もしてたり…と彼の病気を悪化させてしまったのは私じゃないかと。 色々な気持ちがおこります。 助けられなかったこと悔やみます。 家族の同意もあり今でも家に行きたい時には行かせてもらい手を合わせています。 次は百ヶ日法要。 気持ちが落ち着いていくと思ってるましたが日に日に寂しさ悔しさ辛さ不安が大きくなってます。 彼は生前全力で私を愛してくれてました。 一緒に居る時は不満もあり喧嘩もしたりとこんなに四六時中彼の事を思うことは無かったのに… ひどいですよね〜 今になって彼からのたくさんの愛を改めて感じ守られてたなぁとつくづく感じる日々です。 なかなか死を受けいれられません。 私はこの先どの様に生きていけばよいでしょうか?

有り難し有り難し 7
回答数回答 1
2024/10/08

父が孤独死しました

とても1人で抱えきれず、お話をいただきたく質問いたしました。 10月に入って警察から、父が自宅で亡くなっていたとの連絡がありました。 両親は私が小学生の頃、15年ほど前に離婚しており、私は母と一緒にこれまで暮らしてきました。 長らく音信不通でしたが7年ほど前に、私から強制的に突入する形でコンタクトを取り、そこからはご飯に行ったり家族の思い出の地を巡ったり、連絡を取ったりと交流をすることができたのが唯一の救いです。 心臓の難病を患っていたようで、「(会いに来てくれて)救われた」と当時の父も言ってくれていたことを覚えています。 ただ、父は生前より、突然機嫌が悪くなってこちらのコンタクトを無視し続ける態度があり、その性格には母や私含め、周りの人全員が困っていました。 コロナ禍に入り、父の職業もフリーランスで安定したものではなかったので、頭のどこかで心配をしながら、連絡がこないこともいつものことだ、と思ってしまっていました。 遺体はかなり腐敗が進んでおり、自宅に残された周りの品から、死後2〜3年が経過していると判断されたことを警察から伺いました。 来週に父の弟さんと2人だけの火葬に立ち会う予定です。 離婚して、養育費を逆に使い込んでしまうような身勝手な父で、母がたくさん苦労して私のことを育ててきてくれたのも知っています。 厳しいことを言うと、父の自業自得だとも思っています。 周りの人たちも助けたかったけれど、その救いの手を上手く掴めなかった父の生き方の結果、父の選択であり、生き様かなとも思っています。 一方で、娘としてはかなりのショックを受けています。まだまだたくさん話したかったし、甘えたかったし、ごめんねと言ってほしかったです。私も気付けなかったことを謝りたいです。 父との思い出を思い返したいのですが、自分が壊れてしまいそうで怖いです。 この死をどのように受け止めていけばよいのでしょうか。 父は今、自分の死をどのように感じているのでしょうか。

有り難し有り難し 13
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擬似的?な死を体験

悩みとは違うのですが質問させていただきます よろしくお願いいたします 確か6才頃の時でした 公園でとある事故により肉体と幽体とが離れたことがあります 気付いた時、仰向けで空を見ていました 足元を見ると離れた場所におんぶされ運ばれる自分がいるんです その際感情などは一切なく、ただ『見ている、傍観している』状態です 移動する感覚はなくドラマのカットの様にパッと切り替わり次はタオルを額にあてがわれベッドで寝かされている自分、それを取り囲む人達の頭を上から見てました そこもまた『ただ見ている』状態 そして次のシーンで取り囲む人達を肉体の視点から見上げてました、気が付いた(肉体に戻った)状態でしょうか アレ?っといった感覚で自分を俯瞰で見ていたついさっきの記憶と肉体に戻った感覚がごっちゃになっていたのを覚えてます ここで質問させてください この体験は所謂『死』と同等だったのでしょうか?結果戻れたから死ななかったということでしたらあのまま戻れなかったら感情もなくそこらを浮遊しいつか何かしらの変化により成仏したのでしょうか? 今だから思うことがあります 色々な力が働いていたんだと思います 子供故に助かったのかと思います だけどあれが死者の魂の感覚だとするなら肉体ってなんなんだろうなと、死後って悲しみも辛さもないんじゃないかなと、そう考えさせられるんです 死とは相当状況に左右されるのは分かりました 恨みも嫉みも未練もなければ人の魂はすんなり浄化できてしまうような気もしました 30年以上前の出来事が今でも不思議と全て鮮明に記憶されているんです、魂の経験とでもいうのですかね^^; あまりに鮮明なんです 夢のような感覚です あと最後に 肉体を離れたあと、音がありませんでした 声だけが聴こえてた記憶です 本当に貴重な体験をしたなと思います 変な質問ですが御回答よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 8
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2023/01/24

叔父の自死

叔父が焼死しました。 ここ数年で祖父母が立て続けに亡くなり、祖父母宅に1人暮らしをしていた叔父が、全焼した祖父母宅内で発見されました。 出火原因が不明で自死の可能性を示唆されました。叔父には自死の可能性を周りが疑うような状況がありました。 叔父は妻子と離別し、祖父母と暮らしていました。人付き合いもしていなかったようです。 叔父は家族に秘密にしていたことがあり、推測の域は出ませんがとても追い詰められていた状況だったようです。元々、理由があり影を背負った人生の人でした。 去年の夏、叔父から私にLINEがありました。必要な時しか返信もしない叔父が、他愛無いメッセージを送ってきたので嫌な予感がしました。 母に聞いた所「昨日電話で話したが元気だった」と言われ、そんな気分だったのかなと納得してしまいました。後悔しています。 叔父はプライドを捨てて、人に相談をするタイプではありませんでした。 私と叔父は性格が似ている訳ではありませんが、どうしようもなく隠に引っ張られる気持ちは理解できるので話を聞いてあげることができるのではないか、とずっと思っていました。 ですが叔父の性格上、姪に心配などされると辛くなるかと思え、踏み込めませんでした。 私は小さい頃、祖父母宅に行き大好きな祖父母と叔父に会うことが大好きでした。 大人になりコロナ禍もあり会えないまま祖父母が立て続けに亡くなり曖昧な喪失感がありましたが、祖父母宅に行けば思い出と叔父には会えると思っていました。 全てなくなり、全ての想いが中途半端なままです。 今、私は家庭や仕事もあり、忙しくしています。ふと手を止めると叔父のことが頭をよぎり涙が出てきますが、現実を前にすると叔父のことは意識からなくなる瞬間があります。 そんな自分が申し訳なくなります。叔父は晩年は幸せだったのか、最期はどんな気持ちだったのか、そんなことを考えます。 もっと会いたかったですし、好きだと伝えればよかった。何もしてあげられませんでした。 たくさんの《もしも》を考え、どのもしもでも叔父を救えず苦しいです。 今一番辛いだろう母のことも気遣えることができず、また母や他の大切な人を失ってしまうのではないかと怖い気持ちもあります。 どのように乗り越えるべきなのか悩むと同時に、乗り越えたくない気持ちがあります。 どのような想いで向き合えばいいでしょうか?

有り難し有り難し 23
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祖父母の死を看取れませんでした。

初めまして。 私は今海外在住です。 海外に出てから祖父が亡くなり、先ほど祖母が亡くなりました。 強い後悔と悲しみで押し潰されそうです。 この国に来るたびに死に目に二回も逢えず,呆然としています。 何だか帰って来いと言ってもらっている気さえします。 祖父の死は約3年前でした。 急だったので、ただただ驚きました。 日本に戻り、葬儀には間に合いましたが、法事にも出席できませんでした。 祖父の習慣は日記をつけることで,亡くなった年には "今日は特になし"と付けてあることが多くなったそうです。 それを見て、祖父の寂しさに気づけなかった事、また海外からあまり連絡していなかった事に、後悔の念でいっぱいです。三年経った今も、涙が出ます。 また、祖母はアルツハイマーを患っており、祖父とは離れて暮らしていた為、祖父が亡くなった事は知りませんでした。 祖父は今、何をしているのでしょう? また、祖母が祖父の死を知らないことをどう思っていたのでしょう… 看取れず、またお話もできなかったことを悔やんでも悔やみきれません。 私は祖父の死後、日本に2年半ほど戻っていました。 祖母はその後、アルツハイマーが悪化し、遂には食べられなくなりました。 日本滞在中に、父から亡くなるということを念頭に置いておくように言われていました。 私は、祖父の様に最期を看取れないということがないようにと、自分にも言い聞かせていました。 しかし、その後祖母は食事を少しずつ取れるようになり、私は安心して、私は1週間前に日本を発ちました。 しかしながら、本日息を引き取りました。 こっちに来て、たった1週間。 祖母も看取れなかった…その事が悔しくてたまりません。 また今回は海外にいなければならない事情もあり,葬儀に出席もできません。 祖父母に看取らせてもらえなかったと思う気持ちまで芽生えています。 しかし、祖父とやっと会えたのかな?とも思います。 私はこれからもこの気持ちを背負っていかなければならないのでしょうか。 苦しくて、悲しくて、やりきれません。 後悔でいっぱいです。 どうか、こんな私にアドバイスをいただければと存じます。 長々と失礼いたしました。

有り難し有り難し 37
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