なぜ死を選ぶ事は悪とされるのでしょうか。
私は幼い頃から両親に愛情をもらえませんでした。優しい顔をする反面、親同士は毎晩毎晩、口を開けば私の養育費や世話をどちらがするか揉めていました。
鍵っ子だったので一人でいる時が逃げ場でした。
学校でもうまく馴染めず生きづらさを感じ、中学高校では軽く虐められたりキモいブス死ねなど頻繁に言われてきました。
後に生きづらさはADHDから来ていたものだとわかりました。
逃げ道としてバンドの夢を追いかけましたがメンバーからもずっと役立たずや死ねなど罵詈雑言の嵐。それでも夢の為に頑張りましたが裏切られ解散。
首を吊ろうとしましたがあと一歩踏み出せませんでした。お前はどうせ勇気がないから死ねないと言われた事をとても覚えています。
当時結婚を考えていた人にも浮気され何も持たない日々を今送っています。
どうせ死にたいのだからメメントモリよろしく、いつ死んでもいいようにと夢に向かって生きました。
夢は潰えましたがやりたい事をやり切った気持ちもあります。
今は朝日を浴びても美味しい物を食べても異性の温もりに抱かれても何も喜びを感じません。なぜ生きているのかわからず何も生産性の無い自分に生きてる意味も価値も見出せません。早くお迎えがきて欲しいと、苦しんでは息を吸い、絶望しては息を吐きます。
皆一様に、人は好きに生きる権利があると謳うのになぜ人は好きに死ぬ権利はないのでしょうか。
安楽死制度のようなもので死にたい時に幸せに死ねるほうがいいと思います。
死にたい事が苦しいのではないのです。
死にたい日々に終わりが見えない事が苦しいのです。
誰かの為に生きる事が喜びと言う人もいますが、それは強者の為に弱者の命が薪のように焚べられているだけで
それを使命と呼べる人はいいでしょうが私には思えません。
私より優れた人はたくさんいて私より必要とされる人もたくさんいる。
友と呼べる人もなく、心許せる人もいない私には人生全うしたと心から思える歌に安らかに死ぬ事こそが幸せです。
もがき苦しみ泣きながら死ぬ必要などあるのでしょうか?
心の底から自ら死んでいった人達を悼みます。
一刻も早く安楽死制度を作るべきだと思います。生きたい人が笑顔で生き、死にたい人が安心して死ねる社会を望む事はおかしいでしょうか?
有り難し 25
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