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問答一覧
検索結果: 738件

生きる意味は正しく死ぬ為

私は今23歳です 生まれてから今日に至るまで、生きていて楽しいと思った事はありません 楽しくない人生をこの先何十年も過ごすなら、今死んだ方が楽だ この結論に至るまでに時間はかかりませんでした しかし、自分が思っている程、事は上手く進まず 何だかんだで今も生きています 親に恵まれなかった為に、幼少から耐えがたい苦痛を味わっても尚、私は必死で生きようとしてきました 人がふわふわと何も考えず生きていられる期間は、私の人生に一時も有りませんでした そんな時、ふと「生きる」という執着、固執、の概念が無くなり その瞬間、所謂「ガス欠」になったのだと思います 大人になっても「親」という存在が残した爪痕は残り続け 私の選択肢は限定され、人生の分岐は無に等しいです スタートラインが人より後ろでも、人と同じ位置でスタートする為に、ラインを引き直す努力をする方は沢山居ます しかし、今の私はその気力が無駄に思えてなりません 困難を乗り越えた先に待っているのは その労力に見合った未来である と、誰かが断言したとしても その保証はどこにも有りません 皆、なんとなくで生きているこの世で、そんな保証を求めるのは間違いでしょうか? フィクションの世界なら、悪役ですら大義名分を貫いて「意味のある死」を迎えます そんな信念が有れば、私の人生にも「生きる意味」を見出せるのでしょう しかし、「生きる」為にはその大義名分も曲げなければならないのが現実です そんな現実を生きるくらいなら、私は今死にたいです 自死を止める理由が無い、止めた後の責任を取れない にも関わらず、他人の人生に干渉して、世論で武装した無敵状態の赤の他人が、世の中には溢れています そういう方は何も「生きる意味」を答えられません こういう無責任を良しとする民意が大嫌いです ここにこんな事を書き綴った所で、恐らく 私の自死を止めるだけの回答は得られないのは明白です 自死を止めて欲しい訳じゃない どこかで、こうして口にする事で、生きるだけの目的を、だれかの言葉で偶然見つけられるかもしれない そういう、淡い期待をしているのだと思います 私の人生には生きる意味も、生の実感もありません 今生きている人達は、何故、何の為に生きているのでしょうか?

有り難し有り難し 54
回答数回答 4

滅するべき煩悩とはなんでしょうか

よく回転寿司に行くのでそこで気づいたことを質問です。 煩悩とは何でしょうか。 『煩悩とは苦(ドゥッカ)である』 では終わるので少し掘り下げてみたいのですが、『欲』は生存に必要なものでこれを満たさないと自分の身体の生命維持ができないもの、として『食欲』『睡眠欲』などの根本欲は煩悩ではないと仮定します。 これはブッダも否定しませんでした(否定したら弟子ができる前に死んでた。睡眠不足で目が潰れた弟子もいる)。 次に『渇愛』ですが、これは自身の生命維持には必要でない『性欲』や喜怒哀楽(動物がもっている感情)と慈悲喜捨(善行)などの心(想い)に付随するものだと考えております。 最初は『渇愛』の中に『欲』も入れていたのですが、分けて考えないと生存と平穏はないなと思うようになりました。 では、『煩悩』とは何かというところになってくるのですが、『欲』や『渇愛』に『執着』がくっ付いたものではないかなと思います。 そして煩悩はそれぞれ『貪』『瞋』『痴』に分かれる。 『執着』だけではそれに寄生にする宿主(欲or渇愛)が無ければ『煩悩』にはならない。ただ、執着は一切のものにくっつく可能性があり、一切は煩悩になりえるのではと考えています。 つまり煩悩とはいかに執着を持たないかというところにあるのかなと思うようになりました。 ここで冒頭の回転寿司の話になるのですが、 1.凄くお腹が空いたから食事をしに外に行った。回転寿司を見つけたから入って適度に食べた。 2.すごくお腹が空いたから外に出た。どうしても回転寿司が食べたかったから回転寿司を適度に食べた。 1番は食欲を満たすだけなので煩悩ではなく、2番は食欲に執着がついているので煩悩である。 同じ例えで、 1.ボランティアで被災地に救援物資を送った。 2.ボランティアで被災地に救援物資を送ったが、力足らずだと思って悲しんだ。 どちらも大悲によって行った行為ですが、2番目は足りないという執着が生じているので煩悩である。 出家者は小欲知足と、渇愛のうち動物がもっている感情を滅し、慈悲喜捨に執着が付かないようにし心を乱されることなく過ごし、在家者は欲や渇愛は滅する必要はないが執着が付かないようにする。 ちなみに、十二縁起が全く理解できなかったので、四諦と八正道から経験を踏まえて考えてみました。 アドヴァイスをお願い致します。

有り難し有り難し 49
回答数回答 4

地獄が怖くて仕方ないです

また、ご質問すいません。 前にアドバイスされた通り、祖父母の仏壇にお線香を供え、子供の頃のやらかしや失敗などを手を合わせながら「ごめんなさい」と謝ったりしました。 だけど、また自分の嫌な所ばかり思い出し今度は自分の死後の心配をするようになってきました。 まだ、二十代の小娘ですが、正直に言って地獄が怖いです。 子供の頃に子供特有の残酷さと好奇心で生き物を死なせたり世話をしないで死なせてしまった貰い物のカブト虫の事を思い出したり、謝れなかった事、嘘を付いたり間違いを犯したり人を馬鹿にしたり傷つけたり、悪口や心の中で悪態をつたいり、とんでもない事を考えたり、借りた物を返さなかったりと本当に悪い事をしてきたと思うようになったりしました こっぴどく叱られたり、私自身も嫌な思いをしたり物を返してもらえなかった事もありますし、人の役に立とうとしたり良い事もした事もあると思います。 でも、自分の悪い所を思い出しその後に地獄を思い出して怖くなってきました。 昔絵や絵本で見た地獄を本当に怖がり悪い事をしたら地獄に落とされるという事に怯えていた記憶があったと思うのに、でも、大きくなってそういった感覚が薄れていき人の死に対して無関心な部分が出てきたり地獄を題材としてを扱った漫画やアニメを見てもフィクションだと思って受け流す事もありましたが地獄に行った人が鬼に身体を斬られたり責め具を受けているのを見て怖くなって目を背けた事もあります。 それらを思い出し、また罪悪感が蘇り私が死んだ後に地獄に行く事になったら・・と考えたらとても怖くなり、しかも、本やネットでは相当長い年月を罰で苦しむと書かれていたので本当に怖いです。 正直に言って地獄に行きたくありません。むしろ幽霊になってずっと現世に留まっていた方がいいんじゃ・・でも、それはそれでどうなんだ?と思考がぐるぐるとまわりました。 自分勝手だと思いますが、生前の罪を償う為とはいえ死後も痛い思いや苦しい思いをするのが嫌でたまりません。 違う事も考えようとしましたが、結局また思い出して時に心の中で絶叫したり誰か助けてと思う事もありました。 楽しいと思える事も怖く感じる時もありこの思考を止めるには一体どうすればいいでしょうか?これらの事を思い出すのは何か意味があるのでしょうか? 地獄に落ちないようにするにはどうすればいいでしょうか?

有り難し有り難し 399
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なぜ、不倫はいけないのですか

こんにちは。私には「なぜ不倫はいけないのか」がわかりません。お坊さま方に教えをいただければと思って、投稿しました。 当事者の家庭内にとって、不倫がどれだけの罪なのかはわかります。私とて、もしも自分の夫や親が不倫に走っていたらどれほど悲しいでしょう(実際には未婚ですが)。配偶者の裏切りが相手に与える苦しみや、子どもがどれだけ傷つくか、親類縁者にどれだけの迷惑を与えるかは想像に難くありません。確かに、不倫はその家庭にとって非常に重い罪でしょう。 でもそれが、家庭の外にどんな影響や被害を及ぼすというのでしょう。なぜ不倫というごくプライベートな問題で、仕事や地位を失わなければならないのでしょうか。有名人の不倫は報道されバッシングされますが、その人たちの不倫が一般社会にどんなダメージを与えるというのでしょうか。バッシングをしている人たちは、いったいどんな正義のもとに、当事者を叩く権利があるというのでしょうか。 それに、「人のものに手を出すな」という言い方も理解しかねます。恋人同士でも結婚しようとも、あるいは家族や親子であろうとも、誰かを誰かの所有物にすることなど不可能だし(心なんて特に)、そういう考え方は傲慢で非人道的であるとさえ思えます。 また、恋や愛の価値を比べたり、第三者が判定したりすることなどできません。結婚していても互いを罵り合う夫婦もいますし、不倫であろうとも互いを心から大切にしているカップルもいます。そのどちらが正しいのかなんて答えは、どこにもないように思えます。 よろしければ、お坊さま方のお考えをお聞かせください。どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 376
回答数回答 4

検体になる(2)

前回「検体になる」で、臓器移植の話になり、お答えが、賛成派と反対派に割れました。お勧め頂いた本を読んでから、改めて、私の意見、意思をお伝えするということで、しばらくお時間頂くことに致しましたが…。 ところで、その前に、ちょっとお聞かせ願えますでしょうか。大谷派は「臓器移植反対」の立場にある、というのは分かりました。「臓器」を「移植」することに反対なのですね、では、「献血」や「輸血」は、仏教的にはいかがなのでしょうか?「輸血」は「移植の簡単バージョン」のようなものです。「輸血」も生きている人間からのご厚意で頂くようなもので、「輸血」させてもらえなければ、亡くなる可能性もあります。宗教的な理由で「輸血を拒否」する患者様もおられます。その場合は、「輸血」が必要になった際にどのような処置をとるのか、話し合い&説明する必要があるのですが、そのことを『エホバの証人』という名で資料ファイルしています。仏教の世界で、臓器移植に賛成、反対の意見があるのならば、中には「輸血拒否」を望む方もいらっしゃるのでしょうか?前もって手術等に備えて、自分の輸血用血液を採血しておく『自己血採血』という方法を選択することも出来ますが、緊急時には、他人の血液を「輸血」するしか方法がない場合もあります。もしも、「輸血を拒否」する方がおられるのでしたら、どうなさるのかなと…。それに、「献血」は生きている皆様のご厚意で成り立っていますが、その「献血」自体、若者の減少、高齢者の増加で危機的状況にあります。さらに言うと、特種な血液型の場合は、血液センターに登録され、自由に!ではなく、その血液型の血液を採血させて頂きたく為に、必要な時に呼ばれて「献血」となる人々もいます。ややこしい話になりますが、その辺りを踏まえた上で、ご説明頂ければと思い、再度、質問させて頂きたくことに致しました。お返事お待ちしております。

有り難し有り難し 87
回答数回答 5
2022/11/15

入信しなければならないですか?

ここ1.2年よく生きる意味を考えます。そこでネットで調べたら仏教での生きる意味や、それに連なる数々の話が出てきました。 それで形から入ってみようと、両手を合わせて生きる意味を考えようとしました。すると不思議と落ち着き、考えもまとまり辛さも軽減しました。 またすぐツイッターやYouTubeを見ようとするので、そのたびに煩悩、煩悩とつぶやくと意外と自分を制することができます。 すごいと思ったので、手を合わせる時に使おうと、ネットでちゃんとした数珠も買いました。 そこで、ふと思いました。自分は無宗教なのに手を合わせていいのか、数珠や数珠のブレスレットを身に着けていいのか、仏教の教えの美味しい所だけを掬っていいのか。自分に合う宗派も探して、自分と向き合う臨済宗が少し気になりました。 このような場合はどうすればよいのでしょうか、宗派に入らないといけないのでしょうか。また入信しなくても仏教徒を名乗ったり、数珠や、手を合わせるのはよいのでしょうか。 また少し浅はかだと思うのですが、臨済宗が少し気に入ってしまったので(響きがかっこよかったり、ぱっと見の教えが良かった)臨済宗用の数珠ブレスレットは身に着けてよいのでしょうか。これもちゃんと入信してからの方がよいのでしょうか。 多くてすみません、勝手に仏教徒を名乗る場合、自分は無宗教ではなくなり「自分は臨済宗だよ」となると思うのですが、それでゆくゆく臨済宗がしっくりこなくなり、他の宗、たとえば浄土真宗でしたら、急に「今は浄土真宗を信じてる」などと変えてよいのでしょうか。それとも一つ一つ手続きをしなければならないのですか? 宗教に触れてこなさすぎた為、どこまで許されるのか、こんな手軽に名乗れるわけがないと思ってしまいます。 長々と失礼しましたが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 25
回答数回答 3

死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 73
回答数回答 5

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