仏教では 宗派が違うとあの世で別れ別れ 霊になっても生き別れになる と言う解釈になるのですか? 私は歴史小説などを読むのが好きです そこで出てきた話ですが 徳川家康が亡くなる前、病床で藤堂高虎(伊勢国津藩主)に対して 「宗派が違うからあの世では会うこともできない、今が名残惜しい」 のようなことを言い 藤堂高虎が 徳川家康と同じ宗派に改宗した と言う話があります。 これは 仏教では当たり前の考え方ですか? もし仏教ではなく、結婚や養子縁組などで 相手の宗派だけでなく宗教そのものまで違っていた場合 あの世ではもう会えないという考え方が一般的なのですか? ちなみに 徳川将軍家の菩提寺は 増上寺と寛永寺があったと思うのですが 宗派は違います。 どちらに葬られるかはそれぞれの将軍が遺言を残していたと思うのですが 先代将軍と違う寺に葬ってほしいと遺言した場合は 父親、兄、養父などには会えないで構わないという気持ちだったのでしょうか? そうなると 徳川家の血筋で かつ 江戸時代後期は 養子縁組を繰り返した 会津藩の場合は 代々仏教ではなく 神道でしたが 養子に出る→死後は親に会えない と言う覚悟が必要でしたか?
夫が急死しました。 50歳前とまだ若かったため、葬儀や宗教のことなどあまりよく話あわないままでした。 葬儀に際して、夫の兄弟が宗派のお寺に連絡をとってくれて無事に葬儀は済みましたが、その後の法要をお願いするにあたり妻である私に入信するように言われ、夫の供養のためにと思い入信しました。 (結婚した当初に宗派の話はでましたが、戒律が厳しいので無理に入信しなくてもいいと夫に言われ、その時は入信しませんでした) 夫自身も特に熱心な信者ではなかったため(お寺には行かなくても、墓参りなどはまめに行き先祖供養には熱心でした)私もあまり夫の信心する宗派のことをよく知らないままでいました。 しかし葬儀を行い、その後の供養のことなど確認すると、他の宗派に比べて色々と違うことがあり戸惑うばかりです。 そもそも私自身にその宗派の教義に心打たれての入信ではないから、その決まりごとの多さがなんだか狭量な気がして仏様とはもっと心が広いものではないのかとなんだか悲しくなってしまいます。 とはいえ、若くして亡くなった夫のためにきちんと供養はしてあげたいとう思いも強いです。 四十九日も近づき、仮祭壇を返却する日ももうすぐです。 色々用意しなければいけばいのに、仏壇がその宗派専用のものでなければいけないとか、位牌はおかないとかの決まりごとがいちいち気になって気持ちが滅入ります。 供養は残されたものの気持ちなのだから、私の好きにしたらいいんだという思いと夫をきちんと供養してあげたいという気持ちがせめぎあって夜も眠れません。 どうしてもっと一般的な宗派を信心してくれなかったのかと今は亡き、夫の両親をうらめしく思う気持ちさえわいてきます。 熱心でなかったとしても夫が入信していた宗派の戒律を守り、そのしきたりに則って供養するのが正しいことでしょうか。 それとも戒律に違反しても私がこんなふうにしたい、というやり方で供養してもいいのでしょうか。 何卒ご教示ください。
以前に婚家の宗教についてご相談させていただいたものです。 前回はありがとうございました。 その後、今でも毎日お経をあげるお勤めをしています。まもなく49日を迎えます。 今回は私が手術を受けるため、仏様に救いをお願いしに行きたいのです。 そこでお聞きしたいのは、毎日お経を読んでいる宗派ではない、違う宗派のお寺様にお願いに上がるのは、失礼にあたるかという事です。 今は入院のまえで、落ち着かなく、心の拠り所がなくて、神前にもお参りしたいとも思っています。 わがままで身勝手ですが、やはり良くない事でしょうか。 何か正しい作法があれば教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。
ぶっちゃけ寺というテレビ番組に5人のお坊さんが出てて、他の宗派が羨ましいと思ったことありますか?という質問があってお坊さん全員があると答えてて面白かったのですが、やっぱり羨ましいと思うときありますか?
私は宗教宗派に縛られるのが苦手です。 無限なるこの大宇宙の如く、真理の大海を自由無碍に飛びまわりたいのです。 これは罪 でしょうか❓ (個人的には高野山真言宗で家系の宗派は、浄土真宗本願寺派です。改宗するつもりは、ありません。)
いつもお世話になってます。実は友人にクリスチャンの人がいるのですが、カトリック、プロテスタントも仲が悪いし、プロテスタント内でも色々な教派がありお互いに仲が悪いそうです。それに比べ、仏教は宗派に別れていても昔はともかく現在は仲がよくいい関係みたいに見える、うらやましいと言ってました。そこで質問なのですが宗派間でお話し合いとか協定?とかされているのでしょうか?
こんにちは。 近々、母の49日があります。私たちは無宗派なので、お葬式の際には葬式屋さんに手配していただき、初めて聞くお経、初めて見る作法でした。今のところ、49日もそちらのお坊さんに来ていただく予定です。 しかし私たちが馴染みのある、覚えている部分もあるお経は、母方の祖父母の法事の際などにお世話になっている、浄土真宗 東本願寺のお経です。初七日〜49日の法要は省略させていただいてるので、7日ごとに自分たちで浄土真宗のお経を唱えています。 お仏壇も新しく購入しましたが、お仏壇に祀るご本尊・両脇仏の掛軸も、無宗派だと何も無しと言われたので、おじいちゃんと同じにしようということになり、仏壇屋さんに浄土真宗とお伝えして浄土真宗の物を購入しました。 そこでお聞きしたいのですが、 このような状況で、よく知らない宗派のお坊さんに来ていただいてもいいでしょうか? お経も、作法も全て違うので、私たちもですが、お母さんも戸惑ってしまうと思います。 もし、やめておいたほうがよければ、おじいちゃんのときにお世話になっているお坊さんに頼もうと思っています。 よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。 恥ずかしながら父の葬儀で勘違いから宗派を間違えてしまいました。 日蓮宗と思い、葬儀社からの紹介で日蓮本宗のお坊様に葬儀を行って頂きました。 その数日後に実は真言宗だったことがわかり、急いで葬儀社に連絡し、日蓮本宗のお寺にはお詫びをし、改めて真言宗のお寺を紹介してもらいました。 家で、シンバルのようなものやお水を使っての法要、そして新しい戒名を頂きました。(先に頂いた戒名のご位牌はお焚き上げしてくださるとお持ち帰りくださいました。) その折、来て頂いたお坊様に詳しい事情が伝わっていなかったのか、 法要後「この度は改宗されたのですか?」と言われました。葬儀で宗派を間違えたと伝えたところ、「そうですか」か「なるほど」のように言われました。 同じような質問をされた方への回答に、このような場合は受戒の儀式を受け直す儀式(改葬)をして新しく戒名を頂くとあったのですが、今回して頂いた(改宗?)法要と、回答にあった改葬といわれる儀式では何か違うのでしょうか? 今回の方法で良かったのでしょうか? 49日、初盆と真言宗のお坊様に来て頂いてますが、葬儀での宗派を間違えるようなことになり、ちゃんと父の供養はできているのでしょうか?
仏教と言ってもいろんな宗派があるようですが、それぞれどう違うのですか?難しいことはわからないので、一言で特徴を教えてください。 例えば浄土真宗だと「他力本願」ですか?
祖母が亡くなった時に父が兄弟が口論となり絶縁状態になった為にお墓や宗派なども解らず無宗派なのですが、ご先祖様をご供養したいと思い私のご縁を感じている天部をご本尊としてお祀りし先祖代々の小さなお位牌もお祀りしております。先日、木製の小型五輪塔を購入したのですが開眼供養してご本尊のお隣に設置してもよろしいでしょうか。お位牌はご本尊より下段に、設置しております。アドバイスよろしくお願い申し上げます。
日本には多くの宗派がありますよね。いままで私はお坊さんに対して、「おしょうさん」と呼んでいたのですが、全宗派の全部のお坊さん・・には使えないことを最近になり知りました。 和尚-Wikipediaによりますと・・・ 1.和上(わじょう) 律宗・浄土真宗(儀式指導者に対してのみ) 2.和尚(わじょう) 法相宗・真言宗など 3.和尚(かしょう) 華厳宗・天台宗など 4.和尚(おしょう) 禅宗・浄土宗・天台宗など 5.和闍(わじゃ) さらにさらに、 6.上人 7.聖人 8.そのた 調べれば調べるほどゴチャゴチャしてきました。 みなさんの宗派では、上記1~8のどれをお使いになりますか?祖師にだけ、宗祖にだけ、始祖にだけ、ふつうの僧侶に対して・・などお教えねがえればと思います。
お坊様方には大変失礼な相談になってしまうと思います、 申し訳ございません。 2月に母が亡くなりました。 葬儀の打ち合わせで宗派を聞かれたのですが、わからず。 遠方に唯一の父方の叔父がいるのですが、闘病中で確認取れず。 以前両親が元気だった頃に聞いたことがあったのですが、 2人とも「わからない」との事で、そのままにしてしまいました。 メモリアルパークに両親がお墓を用意していたので 電話して聞いたのですが、 「宗派の欄には何も書かれていなかった」との回答で。 斎場の方は「ご家族で相談して宗派を選んでくださって良いですよ」 との事だったので、 兄が以前読んだ浄土宗関連の本がとても良かったと話していたので、 浄土宗でお経をあげて頂きました。 葬儀が終わり、ふと実家の父方の祖父のお仏壇を見たら 真言宗でした。 (無知でお恥ずかしい限りですが、お仏壇を用意する段階になって 宗派によって御本尊様も違う事を知りました・・・) 祖父は父が子供の頃に離婚していて、離婚後は祖母の名字になり 母と私達兄弟は、お棺の中の祖父が初めての対面でした。 亡くなった祖母も、父も叔父も祖父を嫌っており、 特に祖母と叔父は 「葬式はするけど仏壇や位牌を持ちたくない」と言っていたので 私の母が祖父を連れて帰りました。 その後は父も兄も私も、母にまかせっぱなしでした。 祖父のお墓があるのかどうかもわかりませんし、 祖母のお墓も遠方なので何処にあるかわかりません。 このような状況で、宗派がわからないのに 浄土宗でお経をあげて頂いた事は失礼だったのでしょうか。 母は穏やかに過ごせているのでしょうか。 家族は浄土宗でお経をあげて頂いた事を感謝しており、 朝晩、南無阿弥陀仏を唱えていますが 阿弥陀様やお経をあげて下さったお坊様にも失礼なのかと、 母は大丈夫かと、今さらながら不安になっています。 祖父と祖父の先祖代々のお位牌が実家にあるので、 数日おきに行って手を合わせていますが このまま祖父のお位牌を誰もいない実家というのも気になります。 宗派が違うお位牌を同じ部屋というのは良くないでしょうか?
お盆で夫の祖父(戦死)のお墓に墓参りに行きました。 戒名を見ると◯◯院釈◯◯居士、となっていました。 夫は自分の家のことに無関心で、宗派のことなど全くわからないと言っています。 この戒名のお宗旨を教えていただけませんでしょうか?
宗派が色々あることで、どうしても救われない気持ちになります。それぞれ宗派が違って、宗派によって違う念仏もあると思います。僕の実家(父方)は浄土宗で南無阿弥陀仏と言います。でも、母方の実家は宗派が違います。ですので、別の念仏をとなえます。浄土宗では、南無阿弥陀仏というものは極楽往生するという考えがあり、倶会一処という考えもあります。僕はこの教えがこの世での、唯一の心の拠り所です。ただ、母方の実家の宗派が違うということだけが気掛かりなのです。宗派が違うということは、となえる念仏は当然、違ってきます。つまり、僕は母方の祖父、祖母と再会できないということになると思うのです。その不安ばかり募って、勇逸あった拠り所もなくなりそうで凄く怖いです。
ご閲覧ありがとうございます。 この度新しくお仏壇を迎えるにあたって悩んでおります。お力添えお願いします。 私の実家は四国で、母は15年前に亡くなりました。 その時は母方の祖母の強い希望で母方の宗派浄土真宗で葬儀を行い、 お仏壇、過去帳は母の実家、お骨は母方のお寺の納骨堂にしまってあります。 そして一週間前に父が亡くなりました。 父は真言宗なので真言宗で葬儀を行いました。お仏壇は父の実家です。 そこで私がつい最近家を新築で関東で購入したため、小さいながらお仏壇を購入しました。 49日法要が終わりましたら、位牌を私用にもう一枚頂き、私のお仏壇にお祀りします。 なお、余談ですが、今後の法要は 母は母の実家でもう一回法要を終えたら永代供養します。 父は父の実家で今後法要します。 そこでなのですが、 私のお仏壇に父の位牌と 母の過去帳もしくは法名軸を私用に、もう一枚お作り頂き、祀ってもよろしいのでしょうか。 私の家では法要はしない予定ではありますが、宗派の違う位牌と法名軸を並べてもよろしいのでしょうか。 私にとってはかけがえのない両親なので、安らかに見守ってくれたらこれ以上に嬉しいことはないので悩んでおります。よろしくお願いします。
先日、主人の母が亡くなりました。母は、主人の父とは離婚してます。 葬儀日時の都合で初七日まで日蓮宗のお坊さんに戒名なしでお願いし、それ以降は主人の祖父の代から続く神道ですると、主人は言ってますが、途中での宗派の変更は可能なのでしょうか? よろしくお願いいたします。
宜しくお願いいたします。 先日、うちのお寺の宗派とは違うお寺に行き、お札をいただきました。 私がお慕いしている仏様のものです。 ご先祖様のお仏壇にお祀りしてもよいものでしょうか? もしダメだとすると、自室にお祀りしてもかまわないものでしょうか? 神棚にお札をお祀りするお作法はネットでもよく出てくるのですが、 お寺のお札のお祀りの仕方は出てこず困っています。 宜しくお願いいたします。
とある事情で実家に帰ることができず、檀家を探す上で宗派が分からず困っています。(実家の仏壇を見れば分かるのですが) 疑問に思っているのは、実家の檀家のお坊さんが祖母のお葬式の際のお経の中で、「開経偈・懺悔文・三帰・三竟・十善戒」「般若心経」「南無大師遍照金剛」を唱えるので、真言宗かと思ったのですが、最後に「南無阿弥陀仏」を繰り返していました。 檀家は高野山真言宗のお寺だったと思うのですが、とても田舎でそのお寺しかなかった・・・ということもあるのかもしれません。ご本尊は阿弥陀如来だったと記憶しています。 このような記憶ですが、宗派は分かりますでしょうか? また、今後「阿弥陀如来」をご本尊にして、真言宗のお寺に檀家をお願いするということもあっていいのでしょうか?
お世話になります。日々、皆様のお悩みとお坊様の御回答を拝見して勉強させて頂いております。有難うございます。 本日は、仏教各宗派の、流派について質問させて頂きたいと思い投稿致しました。 例えば真言宗を例にとりますと、高野山真言宗、智山派、豊山派、醍醐派、新義真言宗等々の流派があります。 また、浄土系の宗派もまた然りです。 これらは多くの場合宗祖の教えの解釈による相違かと思われますが、禅宗の場合は、「曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗」であって、事に曹洞宗の場合は真言宗や浄土系のそれとは違い、流派がないと聞きました。 これは真実でしょうか。 真実であるとすれば、流派に分派しなかった理由をどうお考えでしょうか。 ご教示頂ければ幸いです。
例えば浄土宗の檀家で、普段は念仏を唱えているけれど、ときどき座禅や阿字観に参加したり、お護摩に参加する。 そう言う人が知人に居ます。 私の場合、浄土宗で冠婚葬祭も勤行も、阿弥陀様メインではありますが、同時にお不動様と大黒天様に惹かれ、こちらも勤行しています。 (浄土宗のお寺にも多くは無いですがお不動様をお祀りしている所があるので、大きな軋轢は無いだろうと思いました) 最近、一般向けの仏教の啓蒙書でも、そうした「宗派にこだわらない」立ち居地から仏教を紹介している本も少なくないように思います。 私も、とある有名な仏教解説者の影響を受けて、こうした立ち居地が、個人的に合うように思い、そうしてきました。 ただ、色々と仏教を勉強していると、「そうした信仰はよくない、宗派は1つに絞るべき」と言う意見にも、しばしばぶつかります。 最近では、浄土宗の檀家の私が、護摩に参加するぐらいならともかく、結縁灌頂まで受けるのはやり過ぎかな? と悩んだりもしています。 お坊様は「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか? この質問は聞きずらいですし、お坊様がたもお答えしずらいかもしれませんが、「宗派にこだわらない」一般仏教啓蒙の影響を受けた者には、けっこう切実な悩みです。 よろしければ、ご意見を伺えたら幸いです。