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hasunoha 問答検索結果 : 「 忘れられない」
検索結果: 8374件

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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「モノ対象」の、思い通りにいかない怒り

お世話になっております。 普段からhasunohaで様々な問答を拝読しておりますが、私がその問答検索でよく用いるワードは「怒り・いらだち・イライラ」です。 人間関係で苦労されている方がほとんどですが、今回は「モノ」相手のお話ということで、お知恵を拝借できれば幸いです。 何かが引っかかる、倒れる、落ちるといった、不本意かつ都合の悪い、想定外の現象が昔から大嫌いです。 器に水を注ぎ入れる →きちんと器が受け止めてくれることを期待する →ところが気がつけば卓は水浸し →どうやら器のどこかにひびが入っているようだ ここまでが事実であり、これ以上自分で余計な感情の修飾をしない、「妄想」しないことが最善だと学びました。 そう頭では理解したつもりでも、怒りに火が付いてしまいます。 その火の付き方は、 「○たばれよ」「ぶっ○すぞ」「お願いだから○んでくれ」 これらの言葉を、心の内で自動的に吐き捨てます。 こういった毒を含んだ言葉で脳を瞬間的に麻痺させないといけないくらい、毎度毎度日常のことでショックを受ける臆病な心です(せめて口には出さないよう留意しています)。 先述の言葉を意訳すると、 なんで俺の邪魔をする! 余計な仕事増やしやがって、この役立たず! 水すら保てないなんて、ただのゴミだ! 無生物の分際でイライラさせやがって! 何事も思い通りにならないのが常。 思い通りにさせようというのが、人の、私の煩悩です。 それでも、他人が思い通りにならない現実と折り合いをつけるのに日々精一杯で、「モノ」相手にまで余裕が持てていません。 こういった時は呼吸を数えるなど、身体感覚に意識をすり替えるのがいいのですよね。 ただ日々の仕事の流れであったり、台所で何かやりながらだとなかなか手を止めることが難しく、実践できていません。 これでも昔に比すれば八つ当たりしなくなっただけ、成長した方なのです。 それでもまだ、無駄に反応するばかりの心を持て余しています。 いい年齢の大人のはずが、心はいつもささくれだち、不安定に波打ち、せめてもとそれを周囲に悟られぬよう努める日々の中、他ならぬ自分自身が苦しい思いを抱えています。 誰も幸せにならない悪癖は卒業し、ゆったりリラックスして生きていきたいです。

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生きるのは苦しみ?

うつ病(持続性気分障害)の治療を10年近く受けていいる者です。 先だっては、お坊様方からのメッセージをいただきありがとうございました。世の中には良い人もいると分かり嬉しかったです。 前回の質問よりも「命」について突っ込んでお尋ねします。 生きているのが苦しくて苦しくて楽になりたいです。 死にたいと思うことがあります。 【 自分の命であっても、なぜ命を絶ってはいけないのでしょうか? 】 「生きたくても生きれない人がいる」「生まれてこれなかった命がある」「困る人がいる」「悲しむ人がいる」「ひとつしかないから」「死ぬのは怖いから」「ご先祖様からの預かりものだから」「命のリレーだから」「なかなか人間に生まれるチャンスはないから」などの答えに頭では理解出来ます。 しかし、死について考えているときは負のスパイラルの真っただ中にいるので、自殺のストッパーに全くならないのです。 本で読んだのですが、「お釈迦様も生老病死を苦しみとおっしゃった」そうですよね?つまり生きることも苦しみ。 だから修行して解脱し、二度とどこの世界にも生まれないようにするのですか? もしそうなら個人的にはしっくりきます。(でも結局は生きていてもつまらないですよね。) こんな質問をしていますが、本当は死にたくないという自分もいると思います。死にたがりの生きたがりなのでしょう。 お答えをいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

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夫が急死しました…

平成30年4月24日、夫が急死しました(享年42歳) 12日後に誕生日を迎えるはずでした。 前日は普段通りに生活していました。 朝起こしに行った時に布団の上でうつ伏せになって動きませんでした。 心肺停止で病院に搬送され、その後死亡確認。死因が特定出来ない為に病理解剖をしました。結果、死因は虚血性心疾患。 家に帰って来た夫は体と頭が包帯でグルグル。でも顔は寝ているように安らかでした。 普段から、もっと気をつけてあげていれば… 解剖なんて承諾しなければ良かった… 本当に後悔ばかりで申し訳なく思います。 悲しみでいっぱいの時に、夫の親族から酷い仕打ちを受け、亡くなった夫の事を悪く言われました。 私は姻族関係終了届を出しました。 なので、夫の遺骨は夫の祖父と父親が眠るお墓には埋葬せずに、お寺で預かってもらっています。 今すぐには無理だけど、私が夫のお墓を建てて埋葬するつもりです。 私の大切な夫であり、子供達にとって大切な父親です。親族から悪く言われるのを我慢してまで付き合っていく事は出来ません。 祖父、父親と同じお墓に埋葬しない、親族関係を終了した等… 私が勝手に決断してしまった事で夫が成仏出来なくなりますか? 又、 まだまだこれからって言う時の急死、夫は後悔の気持ちだけを持ったままなのでしょうか?

有り難し有り難し 33
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彼を疑っています

彼とは20年以上付き合ってきました。 最初は不倫でしたが15年ほど前に離婚したと言われたんです。 それ以来高齢のご両親の介護のため仕事もままならない彼に お金を貸し続けました。 生活費はもちろん、入院や施設の入居代も立替えました。 彼の交通違反金、車の購入費、税金など全て私が払ってます。 結婚なんかどうでも良かった。生きていてくれればいいとそれだけを願って 支えてきたつもりでした。 その彼は3年前から自分は癌だと言ってます。 私はまた治療費を貸しました。そしてその病気の患者会に入って病気の 情報を集め始めてからおかしいなと思い始めたんです。 同じ頃嘘の一つがわかりました。離婚してなかった。 でも病気は本当だと言います。平均余命3年だと。 今年3年目、生きていてと願う気持ちは今も変わりません。 でもずっとだまされていました。ちなみにお金も全く返してくれません。 もし病気が本当なら彼を責めて返済を催促するなんてやってはいけない事 なのかもしれません。 何であの時責めてしまったんだろうと思いっきり後悔するかもしれない。 でも疑わしいところがいくつもあります。 20年も好きだった人を疑う自分がすごく嫌でもあり、 貸したお金に執着する自分ももちろんいて 今後の対応に思い悩んでいます。

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僧衣は何故、あんなに暑そうなのか

お坊様方、お盆のお勤めお疲れ様です。 それにしてもお坊さんの僧衣、ただでさえ暑い中、何枚も重ね着してらっしゃるのは、見ているこちらが辛くなります。色だって(宗派にもよりますが)黒とか紫とか濃い色ばかりだし。どんなに暑くても袖まくりすらできずに法務を行うお坊様には心から尊敬いたします。 余計なお世話ですかね?修行を積んだお坊さんなら大丈夫? クールビズの僧衣バージョンみたいな、略式の冷感服って無いんでしょうかね。もちろん僧衣の色や形式にはそれぞれ大切な意味がある事は知っているのですが、さすがに近年の暑さは酷すぎます。 色々意見はあるでしょうが、個人的には、服装は形式よりも快適なものを着て欲しいと思います。率直な話、ジンベイや作務衣に近い服装でも良いんじゃないかと思ってます。何も僕等は服に拝んでもらってる訳じゃないんだし。 総本山にメールででも申し入れしようかなと思うのですが、余計なお世話でしょうかね。あるいは無駄な事でしょうか。伝統もあるものだし、急には変えられないとは解るのですが・・・ それとも、近年の僧衣には涼しくなるような工夫が色々されてるんでしょうか? ともあれ、お坊様方大変お疲れさまでした。 しばらくは涼しい所でお過ごしください。 (伝統を軽視するような言い方で、かえって不快にさせてしまったらすみません。またこのサイトに相応しくない質問であれば、放置して下さい。2、3日回答が無ければ削除します。)

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努力することが怖くて困っています。

 3年前から努力しようと思うとひどい不安感に襲われ(体調が悪くなるほど)、やらなければいけないことがなかなか手につきません。不安と向き合うのが億劫と言えばいいのでしょうか、自身のないことに対峙するといくら頑張ってもダメだという気持ちでいっぱいになってしまいます。  このような状態になってしまった背景には教育実習があります。高校3年生のときから、勉強はもちろん、趣味も含めてすべての事を教師になる糧となるように考え努力してきたつもりです。しかし、教育実習のときに、今までの疲れと完璧主義が相まって、頭が真っ白になるほど授業案が手につかなくなってしまいました。泣きながら担当の先生に相談し、何とか完成しましたが、担当の先生には「勉強が足りない」・「中学生より子ども」と言われ、軽蔑した目で見られてしまいました。また、他の実習生(友人含む)にも心配のレベルを越えてどん引かれてしまい、もう何をどうすればいいのか分からない状況に追い込まれてしまいました。  それからは、わたしはどんな努力をすべきだったのだろうか、いつから努力の仕方が間違っていたのだろうかと悩む毎日でした。そうしていつしか自信をなくして、好きなことも好きでなくなり、向上心もなくなりました。死んではならないから生きている感覚になりました。努力をすることが億劫に感じるようになったのはそのときからです。  このままではいけないと、いろんなサイトを見たりカウンセリングを受けたり、メンタルの勉強をしたりしてして、学校の課題はできることから少しずつやってきました。それでも期限内に課題ができなかったり、失敗ばかりで、不安感は増すばかりです。良いようには何も変わりません。  最近は卒論も間に合いませんでした。ずっと応援してくれた先生や家族、友人に申し訳ないです。頭の中ではみんなのために頑張らなければいけないのはわかっています。でも、最近はもう努力する気力もなくなっていまいました。努力するくらいならいっそ死んでしまいたいとすら思うこともあります。  このままでは心の底からクズ人間になってしまいます。わたしはどうしたらこの状態を抜け出せるでしょうか?どうしようもない質問で申し訳ないですが、どうかアドバイスをいただきたいです。また、具体的にどのような行動をしたらいいのかあれば、教えていただければ幸いです。

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私は物事を考えすぎているのでしょうか?

はじめまして。 私は長い間、それこそ中学生の頃から、生きる事について自分なりに考えて参りました。 幼い頃は、生きるとは正しく(簡単にいうと道徳で習うような基本的なこと)在るよう努め、幸せになる事と思っておりました。 しかし、今までを振り返ると、正しさは私の人生において、幸せになる事とは異なる存在でした。 なぜ嘘をつくのか、なぜ陰口をいうのか、なぜ優しくしないのか、なぜ相手の立場に立って話をしないのか、なぜ傷付け傷つけられるのか… これらのある種意味のない疑問を持ち考え続けたことで、大切な人達にも息苦しい思いや悲しい思いをさせてきことがあると思います。実際に、そこまで正しく生きれない、お前を見てると辛いと言われてしまったことがあります… また、私自身も、正しさに執着し過ぎている為か、怒り悲しみを抑え込み、何よりも叶えたい強い望みも、他者の悲しみの上でしか成立しないと思うと何もできず、消化出来ない感情や気持ちとの矛盾で頭と心が度々悲鳴をあげます。 (勿論、抑えきれないない時もあります。その時は自己嫌悪で悲鳴をあげております…) そんな時にであったのが「人は苦しむためにこの世を生きる。現世で苦しみカルマをかることで、生まれ変わりの輪から抜け出すために人は生きている。」という一文でした。 おかしな話ですが、とても救われたきがしました。幸せにならなくて良い、正しさを求め苦しむことは、間違いではない、と言われた気が致しました。 ただ(だいぶ長い前説となってしまいましたが…)本当に根本的な事なのですが、正直、ここまで考えて生きる必要があるのか、疑問に思う自身もおります。 身近な人たちにこの様な話をすると、そこ迄考えなくて良いと言われてしまいます。 私は…考えすぎなのでしょうか? もう少し気楽に、幸せを求める方が健全なのでしょうか… (ただ、私は現在も決して不幸ではなく、むしろ感謝がつきない日々を送っておりますので、幸せと言う言葉には少し語弊があるかもしれませんが…) 長文の割りにあまり意図が伝わりにくい内容となってしまい申し訳ありません。なるべく素直に頭の中の言葉を書き出させて頂きました。 ご意見をお聞かせ頂けましたら幸いです。 どうぞよろしくお願い致します。

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極楽浄土に往生し、成仏した後は?

死後の世界については生まれ変わるとか、天国に行くとか地獄に落ちるとか、さまざまな考え方がありますが、私は死んだ後の世界は死ぬまで分からないので、その時に考えようと思っていました。 ですが、今年に入って長年共に過ごしてきた愛猫を亡くし、その子に天国から見守っていてほしい、自分が逝った時は天国で待っていて欲しい、迎えに来て欲しいと思うようになりました。とても自分勝手な理由ではありますが、天国(亡くなった生き物が行く世界)が存在していて欲しいと今は思っています。 数日前に縁あってこちらのサイトに辿り着き、死後についてのさまざまな質問・回答を興味深く読ませていただきました。 私なりの解釈ですが、仏教で言う天国とは極楽浄土のことだと認識しております。 極楽浄土へ行きたいと願い、念仏を唱える事で、阿弥陀様が極楽浄土へ往生させてくださる。そこで成仏するための修行を行う。 成仏するとは、「煩悩を手放して真理を悟り、仏になる事」という認識でよいでしょうか。 それでは、仏になった後は?という疑問が生まれました。 極楽浄土から、娑婆世界を生きる自分の家族や親しい者を見守るのでしょうか。それとも先に成仏した親しい者たちと、共に極楽浄土で穏やかに過ごすのでしょうか。自分より後に極楽浄土へ来た者たちが成仏するお手伝いをするのでしょうか。 極楽浄土で永遠に過ごすのではなく、娑婆世界を生きる者を救うため、気付きを与えるために、姿を変えてまた娑婆世界に生まれるのでしょうか。 私は極楽浄土で穏やかに愛猫と過ごしたいと願いますが、それも執着、煩悩になりますよね。この煩悩は生きている間は手放せそうにないのですが、極楽浄土で修業し成仏できたら、また愛猫との関係も変わってくるのかもしれません。 成仏したその後の事までは考えず、阿弥陀様におまかせすれば良いようにしてくださるのかもしれませんが、ふと疑問に思ったので質問させていただきました。 過去の質問から、「お釈迦様は死後の世界については、説かれなかった」という回答もありましたので、確かな答えはないと思いますが、どのような解釈をされているか、教えていただけると幸いです。

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オタク趣味は悪いことなのでしょうか

両親に私の趣味を受け入れてもらえず悩んでいます。 私はアニメが大好きです。しかし両親は私の趣味を全否定していて、なんとかオタクをやめさせたいと思っています。 でもそう簡単に趣味を辞められるはずもなく、親に隠れてアニメを見たりしていました。 でもさすがに自分の趣味も満足に出来ない環境に嫌気がさして、今年、地元を離れて東京の大学に進学し一人暮らしを始めました。 誰にも気を遣わずに自分の好きな事ができるのが楽しくて仕方なくて、毎日頑張れるのはこの楽しみのおかげだという程でした。 私はきっと大人になってからもアニメオタクを辞める事は出来ないし、それどころか私の日々の生活はこの楽しみを中心に回っています。 一人暮らしをはじめてしばらくは毎日を有意義に過ごせていたのですが、すぐに親にオタクを続けているのがバレました。 両親は私のオタク趣味にお金を使われるくらいなら仕送りは辞めると言うし、そんなことをさせるために一人暮らしを許した訳ではないから大学を辞めて実家に帰ってこいとまで言うし、散々に貶されました。 私はバイトはしていますが、仕送りなしで自立出来るほどの給料はありません。 だから毎日切り詰めて、決して多かった訳ではない仕送りも工夫して使って、自分の趣味に使うお金を作っていました。 アニメが好きであることは、そんなにも悪いことなのでしょうか。 母には「親の稼いだ金を使って一人暮らしをして、遊んで、親を犠牲にしてまで楽しみたいのか」と言われました。 私はそんなにも悪いことをしているのでしょうか。 私の生き甲斐ともいえる趣味をこんなにも否定され規制され、私はどうやって生きていくのが正しいのか分かりません。 何故私は楽しく生きてはいけないのでしょうか。 それとも両親の意見が世間一般では普通なのでしょうか。 散々貶されてからというもの、そもそも私さえいなければ起きない揉め事だったのだと思うようになり、自己嫌悪が止まりません。 こんなことを他人に話した所でどうしようもないことは分かっています。 でもひとりで考え続けていると悪い方向にしか思考が向かず、正直とても苦しいです。 ほんの少し客観的なご意見が頂ければそれで満足ですので、どうかお手隙の折にはご意見のほどよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 62
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