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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 2999件

お布施について

先月末に父が亡くなりました。 お通夜、葬儀でトラブルが発生しており、悩んでおります。 亡くなった父は80代で祖父の長男にあたります。代々のお墓を祖父から継承しておりました。菩提寺は北関東にあります。代々の菩提寺というわけではありません。 祖父の代の時に、父の腹違いの妹がお寺に嫁ぎ、その時にそれまで代々御世話になっていた菩提寺の檀家から抜けて、お墓を移しました。 父は腹違いとはいえ、妹をとても可愛がっておりましたが、母や私は叔母の言葉の端々に父をバカにしたようなところが見受けられていたことから付き合いが遠くなっておりました。きっかけは祖父が亡くなった時に、その遺産を全て叔母が独り占めしたこともあります。父は面倒はごめんだというなりになりました。父自身が働いて建てた家もあり、きちんと家族を養えるという自負もあったのだと思います。 私はサラリーマンとしてきちんと一つの会社に定年まで勤め上げ、誰にも頼らず、住宅ローンを返済し、子どもを大学まで出してくれた父をとても尊敬しています。 父の妹の嫁ぎ先はお寺として裕福なようであり、外車を何台ももったり、海外にしょっちゅういったりと派手な暮らしをしています。そうできない我が家を哀れむような言動が以前からあり、私は叔母やその家族にお寺はそんなに偉くて特権階級なもののようなものなのかと反発しておりました。(勿論、そんなお寺ばかりではないとは承知しております) 問題は父が亡くなった時、叔母は住職である叔父と副住職である息子(私の従兄弟)に通夜や葬儀のお経をあげてもらうといってきました。そのことには依存はありません。 けれども、お布施をどれほど包んだらいいかと叔母に内々で尋ねたら、本山に納める事務手数料だけを負担してほしいということで80万と言われたのです。金額にとても驚きました。その反応から、叔母達は生活保護の人にはお寺で面倒をみてやるから同じようにして欲しいなら、幾らまでなら出せるのかと聞いてきたんです。 私や母はそれが亡くなった父への大変な侮辱に思えました。お経を断れば、納骨も出来なくなるということを承知で断りましたが、結果、父の妹でありながら、通夜や葬儀に叔母は出席もしませんでした。 此で良かったのかと葬儀から1ヶ月が過ぎようとしていますが心が安まりません。お寺では叔母たちのような反応が当然のものなのでしょうか?お教え下さい。

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身内の死と知人の言動について

初めまして。先日、叔母が亡くなりました。独身で孤独死で時間も経っていたため直葬をしました。 叔母は新興宗教に入っていましたので、同じ宗教の知人夫婦にそこのお寺にお願いしていただけることにならとてもありがたい費用でお経をあげていただいたりできました。 直葬なので葬儀社で遺体を安置させていただいていたのですが、葬儀社さんのご好意で無料でお花と祭壇など用意してくれていました。私も叔母を花で送りたかったので持って行きました。 するとその知人夫婦の旦那さんが葬儀社に先に来て「花束なんてやめろ!」「嘘のマンダラの掛け軸なんかかけやがって」 と葬儀社の社長さんに文句を言ったそうです。 私たち遺族は火葬が終わった後、社長さんから聞くまで知りませんでした。 葬儀社さんもお金のない私達遺族のためにとても良い金額で直葬の手配をしてくれたのに。そして花を持ってた私にも「今日はいいが、なぜ花を添えたらいけないか教えてやろうか!花はあーでこーでこうだからだめなんだ!添えるのはあの◯◯じゃないとだめなんだぞ!」と説教してくるのです。 私たち遺族は宗教などには無頓着で何も知らなかったのです。ていうか、私、遺族亡くしたばかりなんですが、と、かなり腹が立ちました。イライラしながら火葬してお骨を拾ったのです。叔母には申し訳ないですが。 でも我慢しました。叔母は親の姉妹なので泥を塗りたくなかった。そしてそのお寺でお経あげてもらい帰ろうとしたらまたその旦那さんに呼び止められ「さっきの話の続きなんだが、」とまた花の事をしつこく言ってくるのです。「花は枯れるから死を表すんだ、この宗教だけが素晴らしい、他は嘘ばかりだ、もっと知りたければゆっくり教えるぞ」と言ってきたのです。 私は笑って誤魔化しました。はーそうですか、へぇーみたいに。しつこいし、めちゃくちゃ腹立ちました。骨拾ってきた人間に対して言うか?と。もう関わりたくありませんが、いつか叔父が亡くなったらまた関わらなければならない。そんな事を考えるともう死んでしまいたいと思うようになりました。どこに相談すればいいのか、どうすればいいのかわかりません。そのお寺にクレームいうべきか?私はもう金輪際家族共にかかわりたくないのです。カルト教団ではないはずなのにまるでそのひとのせいでカルトとしか思えません。御助言ください。よろしくお願い致します。

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三回忌について

以前より何度も質問させて頂き、大変お世話になります。 この10月で母の三回忌を迎えます。 以前よりお寺様のことで何度か質問させて頂いておりますが、お墓が他県にあるため、葬儀社からの紹介のお寺様に一周忌、初盆、二年目のお盆(今年)とお経を頂きました。 それまではお寺様から、ハガキでご連絡頂き、その日に合わせて用意してお迎えしておりました。 今回のお盆は二回目なので、一周忌、初盆より若干金額を下げてお布施をしました。それとは別にお車代も。毎回、法話もなく二回目のお盆にも世間話的な会話ですぐに帰られました。 もうすぐ三回忌、毎回頂いていたハガキもありません。 お盆のお布施が悪かったのかとも思ったり… 三回忌にもなると、こちらからお願いするのが常識なのでしょうか? 十数年前に父親が亡くなったときに葬儀社からの紹介で来て頂いた同じお寺様で、当時色々あり、お断りしたこともあり、そのことも以前ご相談させて頂きましたが、結局、お寺様にお経も頂かないのもどうかと思い、同じお寺様に来て頂きました。お寺様からいつ伺いますとハガキが来たのもあったことや、こちらのサイトで質問させて頂いて、ご回答の内容からもそうしました。 長くなりましたが、これを期に事あるごとに考えないといけないお付き合いより、以前より、供養とは気持ちであると何度もご回答を頂き、家族で(といっても私1人ですが。兄がおりますが、人間は死ねば終わりという考えで、線香の一本もあげには来ません。)供養していくのも、またひとつの供養の形ではないかとおもうのですが、いかがなものでしょうか?ちなみに真言宗です。

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生老病死

 数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。  ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。  そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。  般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。  生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。  「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。  即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。  従って仏教の救いは死後にあることになります。  しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。  それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。  そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略

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【高野山真言宗】亡僧位牌の書き方

曹洞宗僧侶です。 真言宗、特に高野山真言宗の先生にお伺いしたいことがございます。 先月、10年以上、日々托鉢と托鉢行で縁のあった方のご法務のみで、如法に生活されていた高野山真言宗の僧侶が遷化されました。(この話でどなたかお分かりの方もおられるかもしれませんが、詮索はされないようお願い致します) 私も現在、お寺に身を置き法務を主軸に生活はしているものの、暇があっては托鉢は極力欠かさぬよう行っておりますが、今日そのように行乞に歩めるのは、その真言宗の先生が、托鉢の先達として現代社会での(道場ではなく個人での)托鉢の在り方を、言葉や姿勢で示して下さったからこそにあると思っております。 件の先生とは、私が托鉢を始めてから間もなくご縁があり、以来、宗派こそ違えど同じ托鉢を行う比丘として垣根なく接して下さりました。 その先生なくしては、私は今日まで托鉢を継続することは出来なかったことでしょう。 その報恩感謝を示したく、遷化より四十九日に当たる日に件の先生が托鉢されていた地にて、ささやかながら亡僧諷経をお勤めさせていただこうと予定してております。 そこでなのですが、当日はその先生のお位牌をご用意し、お経をお勤め致したく考えておるのですが、真言宗の亡僧位牌の書き方が分からず、真言宗の先生方にそのご教示を頂きたいのです。 曹洞宗の場合ですと上から「【〇〇第〇世比丘(住持職の場合)】【道号】【法名】【僧階】」となりますが、今回は【道号】に当たる部分は分からず【僧階】についても、以前僧籍簿の写しは拝見したことがあるのですが、正確な僧階が分からない為(一応、住持職に付ける最低限の僧階とは仰ていました)、遷化された真言宗の先生に対する適宜な尊称にて代えさせて頂ければと思うのですが、どのような尊称が相応しいと思われますでしょうか。 周囲の高野山真言宗の先生方にもお伺いしようと考えておりますが、これは同じ宗派でも地域や法流によって様々であるかと思われますので、ひとつでも多く参考になるご教示があれば幸甚でございます。 何卒宜しくお願い申し上げます。 合掌九拜。

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父の葬儀でのお寺さんの選択について

先日、82歳で父が他界しました。 慌ただしく葬儀の詳細を決める際、葬儀場に紹介されたお坊さんに決めてしまったことを後悔しています。   父には遠方の田舎に檀家として先祖代々お世話になっていた菩提寺がありますが、生前本人は今の住まいから通いやすいお寺(葬儀場で紹介されたお寺とは別です)での永代供養を希望していました。母はこの場合、誰にお経を読んでもらったらいいのか…とさんざん悩んだ挙げ句、葬儀場に紹介されたお坊さんに決めました。事後報告になってはいけないから菩提寺に電話するよう葬儀の担当者から勧められ、母はその場で本当に申し訳なさそうに父の死と読経を別のお寺にお願いすることを伝えました。菩提寺の住職さんは大変驚いておられたようですが、電話の最後にはまた何かお役に立てることがあればいつでも連絡下さいとおっしゃっていたそうです。 その菩提寺は長男である父が昔から丁寧にお付き合いしており、お盆やお正月に帰省する度に挨拶に伺っていました。私も子供の頃から法事の度に伺っていたし、田舎の家や裏山にあるお墓に来ていただいた記憶があります。慌ただしさの中決めてしまいましたが、父も最後のお経は菩提寺のお寺さんにあげてもらいたかっただろうと、父にも申し訳なく後悔の念に苛まれています。 離檀することは決めていますが、このまま電話一本で終わらせてはいけないと思っています。母は認知症の症状が見られ、あらゆる場面で判断力が低下していることが、葬儀後の手続きをしていて分かりました。私達姉妹で今後は対応したいと思っていますが、まずは電話でお詫びし改めてご挨拶に伺うべきか悩んでいます。

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カッとなって怒鳴る夫について

すぐカッとなって大声で怒鳴り、怒りを抑えられない夫。普段 比較的大人しくて 気に障る事があると噴火のごとく怒鳴る。その対象が自分ならまだ 自分で決めた結婚なので 諦めもつきます。 娘は以前は子どもでしたから ただ泣くだけでしたけど 成長して 理不尽だと思ったりすれば 言い返すようになりました。そんな娘に対しても怒りを抑えられません。脅し怒鳴ります。確かに口が達者になって 母としてもイラッとくる事もあります。 でも、母親の私が言うのも何ですが 本当にいい子なので、落ち着いて話せばわかる子です。 夫は本当に精神年齢が幼く 自分が一番大事。3・4歳児と同じレベル。だけど、体格は大きく力もあり、威張りまくる。 こういう場合、表面的でも良いから、上手くおだてて 大事にしてあげれば良いという意見もあるでしょう。わかっています。 でも、私もお休みなく仕事してヘトヘトな毎日。気力も体力もいっぱいいっぱいです。夫は週末の休みにはテレビの前から動かず、もしくは 飲みに行ったり趣味で出かけたり。家事は分担どころか、私が仕事で出かけている間に自分が食べた食 器さえ 洗いません。 一日中テレビの前でゴロゴロしている姿、そして気に食わなければ怒鳴りまくる。そんな夫をおだててご機嫌取るなんて ヘトヘトになって帰ってきて 出来ません。 書ききれない程、たくさんの辛い事がありましたし、自分なりに頑張ってきましたが 夫が変わるなんてもう期待してないですしありえないと思います。私には夫はいないし、頼れる存在でも信頼出来る存在でも無い 何の期待もしてないです。むしろ うちの中にこれだけ嫌な人がいると 社会的に関わる全ての人がいい人に見えてきます。周りの人々には恵まれているおかげで何とかここまでやってこれました。本当に感謝です。 でも、娘に危害が及ぶのだけは耐えられません。 何か 良いご助言頂けると有難いです。 心が穏やかになるお経などあれば 夫の枕カバーに入れたりとか藁にもすがりたい気持ちです。(でもお経を頭の下にするなんて罰当たりですよね。) 思いのたけを書きまくったら少し気持ちが整理出来ました。お忙しい中読んで頂き有難うございました。

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家での参り方

前回父が亡くなり相談しましたが未だお墓参りに行けないままです。 私の場合、いつもではありませんが助手席に座って近場のスーパーへ行き〔寝不足の時は特に〕気分が悪くなった時は家事一切出来なくなり寝込んでしまいます。そんなで県内で車で50分位は無理あるのでまだ行けてません。 今私なりに家で参っているのですが こんな感じでいいのでしょうか? ・朝から仏様に南無阿弥陀と心の中で参りながら安らかに眠って下さい…と話しかけている。 ・ご飯〔おはっさん〕は炊いてから1番先にあげる。忘れたら炊いて一番に供えて 遅くなりました…すみませんと参る。 ・月命日には参る、忘れた時は思い出した時ちゃんと参ってる。 ・水や生花を切らさないようにする。 ・何かお菓子作った時は1番に供える こんな感じです。 旦那の両親が亡くなった時も県外で行けてないので家で今も参るしかありません。 旦那が言うには「葬式に出てないからと気にするな…葬式出てもその後仏様に参らないとか供養しないより葬式は出れなかったけど家でいつも参るほうが 御先祖様は嬉しいはずだ…と。 しかし、葬式出ないなら障りがあるとか 聞きますし、もしわが子や子孫に何かあったら…と気になります。 私の祖母は熱心に毎日お経上げてて子供の頃は私も一緒にお経上げて参ってました。祖母は良く御先祖様の命日とか大切にしてたので私も気にし参ってます。良くお寺に行った時はカセットに録音し そのお説教?を近所のおばさん達に聞かせてた祖母を思い出します。私が悩んだ時はお坊サンの言葉を話してくれてました。 ですので ココ見つけた時は祖母が導いてくれたのかな?と思ったくらいです。 それから今は旦那の御先祖様の仏様に参ってますが 私の実家を思い出して同じ仏様に参ってもいいですか? 少しでも早くお墓参り出来たらいいのですが今はこんな感じで参ってます。 間違ってたら教えて下さい。 宜しくお願いします。

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お寺を変えるのは悪い事でしょうか

祖父が明治に 長野から移転してきてから お世話になっている真宗大谷派のお寺ですが、 当時のご住職からお孫さんへと代も変わり、 色々変わった事もあり、 なんだかんだと寄附を募られても払えないし お寺を変えたいと家族で話しておりました。 先日、伯母が亡くなり、葬儀をお願いしましたが、 もともと、無愛想で月参りの際も、年寄りが話しかけても、返事もせずに帰られる方で、 年寄りも生前、 「あの住職に葬儀は頼みたくない」と申していた程で 色々不誠実に思える事がありました。 一番は、火葬場まで着いて来て下さるはずが 当日の朝急に、行けないから、葬儀場で火葬の前のお経をあげると言われたことでした。 葬儀会社の方に 「火葬場で伯母様だけ、粗末な棺桶だと可哀想でしょ。 花がないと可哀想でしょ。」 といわれgrade upしましたが 一番可哀想だったのが うちだけお寺さんがいなく、お経もなく炉に入れられた事でした。 先日は4日の祖母の月参りを 忘れてたとすっぽかされ 14日の父の月参りに一緒にすると言われ、2回分包みました。 その際に思い切って 他の同じ宗派のお寺に変わりたい旨を 話ましたら 激怒され まともに歩けない老母まで仏間に呼びつけ 火葬場へ行かないのは正しいやり方だ 位牌はどうする 過去帳はどうする 次のお寺に引き続きしないといけないから どこに変わるか名を明かせと 凄い形相で 2時間近く怒鳴られ 大変、恐ろしい思いをしました。 また金曜日に みえるそうですが どうしたらいいか憂鬱です。 葬儀の時に相談に乗って下さった 娘の同級生のお寺に 今後の事はお願いしてあるのですが、 以前にも、その寺から変わってきた檀家さんの事で妨害をうけたから 暫く寺の名前は出さないよう言われてます。 また金曜日にまくしたてられたら 言う通りにしてしまいそうです。 お寺さんを変えるのは そんなにいけない事なのでしょうか?

有り難し有り難し 242
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遠方で亡くなった父の供養の仕方

先日急逝した父の納骨や今後の供養、親戚付き合いについて相談させて下さい。 両親は別居していた為、遠方に住む父が亡くなった事も親戚から連絡をいただきました。親戚には父のことで迷惑をかけていたのでとても淡白な連絡で、駆けつけた私たちに対しても親戚と住職で葬儀の話を進めており、私たちはついていくのに精一杯でした。 住職に対しても少し不信感があります。駆けつけた際に喪主である母ではなく親戚の方にしか話をしないしお酒も飲んでいました。葬儀が終わり四十九日前の法要でも父の名前を確認する際に読み間違える始末。袈裟の下は普段着と靴下で、挙句に四十九日法要に喪主である母が来ることに大げさに驚かれていました。遺族が参加するのは当然なのに…近くに住んでいる親戚がいればいい、私たちは蚊帳の外のような気がして気分が悪かったです。 今後四十九日を迎えるにあたり、お骨をどうするか悩んでいます。お墓が実は本家と近場に二か所あります。でも近場の納骨堂でも私たちにとっては遠く、未だ気持ちの整理ができていないことから私たち家族は遺骨を持ち帰り我が家で供養したいと思っています。気が済むまで納骨せずに手元に置いておきたいのです。でも親戚のことを考えると納得されないんじゃないかと…住職には立派な納骨堂があるんだから、遅くとも一周忌までには納めるのがよろしいと言われました。普段は遠くてなかなかお参りできなくても、自宅で写真を飾って線香をあげればいいと。分かっているけど、私たちの悲しみや後悔はそれでは追いつかず。気の問題だと思いますが。 円満に解決するためには、分骨にしてそれぞれ納骨堂と我が家で供養がいいでしょうか。分骨は想定していなかったのですが何か手続きは必要でしょうか。また、その場合初盆はどのようにしたらいいのでしょうか。納骨堂か父の自宅(仏壇)に私たちが出向いてあのご住職にお経をあげてもらうべき?できることなら家族のみで我が家でじっくり父を偲びたいです。それではいくらなんでもということなら、どこか近所のお寺さんを探してお経を読んでもらうというのはだめでしょうか。その際は親戚をこちらに呼ぶべき??分からないことだらけです。四十九日に出す結論で今後の納骨、法要、お墓の管理の問題に関わってくるなぁと身構えています。 ゆっくり父を偲ぶことも許されていないようで非常に辛い日々です。 ご助言いただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 3
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絶望感が消えません。

以前もご相談させていただきました。 その際ありがたいお言葉に本当に救われました。 別れたいと言われ、揉めていた彼が亡くなりました。自殺なのか事故なのかもわかりません。ただ、当日私に自殺する旨を伝えて来ました。実際のところは、なぜ亡くなったのか、私が追い込んでしまったのか何があったのかも全然わかりません。 でも、彼が亡くなった絶望感と私が追い込んでしまったからなのか、という罪悪感が抜けません。 お薬に頼りながらも普通に生活していますが、ふとしたときに思い出して怖くなったり、楽しいこと幸せなことがある度に私がこんな思いをしてはいけないと思い直し、ゾッとします。 ご実家からも何も連絡がなく、どうなってるのかもわからないので、独自で供養のお経も読んでもらい、私なりに彼を供養しようとしていますが、罪悪感や恐怖感、こんな私が幸せに生きてはいけないという気持ちがあります。 この先、通常ならまだまだ長く生きていくことになりますが、一生こういう思いを抱えて過ごすのかという絶望感もあります。 彼のためにしてあげれることは、何なのでしょうか?そして、この呪縛から心を解き放つのは、どうしたら良いんでしょうか?

有り難し有り難し 4
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このような動機で僧侶になるべきか?

こんな動機で僧侶になっていいものでしょうか? 月並みなことですが、私の幼少の頃の夢は正義のヒーローでした。 戦隊モノなど、幼い私にはとても魅力的に思えたものです。 それから時は経ち、直接的な正義のヒーローという職などはないということに気付きまして、それでもそれに近い職がないかを考えておりました。 そして、祖父が曹洞宗の方丈であるというご縁があり、僧侶になるという選択肢が出てきて、私は出家をしたくなりました。 なぜかというと、般若心経というお経の意味を本で知ったからです。より良い生き方への道しるべのような意味を持つものだと本で読み、死者や生者を救う仕事のように思えたのです。私自身、あまり善く生きてきたとは言えませんが、この般若心経の現代語訳を知ってから唱えると何か心が安らぎ救われたような気がしました。 このような仏教の教えを深く知りたいですし、それによって誰かを救いたい、仏教こそが私の幼少の頃より目指していたものだと感じました。 今現在、得度すら終えていませんが、このような考えで僧侶になってもいいものでしょうか? 出家するのなら、恐縮ですが善い僧侶になりたいと思います。 ご回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 48
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