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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 苦しみ 」
検索結果: 8371件
2023/09/21

ママ友の悩み

小学生の子供がいる主婦です。幼稚園から一緒のママ友のことで相談です。ママ友の子は発達に問題を抱え、学校は同じクラスですが、通級や放課後デイサービスなどの支援を受けています。ママ友は誰とも付き合わず、子供会やPTAもやめてしまいました。時々、道で会い、話を聞くのですがとても悲痛な面持ちで、大変だと言っています。どうやら、メンタルヘルスにも通ってるみたいです。ご主人やスクールカウンセラーに相談しても、考えすぎ、もっと気晴らしをして、こどものことを考えないようにと、アドバイスされるといっていました。しかし、ママ友自身はそれは第三者の意見で、毎日トラブルを起こして学校から電話がかかってくるんだから、そんな気晴らしなど考えられないと言います。ご実家にも頼れないそうです。放デイや担任の先生にも相談したら?といったのですが、みんなに考えすぎ、干渉しすぎ、といわれるばかりで、わかってもらえないそうです。ランチやお茶でもしよう、といったのですが、家に籠ってこどものことを1日考えてるみたいです。今日は問題を起こしていないかなど。なので、出かける気持ち的余裕もないようです。そんな話も私にしかしていないようで、他の人とは全く交流もせずみたいです。私も私の夫もあのままでは、育児ノイローゼにでもなって、 大変なことになるのでは、と心配しています。ただ、児童相談所などにいって訪問などしたら、さらに追い詰めそうで、言えません。ママ友自身はいろんな相談先に電話してるようですが、どこでもおおらかに成長をみまもりましょう、ばかりだそうです。 私がママ友にできることはなんでしょうか。ちなみに、お子さんは発達がゆっくりですが、元気にしています。ただ一緒にいると、ママ友が全部お世話してあげてるかんじです。これ以上、問題を起こさないように、見張ってないと、と言っています。

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夫と離婚したいです

はじめて相談させていただきます。 ゆうと申します。 私は4年前に東海地方から東北の田舎へ嫁ぎました。 結婚前は教員としてバリバリ働き、とにかく仕事がすきで仕事中心の毎日を過ごしていました。 しかし、嫁ぎ先が自営業であることで、義家族から外に稼ぎにいくことを禁止され、事務の手伝いをしています。 義家族と完全同居で、自由に外に出掛けることもできずにおります。 以前に夫や義母と、離婚寸前のもめ事をおこしたこともあります。 しかし、全てわたしがこちらの慣習になれていない、これから学んでいくということで、おさめてきました。 そして現在タイトル通り、夫との離婚を考えております。 理由は複数あります。 一つはこの完全同居でプライバシーもない、そして外出さえ自由にできないこの環境に限界がきたから。 また、子どもをつくるよう言われるが、いまの環境では子を持つことに前向きになれないから。 そして、なにより、この環境から出て、再び教員として働きたいと思っているからです。 以前にこの次問題をおこしたらでていってもらう、と義母に言われており、 また、環境の改善を夫に相談しても、無理。いやなら出ていって。の一点張りで、 解決策はわたしが我慢し、こちらの考えを全て受け入れることしかありません。 地元の友人がインターネット上で、幸せそうな結婚の様子や子どもの成長をアップしているのをみると、なぜ私はここにいるのか、つらくなってしまいます。 離婚をしたい、けれど、夫に悪いところがあるわけではなく、不貞があるわけでもない。 ただ私が言い出すことを恐れて前に進めません。 どうか、ご助言おねがいいたします。 背中を押す言葉、もっと我慢し婚家に馴染む努力をしろという方向の叱咤でもなんでもいいです。 だれかにきいてほしくて相談させていただきました。

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宗派の違い

何度も質問させていただいております。 毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。 さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

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幼稚園でのお友達との関わりについて

年少の息子( A )がいます。 夏休みに入る前に、席が隣のお友達( B )に A君はこの遊びには入らないで‼︎とか、 僕( B )に使ってもいいですか?って聞いてからじゃないとそれは( 息子のランチョンマット )使ったらダメ‼︎とか言われるそうです。 その時は、息子に、何でBくんはそんな事をいったんだろうね?言われる前にBくんが怒るような事を言ったりしたりしたのかな?と聞きましたが、分からないと言われました。 気になったので、夏休み前の面談で2人の様子を担任の先生に聞いてみたところ、 席替えをしたばかりの時は言い合いをしたりして、先生が間に入ることもあったけど、今は仲良く遊んでますよ と言われました。 そして最近寝る前に、息子が、 僕ね、Bくん嫌い。僕は遊びに入ってきたらとか言うんだよ‼︎ といってきました。 その時は、なんでそんな事をいうんだろうね。でも息子がBくんと遊びたくないと思うなら、もう関わらないでいいんじゃないの。そしてBくんにそんな事を言われて嫌な気持ちがしたなら、他のお友達に同じ事をしたらだめだよ。 といいました。 息子は、 うん、Bくんとは遊びたくないよ。といいました。 このアドバイスはいいのでしょうか?こらから息子が友達との事で悩んだりした時はどのように対応したらいいのでしょうか?

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子供をこの世にうむことの是非

はじめまして 最近、正信掲、歎異抄、大無量寿経、スッタニパータを読んでいます。 読んでいて、不勉強ゆえ以下の疑問が湧いています。 子供を作ることは、愛すべき我が子を、厭うべきこの世に呼び出す行為とも思われ、子を思えばこそ作るべきではないように思えます。以下、詳述しますのでどうかご指導ください。 ブッダは、欲望の支配からの自由、ひいては輪廻転生からの解脱を説かれます。 その前提として、人(を含む生き物は)煩悩具足の凡夫であって、他の生物を殺生し食べねば生きられず、醜い体をもつ哀れな存在だと捉えられていて、「再び母胎に入ることのないように」と仰います。 つまり、私達が子供を作ると、上記の哀れな存在を生むことにはならないでしょうか。子供を作らねば、輪廻転生の苦もなくなるのではないか、と思えているのです。 しかも、子を遺して自分が世を去る時後ろ髪を引かれ、絶つべきこの世への執着が、子供の存在によって強まるようにも思えます。 確かに、「人身受け難し 今既に受く」「大海に浮かぶ板の節穴から盲た亀が顔を出すより難しい」とも言われます。しかし、これは、どうせ生まれるなら、他ではなく、仏法を聞ける人身に生まれることの有難さを説かれたものであって、生まれること自体の素晴らしいとのお考えでないようにも思えます。 また、生まれることの幸不幸は本人の捉え方次第とも思われます。しかし、もし子が生まれ、「生まれたくなかった。なぜ厭うべき仮の世に産んだのか」と言われたら、答えに窮してしまいそうです。 この問に答え得るブッダのお考えをご指導ください。できれば、それが書かれている文献の名前と場所(第何章のどの辺りか)もお教えくだされば幸甚です。 どうか、宜しくお願い申し上げます。 (以下、ご参考です) 一五二 さまざまな欲望の対象への、深層の欲望から超脱するようにせよ。そうすれば、もはやふたたび母胎へ入って輪廻転生することはなくなるであろう。(スッタニパータ 荒牧典俊著) 二三五「過去の業は絶えた。未来の業もあり得ない」と、賢者は、来世に執着せず、種子を絶やし、自己存在の芽を未来にまで伸ばしたいとの願いを捨て、油の切れた灯のようにふっと消えてしまう。 三三九 二度と輪廻の世に舞いもどってはならぬ。 三四〇 たえず身体に注意を向けて、その醜さを思い知れ。厭い離れる心に満ちてあれ。

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2023/10/16

祖父の火葬に立ち会えませんでした

昨日、祖父を亡くしました。 祖父は今年の2月に肺がんを宣告され、自宅療養をしておりました。 祖父、伯父夫婦(祖父の長男と奥様)、父(次男)、私の5人で同居をしていて、次男である私の父がずっと祖父の面倒をみていました。 一昨日の夜に容態が悪くなり救急車で病院へ運ばれ、そのまま入院するということになったのですがその翌朝には逝ってしまいました。 遺体は自宅には戻さないということになり、葬儀の日程が決まり、最後に顔を見てお別れが出来るものだと思っていたら、先ほどもう既に火葬が済んだということを父から聞かされました。 祖父は生前から家族葬を希望しており、私たち家族だけで見送ってほしい、盛大な葬儀などはやらないでほしい、と強く父に言っていたそうです。 葬儀の準備などは全て伯父夫婦が進めており、祖父の意向と家族葬であることを伝えると先に火葬することを勧められたそうです。 調べてみると骨葬といって、地域によっては先に火葬を済ませてお骨の状態で葬儀を執り行うことが普通のところもあるということを知ったのですが、家族である私たちが最後に顔を見れずに終わってしまうことなんてあるのだろうかと納得がいきません。 その火葬には伯父夫婦も立ち会ってはいないそうです。 父が言うには、霊柩車で自宅に遺体を安置するとご近所の皆さんに知られてしまい祖父の意向に反してしまうし、斎場にも場所が無かったのかもしれない、 専門の知識がない我々はお寺の方に従うのが一番安心で故人を気持ちよく送ってあげられる、と納得している様子なのですが、顔を見てお別れができるものだと思っていた私は心が空っぽになったような気持ちです。 焼かれて骨を拾うことで気持ちの整理がつけられるとも思っていました。 救急車で運ばれた際の検査で祖父がコロナにも感染していたことがわかり、コロナに感染したご遺体は家族と顔を合わせることができないというケースを聞いたことがあるので、そういった要因もあるのかなと思ってはいるのですが、 突然骨だけになって帰ってきた姿を見て、自分が気持ちに踏ん切りをつけられるのかが不安でしかたがありません。 葬儀やそういったことに詳しいお坊さんのご意見を聞かせていただきたく、このような質問をさせていただきました。

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ブスは罪なのでしょうか?

こんにちは。質問を見てくださってありがとうございます。 本日質問させて頂きたいのは、「容姿が整っていないことは罪なのか」ということに関してです。 実際私は全く綺麗な顔立ちではありません。 学生時代はそれで虐められたこともありますし、社会人になってからも明らかな周りの反応の差を感じます。 学生時代の頃のように直接的に何か言われることはありませんが、暗にブスだと言われること、態度で示されることは何度もあります。 社会的にも、ブスになら何をしても良い。何かあったらとりあえずブスが悪いことにしよう。 そんな空気を感じます。 頭ではもう仕方のないことと割り切っていますが、やはり辛いです。 何も悪いことなどしていないのに、何故当然のように差別されるのか。 人種差別問題や女性差別問題は大きく取り上げられ、差別を無くす運動が盛んに行われているのに、 ブス差別は毎日当然のように行われています。 そのため、人と接するのが未だに怖いですし、相手が無意識にしているであろうブス差別に敏感に反応してしまいます。 とても生きづらいです。 こんな時、どう考えるのが良いでしょうか。 助言を頂けますと嬉しいです。

有り難し有り難し 129
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仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

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親が怖いです

 こんばんは。 私の家庭環境は荒れています。  今も現在進行形で母が怒鳴り声をあげています。 両親の中が非常に悪く、毎日喧嘩していて怖いです。 頭がおかしくなりそうです。    ことの始まりはこうでした。 私の母は、私が生まれる前から不倫していたそうです。 そんなこともあってか、私の両親の仲は険悪なのが当たり前でした。    最近は諸事情あって険悪な仲が余計にひどくなっています。  両親は毎日大声で口論する様になりました。  私は部屋のドアを閉めても聞こえて、夜寝れないこともあります。 両親は私と姉にも当たるようになりました。 父は一日中不機嫌で、母は少しのことで怒鳴ってくるようになりました。     私の家族には日常会話などありません。 全員がお互いのことを嫌い、口を開く機会は怒鳴る時だけです。  毎日家に帰るのが辛いです。    愚痴を書いてしまって申し訳ございません。  今このような状況なのは私に罰が当たっているのだと思います。 私は今までたくさん罪を犯してきましたので。  それでもこの試練を乗り越えられるようなお言葉をいただきたいと思ってしまいます。  贅沢を申してしまってごめんなさい。 どうかご返信お待ちしています。

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仏教徒に対する疑問パート6

では回答率99.9パーセントのお坊様に質問です 前回の質問の答えに大慈様が言われた内容ですが 仏教では世界の始まりは「わからない」、「無始」、「無記」であると これって原因である始まりを無視して結果であるこの世界だけを見てる 因を無視した果の法則ですよね そして「蕎麦のレシピばかり論じる(原因)蕎麦がのびる(結果)とっとと食え(対策)」 「頭の中でこねくりまわすから(原因)迷いが続く(結果)頭の中でこねくりまわすのを止めましょう(対策)」 この対策こそが瞑想で悟りを開くことですよね お釈迦様は生まれた時から瞑想すれば悟りを開けるなんて知らないですよね ではお釈迦様に瞑想を教えた人は誰ですか?そしてその人にも教えたのは?そしてその人にも教えたのは? 仏教→バラモン→ヒンドゥー→ゾロアスターと土着信仰の融合→メソポタミア こうやってどんどんどん突き止めると悟りを開く瞑想を教えたのは因を無視した果の法則ですよ 因を無視した果の法則が悟りの瞑想法を作り因果関係のシルクロードを渡って我々に瞑想を教えたというのに 瞑想で悟りを開けばこの因果関係や因を無視した果の法則からも解脱できるってぶっ飛びすぎてないですか 悟りの境地の空間ですら先に因を無視した果の法則が始まる前から終わった状態での結果として作られたと思うんです そうすると煩悩と悟りは最初から二つの性質が同時に存在する量子力学みたいに共存してると思うんですが? あと諸行無常の教えで全てのものは変化するなら 善業も悟りも幸せも形を変えただけの煩悩ではないんですか? 涅槃の境地で夜に眠り煩悩で朝に起きて  涅槃の境地で瞑想してて煩悩で仕事行かなきゃいけなくて 涅槃の境地のお釈迦様は煩悩の梵天に娑婆の世界行かされた様に 悟りと煩悩は共存してると思うんです もしくは形を変えただけか 良文様が言われたヴィトゲンシュタイン様の形而上学的な疑問は言葉で説明できないという話 最初から量子力学としてある言葉に出来る世界と言葉に出来ない世界 その言葉に出来ない世界のような概念のないような形而上学の世界に神ならまだしも人間がいけると思いますか? たった6年の修行で・・・この6と言う数字・・・666 お釈迦様が実はフリーメーソンのメンバーで仏教をある理由で作ったとか思ったことないですか? 物事を理屈で考えさせない政治的プロパガンダのためとか

有り難し有り難し 160
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