人間は何のために生きるのでしょうか? 私の大好きな漫画の『ジョジョの奇妙な冒険』の第3部で、DIO(ディオ)は、『人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』と答えています。 なるほど確かに。人間の営みにおいて、この言葉はすべてに当てはまるのではないかと思いましたが、なんだかこの言葉に当てはめてしまうと生きる希望をもてないというか、元気に前向きに生きようという気持ちにはなりません。 この質問に対して、前向きに元気になるような、また人生の応援歌となるような、そんな回答や言葉が欲しいです。
悟るにはどうしたらいいですか? 坐禅をする? 仏教の本をたくさん読む? 悟るにはどうしたら良いのか教えてください。
悟ったら毎日どんな感じですか? 悟ったら毎日たのしいですか? たのしいだと つまらないが対極について回るから たのしいというより 静かな感じですか?
『七観音経典集』という本を読んでいたところ、気になる部分がありましたので、ご質問させて頂きます。 『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』には、「若しもろもろの女人、女の身を厭賤して男子の身と成らんを欲し、大悲心陀羅尼章句を誦持するに、若し女の身を転じて男子の身と成らざれば、われ誓いて正覚を成せず。」とありました。 『十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経』には、「若し女人ありて、女身を捨てんと願い、この呪を誦持すれば、女を転じて男と成り、所生の処は、常に佛前に在りて、蓮華に化生せん。」とありました。 これらの陀羅尼を誦持することで、トランスジェンダーにご利益があるでしょうか。 また、どちらもFtM(女性→男性)のことが書かれていますが、MtF(男性→女性)にも同じことが言えるでしょうか。 ご回答いただけますと幸いです。 よろしくお願い致します。
変な話かもしれませんがお読みいただけますと幸いです。 結論から言うと、「ある土地のある歴史上の人物のお墓参り」についていくべきかどうかというお話です。 1.なぜ迷う必要があるのか、というとタイトルの通り私は良くない念を受け取ってしまうことがあり、本来ならばそのような土地には行かないようにと昔住職さんに言われたことがあるのです。(その歴史上の人物のお墓の場所が所謂いわくつきという土地です) 2.しかし、どうやら私の先祖はその土地と関わりが強く、またその歴史上の人物を討った武士と関わりがあるようなのです。 3.場所や人物などは伏せますが、以前その土地で起こった大地震の際は前日に大地震が来る予知夢を見ましたし、その史実の人物に関してもやたら縁を感じることがあり、調べてみると2.のような関係があることが分かりました。その他にもその土地に関する縁を感じることが多く、遅かれ早かれ私はその土地に行くのであろうと思います。 呼ばれているとも感じます。ただし私は前述の通り感受性が強く、その史実の人物に縁があるとは言えお墓参りに行ってもいいのか、(良い縁だとは言い難いですし)もし行くとしたらどのような準備をしてお墓参りにいくべきなのか、悩んでいます。 何とも抽象的な話になりますが、お答えいただけますと嬉しく思います。
極楽浄土は単に死後の世界なのか、生きていても到達できる心の境地のようなものなのか、どちらでしょうか? 概論的に言うと浄土宗鎮西派では死後の世界であると説き、西山派、浄土真宗、時宗、天台真盛宗では死というプロセスを経なくても到達できる心の境地であるように説いているように思えます。 鎮西派はおおらかさが売りで細部の解釈は個々人に任すようなところがあると言われますが、極楽浄土は心の境地であるという受け取り方をする人が鎮西派にもいるのか。 また、浄土宗と時宗の狭間にいる一向派などはこの辺りをどう説いているのか知りたいところです。
昨年、年下の男性と結婚しました。 主人がカルトと言われる宗教団体に入っています。 結婚前から知っていましたが、趣味だと割りきろうと思いました。 その他は不満がなく、真面目ないい人です。 でも、あやしげな機関誌が届き。気持ち悪くなりました。 常識ではとても考えられないような内容の記事ばかりです。 その宗教は、他の宗教を否定しています。 一緒に初詣や、観光地の寺社にもいってくれません。 そういう所に行くと、不幸になると言います。 だんだん夫のことが薄気味悪くなりました。 このまま結婚生活を続けていけるか、不安です。 お坊さんという立場から、アドバイス下さい。
半年お付き合いした彼氏が自殺してしまいました。 別れ話をするたび、死ぬ死ぬと首吊りの写真を送ってきたりいつも 死ぬ気はないのに演技をしていました 最後に大喧嘩をしてまたいつもの首吊りの写真を送ってきましたが 本当に亡くなってしまいました 事故死で亡くなったのかヤケになって 亡くなったのか未だにわからず 毎日辛い日々を送っています お葬式にも行けず、近々四十九日が きます。 彼に手を合わせに行きたい気持ちがすごくあるのですが彼は 私を物凄く恨んで亡くなっていきました。 手を合わせに行くべきではないのでしょうか?
過去に同じような質問がありましたら申し訳ありません。 (その場合は、過去の質問タイトルを教えていただけるとありがたいです) 私(一般人)ですが、仏教が好きで、お経を唱える事に関心があります。 誰が(1)、何に(2) お経を唱える(あげる)のかによって、なぜ、どうなるのか知りたいです。 (1)お坊さん か 一般の人 かで次の2ア~カの対象にお経をあげて違いはありますか? (2)ア.お寺で貰ったお札、イ.家で特に祀っている仏画や仏像、ウ.仏壇の仏画や仏像、エ.仏壇の位牌、オ.お墓、カ.お寺の本堂の仏画や仏像 「日蓮宗の南無妙法蓮華経は、誰があげても同じだよ」と聞いたことがありますが、それならお坊さんの意味が無いような? そうかと思えば、真言宗のお寺で聞いたのは「お坊さんは仏様との橋渡しだよ」とも。では、一般の人が唱えても意味がないのでは? 「仏画や仏像にお唱えすると、誰がお唱えしても仏様は喜ぶので、それが功徳になる」とも、聞いたことがあります。 誰が 何に お経を唱えると、なぜ、どのような効果があり、どうなるのかを知りたいです。 出来れば、密教(真言宗か天台宗)の方のお話と、日蓮宗の方のお話が聞けると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。
お世話になります。 現在妊娠6ヶ月になる妊婦です。 初めての妊娠ですが、性別もわかり経過も順調で心配事がないといえば嘘になりますが、楽しいマタニティライフを送っておりました。 先日、十数年ほど前に知人に紹介され一度だけお会いしたことのある天台宗のお坊さんから連絡があり、『お腹の子供は脳に障害があるかもしれないからお祓いに来ないとしらんぞ』と言われました。今までも数年に一回、来ないと子宮ガン・乳ガン・不妊症になると言われて来ましたが、お祓いには行かず定期的に検診をうけ、子作り翌月には自然妊娠と問題なく来ています。(お祓いの内容も頚部に指を入れて動かしながら子宮に向かって拝むという内容で親や旦那とは来るなと言われ不信に思い断ってました)こんなやりとりが何年も続き、今回は楽しみにしている子供のことで不安なことを言われたので、お坊さんは産まれてくる子供の病気を予知したりそれを治したり、女性の頚部に指を入れてお祓いをすることが実際にあるのでしょうか。 第一子ということもあり、通常の検診以外でも胎児専門医ににも二度ほど診察して頂き、問題なく順調に成長していると話はしましたが、『医者には治せん、来ないと知らないぞ』と言われると出産を楽しみにしてる為、気にもなります。どのように解決したらいいかアドレスをお願い致します。
どんな宗教やアドバイスでも、相手がそれを理解し考える力を持っていること前提になっていますよね。 仏教も例外ではありません。 しかし世の中には先天的または後天的理由によりその力を持ち合わせていない人もいます。 理解し考える力を持っていない者がもし道を誤った場合、仏教はどの様にアプローチするのですか? そういった人たちに救いはあるのでしょうか?
テレビでこのサイトを知り、とても興味がわきました!敷居が高いと思っていたお坊さんのありがたいお話を、わたしでも聴けるなんて…という事で、初めて質問させていただきます! この度、新居を購入することになりました。ラッキーなことに、ずっとわたしが住みたかった地域で、わたしたちの手に届く新築物件が建つんです!間取りもお値段も納得。ここにしようかな。 ところが。 周辺施設に少し気になるところが…… 隣には大きなお墓、目の前には立派な葬儀場と火葬場があるではないですか。 必ずわたしたちもお世話になるところだし、物件から見えるわけではないのですが…なんだかすごく気になってしまって。しかもマンションの建つ前の敷地も、大きな火葬場だったみたいなんです。 もし、何か不吉なことが起きたら…とか、寝ているときに金縛りにあったら…とかいろいろ考えてしまってなかなか踏み切ることができずにいます。 そこで!お坊さんにとっての火葬場、お墓、とはどんな意味を持つものでしょうか??普段から生死を目の前にしているお坊さんからのご意見をぜひ!聞きたいです!
先程の質問ではたくさんのご回答ありがとうございます。ひとつひとつ読ませていただきました。 私が経験したのが「悟り」であったかはさておき、お釈迦様への敬意は揺るぎないものとなり、さらなる修行を積む決意はできました。そこでお聞きしたいのが、「完全な悟りを得るためには具体的に何をすればよいのか」ということです。 無教養なので瞑想以外に修行方法を知らず、経典もさっぱりわかりません。 ご教授願います。
子供の頃から、仏教の教えにおいて人は死んだら極楽浄土に行けたなら、先になくなった懐かしい人と会って楽しくえる。だとか仏さまにお仕えするために修行をつんでいる。とか輪廻転生だとか、いろいろなことを噂には聞いてきました。 先日主人の一周忌の法要の折、菩提寺(禅宗)の方に主人は今ごろあちらの世界でどうしているのでしょう?こちらの宗派の死後の世界の教えはどんなでしょうか? と伺ったところ 『わかりません。』とひとこと。 いまだ主人を亡くした悲しみから抜け出せず、少しでも仏教の教えの上での主人の今が知りたかったのですが…そのお返事になんとも言われぬ悲しみでそれ以上の質問は出来ないと同時に菩提寺に対する不信感を感じました。 宗派により死後の世界の教えの違いはあるとは思いますが、仏教においての死後の世界の教えがあるのであればどうか教えて下さい。 教えの上で今ごろ主人が何をしているのか、もし知ることができたなら…。 せめてそれだけでも心の支えになるような気がしています 宜しくお願い致します
<お位牌に関しての相談です> 両親のお位牌を本体とは別に作っていただき、現住所である海外の自宅に置いて手を合わせております。このことは、実家がお世話になっておりますお寺の御住職もご存知です。実家の宗派は真言宗です。 よかれと思ってやっていたことですが、最近日本に住んでいるきょうだい達が、私の身に何かあった際の、私の自宅にある両親のお位牌の扱い方に不安を覚えていると聞かされました。 ・私の主人は日本人ではなく日本語も話せないため、私の身に何かあっても、お仏壇(小型のものです)やお位牌に関して、日本にいる私の家族と話し合うことができない ・私のきょうだい達は、日本から両親のお位牌を受け取るためだけに、海外の私の自宅に来るようなことはしたくないとのことです。 ・予想される色々な状況を考えて、主人を含むこちら(海外)の義理の家族に後のことは頼めない。 結論としましては、大変残念ではありますが、私の存命中に両親のお位牌を手放して、きょうだい達の精神的負担をなくしたいと思います。 お世話になっている御住職に相談させていただくことも考えましたが、きょうだい達の耳に入ることを避けたいと思い、こちらでおしえていただければ有り難いです。 また、お位牌と共に日本から持ち込んでおります鈴、鈴棒などの仏具一式も手元にございますので、その扱いについてもおしえていただければ幸いです。なお、私自身は仏事等で年に一回は日本に行きます。 お位牌をそばに置いて手を合わせることばかりを考え、想定できたであろう問題について何も考えなかったのは迂闊であったと反省しております。
18歳になった息子が交通事故で他界しました。まだ49日も来ていません。 毎日泣いて泣いて泣きわめいても これが現実なんだと思う度に辛くて苦しくなります。 同じ様な経験をした人のブログやグリーフケアの人達の言葉も見ましたが、前を向けた人達の言葉であって、今、どん底にいる私には遥か遠い先の言葉にしか聞こえません。 毎日何もする気になれず、何かしようと思っても1つ1つに息子との思い出が蘇ってきて、また辛くなって・・・逃げ出したい。。 楽になりたい。。の繰り返しです。 事故の瞬間の事も考えてしまいます。 怖かっただろうな。痛かっただろうな。苦しかっただろうな。。 どんな思いを残していったのだろう…。 まだやりたい事もいっぱいあったのに、これからの進学も新生活も凄く楽しみにしていたのに、一瞬で消えてしまうなんてあんまりにも残酷すぎる。 そんな事ばかり考えてしまいます。 息子が居なくなったこれからの人生に、夢・希望・喜び・笑顔・楽しみ・を失って生きて行く意味さえも分からなくなります。
はじめまして。私は23歳実家暮らし社会人の女です。 親は高齢出産のため両親ともに60歳です。私は小さい頃から家族が大好きで、そして家族、大切な人の死が常に怖く、最近特にその事を考えてしまって一人で泣いています。 母にもその不安を話したのですが、母はいずれは人は死ぬ来る運命に従うんだよと私よりも何倍も強い気持ちです。しかし、私はやっぱり耐えられません。ずっとずっと仕事中も両親のことを考えてトイレで泣いてしまいます。大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、両親のことを考え、少しでも恩を返そうと実家に戻りました。感謝はできるだけ伝えたいのですが、やっぱり死を考えるだけで辛いです。 また、遠距離恋愛をしています。片道4時間程の距離ですが、いずれ自立して彼の元へ行こうと思ってます。しかし、両親のことが心配でならないのです。両親は子供が幸せならいい、自由に生きてほしい方針なのですが、私が心配でならないのです。本当に不安です。彼の元へ行きたい気持ちも両親のことが心配な気持ちふたつあって辛いです。精神的に自立して前向きに生きたいです。 心療内科も予約済みなのですが、それまで時間があります。この常に抱えてる親の死の不安、精神的自立の仕方どうかご享受願いたいです。 日々不安で辛いです。助けてください。
小学1年生の息子の母です。 息子は自閉症スペクトラムです。 特徴は比較的軽く、障害児であることは周囲からはわからない程度です。 小学校で自閉症であることを周囲に公表すべきか悩んでいます。 小学校では特別級(障害者等のクラス)に籍を置きながら、 一般級で過ごしています。 担任の先生からは一般級で大丈夫、とのコメントをいただいています。 今は周囲に自閉症であることを公表していません。 理由は、 ・いじめや偏見が心配であること、 ・息子自身が障害を自覚しておらず、適切なタイミングで告知する(若しくは告知しない)べき と考えているからです。 先般、小学校の先生から 「特別級に籍があることを周囲に公表するように」 と言われました。 理由は ・特別級であることを隠すことは、特別級の子供たちに失礼である。 ・本校に偏見やいじめは無い。全ての児童父兄が優しい。 ということでした。 本人にとってのメリットは話されませんでした。 私には、公表することが息子にとってデメリットしかなく、 いじめや偏見が無い学校など無い、と思っているので、 公表することに躊躇しています。 その旨はその先生に伝えたのですが、 渋い顔をされ「隠すなんて信じられない!」と言われてしまいました。 更に、息子に対する偏見的な言葉を多々浴びせられ、 悪い心証を与えたのではないか、息子への悪影響が心配です。 一般級に籍を移すことも考えたのですが、 個別級に籍を置くことで、 万が一、何かあったとき個別に対応してもらうことができ、 安心のため、このまま個別級に籍を置いておきたいと思っています。 ・公表すべきか否か。 ・息子への影響を考えたとき、この先生にはどのように対応すれば良いのか。 アドバイスいただけますでしょうか。 息子にとって最良の対応をしたいと考えています。 よろしくお願いいたします。
母が一週間前に自宅にて自死しました。 発見したのは私(30)です。 家には母(50)の両親、母の旦那さん(再婚). 私、私の娘(小3)がいます。 葬儀は終わっています。 四九日までは部屋の中はそのままの状態で、身につけていた物もそのままの状態に してあげて欲しいと祖母に言われました。 私もそのつもりでいます。 ただ、四九日が終わった後、 亡くなった場所(首吊りで亡くなったので)、部屋、その他に衣類とかの お祓いをした方が良いのかな、、って 思っています。 お祓いをした方が良いと思いますか? お祓いをもしするとなれば、 何処でやってもらえるのでしょうか。 そして亡くなった母は ちゃんと天国に行けるのでしょうか。 よく自死で亡くなった人や、事故で亡くなった人はこの世でさまようと、聞きます。 今はただ不安でしかないです。 周りでまた同じ事がおこるんじゃないかとか色々不安だらけです。 お力を貸して頂けたらと思い、 こちらに投稿してみました。宜しくお願い致します
報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌