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hasunoha 問答検索結果 : 「猫 いない 」
検索結果: 1028件

毎日悲しみを感じて生きる人は沢山いますか

毎日悲しみを感じて生きる人は沢山いますか? 当たり前の事ですか? 私は障害者で学問の夢もスポーツの夢も恋愛の夢も叶いません。 経済的自立は奇跡が起こらないと難しく、努力不足というより同じ病気の人なら当たり前のようです。 もちろん家庭を持っても家事育児には体力が足りません。 だから大学受験も就活も婚活もできません。 特にパートナーがいないのが寂しくて悲しくて仕方なく、毎日泣いています。 私のように毎日悲しい人は珍しい事ですか、当たり前にいますか。 若い人は、そんな人はあまりいないのですが、お年寄りなどは、周りがどんどん死にますし、毎日悲しい人もいるでしょうか。 私は希望とは、都合のいい妄想を信じ込む事ではなく、悲しくても現実を生きる暮らしにあるのではないかとこの頃思います。 毎日悲しさを感じる事は異常ですか? 現実を変えようにも、私の努力では、今の医学では、普通は無理なのです。 毎日悲しくても、いいんでしょうか。 自立は無理でも、家でできる仕事があり、それで何か奇跡的にヒットしたら経済的には自立できるかもしれないので、その可能性にかけて仕事はできる範囲でやっています。 ただ、学問の夢、スポーツの夢、恋愛の夢、新しい家族を作る夢は、自分の努力ではコントロールできません。 自分の努力不足でもないのに自分を責めるのはやめようと心がけていますが、失った青春に対する悲しみ、同世代の友達が掴んでいく幸せと自分の違いは生まれつき健康だったかだけで、それを学校の先生からは努力不足と責められてきました。 大人になり、学校の先生は医学的知識が無いという事情があった事に気付きました。 私はずっと先生の言う通り努力不足かと思い、体に鞭打ってきましたが、どうにも治りませんし、医者が言うには当たり前で、精神論で治る訳が無いそうです。 ただ、今まで先生が言うように心さえ成長すれば治るという希望があったのに、それが現実を理解して打ち砕かれました。 だから悲しいのです。 ありえない事を信じるのではなく、現実を見た上で生きるには、毎日悲しい思いが湧いてきても仕方がないように思います。 医学的にあり得ないことを信じていた頃は幸せだったのです。 現実世界を生きるためには毎日の悲しみとどう向き合えばいいでしょうか?

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仏様を信じても許されますか

最近ヴィーガンというものを知り、私が食べていたお肉や卵、牛乳がたくさんの動物達の身体的、精神的苦痛により作られてきた事実があることを知り、自分の世界の見方が変わりました。 例えば駅で二匹の鳩が仲睦まじく毛づくろいをしているのは大変愛らしいと感じ、その一方養鶏場ではたくさんの鶏が食べられるため檻に入れられているのだろうかと思うと複雑な心境になります。 全ての酪農や養鶏などが悲惨な状態で行われているのではないと思いますし、それぞれどのように酪農などをされているか直接確かめることをしていないので確固たる証拠がありませんが、ネットで映像を見たり、身の回りには牛乳、お肉、乳製品がそこら中にあるのに、それの元になっている動物達を直接見ることはほとんどないのは狭いところに閉じ込められているんじゃないかと不安です。自分は仏教に興味があり、仏様の慈悲深かさに感激して仏様やその教えを信じています。捨身飼虎図を見たときに自分も生きるもの全てを大切にできる人になりたいと思いました。 これまで食べてきた動物達には心から感謝し、これ以上食べることはやめようと決めました、それにより肉などの消費が少しでも抑えられ食べられる動物が減るよう願っているからです。 しかし私はスーパーでアルバイトをしています、スーパーでお肉や卵、牛乳などを売っているのを思い出し私はそれらを売る店員として動物の殺生に荷担している、その利益でお金をもらい食べ物を食べたいときに食べるのは罪ではないか、動物に申し訳ないと思いました。始めたばかりで辞めにくいし、半年以上働くと言って採用を貰いました、バイトを面接するにもお金がかかっているし、わざわざ仕事を一から教えてもらっていて辞めるのも迷惑をかける、私が辞めても誰かが代わりにやるだけで結果は変わらない、など考え、今ではなく契約した期間で最短の半年で辞めると決意したものの動物の命よりお金と自分が大切なのかと罪悪感があります。綺麗な空を見たり、食べ物を食べて、ベットで眠ることができる私は動物を見捨てているように思います。しかし自分は自分自身穏やかに生きたいと欲があります、お肉などを売っているのに。バイトをしている時は元になっている動物がどうか救われるように祈る事しかできません。 こんな私でも仏様を信じてもいいのか、失礼であり贅沢ではと思うのですが私は信じたい、信じてもいいでしょうか。

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散歩

こんばんは。 秋めいてきて段々日も短くなり、日中も大分過ごしやすくなってきました。 日曜日はまだ日の高い時間帯に、暑苦しくない天気だったので近くの公園にですが散歩に出掛けました。 いろんな風景を見ていると、気持ちが切り替わってリフレッシュしますね。 最近は自分って必要な人間だろうかって思うと27年ほど付き合ってきた死にたい気持ちに襲われます。 ひどいと好きなゲームをしていても気持ちが切り替わりません。 でも、お天気がよければ散歩をしてみると気持ちがいいので、死にたい気持ちは少し離れてくれます。 私はここのお坊様方にはずいぶんと迷惑をかけたと思いますが、すごく助けられてきました。 ありがとうございます。 前は夕方まで起き上がれないほどひどくて、外出するのにどれだけ大変だったか。 そういうことも何度も泣きを入れて愚痴って聞いてもらい癒してもらってきました。 今もまだ死にたい気持ちが離れてくれませんが、これだけ見てくださったお坊様たちに死んでは申し訳がたたないと、娘たちを守れるのは私しかいないと思いつつ、生きる修行をやっています。 私の一方的な想いかもしれませんが他の投稿者さんたちとも一緒に頑張っているつもりで拝見しています。 中々恩返しが出来ませんが、私がまた働けるようになったらお返ししたいというのが目標のひとつです。 それらがきっと今の私の生きる意味だろうと思っています。

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疲れて消えて無くなりたい

死にたい消えて無くなりたい気持ちが度々起こります。 犬が大好きで大好きで…でも3年前かけ掛けない愛しいコを亡くしました 持病で妊娠出産を諦めざるを得ない自分にとってはたかがペットではなく我が子でした。 病弱な愛犬を必死で育てて愛も手間も時間もお金も惜しくなかった… このコさえ元気で幸せならそれが私の幸せでした… それが逝ってしまったときに生きる意味も見失いました。ただただ喪失感… 愛犬の後追いをしたかったけど家族に泣いて止められ気を紛らすために新しい犬達を与えられました。 新しい子を放って置けないのと親より先に死ぬのは悪いと思いなんとか生活してました。 けれど先の亡くした愛犬の喪失感に襲われては、ついて行きたい…あのコの側に行きたい…と度々願ってしまいます。 そんな時持病が悪化し一時意識不明までなりました…正直言うと死ねなくて残念と思いました… 本当は治療すらしたくない…手術の予定があるけど治るわけではない…ならしたくない…服薬もせず放って置けば数日で呼吸困難になるのだから薬もいらない… そう思うことの方が多いけど家族が悲しむので声にも顔にも出せない…誰にも言えない… 普通の人は人間ならともかく失ったのが所詮犬なのだからと理解すらして貰えない… 誰にもわかってもらえない… それでも今いる犬達は愛してます。 せめてこのコ達の幸せの為になんとか頑張ろうと必死だったけどもう疲れてどうしていいのかわかりません 何もする気も食べる気も起きなくて 今の愛犬たちすら構ってやる気力もなくて…寂しい思いさせてるのに申し訳ないのに何も気力がなくて… いっそこの子達を連れて消えて無くなりたい…先に逝ったあの子の所にみんなで行きたい… 文章が上手くまとめられず申し訳ありません。 誤字脱字もありましたら申し訳ございません。 ただ誰かに吐き出したかっただけかもです。自分でもよくわからないのです。 もしこんな乱文長文に目を通して下さった方おられましたらお目汚し大変申し訳ございませんでした。

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あるお寺の住職さんに言われたこと…。

先日、水子供養に行きその時の住職さんとお話する機会があり、話しました。(一人目病気、二人目水子(同じ病気)) すると、主人の家系はお墓がどうなってるかもわからない状態、私の家系は父方も母方も納骨堂に入れているので納骨堂の意味合いとしては無縁仏なので、先祖供養をやっているとは言えない。お墓と仏壇があってこそ先祖供養をしていると…。そのバランスが保ててないと長男、長子やその子どもに不運が特に付きまといやすいと。なので、この子(一人目)にもその不運が巡ってきてしまったと…。(私たち夫婦は親のせいか不運だとは思ってませんでした) 正直ショックでした。 うちの家では、法要はしっかりとやり、節目節目で納骨させて頂いたお寺にお参りに行ったりしてましたし、心の中では祖父のことなど思い返していたものですから…。また、会ってない御先祖様のことも、感謝し、主人やこどもに出会えたことも感謝して生活してきました。 こういう両家(主人と私)の間なので私たちの間の子どもには病気の子ども等が非常に授かりやすいと。因果ですと。 それを、正すには私たち夫婦が仏壇を購入し、主人の方の戸籍謄本を取り寄せて家系図を作りその仏壇の中にその方々を入れなさいと…。そして、そこに今回の水子さんも入れてと。そうすれば、一人目の子どもも、不運ではなく幸運の方に運気が回ると…。 主人は仏壇うんぬんには反対ですし、私自身、水子や両家の先祖を日々気にかけることができても、それ以上のことは…。 やはり、私たちが間違ってるのでしようか? こう間違ってるから私たちのもとには病気の子どもしか授からないのでしょうか…。

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