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検索結果: 9473件
2021/11/27

遠く離れた国の難民を助けたいが・・・

はじめまして。今日、こちらに登録しました。どうぞよろしくお願いいたします。少し特殊な状況についてですが、解決策というより、心の持ち方について、お坊さんにご教示いただければ幸いです。私は今、友人のご家族を助けるために、その友人に大金(160万円ほど)を貸すかどうか、瀬戸際に立っています。 その友人は外国人で、日本で永住権を得て暮らしています。彼には祖国に若い弟・妹がいるのですが、その国では厳しい兵役制度があることから、それを逃れて、今、隣国の難民キャンプにいるそうです。 その逃れた先の国は、今、政府軍と少数民族の紛争が大きな問題となっています。その弟さんたちのいるキャンプというのが、まさにその少数民族のいる地域で、近くで紛争や空爆があり、水や食料も乏しく、本当に危険と隣り合わせで暮らしているそうです。彼らにはパスポートがなく、日本に入国させるのが法律的に不可能で、あと残った選択肢は、以前難民キャンプにいた、今は別の国に暮らす仲間に大金を払い、違法な手段でその国に渡航させ、保護してもらうことだそうです。 私はその外国人の友人ともう長い付き合いで、ご家族のこともよく話に聞いていたので、とても他人事とは思えず、若い妹・弟さんが、そんな怖い思いをしていることに、本当に自分も苦しくなるほどつらいのです。友人は、日本や海外の弁護士や国連機関に問い合わせてなんとか救う方法を数か月模索したそうですが、やはり個人として難民を救うことはできないと言われたそうです。 私も今、色んな専門家の方にメールして助けを求めているのですが、最悪の場合、私が彼に160万円ほど貸し、そのリスキーで違法(賄賂など)な渡航を試みてもらうしかないと思っています。もちろん、それは本当に最終手段ですが。 今の私は、その危険地帯で怯えながら暮らしている友人のご兄弟を早く救いたいのと、もし渡航が失敗して、彼らの命がもっと危険にさらされたらどうしようという不安や、自分のお金が賄賂などに使われてしまう不安で、心が落ち着きません。彼は、たとえご兄弟の渡航が失敗しても必ずお金は返すと言っており私もそれを信頼したいのですが、160万円という大金を貸すなんてしたこともなく、他の誰にも相談できません。重圧が肩にのしかかっているような気分です。どのような心の持ち方で対処していけばいいでしょうか。どうぞご回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 30
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2021/11/13

助けてください

 こんばんは。お世話になっております。  僕は現在、東京に住んでいます。およそ半年前までは青森に住んでいました。少し複雑なお話ですが、2018年頃に青森に住んでいた親が東京に仕事の事情で転勤になりました。僕は当時高校生で、高校を変えたくないという理由で祖父母の家に3年間お世話になることになりました。そして半年前高校を卒業し両親が住んでいる東京に就職し、今は実家暮らしです。  今、祖母が大変な事になっています。身動きが取れず、どうにもできない状態です。祖母は現在うつ病のような症状があります。うつ病だけでなく、歩けないほどの足の痛み、内臓が下がる病まで発症しています。  それに加えて、1年半程前に祖父が脳梗塞で倒れ、脳梗塞の後遺症が原因で今は祖母が面倒を見ている状況です。しかし、祖母もとても祖父の面倒を見ながら暮らしていける状態ではありません。  祖母は息子、(僕から見たら母の弟)や親族の人にも病院に連れて行ってもらったりしていましたが、息子や親族の人達は嫌気がさしたのか祖母に何もしなくなってしまいました。うつ病は症状が外に表れないため、親族の人達は病気じゃないだの一人で頑張れだのといって全く理解してくれません。  僕の母もなんとかしてやりたいとは言っていますが、東京に住んでいるためにそう簡単には行けません。  いくら祖母が具合が悪いといっても近くにいる人は病院にも連れて行ってくれないので、今日はついに自ら救急車を呼んで病院に行ったそうです。  しかし、その後息子も病院に来て一緒に診察を受けて、息子が医者に足の痛みの症状だけを伝えて肝心のうつ病のような症状には触れずに病院から帰ってきたそうです。  母の話だとおそらく、もしもうつ病や精神病の診断が出れば後々面倒事(祖父母の介護など)になりそうだからとわざと伝えなかったのではないかと言っています。  近くにいるはずの人達は頼りにならず、どうにもなりません。僕の脳裏に浮かぶのは、このままだと祖母が自殺してしまうんじゃないかという不安です。僕にとっては3年間お世話になった第2の母のような存在で、何もせず最悪な結果になって後悔するよりは、僕が青森に帰ってなんとかしようかとも考えましたが、こんな状況にも関わらずそれをやる勇気がありません。本当に無力です。  この状況を打破できるような解決策はありませんか?回答お願いします。

有り難し有り難し 35
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母との残された時間

母が癌です。 今はまだ元気にとまではいかないものの普通に生活できています。 この元気な間にしておけることはないか?と思いながらも日々が過ぎていきます。 その残された普通に生活できているこの時間を無駄にしているようで何も出来ない上に奇跡を信じきる事も出来ていない自分が情けなく、どうしたらいいのか悩んでいます。 だんだん体の自由が利かなくなる前に何ができるでしょう?何をしておけば母が喜んでくれたり、安心してくれたりできるでしょう? よく普通が一番、しっかり話をしたらいいとは聞きますが、それだけでは後悔しそうで。。。 それに普通に歩けている今、してあげられることはないのか?あれば教えていただきたい。 母に何をして欲しいかを聞きたくても、まだ諦めていない母にそんな話しは出来ないし、私も奇跡を信じていると言いながらも信じきれずにこうして不安からなのか何かしておかなくては!と思ってしまっています。 何かしてあげられる事やしておいたらいい事はないでしょうか? 後、だんだん最近は歩いていても途中で休むことも多くなってきており、そろそろなのかと不安だらけです。受け止める覚悟というかしっかり母を支えてあげたいので強くなりたいのですが、恥ずかしながら母に頼ってきた人生だったのでなかなか難しいです。 強くなれるアドバイスや言葉もいただけると有り難いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 48
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夫が急死しました…

平成30年4月24日、夫が急死しました(享年42歳) 12日後に誕生日を迎えるはずでした。 前日は普段通りに生活していました。 朝起こしに行った時に布団の上でうつ伏せになって動きませんでした。 心肺停止で病院に搬送され、その後死亡確認。死因が特定出来ない為に病理解剖をしました。結果、死因は虚血性心疾患。 家に帰って来た夫は体と頭が包帯でグルグル。でも顔は寝ているように安らかでした。 普段から、もっと気をつけてあげていれば… 解剖なんて承諾しなければ良かった… 本当に後悔ばかりで申し訳なく思います。 悲しみでいっぱいの時に、夫の親族から酷い仕打ちを受け、亡くなった夫の事を悪く言われました。 私は姻族関係終了届を出しました。 なので、夫の遺骨は夫の祖父と父親が眠るお墓には埋葬せずに、お寺で預かってもらっています。 今すぐには無理だけど、私が夫のお墓を建てて埋葬するつもりです。 私の大切な夫であり、子供達にとって大切な父親です。親族から悪く言われるのを我慢してまで付き合っていく事は出来ません。 祖父、父親と同じお墓に埋葬しない、親族関係を終了した等… 私が勝手に決断してしまった事で夫が成仏出来なくなりますか? 又、 まだまだこれからって言う時の急死、夫は後悔の気持ちだけを持ったままなのでしょうか?

有り難し有り難し 33
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住職様にとって、お葬儀とは何ですか

大変失礼な質問だと思いますが、何卒ご了承いただけると幸いでございます。 私は、長らくサービス業に従事しております。 ここ5年の間に、2人の祖母、叔父、母親、旦那の親友が亡くなり、その都度お葬儀に参列いたしました。 宗派の違いはありましたが、通夜・火葬・葬儀・法要とそれぞれにおつとめをいただき、『ありがたいお経のおかげで、故人は仏になるために旅立つんだな』と故人の冥福を祈っておりました。 そういった機会も多かったためか、ご縁あって葬祭会館へ転職いたしました。 まだ1ヶ月も就業しておりませんが、すでにたくさんのお葬儀に立ち会わせていただき、さまざまな宗派のご住職様にもお会いしております。 何件ものお葬儀に立ち会うと、知りたくなかった裏の部分も見えてまいります。 『お葬儀をしておつとめを頂くのは、故人が無事に仏になるためではなく、残された遺族が大切な人の死を受け入れるための段階の儀式』なのかな、とも考えてしまいます。 お葬儀をする意味とは、そういった死を受け入れる儀式的な理由も含まれているかと思いますが、住職様から見た『お葬儀の際におつとめをすること』には、どのような意味があるのか、お伺いしたいです。 無知故の不躾な質問で大変申し訳ございません。 よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 70
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非我説(無我説)と我見

非我説(無我説)と仏陀の否定した我見について、差異が知りたいと思います 因果論も関わるかもしれませんが、私は「生き物は縁によってその在り様を生じる」と見ています そしてその見解は基本的に「仏教の見解と一弦する」と思っています しかしこの「生き物は縁によってその在り様を生じる」と「五蘊が我である」と言う「我見」は非常に親和性が高い様に思います そして、「我見」は仏陀によって否定されています 「行為」としての戒めであれば「我見を否定する」のもなんとなく分かるのですが(丹下さんありがとうございます)、 「事実はそうではないからそう見てはいけない」だとすると「え?それだと事実五蘊が我なのでは…?」となってしまいます あくまで仏教は実践宗教であって、真理や真実を追い求める様な科学や他の宗教とは違う、 とすれば、私がそもそも勘違いしていただけなのですが、仏教が余りに優れて科学的(妄想的な所が少なく真理と真実を良く見通している)せいもあってか、 特に「我」と「因果」については「真理や真実」の話だと思っている部分があります この件についての誤りについて教えて頂ければと思います この見方についての補足ですが、 そもそも私の仏教に対する興味がそう言った真理や真実からであったせいがあると思われます もっと言うと「正しいからそれをしてよいしそれをした方が良い」みたいな感じですね 恐らく悟りについても私の中ではそのような物だと思います 「悟れば苦しくないよ」と言われて「じゃあ苦しみたくないから頑張る」と言う領域ではないのだと思います 「善くなる」の「善さとは何か」とかそう言った部分はさておき「少しでも善くなりたいだけなら図書館にでも行きなさい」と言われたら、図書館に行ってしまうような状態ですね 仏教が一般的な意味での善悪からは外れた彼岸にあるのは分かっているのですが、ただ己の為にそこに辿り着くと言う類の物ではなく感じているせいだと思います

有り難し有り難し 32
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