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hasunoha 問答検索結果 : 「 出家 」
検索結果: 980件
2025/09/03

死んだことを受け入れるとは

先日、母が病期の為に亡くなりました。 入院したときから覚悟はしており、面会に行く度に手を握ったりこれまでの感謝や母に対する思いを伝えたりはできる限りしていたのですが、やはり辛く悲しいことには変わりありませんでした。 よく親や身近な人の死を受け入れられないという話を聞くことがあります。 自分が、母の死を受け入れられているのかそれともまだ受け入れられていないのか自分ではよくわからず、他の方から見てどう思うかを聞きたくなりました。 先程も書いた通り、覚悟はしており亡くなった瞬間も「この日が来たんだな。お母さんお疲れ様」と最初に考えましたし。その後、通夜や告別式等があり度々悲しみの波が押し寄せてきて涙が溢れることもありました。 しかし、「もう一度会いたいと全く思わない」と言えば嘘になりますが、そこまで強く会いたいとは思わず、私が生きている限りもう会えないことは理解し、母にはあの世でゆっくりしながら、残った家族のことを見守っていてね。私はこの先もちゃんと生きていくからね、と素直に思っています。 これは母の死を受け入れられているのでしょうか? 難しい質問になったかもしれませんが、回答いただけると幸いです。

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将来の考え方について

こんばんは、以前友人関係で相談させていただいたものです。その子とは和解できました! この春高校生になりました。わたしの通っている高校は進学に力を入れています。しかし、私は将来の夢ややりたいことが決まっていません。 前は動物と小さい頃から一緒で困った時には支えてくれるので恩返しがしたいと思い獣医など動物にかかわる仕事がしたいと思っていたのですが、経済的に厳しくなくなく諦めました。 別のことをさがしていました。 修学旅行の時法話を聞き、自分でも誰かを救えるのではないかと気づき仏教やお坊さんについて興味を持ちました。 先日駒澤大学のオープンキャンパスに行ってきました。仏教学部の資料館の見学や写経を体験させていただきました。写経ではすっと集中でき、周りの音が気にならなくなり、とてもいい気持ちよくなりました。また、仏教の世界に感動しました。 仏教やお坊さんについて教えてください。 1つ目は身内にお坊さんがいないのですが、私が志しても良いのでしょうか? 2つ目はお坊さんや尼さんをやっていて良かったと思ったことを教えてください! 3つ目は尼僧さんはどのような場所でおつとめできるのでしょうか?また女性を受け入れていただけるお寺はあるのでしょうか? まだまだ未熟なので失礼な質問があったらすみません。よろしくお願いします!

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神や仏の存在とは?

今日、ふっと思った事の答えを教えて欲しいです。 この世には色々な宗教、宗派がありますが、基本的には人々を幸せに導く為や心の拠り所として神や仏というものが存在しているんだ思います。 しかし、事件や事故に巻き込まれて突然命を奪われて亡くなる人もいたり、生まれつき障害や病気を抱え生涯苦労したり生まれてすぐ亡くなる子供がいたりします。 また、生まれ育った環境で心に傷を負ったまま生きていかなければならない人達もいます。 第三者は同情したり励ますだけで終わってしまいますが、当事者やその家族は「なぜ?」「どうして?」と言う疑問や悲しみだけしか残りません。 人は神や仏に助けを求めたり幸せになれる事を祈り信仰してるんだと思いますが、なぜこの様な差と言うか違いが生まれるのでしょう? 当事者や家族にしてみれば祈りや信仰は何の意味も無いし、悲しみを癒してくれるものでもないと思ってしまうのではないでしょうか? そう思うと神や仏とはいったい何の為に存在してるのでしょうか? 私の友人の奥様は5歳の子供を事故で亡くし、その後生まれた子供もわずか6ヶ月で病気で亡くしました。 奥様は廃人同然の様になり今も精神科で入院しており、友人も以前とは見る影もない程落ちぶれてしまいました。 きっと幸せな生活を夢見てたと思います。 ニュースで土砂崩れに巻き込まれて21歳の女性が行方不明になっているのを見て、その女性もこれからの人生に夢と希望を持ってたはずだろうなぁと思っていた時、神様って何なんだろうとふっと思ってしまいました。

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跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

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「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか?

例えば浄土宗の檀家で、普段は念仏を唱えているけれど、ときどき座禅や阿字観に参加したり、お護摩に参加する。 そう言う人が知人に居ます。 私の場合、浄土宗で冠婚葬祭も勤行も、阿弥陀様メインではありますが、同時にお不動様と大黒天様に惹かれ、こちらも勤行しています。 (浄土宗のお寺にも多くは無いですがお不動様をお祀りしている所があるので、大きな軋轢は無いだろうと思いました) 最近、一般向けの仏教の啓蒙書でも、そうした「宗派にこだわらない」立ち居地から仏教を紹介している本も少なくないように思います。 私も、とある有名な仏教解説者の影響を受けて、こうした立ち居地が、個人的に合うように思い、そうしてきました。 ただ、色々と仏教を勉強していると、「そうした信仰はよくない、宗派は1つに絞るべき」と言う意見にも、しばしばぶつかります。 最近では、浄土宗の檀家の私が、護摩に参加するぐらいならともかく、結縁灌頂まで受けるのはやり過ぎかな? と悩んだりもしています。 お坊様は「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか? この質問は聞きずらいですし、お坊様がたもお答えしずらいかもしれませんが、「宗派にこだわらない」一般仏教啓蒙の影響を受けた者には、けっこう切実な悩みです。 よろしければ、ご意見を伺えたら幸いです。

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