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hasunoha 問答検索結果 : 「私 余命 」

検索結果: 389件
2025/10/21

自分の気持ちの汚れ

長文になります。 先日より相談させていただいている主人のことです。 肺がんのステージ4と診断され治療を続けていますが、先日、薬剤性間質性肺炎を発症してしまいました。抗がん剤の副作用ではないか、とのことでした。幸い、危険な状態は脱することができました。 ただ、そのとき主治医からとうとう余命宣告をされてしまいました。もしかすると、3か月から6か月かもしれない、と。このことは私と息子のみが知っています。主人は「そういう状況になったら必ず教えてほしい」と言っていましたが、主治医からはもう少し体調が落ち着いてからお伝えしようと思っている、と言われ、まだ伝えていません。 いろいろな思いが交錯するなか、今朝のことなのですが、、、。 自分の車を運転しながら、ふと「この車、再来年に車検だけど、買う余裕ないから直して乗ろう。お金はかなりかかると思うけど、、、その時には主人はいないだろうから、、、」と考えてしまったのです。我に返って、ひどく恐ろしく、ひどくうろたえてしまいました。なぜそんな考えが浮かんだんだろう、、、私は主人がもうそばにいなくなってしまうことを頭において行動しようとしているんだろうか、と。いなくなることを思い悲しくなり涙を流す自分、反面、万万が一の時はどう行動すべきか、そんなことを考える自分。相反する気持ちや、そのようなことを考える自分は、本当は心がひどく人らしくなく、汚れてしまっている。そのことを思うたびに自分に嫌気がさし、そして頑張ってくれている主人に顔向けできないと思ってしまいます。 今朝の感情はいったい何だったのでしょう。そして、今の私の気持ちを立て直すにはどうしたらいいのでしょうか。ただただ主人がそばにいてほしいと、そのことだけ強く願っています。

有り難し有り難し 18
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2025/04/26

心の整理がつかないです

今までずっと健康体だった親友が去年の8月に 急性白血病と診断され昨日余命2カ月と言われたと聞かされました 先月は退院出来るかもしれないと聞かされていたので尚更辛いです 親友とは小1からの付き合いで 私の誕生日が7月で誕生日を祝って貰い それから1か月後に親友は入院して今に至ります 今年でお互いに40歳になる節目の時で 親の事を気にしながらお互いにまた仲良く過ごして 頑張ろうと誓い合ったのが最後です 私自身去年の4月に父を癌で亡くして 今年は親友を失うと思うと気持ちが辛くてしょうがないです 正直父を失った時より気持ちは落ち込んでます 父は不摂生が原因で癌になったのと思ってるので 仕方がないと思いますが親友は酒や煙草 夜遊びなどもしなくて真面目な人間です 世の中には詐欺や平気でパワハラなどする人が 健康で生きていて何故親友がと思ってる位です 歩いてるだけで車で轢かれたり刺されたりする人も いますので運命って本当に分からないものと思ってます 母の前では気丈に振舞ってますが 親友の事を想うと泣けてきて風呂場や 就寝時の時にだけ泣くように心掛けています 本当は親友が亡くなったら俺も後を追いたいぐらいです だけどこんな駄目な自分でも母は私を必要と言ってくれるので 母の為に頑張って生きなきゃと思いますし 私が先に亡くなったら亡き父にあの世で殴られると思ってます 自分が傷つく分には努力が足らないから仕方がないと耐えたり 割り切れますが大切な人が傷つくのは心が耐えられません 相談内容と言いますか心が苦しかったので 長文な文章を書いてしまい大変申し訳なく思っております 心が強ければ悩まなくて済むんですけどね

有り難し有り難し 43
回答数回答 3

今 向き合うべき事がわからない

現在実家の母が末期がん、余命はあと数日と言われています。 私は遠方に住んでいますが母のがんが発覚して、できるだけ顔を見せるようにしてきました。先日母から「自分の家庭があるのに頻繁に来るな、まだ母親が必要な子供が家で待ってるだろう。来られるとその事を考えて心配で神経が高ぶる。やめてほしい。」と強く叱られました。 母の心配する気持ちを受け止めましたが、自分が辛い時にも娘の事を思ってくれる母を思うと胸が張り裂けそうでした。 それからも実家には行きますが母の部屋には入らず(母はベッドから動けません)、介護は姉が、私は家事を手伝う位です。 母は私が来ていることを知りません。 宣告はしていませんが、あまりにも身体が辛いので母は自分の命の期限に気がついていると思います。 ただ私が行く事でもっと母を辛くさせてしまうけれど、もういつ逝ってしまうかわからない母に会っておきたい気持ちと、とはいえ、日々衰弱していく母を見るのは辛いのも確かです。 あと、未婚で実家に同居している姉が心の病があり、思い通りに行かないと家族に暴言を吐く、などしてきました。その拠り所であった母の死を恐れながら、懺悔するかのように今は献身的に介護しています。 その姉から、とにかく夜一人で母の死を想像するのが怖いから、実家にいてと言われています。姉がいっぱいいっぱいになり爆発するのも私は恐れています。自分の家に中々帰れません。でも母の顔は見れません。 今私がやるべき事は、一体何なのか。 自分の考えだけでは行動できず、私自身も意思を貫く事ができない弱い人間である事を目の当たりにするだけの毎日です。

有り難し有り難し 22
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義父の終末についての家族の考えに疑問です

よろしくお願いいたします。 同居している義父が大病を患い、入退院していましたが、昨年頃から容態が芳しくなく、春頃より入院しっぱなしでした。 最近になり、とても親切なお医者様やスタッフの方々のおかげで、少し持ち直し、一時帰宅も頻繁になってきていましたが、先日、義父の弟さんが同じ病で亡くなりました。 義父は、私や孫の前では気丈でしたが、遠方まで行って葬儀を終えた義母が帰ってくる頃、やはり気落ちしたのか少し悪くなってきています。 義母は、以前より、義父の容態が少し良くなると家に帰り私の前であからさまにがっかりして見せ、「早く…(とても書けません)」と言うことがあり、先日私がそれに嫌悪感をのぞかせるとそれ以降あまり言わなくなりましたが、相変わらず義父の容態が悪いとそわそわして…どこか楽しそうに見える気がしてしまいます。 そんな矢先、余命宣告をされたとそんな義母から聞きました。 主人もが、今週の一時帰宅が最後だろうから私に義父の写真を撮れと言うのです。 私も父を同じ病で亡くしていて、主人の言葉の意味も気持ちもわからなくはないのですが、何か違う…と違和感を感じています。 写真なんて、そんな気持ちでとるなんて、嫌です。 私的にはこの山を越えてもらってまた持ち直してもらいたいと思うのに、なぜ本当の家族達はこんなに冷めて冷たいのでしょうか。 父の代わりじゃないですが、勝手ながら義父には少しでも長生きして貰って孝行させていただきたいです。 でもいざという時はやはり私は部外者で蚊帳の外、もどかしくさえ思います。 義母や夫から義父の話を聞くのが嫌です。 どうすれば、どう考えればいいのか、心の置き場に迷い困っています。 分かりにくい文章ですみません。うまく言えませんが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

無念さが時折邪魔をします … 。

余命宣告1年が 半年過ぎました。 仕事にケジメをつけ 退職し 自宅は介護ベッドと最低限必要なもの以外はすべて処分し 実家と病院の出入りで生活と治療を続けています。 老後にと貯めていた貯金で 両親の自家用車を購入し  実家の台所を全リフォームし  自分と息子の墓石 両親の墓石  そして  お寺で両親の戒名と私の葬儀のお願いを聴いていただき 余命1年の会計と財産分与をすませ 日々は 病院での治療日誌を毎日詳しく書きしたため 抗がん剤治療が出来なくなったあとの ホスピスも手配ができたところです。 優しい息子 看病してくれる両親には ただ ただ感謝しかなく 自分のできる範囲で余命生活を 共にしています。 病院関係では 主治医 緩和Dr看護師 整体 薬剤師 みなさんによくしてもらい 落ち着いて治療 療養できていますが ガンの痛みと副作用は  容赦なく襲ってきて 毅然に生きていると思っていても 一人涙が溢れたり  どうしようもない無念さに 心が折れそうになります。 特に 発見前 今の主治医に 「ガンではないか!」と ひつこく受診し 薬服用しても効果ないと通院していたにも かかわらず 大病院で受診したら 膵臓ガンだとわかった経緯は どうしても許せなかった…のですが 大病院は遠方なので やむを得ず ガンをみつけれなかった今の病院で 治療をすることになっているので 毎日 思わない日はありません ・・・速く見つかっていれば 手術できたり 治ったり 余命1年ってことはなかった・・・ と そのキモチを収めるために 朝晩お経を唱え写経したりするのですが 痛さとの戦いのよぅです 医療麻薬のせいにはしたくはありません この先 痛みと無念さに負けず 心穏やかに 自分らしく生きたい そのためには どんな心積もりでいるべきでしょうか お知らせ下さい

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 21
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祖父の死、後悔が尽きません

癌の余命宣告を受けていた祖父が旅立ちました。宣告されていた余命よりも長く頑張りました。 幸いにも、亡くなる1週間ほど前までは元気で、薬は飲んでいたものの、入院することもなく、亡くなる前日まで散歩をしたりしていました。 私は祖父と同居していたこともあり、おじいちゃんっ子でした。 海外に住んでいるため、コロナ禍ということもあり、祖父が亡くなるまで一度も日本に帰り会うことはできませんでした。 そのため、毎日祖父にビデオ電話をかけて、お喋りすることにして、連絡を取り合っていました。でも、毎日と決めていたのにも関わらず、3日間連絡が空いてしまうことや、祖父の話をちゃんと聞いていなかったときもあったなあ…もっといろいろ聞いて、もっと闘病中の祖父を労ってあげればよかった、という後悔で押しつぶされそうです。闘病中でしたが、ご飯もよく食べ、散歩もし、元気だったため、その姿に甘えて、寄り添ってあげれてなかったのではないか…実は苦しかったのにそれを見せなかっただけだったのか…考え出すと苦しくて涙が止まりません。人間未熟な自分が嫌になります。 まとまりのない文章で申し訳ございません、いまの素直な感情を書かせていただきました。私もいつか祖父のいる場所に行く時が来たら、また会えると信じています。また会いたいです。

有り難し有り難し 5
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元彼が1年前に亡くなりました

3つ年上の彼氏と付き合って2年で「別れてほしい」と言われ、好きだったのですが仕方なく別れました。 その時彼は余命宣告をされていたのですが、私は何も知りませんでした。 彼が病気でもうダメかもしれないと友人に聞かされ、彼に会いに行った時に彼に「別れてからも好きだった。でもこれからは新しい人と仲良くしてね」といわれ、心が激しく動揺しました。 その後、彼はすぐに亡くなり、私は精神的に不安定になってしまいました。 それから一年が経ち気持ちの整理がついたと思っていたのですが、命日が近づくととても苦しくなって突然泣いたりしてしまいます。 これから好きな人をつくって付き合ったりしたいし、結婚だってしたいです。 でも人と付き合うことを意識した瞬間に、元彼に申し訳なく思ってしまいます。また、お付き合いする人に対して失礼なのではないかと思ってしまいます。 そして、彼の病気をしり現在医療職を目指しています。しかし、彼と同じような患者さんと出会った際に自分が動揺してしまうのではないかとものすごく不安です。 これから新しい人と付き合うため、また医療職として病気の方と接するため、彼を思う気持ちを忘れた方がいいのでしょうか?

有り難し有り難し 34
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伯母の言葉に許せません。

私のお婆ちゃんに2ヶ月ほど前、胃癌が見つかりました。持って半年、早ければ3ヶ月と言う余命宣告。 お婆ちゃんには癌のことは隠して、母と伯母夫婦と話し合い今は思い出をいっぱい作ろう!という事になりました。 母と私は仕事があり、中々時間が作れないので伯母夫婦がお婆ちゃんの身の回りの事をしてくれています。 その事に関しては感謝していますし、近くに居てよかった。と思っていました。 ですがつい最近ホンの些細な事で伯母がお婆ちゃんに対して怒ってしまい、「退院も支度も1人ですればいぃ。」 と言っていました。 最初は冗談だろうと思っていましたが、どうやら本気のようで。 母は伯母に何故怒っているのか理由を聞くと 「病院食は食べたくないし、吐き気がするって言ってたから朝昼晩とわざわざご飯を作って持って行っているに、気を使わなくていいよって言うあの言葉が腹が立つ。 私が毎日御見舞に行っているのに私の所にはお礼の電話もない。散々迷惑かけておいて。 私は退院の日は行かないから。」 その言葉に私は怒りが込み上げてきました。 私からすれば大事なお婆ちゃんですが、伯母からすればたった1人の母親です。血のつながった親子です。 とても1人で退院できる状態ではないですし、ゆっくり歩くのが精一杯。 迷惑かけているのはお互い様、今そう言うことを言っている場合なのか。心が狭すぎる。 いつ亡くなってもおかしくはない状況なのに、そんな言葉が何故出るのか私には理解できません。 そして追い討ちをかけるように、伯母の旦那が「何も持って行かなかったらご飯食べるよ。こっちが色々持って行くから食べないだけ。」 そんな事をよく言えたなと思いました。 癌のせいで食欲も落ちてしまい、体重が35キロしかありません。なので少しでも体力がつくように、体重が増えるようにと思いお婆ちゃんが好きそうなものを持って行っています。 そんな事も分からない伯母の旦那にも腹が立ちます。 私が文句を言いたいのですが、お婆ちゃんの病気の事もあるので今は我慢しています。 ですが人として伯母夫婦の事を許せません。 顔も見たくないぐらいです。 こう思う私の心が狭いのでしょうか。 長文になってしまいすいません。 最後まで読んで頂き、ありがとうございます。 ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 17
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人は自分自身の人生しか生きられない

親子でも親は子を100%理解出来ないし逆に子は親を100%理解出来ない。 夫婦間や他人なら尚更理解するのは難しくなる。 人は1人では生きられない。多くの人達の助けがあり、それは気づきもしないところでも助けられています。これらは事実だと思いますがやはり自分以外の人間を事を思いやるにしても心を理解するのは難しいことですよね。 助け合うが行き着くのは自分自身であり自身の人生を歩むしかない。 私はそういう事を感じてはいましたが長年目を伏せて生きてきました。 両親に助けられ1番絆が深いのは母です。 しかし母も67歳で病気持ちです。 1番の私の理解者の余命もそんなに長くはないことに目を向けた時、私は母が亡くなったら孤独になると感じました。 しかし最初に書きました人は自分自身の人生を歩むことしか出来ない。全ての人間、1人1人が違う心である。 その事を私自身受け入れたいのです。 今まで母に助けられすぎて自分は母とは心が繋がり、一生を共にするような錯覚がありました。 でもそれはやはり錯覚です。 50億人間がいるなら50億の心があり50億の孤独がある。 私の考えは間違っているのかどうか、皆様のアドバイスをよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 56
回答数回答 2

家族との向き合い方について

初めまして。 実は我が家におこる様々な災い?について、不安で仕方がありません。 十数年前に父が経営していた会社が倒産し、家も車も貯金も全て失いました。 やっと苦しみから脱し、普通の生活が送れるようになったのに、三年前に父親が癌である事が判明... 余命二年と言われ、未だ抗がん剤治療を続けております。 父が旅立ってしまったら、気丈に振舞っている母親の事が心配で堪らず、兄と二人で支えていこうと話してました。 その矢先、その兄が鬱病を発症してしまいました。 責任感の強い兄なので、今後長男である自分が何とかしなきゃと奮い立たせていたのですが、仕事のストレスもあり、限界を超えてしまったようです。 私も昔心疾患になった事があり辛さは痛いほど分かるので、そんな兄を見ていても何も出来ない自分に不甲斐なさを感じます。 私の主人も体調を崩しており、あまり心配掛けたく無いので、明るくつとめてますが、私自身も精神的に限界近くなり、そろそろ心が折れてしまいそうで怖いです。 今後家族とどのように向き合い、子供として妹として妻として、何をどうしていくべきなのでしょうか。 何故こんなにも辛い出来事が次々とおこるのか... 私の何がいけないのでしょうか。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2