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検索結果: 401件

どうすれば自分を受け入れられるでしょうか?

 以前、"結婚できなかった、これからの人生が見いだせません"で質問させていただいたものです。  それ以降もいろいろな人に支援をいただき、いろいろと考えてきました。しかし、どうしても考えは次のようにループするだけで、ちっとも考えが前に進みません。  私は40歳ですが、それまでいろいろと恋人を作りたいと努力はしてきました。お見合いも50人はしたと思います。しかし、女性と恋愛関係を構築することはとうとうできませんでした。私の周りで40歳にもなって恋人の一人もできなかった人は聞いたことがありません。もう、恋愛も結婚も無理だと思います。そして、もう残りのイベントは死だけだと思います。しかし、そのとても固定的な残りの人生をとてもつらく思っています。  一方、周りの人はほとんど結婚して子供もいます。先々いろいろあるかもしれませんが、幸せの選択肢を彼らはたくさん持っています。そして、私一人だけが残りの人生孤独が決まっています。  正直、周りの人たちが憎くてたまりません。私が生涯孤独ならば、人の結婚式はおろか、会社の飲み会にももう行きたくないのです。人の幸せを感じ、自分は一生孤独であることを自分自身で再認識することがつらくてたまりません。  ただ、問題も認識しています。どんな女性がいいのか?どんな結婚生活を送りたいのか?正直、あまりリアルに考えたことはありません。ですが、まず恋愛し、その人と一生いたいと自然にいたいなぁと思って結婚するということにあこがれるのは、40歳の老体にはあまりにセンチメンタリズムに過ぎるでしょうか?  お世話になっている精神科の先生には「宿命を受け入れなさい」と言われています。けど、私には生涯孤独を受け入れられそうにありません。  なぜ、「人が結婚していれば、あなたも結婚しなければならないか?」とこちらで言われました。ですが、人と同じくらいの幸せを私も得たいと思うのは私の煩悩でしょうか?  仮に残りの人生死しか待っていないとして、どのようにすれば死を受け入れられるでしょうか?もし、幸せになれないのであれば、、、、。消極的に死がやってくればいいのになぁとすら思います。

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お付き合いしている女性のお母様の死

お付き合いさせて頂いている女性のお母様が先日亡くなられました。初七日が過ぎたばかりです。ひとり住まいをされていて、浴槽での溺死でした。悪性リンパ腫を患っており、また足腰もだいぶ弱くなっていたのですが、ほんとに突然亡くなられました。お父様は10年ほど前にご病気で他界されています。彼女は同じ市内に別居していて、普段からお母様のご様子、とくに足腰が弱くなっているので、仕事のない日はこのところ頻繁に実家に通っていました。亡くなった当日は日曜日で、彼女は仕事は休みだったのですが、連勤で疲れていたこともあり、また次の休みに行けばいいと考えその日は実家に帰らなくて、悲劇に遭遇しました。 彼女は自分を責めました。その日に実家に帰っていれば、こんなことにはならなかったと。。母が亡くなったのは自分のせいだと。。そのように考え始めると、次々とこの1年ほどのお母様への対応が悪かったと自分を責めます。コロナでずっと家に閉じ込めてしまった。。体が悪いのに、体を動かそうと無理に連れ出して、つらい思いをさせてしまった。。物忘れがひどくなっていた母を叱責してしまった。。などです。 私はお母様にはお会いしたことはないのですが、彼女の振る舞い、考え方を通して、また話を聞くにつけ、とても素晴らしい方だったと容易に想像がつきます。自分のことよりもまず子供たち優先、というのを聞きました。そのお母様に大切に育てられた彼女もまた、私からみると、母親思いの心優しい素晴らしい女性です。 しかし彼女はお母様を死に至らしめってしまったのは自分のせいだと、この1年母にひどいことばかりしてきたと、足腰が弱っているのに風呂場の危険性にどうして気づかなかったのかと、昔から母には迷惑ばかりかけてきたと自分を責め、苦しんでいます。後悔ばかりで気持ちの整理がつかない、と言います。 私の両親は健在で、身近な人を亡くした経験はないのですが、彼女の心が穏やかとなるようにしてあげたいと切に願っています。このhasunohaでの他の方々の投稿、お坊様からの温かいお言葉を読むにつけ、涙がでてきます。 どうかよいアドバイスを頂けたらと存じます。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
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夫の自死と自己嫌悪

はじめまして。 亡くなった夫と、その後の自分の気持ちの持ちようについてのご相談です。 約2ヶ月前に夫が自死しました。とても優しい人でした。私は親の愛を感じられずに抱えていた孤独を、夫は包み込んでくれました。私が好きなことを好きなようにできるよう、サポートしてくれました。私は親に言えなかったわがままを、夫に言ってしまって負担をかけていたのだと思います。 自死の少し前からネガティブなことを口にしていました。仕事のようなものでの悩みは本人から聞いていました。その中で自分が消えれば全て解決、とか、妻である私のためには自分はいなくなった方がいい、などです。私は大丈夫大丈夫と励ましていましたが、それが余計追い詰めたのではないかと思います。 病院に通院してなかったのですが、おそらく心を病んでいたのだと思います。元々精神的に強い人だったこともあり、私がそこまで重く考えずカウンセリングに行こうという発想が出来なかったこと、私の不適切な判断と、夫への甘えからこうなってしまったと自己嫌悪でいっぱいです。 泣いてばかりだと亡くなった人はは成仏出来ないと聞き、はやく前を向かなければと思うのですが、なかなか自己嫌悪から抜けられません。 また亡くなってからの日にちが経つのが遅く感じ、まだ2ヶ月か、いつになったらこの苦しみが落ち着くのか、と目の前が真っ暗です。 自己嫌悪と前を向くことへの狭間でとても苦しいです。 どうやすれば折り合いをつけて、早く夫が成仏できるように前を向くことができるのでしょうか? 心の持ちようを教えていただきたいです。

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昔の彼女の死と今の妻との幸せの共存

僕は今妻帯者です。子供はいません。僕が子供の頃は両親と姉と四人暮らしでした。 ただ、母が仕事上夜勤が多く、父も仕事の帰りが毎日日を跨ぎ、朝日が昇る頃に仕事に向かい、姉は病気で養護学校を卒業するまでは病院生活、と実際は家族がバラバラでした。 やがては両親の離婚に伴い母子家庭となりました。僕が小学生の時、同級生、先生からいじめに遭ったため、人を疑うようになり、冗談も通じなく、笑わない性格です。 社会人となった今は、上司からのパワハラ、過剰労働、休日出勤など、休む体が休めなく、これまで3回の休職、期間にして合計1年半休みました。 一度別れて、もう一度彼女になる予定の人が僕が26歳の時に死にました。それ以来、自分がその人の分までしっかり生きているのか、今の妻を幸せに出来ているのか、立ち止まっています。 孤独な日々を過ごしすぎたのか、それは自分では判りかねますが、多くの大人に裏切られ、ふとした時に、生きることを考えてしまいます。 このまま孤独や裏切りの傷を抱えたまま、今の妻を幸せにできるのか、昔の彼女の死をどう見つめ直すのか。 これから、あと何年彼女のいない日々を過ごせばよいのか、感情が複雑になってしまい、自分が今どうしたら良いのか、わかりません。

有り難し有り難し 32
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2021/10/02

老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

有り難し有り難し 20
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2022/11/24

自分の心の置き方について

いつも大変参考になるお言葉と励ましのお言葉で、少しずつですが成長できております。 今回大きな変化がありました、それは親父の死についてです。 少し前からガンで厳しいという状況は知っており、ここ数日前に訃報を聞きました。 ただ、私の心境的に涙も悲しさは直接的に感じず、「人は死ぬもの」という基本前提と私もどうせいつか死ぬという達観があるからだとは考えております。 そのためか実家でおこなわれる葬式や告別式の話が出た時に私は行きたくないと答えました。親に感謝していない訳ではないのですが、他人の死と同様に捉えてしまい私が行かなくてもいいと判断しております(手続き等は兄貴がしております) 最後くらいとよく言われておりますが、私の人生として成人式等の一度きりのイベント事にそこまで関心がございません。 ただし、ここで質問をしているということは、心の中にしこりのようなものがあるから、私は間違っていないと肯定されたい気持ちがあるとは考えてはいます。 孤独感というのも悲しいことになれてしまい、家族と連絡しなくても幸せに生きれてしまいます。 上記の考えも分かってはいながら葬式に行くことが大人ということなのか、自分が行きたくなくて後悔もしないと確信があるならいかなくてもいいのか、正解がない問題なのでどうしてもお言葉をいただけますと幸いです。 何卒宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 24
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父の死から立ちなおる事ができません

1月末、コロナウイルス感染症により父が亡くなりました。75歳でした。私の家族は子連れ同士の再婚家庭で、私は長年継母からの虐待に耐え、父からの辛い言葉にも耐えながら「きっといつかは分かり合える、家族なんだから」といつか父とまた家族として関われる事を心の拠り所に生きてきました。 大人になり結婚し、漸く人並みの幸せを得て、父と親子として再出発する為始めは実家にこまめに足を運んでいましたが、継母や義妹との関係は変わらず顔を見せても冷たい言葉をかけられるので精神的に参ってしまい、実家に姿を見せるのは年に一度程度になっていました。 年老いた父が私に会えずに寂しそうにしているのは分かっていましたが、長年の虐待や孤立により「私は必要のない人間」という感覚が無意識下で刻み込まれていた為、猜疑心に苛まれていた為に父の寂しそうな顔も無意識に疑う状態になっていましたが、長年の溝を埋める為にもまず父と2人でゆっくり話せる時間を作ろうと模索している最中でのコロナ感染でした。 父の最後はLINE電話で義妹が看取り、喪主も継母の意向で義妹が務め、最後の最後まで私は蚊帳の外のまま、父に会えないまま私は一般席でひっそりと父を見送りましたが、父の死後に自分の中に刻まれていた「私は必要ない」という考えの癖が邪魔をして、父の想いが届かなくなっていた事に気づき、父にとてつもない寂しい思いをさせたまま、父の為に何ひとつできなかった事に苦しんでいます。 どんなに孤独で辛くても、父と分かり合える未来に希望を持ち強く生きてきましたが、寂しそうにしていた父の顔や「お前と話したい」と最後の電話で言っていた父の言葉が頭をよぎり、ここにきて心が折れかけています。笑う事も、幸せを感じる事も、拒む自分がいます。 寂しがり屋な癖に頑固で、どこか弱くて、支えてあげたいと思える、私にとってかけがえのない大事な父でした。 元はお母さん子だった私が父について行く事を選んだのは、家族と離れ1人ぼっちになる父を守ってあげたいと子供ながらに思ったからでした。 でも、私は父の為に結局何もしてあげられませんでした。寂しそうにしていた父の顔があまりに辛く毎日泣き暮らして、後を追いたいと考えてしまいます。 父に会いたい、会って話がしたいです、こんな気持ちを抱えて生きていく自信がありません。

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2022/03/01

自分が汚らわしいです。ヒントはお経にも?

 いつもお世話になっております。こちらでご相談を重ねるうちに、 戦い疲れた私は他人への無闇な疑念という危険な武器を捨てることに しました。疑ってしまう自分、改善していくべき言動や行動ととことん 向き合って、まさに修行をしていこうと思いました。  そこで、新たな問題が生じました。自分が汚らわしくて仕方がない のです。空気が読めない自分、人との適切な距離感がわからない自分、 列挙に暇がないほどです。  通っている近所のお寺のご住職にそれを告げ、メモを握り締めご助言 を仰ぐと、 「僕の感想を述べるけど、それはカウンセラーさんに言ったほうが いいと思う。僕が言うと越教になっちゃうな」 とのことでした。  数日後のカウンセリングで相談する予定ではいますが、できない 自分が汚らわしくて、恥ずかしくて、やはり人の目が気になります。  そこで私はカウンセリングや日々の訓練と並行し、ヒントを仏典に 求めました。通販等であらゆる経典を購入し、読もうと思います。 カウンセリングや訓練のない日はお経で勉強しようと思ったのです。  しかしそこで、 「お経を読んで解決するのは、悩んではいるけれど、医者にかかるまで ではない健常な方なのでは?」 と考えました。  私は浄土宗の檀信徒ですが、死後思想的な要素の強い三部経だけでは なく(個人的な考えですが、一時期阿弥陀経ばかり読んでいたら希死念慮 が発生して自傷一歩手前まで行きました)他宗派の…例えば理趣経、 法華経などもうまく生きるヒントを得るため読みたいと思っています。  こんな時、今は亡き親たちがしっかりしていればとつくづく思います。 思えば私が発心したきっかけは、「家庭が崩壊しているので、人として しっかり生きるヒントを仏教に求めたから」でした。  仲良くしている近所の奥さんには、 「私たちはそんなの読まなくても生きてる」 と言われましたが、それは親御さんがしっかりしているからでしょう。 (自分でも「うちの親はいいよ!あんたんとこ、酷いもんな(笑)」と 言っていました。悪意はなく、いじられているだけです)  経典を読む際の注意点、私は経典を読むのに適するのか、お言葉を 頂きたく存じます。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 31
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自分だけ完全に別の世界

率直な意見が聞きたいです。 わたしは現在23歳で、生い立ちを簡単に説明します。元々兄弟や親戚は全くいない状態で、幼い頃から両親の虐待、いじめ、父親に捨てられてから母子家庭、父親と離婚した理由をわたしのせいにする母。その後の生活も母親の言葉の暴力や生活的支配【極端に厳しい門限や私の意見や行動の否定的発言】が続いた状態です。 そんな中私が大学に進学し1年目、母が癌で亡くなりました。わたしは天涯孤独になりました。その時の感情はあまり覚えていませんが、幸せになるために生きようという前向きな気持ちだったことは確かです。母の死後学費や生活費をアルバイト掛け持ちや奨学金で賄い、無事に大学を卒業。その後新卒で正社員として働き出しました。ですがここまでの過程で私の人生がおかしくなります。大学当時一回り年上の彼氏がいました。その人とは半年ほどお付き合いしていましたが、経済的価値観などが合わずお別れしました。お別れしたのが社会人になる2ヶ月前です。別れを告げたのは私の方なのに、別れた後パニック障害と鬱になり、生きる気力を失っていました。簡単に表現すると肉体は生きているのに心が死んでいました。その時心療内科に通院し、なんとか四月から働き出すことができました。しかし働いた会社が外れで、さらに精神的負荷がかかり、入社5ヶ月目で突発性難聴になり現在休職中です。社会人になり、朝から晩まで働いて最低限の収入を得る。この無意味な生活をこの先もずっと続けていくのかと思うと気が狂いそうになり、正直復帰するどころかもう死んだ方が楽だなって思います。というのも別に働くことだけが辛いのではなく、ただでさえこの若さで天涯孤独だの精神疾患だの普通の人にはあまりない状況に置かれてる中で健常者の中に混ざって生きていくことにもう疲れました。なんのために生きてるのかもわからないし、鬱の薬飲んでもイマイチ気持ちが晴れないし、希死念慮が強いため入院も勧められこんな現実。正直もうみたくない。皆さまがわたしの立場ならどうしてますか?意見聞かせてください。

有り難し有り難し 23
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2021/11/21

母の自死・これまでの母への態度を深く後悔

母が自死し、これまでの自分の態度を深く後悔しております。何かアドバイスをいただきたく投稿しました。 母は私のことを大切に育ててくれました。それなのに私は思春期をグズらせたような感じで、いつまでも母に素直になれず、ぶっきらぼうな付き合い方を続けてきてしまいました。 母は、「娘に気遣ってもらえるのが何よりも嬉しい」と以前言っていました。私を頼りにしていることも分かっていました。母から精神を患っていることも聞いていて、ずっと「寂しい」「辛い」「寄り添ってほしい」と言われていました。 それなのに私は、母に対して、ずっと冷たい態度ばかり取ってしまいました。 「もっと連絡が欲しい」と言われていたのに、つまらぬ意地を張って、基本的には母からの連絡を待つというような受け身な態度でいました。 いつか私の心の蟠りがなくなり、母に素直になれる日がくるかもしれない、それまではこのままでいいや、そんな心構えでいました。母からの要望を負担に感じていたことや母から感情をぶつけられて疲弊しいたことも否定できません。 「連絡しよう」と思い立ったものの、「明日でいいや」と先伸ばしになっていた。そうした中、母は自宅で一人首を吊って亡くなってしまいました。 元気で明るく前向きで、自死なんて考えられない人だったのに...。 自宅に残されたメモには「寂しかった」「もっと寄り添ってほしかった」「連絡待ってた」、そう記されていました。 もっと私が寄り添っていれば...素直になれていたら...あのときぎゅっと抱きしめていたら...面倒くさがらず会いに行っていたら...連絡していれば...母が一人寂しくあの世へ旅立つことはなかったのではないか。そう思えてならず、後悔の気持ちでいっぱいです。 過去の写真を見返していて、母がどれほど私を大切に育ててくれていたのか今更強く感じ、涙が止まりません。 過去を変えられないことはわかっているのですが、それでも「あのときこうしていれば」という後悔の念が絶えません。 私は、母のお葬式にどのように臨めばよいのでしょうか。これからどのような心構えで生きていけばいいのでしょうか。今から母のためにできることは何でしょうか。 母は「楽しく生きて欲しい」と言いそうな気もしますが、「こんな薄情なことしておきながら?」と自分では思ってしまいます。 何かアドバイスいただければ幸いです。

有り難し有り難し 40
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人は自分自身の人生しか生きられない

親子でも親は子を100%理解出来ないし逆に子は親を100%理解出来ない。 夫婦間や他人なら尚更理解するのは難しくなる。 人は1人では生きられない。多くの人達の助けがあり、それは気づきもしないところでも助けられています。これらは事実だと思いますがやはり自分以外の人間を事を思いやるにしても心を理解するのは難しいことですよね。 助け合うが行き着くのは自分自身であり自身の人生を歩むしかない。 私はそういう事を感じてはいましたが長年目を伏せて生きてきました。 両親に助けられ1番絆が深いのは母です。 しかし母も67歳で病気持ちです。 1番の私の理解者の余命もそんなに長くはないことに目を向けた時、私は母が亡くなったら孤独になると感じました。 しかし最初に書きました人は自分自身の人生を歩むことしか出来ない。全ての人間、1人1人が違う心である。 その事を私自身受け入れたいのです。 今まで母に助けられすぎて自分は母とは心が繋がり、一生を共にするような錯覚がありました。 でもそれはやはり錯覚です。 50億人間がいるなら50億の心があり50億の孤独がある。 私の考えは間違っているのかどうか、皆様のアドバイスをよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 56
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愛猫の死から続く不幸、毎日が辛いです

昨年12月に13年一緒に過ごした愛猫が急逝しました。 原因不明で、予兆もなく本当に突然の別れだったので本当に悲しく苦しく辛く、まだ立ち直れていません。 もう一匹飼っている猫がいます。 こちらは15歳で、もともと具合が悪く 昨年10月頃から病院にかかっていました。 13歳猫が先に逝ってしまう少し前からなぜか元気になり そちらに対する心配がなくなったこともあり、わたしも立ち直らねばと正月をあけたころには少し健やかに過ごせるようになりました。 ふたり(私と猫)の生活にも明るい兆しがみえてきたのも束の間、 15歳の猫が最近また具合が悪くなってきました。 また病院にかかっていますが、あまり回復する様子がなく また愛猫との別れが迫ってきている気がして、苦しく悲しく辛い日々を過ごしています。 なんでこんなに悪いことが続くのか。 大切な存在が、急に連続してふたつも失われてしまうのか わたしばっかり、なんで? と思って毎晩寝るときにとてつもなく死にたくなります。 コロナで親にも会えません。 会って辛いと言いたいのに会えません。 コロナで友達にもあまり会えていなく、 話したいけど久しぶりに話すことがこんなに辛い話というのも気がひけて話せません。 パートナーはいません。 恋愛もしたいのですが、愛猫を亡くして毎日死にたいと思ってしまう自分は重すぎるので 誰かに支えてもらうだなんて申し訳なくて今は出会いの場には行く気になりません。 15歳の猫が衰えていくのをひとりで毎日見届け続けるのが辛いです。 誰かに支えてほしい、誰かにそばにいてほしいと思うのに そういう存在がいないことにすごく孤独感を感じて辛いです。 まわりの幸せや楽しい話題が、皆は楽しそうなのにどうして自分は、と感じてしまって辛いです。 死ぬ勇気はないので死ぬことはないです。 でも苦しい思いをしながら生きること、毎日を生きることが辛いです。 どうしたら自分の心を落ち着け、幸せになることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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