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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 人生 」
検索結果: 2748件

不幸な人は不幸になるように生まれてきたのでは

不幸な人は、遺伝子や家庭環境により不幸になるのは確実です。 例えば先天性の障害などは不幸に生まれる運命だったと思います。 よくお坊さんは、本人の意識とか本人の心の持ちようと言います。実際は先天性の障害になりたくないでしょう? 何故か日本のお坊さんは結婚できますが自分の子供が先天性の障害があったら可哀想だと思いませんか?少なくとも苦しむのは必然です。 そこから悟ったとしてもやはり苦しいのは変わりがないです。 幸福感は得れますが不幸は変えることはありません。 苦悩は不幸であり、それは考え方などで変わるものではありません、痛みは痛みなのです。 またバリアフリーは増えてきましたが身体障害の方への理解を示すだけで精神障害や知的障害や発達障害などに理解を示す人は少ないです。また医療職の人でも精神障害や発達障害のことを詳しく知ってる人はいません。 そういうものなのです。 これは一例です。 容姿もそう、遺伝子で知能も、肉体の大きさ筋肉量やらなんやら。性格だって決まります。 ブサイクが楽しく恋愛できますか?少なくとも苦しむでしょう。 明るいポジティブさも脳の特性で決まります。 さて貴方は明るければ恋愛で苦労しないと思ってませんか?それは生まれつき決まるのです。 家庭環境もそう、DVや虐待家庭や貧乏やらなんやら。 不幸は生まれつき決まってます。 貴方が仏教に惹かれたのも坊さんになったのも生まれつきです、生まれつきそういう家庭環境があったから、いやそうじゃないとしてもそうさせる因子があったからです。 不幸は決まっているのです。 人間関係でくるしんでるひとは、そもそも傷つきやすいHSPだったり、理不尽な環境に入らざる得ない家庭環境に生まれたり、人間関係の構築能力も脳で決まります。 恋愛で苦しんでる人は、容姿が先行します。ブラッドピッドの顔に生まれてたらそもそも恋愛で苦労しないのです。 仕事の悩みも殆ど知能です。 学歴があればハーバードに行けてればそもそも仕事の悩みなんて屁なのです。就活、転職、起業、なんでもござれです。 知能が高いと仕事もできます。 つまり私達の不幸量は生まれつき決まってるのでは? 隣の芝は青いなんて大嘘で。 運が良い人は不幸を抱えてないのは事実。 幸福な奴は幸福。 得たい物を生まれつき得てる人はいる

有り難し有り難し 234
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信仰宗教ですか?

ある僧侶と知り合いになり、人生相談や毎月家にお経をあげて頂いていました。 その僧侶は自称、在家で得度した髪の毛のある僧侶で、日蓮宗の総本山である身延山で修行してるというのですが、私たちの家系は先祖供養が足りないから、いましなければあとは不幸になるといわれました。 ここ1、2年は「水子の霊を成仏させないと、恨まれて幸せになれない」といわれ、求められる金額も多くなりこの一年のうちに供養料、お曼荼羅の軸購入のため1000万以上渡してしまいました。また、このままでは短命とお告げがきているなどというので不信感を抱くようになりました。 私のために修行に行き、お塔婆を30万円分あげてきたと言われると申し訳なく思ってしまい自分からお金をお渡ししてしまうこともありました。 お寺のことや生き方のヒントなどたくさん教えて下さいました。先祖供養の大切さを知り、これからも供養したいと思っています。しかし、騙されているのではと不信感でいっぱいです。 日蓮宗では、このようなことを行なっているのでしょうか?依頼していないお塔婆をあげたり、お曼荼羅が300万するのでしょうか? 水子が恨んでいるのでしょうか? これは信仰宗教なのでしょうか? 乱文で申し訳ありません。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
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②度目の犯罪加害者家族になりました

こんにちは。 お坊さんに聞いていただきたく、こちらに投稿させていただきます。 前回とは別の件になりますが、この度、我が家の一人息子(中2)が、②度目の逮捕ではないですが、前回の犯した事件もあり、警察の判断で②度目の一時保護所に連れて行かれました。 詳細はお坊さんのみ公開しておりますのでご確認下さい。前回の件でまだ事件が解決していない中、今度は学校でやってしまいました。 一時保護所から解除になり、自宅に戻って5ヶ月、気の緩み?が出たのか、病気なのか?子供のために離れることが、どれだけ辛いのか、すでに去年経験しているので、頭の中ではわかっているのですが、今回は②回目ということで、どうしたら本当に彼を救ってあげることができるのか?恐らく自宅に戻る可能性が低いこと、そして、その先には児童自立支援施設に中学生が終わるまでは入所するかたちになると思います。児相の報告書では施設入所も含めてと言われました。(②回目ということで、ここの部分は前回と違います) 私たち親は、自宅に戻ってから、児相や相談支援の人たちと連携をとりながら、万全な体制で、息子と一緒に寄り添いながらサポートしてきました。でも学校は、結果として子供を守ることができなかった、もちろん被害にあった同じクラスの中1の女の子のことも。学校の先生にはいつも情報を共有していたのにも関わらず、何故対応策ができてなかったり、学校側の見守りや監督責任を認めないのでしょうか?もちろん、そういうことをやってしまった本人が一番悪いのは重々承知ですが、全て私たちが100%悪いのは、ちょっと違うと思います。学校にも落ち度はあったし、重大な責任として、取り組んでほしいです。②度目の被害者を作ってしまい、大好きだった学校も、被害者の心情を考えたら、もう通うことはできません。これから、被害者の保護者の方と近いうちに会うことになってますが、まずは学校側が間に入るのですが、学校に対しても不信感だし、②度目なんて、私たちの中で(学校の先生たちにとっても)想像していなかった出来事だったので、本当に悔しいです。息子を救ってあげたい。私たち親は今後、どのような心構えでいたらいいでしょか? 気持ちが不安定ですが、厳しいお言葉も頑張って受け入れるつもりです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 6
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結婚を迷っています

学生の頃から5年ほどお付き合いしている彼がいます。私は総合職OL、彼は医師です。彼は人間的に本当によく出来ていて、私を大切にして常に優しく支えてくれる人です。 彼のご両親にも何度もご挨拶に行っていますが、私が彼のお母様にどうも苦手意識を持ってしまっています。向こうは代々続く医者家系、3人兄妹で下に妹が2人いますが2人とも医師又は医学生です。お母様には「あぁOLさんなのね〜」と初対面で遠回しに指摘されましたし、自分の家の財産目当てではないかと実家の懐事情も探りを入れられました。2人の妹さんも「どうして学生時代に同業になる彼女を作っておかなかったのか」と言っているようです。お母様からは私の兄弟の学歴や職業、親の学歴なども遠慮なく聞いてこられました。私の家は父が経営者で、正直彼のお家より裕福な気がしますが地方だという事、また高学歴家系ではないのでその辺りで下に見てるのでしょう。 お母様の中であくまで長男の彼女は嫁いでくる者として扱われています。自分が親同士の決めたお見合いだからか、長年付き合ってお互いが1番だということも伝わらず、愛する2人が結婚すると言う価値観はないようです。お父様はそんなお母様に口出しできません。お母様には自分の中で既に悪いイメージがついてしまい、なかなか払拭されません。私の両親は彼のことは気に入っていますが、やはりお母様のことが心配なようです。相手の親が納得し心から祝福してくれる段階になればお嫁に行ってもいいと言います。 様々な不安がある中で、ここ数ヶ月で彼はますます逞しくなりました。「一生かけて守っていく」「何があっても幸せにし、いつも味方でいる」「結婚して後悔はして欲しくない。自分がどんなに頑張ろうと母の性格は年齢と共に余計に頑固になっていくだろうし、迷惑をかけることもあるかもしれない。あなたはあなたの人生だからゆっくり考えて欲しい」という言葉をかけてくれました。お母様を納得させなければ結婚は難しそうな雰囲気ですが、まずは私に気持ちがないと話が進みません。あぁ結婚したら実家に行っても1人話に入れないんだろうな、とかもう少しフルタイムで働きたいのに早速子供プレッシャーを受けるんだろうな、とかその子供をまた医師にするよう言われるんだろうなと未来を暗示しては不安が広がります。正直今の段階では、とても気が重いのです。

有り難し有り難し 20
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集団心理と対立し続ける自分

今まで経験してきた集団心理の恐ろしさと、それに気が付く人がほとんど見受けられないことに絶望して、人を信じることも心を開くこともできない状態にあります。 私は読書や歴史的資料を見るのが好きなのですが、それらによって表面的には分からない個々人のことを深く知って、他者に対する理解力や様々な視点を学び、また共感することも多いのですが、集団になるとその場の雰囲気に流されて個人として考えることを途端にやめてしまうあの集団心理だけは納得できません。というのも、私は集団の中には入れないタイプの人間だからです。人間社会に対して、正しく疑いを持たなければ危ないと感じることが多いのです。 けれど、集団と私の差はますます広がり、恨みや憎しみも生まれました。今は、この気持ちが強すぎて他者に対して強い恐怖心と憎悪に苛まれています。その根本は、過去の瞬間瞬間に「自分が上手く対応できなかった後悔の念や自己嫌悪」が正体のようですが、それも含めて人間を憎まない日はありません。どうすれば、この気持ちから自由になれるのでしょうか。お坊さんが心から納得している方法や考え方、経験などあれば教えてください。

有り難し有り難し 36
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誰からも求められていないのに生きる価値はなんですか?

会社員です。真面目で努力家だと思います。出世もしたいです。 上司から見込みがあると気に入られ仕事が山のように降ってきます。 チャンスをいただいたと思い、一生懸命頑張っていますが、あまりに多くて一人でできる量ではありません。 しかし同僚からは気に入られてよいねと言われサポートが受けられません。 上司に相談しても、気合で頑張れというだけで、解決が図られず、休みもなく働いてばかりです。 そのような中、あまりに仕事量が多く、上手く回らなくなった結果、その上司にも見放されつつあります。もはや孤立状態です。誰に相談しても、弱音を吐かず頑張れとしか言われず、もう話す気力さえ失せました。 とはいえ、仕事は仕事。お客様に迷惑をかけないためにも頑張って仕上げるしかないので、粛々とやっています。 ただ上司にも、同僚にも必要とされない、家族も恋人も友人もいない。 お客様にとっても私の代わりはきっといる。 結局、誰からも求められていない、死んでも泣いてくれる人もいない。 そのような中で生きる価値はあるのでしょうか。 私が周囲を大事にできていないのでしょうか。私が悪いのでしょうか。 仕事ばかりの人生に意味はありますか。

有り難し有り難し 68
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2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
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2024/01/22

寂しさや虚しさに向き合うこと

こんばんは。 最近、訳もなく寂しさや虚しさを感じることが増え、何故なんだろうと思い質問しました。 例えば誰かと一緒にいる時、楽しいはずなのに「寂しいな」と感じてしまったり、目標に向かって頑張っている時、ふと「虚しいな」と感じてしまったりします。 昔からそういう感覚はありましたが、最近になってそれが顕著になり、どうにも気力が続かない日々が増えたように思います。 私は26歳の独り身で、ある程度社会人生活にも慣れ、周りが結婚や出産といった新たなライフステージを進んでいく年代になっているため、漠然と将来に不安があるのだろうなとは思います。 私は今まで恋人がいたこともなく、結婚に対してあまり良いイメージを抱いていないため、誰かと人生を歩む未来を上手く想像できません。これから仮に一人で生きていくとなっても、自分が納得しているなら別にそれでいいと思っていました。 けれど、あと何十年も、自分が生きるためだけに汗水垂らして必死になって働いて、果たして私はこの寂しさや虚しさに耐えられるのだろうかと不安になります。 よく「自分のためではなくて、他人のために行動しなさい」と言われますよね。 私自身も、誰かの役に立てた時、心から嬉しいし、満たされていると感じられる気がします。 だから、というと押し付けがましいですが、周りの人たちには感謝していますし、優しくしてもらった分私もたくさん返していきたいと思っています。 義務感からではなく、本当に大切にしたいと思える人に、そう接しているつもりです。 それでも「虚しい」と感じるのは無意識に見返りを求めているからでしょうか。 「寂しい」と感じるのは、やっぱり一人に耐えられなくて、誰かを羨んでいるからでしょうか。 私は、結局自分のことばかり考えている利己的な人間なのでしょう。そんな自分に辟易とします。 いつか自分を好きになりたいと思いながら日々を生きています。自分の良心に従って、自分の気持ちに素直に生きようと考えて日々を生きています。 そしていつか、誰かを愛することができたら、私は満たされるのかもしれないとも思います。相手がいるからどう、という訳でもないかと思いますが。 こういう「寂しさ」や「虚しさ」はきっと死ぬまで付き纏ってくると思うのですが、お坊さんたちはどのような心構えで向き合ってらっしゃるのか、ご意見をいただきたいなと思います。

有り難し有り難し 14
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