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hasunoha 問答検索結果 : 「私 自殺 できない」
検索結果: 3055件

夫の不倫から彼氏を作った

1年前夫の社内不倫がわかりました。 不倫期間は1年でした。 結婚10年目、私も夫も36歳。 子どもは10才7才4才です。 夫とは高校からの同級生ですが、真面目で女遊びをするタイプではおりませんでした。 その為夫は、私と、その前の彼女の2人しか経験がありません。 ただ経験を増やしたかった、女遊びをしてみたかったという夫。 バレた後はすぐに相手と別れ、家事育児な積極的になりました。 再構築を目指してきましたが、私は難聴、うつ病、自殺未遂をしてしまい、もう限界になり、離婚調停中です。 そんな中、半年前に私が元彼と再会、頼れる彼と付き合うようになりました。身体の関係もあります。 避妊に失敗し、数カ月前の堕胎しました。 産みたかったですし、彼も産んでほしいと言ってはくれましたが、まだ離婚していない為、二人で堕胎を選択しました。 彼は40才バツ1。 私と再会し、昔別れたことを人生最大の過ちだったと言いとても良くしてくれます。 ただ、彼には6年間付き合っている彼女がいます。 彼女は32才。 彼が離婚するときに、いろいろ世話になったとかで、今更裏切れないと。 数年のうちに彼女との結婚するようです。 でも私を傷付けたくないと。 私は正直、彼と付き合っていても、不安が大きく、本当別れた方がいいことはわかっています。 一番大事なのは彼女だとわかっています。 彼もいずれ私を傷付けてしまうから、終わりにした方がいいとは思ってるのですが、やはり好きだからとそのままです。 堕胎してしまった赤ちゃんの供養に一緒に行ったり、赤ちゃんのことも忘れられないと。 まだ彼と一緒にいたい。結婚してほしくない。 彼女と一緒にいるだろう日は辛いです。 私も離婚が正しいのか、子どものために離婚しない方がいいのではと悩むところもあります。 でも許すことができません。 そんな中、彼は結婚するかもしれない。 私はとても悲しいです。 彼がいるから離婚したいわけではありません。 どうしても許さず離婚したいのです。 私は子どもの方を考え、離婚しない方がいいのかわかりません。 そして、彼に対してどうしたらいいのかもわかりません。 助けてください。

有り難し有り難し 37
回答数回答 1

生きることが嫌になってしまった

こんにちは。初めて投稿します。拙い文章ですが、お許し下さい。 私は今、自殺を考えています。 生きる気力がもうありません。 小さな頃は優しい両親や兄に囲まれて、幸せでした。 しかし、祖父母の介護が始まってから家庭が荒れていきました。 父は仕事に逃げるようになり、兄は非行にはしりました。 母は自己中心的な性格になり「優しさ」を強要するようになりました。気づいたときには、家庭に見えない壁が出来ていました。 私は元のような家族に戻ってほしいと思いました。 揉め事が起こっても、間を取り持とうとし、出来るだけ「良い子」であろうとしました。 数年後、介護は落ち着き、兄は自立しましたが、見えない壁は今でも感じます。 今、私は自身の将来を考え、進路を決めなければならない年齢です。 自分のやりたい事の為に、それが学べる学校に進学したい旨を両親に伝えましたが、否定されてしまいました。酷い暴言も吐かれました。 両親はある職業になる以外、許してくれません。 彼らは私が自分たちの思い通りになる「良い子」でなければ認めてくれない、ということに気づいてしまいました。 私が今まで「良い子」であったのは、両親に喜んで欲しかっただけなのです。 決していいなりになりたかった訳ではありません。 もう、家族を愛することが出来ません。彼らの苦労を知っているため、憎むことすら出来ません。 夢も失い、これまでの経験から誰かと家庭を築きたいとも思いません。 ずっとあの時死んでおけば良かったという思いが消えません。 これから先も、きっとそうです。 死ぬことが最後の希望のように思えます。 死ぬことを想像すると、これ以上苦しまなくていいという幸せな気持ちが沸き上がります。 ひとつだけ心残りがあるとすれば、自分の自殺によって、親友の人生に影が差すのではないかということです。 彼女は私が出会った人の中で、一番素晴らしい人です。 自殺したことが彼女に知られないように誰もいない所で死ぬつもりです。 万が一知られても、私の事など忘れて幸せになって欲しいと思っています。

有り難し有り難し 42
回答数回答 2
2023/05/29

魂の道、その行き先は何か

いつもお世話になっております。今月頭に自殺未遂を起こして、それから今日に至るまで生きてこれました。この場所のお陰なんだろうと思います。 自殺を決意するに至った経緯をもう少し掘り下げると、母親からの家を購入するようにという半ば同居の要求と日々の仕事に疲れ果てて自由な暮らしを得たいという思いがありました。 そこで考え抜いた結果、宝くじの1等の当選金クラスのお金がないと解決不可と結論づけて毎月何十万と購入し、借金にまで至りました。通常考えれば愚かとしか言いようはありませんが、自分にはそれ以外の方法は思いつきませんでした。 結果としては上手くいくはずもなく、それが自分の運命だと悟って自殺を決意したものの、それも失敗し自分の人生は一体何なのかと途方に暮れたりもしました。 自殺未遂を経て変わった物もありましたが、「自由な暮らしがしたい」「仕事をせずとも満足に楽しんで生きたい」という自分の望みは変わらず残っています。 宝くじを毎月購入していた頃とは違って、どこか軽やかでもう少し前向きな気持ちでそう思ってはいるので、間違った願いではないものと信じてはいます。 これまで仕事の休みの日は大抵ダラダラと過ごしていたものの、今月は活動的な時間も多いなと感じます。具体的には、汚かった部屋の整理や掃除に時間を使ったり…これまでの自分からは考えにくい事をしていました。充実はしているので悪いことではないと思いますが… 自分がよく調べているスピリチュアル的な界隈の話では、人それぞれには魂の道があって間違った道を進んでいると軌道修正をするように良くない事が起きるといわれています。 ならば、自分が豊かさを求める事はどうなのだろうかと思いました。これは経済的な豊かさが大部分ではありますが、それ以外もおそらく自分は求めているものと考えています。 宝くじの1等何億なんて金額を求めた、今も求めているわけですから普通の感覚ではないなと自分でも思います。ほとんどの人は、何かしら豊かさや自由を求めているものでしょうから 自分の魂の道は豊かさ、自由な暮らしを求める事で合っているのかどうか…望んではいても、意識していないところではどうなのか気になって質問させていただきました。たとえ間違っていても、諦められるかは別かもしれませんが…

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

12月までに死ぬことに決めました

もう生きることに疲れました。 31歳の誕生日を迎える前に死ぬことにします。 私は毎日明るく楽しく生きています。 職場でも頼りにされムードメーカーとなり、成果が認められ1月から希望していた営業に移籍することも決まりました。 ですが、全て本当はどうでもいんです。 幼い頃から機能不全家族で育ち、お前は家族じゃないから家から出ていけと言われ、日常的に殴られたりしていました。 親に愛されず自分は必要ない人間だと思っています。 そんな私ですが、友だちには恵まれ本当に私のことを愛してくれる人達ばかりです。 ですが、いつも満たされず孤独で虚しい思いを抱えて生きてきました。 自分を必要として欲しいという思いと容姿のおかげか恋人は途切れませんでしたが、結局最後はお前は必要じゃないと言われるのが怖くて自分から別れを告げています。 今年の5月から会社の課長から誘われ不倫を始めました。 すごく優しくて大事にしてくれ愛してくれ、この人は私のそばに居てくれると勘違いしてしまいました。 当たり前ですが奥さんの方が大事ですし、私が1番辛い時も彼は奥さんの方を取ります。 それは仕方ないけど、私が辛くて耐えきれなくなったので別れを告げました。 それから、私はやっぱり誰にも必要とされない人間なんだと確信しました。 馬鹿馬鹿しいと思われるでしょう。 だって、不倫なんてそんなもんだから。 自分でもわかっています。 けど、これはあくまできっかけでこれが自殺のトリガーになっただけです。 最近彼とまた会ってしまい、関係を持ってしまいました。 その時、ちゃんとせフレになろっかと言われました。 そう言われた瞬間、少しでも期待していた自分がほんとに愚かに感じました。 別れる時に彼にどれだけ想っているか、だからどれだけ辛いかを伝えたのに、そういうことを言われてしまうような価値のない人間なんだと確信しました。 友達や姉に死にたいと告げると、とても真剣に励ましてくれ、いつでも私の味方でわたしを助けられるなら、どんな事でもすると言ってくれました。 それを聞いて、私はこんなに愛されているんだと嬉しくなり、これで心残りなく幸せな気持ちで死ねると安心しました。 ここに投稿させて頂いたのは、こんな人間がいたのだと誰でもいいから知って欲しかったのかもしれません。 こんな拙い文書と醜い気持ちを読んでくださりありがとうございました。

有り難し有り難し 230
回答数回答 4
2023/12/28

お葬式に出たくないです

お世話になった母方の祖父が、先程、亡くなりました。 素直に申し上げますと、上京してから数年、交流が浅くなったこともあり、 子供の頃に抱いていた「大好きなおじいちゃん」という気持ちは、あまり持ち合わせておりません。 しかし、幼い頃から大人になった今も祖父母に対して深い恩を感じるほどには、お世話になりました。 私も、祖父を見送りたい気持ちはあります。 けれど、葬式に参加したくありません。 お恥ずかしい話ですが、小学生の頃から自殺未遂を繰り返しておりました。 常になんとなく死にたくて、大好きな趣味が失われそうになったり、大好きな友人とトラブルが起こるたび、生きる意味がないと絶望し、自殺を試みておりました。 二年ほど前に何度目かの自殺未遂をし、ゆっくりと生き方や考え方を変え、 他人への興味を薄くし、自己中心になり、哀しいことや辛いことを避けるようになって ようやく仕事や趣味、人間関係を健康的に楽しめるようになりました。 もう会えないのは哀しいです。しかし、その程度で留めておきたいのです。 祖母や母親の弱る姿や哀しむ姿を見て、思い出して、哀しくて哀しくて仕方がないのです。葬式に出席すれば、哀しい気持ちの中で、私も哀しい気持ちで押し潰される。 半年前、四年ぶりくらいに仕事へ復帰できました。忙しいけれど、仕事をし、お金を稼ぐのは楽しいです。 趣味も、夢も、命を削らない程度に楽しめるくらい、心身のバランスをとるよう、気を遣っております。 人生のパートナーも見つけました。遠い土地に住んでるため、なかなか会えないけれど、来年一緒になる予定があります。 今、生きていて、ようやく死にたい理由がなくなったばかりなのです。本当に幸福です。それが崩れるのが、本当に怖いのです。 新しい仕事は1か月前に始めたばかり、何年も前から時間を掛けて準備していたものも、ある。今、逃したら頑張れる気がしない。 今、葬式に参加し、今を棒に振ったら、葬式を恨んでしまう。祖父を弔う気持ちになれないのです。 自分が生きることに精一杯で、お世話になった祖父の葬式に出席をしない。自分勝手なのでしょうか。許されることなのでしょうか。非常識なのでしょうか。 自分勝手だと、責めてほしい気持ちもあります。 けれど、良いんだよと許してほしい気持ちもあります。 どうか、気持ちの整理をつけられるよう、ご助力ください。

有り難し有り難し 10
回答数回答 3

人間未満の生き方

私は社会で生きていくのに向いていないのだと思います。目標も目的もなにもありません。楽しいと感じることがありません。あったとしても思い出せません。やりたくないことをやってまで成し遂げたい何かが無い中で、どうして生きているのかわからないのです。 死ぬために生きているなんて言えたら格好がつくのかもしれませんが、そんな大それたものでもなくただ惰性で生き続けています。 これまで、特に悲しいことや辛いことがあったわけではないと思います。人によって何が楽しくて悲しいことかは異なりますから、それを他人と比べて順位をつけることは難しいものです。でもきっと、私にとってこれからもそれは同じで、私やその周りに影響を与えるような大きな幸福も不幸もないのだと思います。身内の不幸ですら、私にとっては他人事のように思えて仕方がありませんでした。 私には、外で行動する友人のような人たちが少しだけいます。皆気持ちの優しいいい子たちばかりです。でも私は別に、そこにいなくてもいい人間なのです。これに限らず、大体のことはそうです。私はどこにもいなくて大丈夫なのです。それに気がついてからしばらくは、そのことがとても悲しくて何度も夢に見ました。でも最近では、そんなことはもう何とも思わなくなりました。初めからそのことを理解していれば、辛くなんて感じないものです。夢に見ることもなくなりました。それがいいことなのか悪いことなのか、私には判断することができません。 つい最近、ある人に私は「無」だというふうに言われました。きっと相手は半分冗談で言ったのだと思いますが、まさにその通りで、自分のどうしようもない心の内を見透かされたようで、何と言えば良いかわかりませんでした。 毎日少しずつ透明になって自分が自分ではなくなっていくような感覚がします。できることなら、このまますっと消えてなくなってしまいたい。 最近、毎日死ぬ方法を考えています。 でも自殺というのはどうやっても誰かに迷惑がかかってしまうものですね。 死ぬことすらできないこんな人間未満の人間はどうすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2
2023/09/10

労働がすべての毒になっている

労働がただの苦役でしかないから虐待や虐めがなくならない。だから世を恨むことしかできない不幸な人間が量産され続ける。でもそういう不幸な人間を救いたいと思うような余裕のある人間はもうこの国にはいないし、不幸な人間が本当に救われるには「誰とも関わらなくていいくらいの金銭を労働なしに受け取る」しかないのである。不幸な人間にとって、自分以外の他者と関わることそれ自体が毒である。 普通に生きていられる人間だって労働に囚われている時点で不幸にしかならない。将来の安定もなく、ただただ自分以外の気持ち悪い人間に時間も労力も金銭も吸い取られる。不幸のエネルギーがこの世界を支配している。この世界の空気が猛毒。現実なんて毒でしかない。 労働が不幸の種でしかない。だから生きている人間はみーんな不幸。つぶやき欄にヒビ寄せられる呪詛、本当に見てます? 「この世界から去る権利」はどうして得られないのですか? でもどうせ私はこの世界から「死ね」と言われるような無能で呪詛の塊なのでだーれも見向きしてくれない。結局は選民思想。綺麗な人間だけに生きてほしい、汚い人間には死んで欲しい市民感情が何よりも力を持っている世の中。自分よりも楽をしている人間はずるい。誰もがそう思ってるから足を引っ張る発想しかできない。あーやだやだ。人間って本当に気持ち悪い。生きているって本当に反吐が出る。 いいですか、世界がこんなことになってしまった以上、自殺できる人間のほうがずっと賢いんですよ。「生きることは害悪でしかない」という真実を実行できたのだから。働けなくなった人間に人権なんてない。働いている人間の人権すら保障されていないのだから。 こんな世界にポジティブな感情を持つ方が難しい。でもこの世界を美しいと讃え、生きていることを喜べと言う。生きていることを望まれた人間とそうでない人間には決して埋められない溝がある。自分じゃない、もっと綺麗で理想的な何かになることを強要され、辛い時にはいつも「あなたが悪い」で片付けられた。だから世界への恨みがいつまで経っても消えない。でもそういう人間は傍目から見ると気持ち悪いから誰もが遠ざかる。でもその人にとっては孤独な方がずっと楽。自分以外の人間は敵だから。 この世界に人権なんてない。そもそも、生まれた時点で争いに巻き込まれる。だから今の奇跡に感謝しろったって、将来がないのだからどうしようもない

有り難し有り難し 26
回答数回答 3