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hasunoha 問答検索結果 : 「 自殺 死にたい」
検索結果: 2200件

子の心親知らず?

明後日、精密検査を受けるのですが、心とても安らかで穏やかで幸せです。 掛かり付けの病院の血液検査の結果が良くなかったので、別の病院で再び血液検査。やはり、結果が良くなかったので、腹部エコー検査。それでも、あまり良くなかったので、造影剤を使っての精密検査、となりました。 でも、すごく今気持ちが穏やかで、私には「ん~明後日かぁ」ぐらいにしか思えません。 体が不調な状態に慣れていること。そして、もう十数年、精神疾患を患い、何度も自殺未遂を繰り返した過去があること。 だからなのか、あまり私は「生」に執着がなく、「死」に対する恐怖心がありません。 いろいろな体験をしてきたからこそ、「いつ死んでも悔いがないように生きること」が今のモットーです。 今も、今死んでも悔いはありません。 私は、それでいいのですが、私が良くても、私にはまだ祖母も両親もいます。 心安らかで「いつ死んでもいい」と思っている今の私、親不孝なのでしょうか? 何度も死にかけ、両親を心配させてしまったことは、申し訳ないと思っています。 それでも、明後日の精密検査の捉え方に「温度差」があります。 その「温度差」を、私はどういう風に捉えたら良いのでしょうか? 「成るようにしか成らない」と思っているのは、親不孝なのでしょうか? 私は、今穏やかに過ごせているだけで、すごく心が満たされている状態です。 頭を悩ませていても仕方なく、明後日は明後日、今日は今日。どう足掻いても、明後日は来ます。 次の瞬間、死んでいたら来ませんが。 そういう気持ちでいることは、良くないことなのでしょうか? 私が、仏教について学び始めてから、宗教的な本を読んだりしていること、また、今、カウンセリングを受けている先生というのが(たまたま)僧侶であること、等々についても、両親は「良いこと」と思わず、「マインドコントロールされているのではないか?」と思っているようです。 いろいろ話してみてはいるのですが… そんなことがありまして、質問させていただくことに致しました。 私は、決して生きるのを諦めたりしているのではなく、この一瞬、一瞬を大切にしています。 後悔しないように今を精一杯、生きています。 その上で、心がすごく穏やかなので、これ以上心配しないで欲しいです。 それも良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 6
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「生きていく」ことがとても長く感じてしまいます。

高校2年生です。 部活にも熱中していて、友達もたくさんいて、家族の仲も良く、勉学にも困っていないのに、最近「生きている」とは何なのかを考えてしまいます。 朝起きたときに「ああ、今日も生きているな」と考えるのですが、どちらかというとそれが生きていてうれしいという感情ではなく、この世界でまた生きていくんだなという、何となくの面倒さをもった考えのような気がするのです。 何にもやる気がないというのではありません。勉強や、もちろん趣味に対する努力も嫌いでなく、しっかりやってきたから今の自分があるのだと思います。 確かに大学受験のために予備校を考え始めていて、1年間しっかりやっていけるのだろうかということがストレスになっているのかもしれません。 自分はまだ両親の半分も生きていないのだと考えると、この先とても長い気がしてくるのです。 さらに、この先それが辛さに思えてしまい、自殺してしまうのではないかという気さえします。それが一番怖いです。 もともと好奇心旺盛で、この先やりたいこともたくさんあるのに。 楽しくやっているのに、頭の片隅でこういうことを考えて1日を過ごしてしまう自分を変えたいです。どうしたらよいでしょうか。

有り難し有り難し 53
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消えたいです。

もう半年ほど前になりますが、私の兄が自殺しました。 しばらくは茫然自失といった感じで、あまり現実味もなく葬儀など終わらせ、とにかく仕事に打ち込む毎日でした。 その間は家に帰り1人になったとき涙が勝手に溢れたり、言いようのない自己嫌悪に苛まれていました。   最近になって兄について頻繁に思い出すようになり、まるで首を絞められているような感覚と、朝起きた瞬間から激しい動機や倦怠感を感じるようになりました。 いけないとは分かっていますが、自殺を考えてしまいます。 幼少期より家庭環境は悪く、私にとっては唯一の家族といえる兄がいなくなってしまったことで、昔から抱えていた辛さなどと重なって、もう耐えられないのだと思います。生まれてきたことが間違いだったと強く思います。   しかし、どういった方法であろうと死ぬことはほかの皆様に大変ご迷惑をおかけします。なんとか心療内科に連絡はできたので、少なくともそれまでは生きなければと思います。 そうして生きる理由を無理に作って死のうとしない自分にも嫌悪感を抱きます。   こういった時、気持ちを静めて希死念慮をなんとかやり過ごす方法はないものでしょうか。 まとまりのない読みづらい文章で恐れ入りますが、お教えいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
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自分が憎くて憎くて仕方がありません。

お久しぶりです。お坊さんの皆さま、お元気でしょうか? 母の自殺から1年以上が経ちました。 母の件については 「時間が解決する」「時が来れば忘れられる」と医師から言われました。 しかし、解決するどころか日に日に後悔の念が増し、それが自分に対する憎しみに変わりました。もちろん、母を忘れることもできません。最愛の母を、その母が自殺したことを、忘れることが出来ましょうか。 母も私もうつ病です。だから、うつ病の苦しさ・辛さは私も知っています。また、うつ病には希死念慮があり、自殺の可能性があることも知っていました。 実際母は、私に「一緒に死なない?」ともちかけてきました。私は、母が自殺する可能性が高いことを察知しました。 私は自分が許せません。 そのように全て分かっていながら、私は母を助けることができませんでした。それどころか、母に八つ当たりをしたり、「産まれたくなかった」などと暴言を吐いたこともあります。 私は毎日母と一緒にいました。だから他の誰よりも長い時間を共に過ごし、苦しそうな母をずっと見てきました。それなのに、母に寄り添わなかった。いわば、母を見殺しにしたようなものです。 自分が憎いです。許せません。 自分に対する憎悪と嫌悪、怒りが凄まじいです。母に対する罪悪感で息をするのも苦しいです。 私は私の存在が許せません。他の誰が許したとしても、私自身が許しません。自分のことが大嫌いです。 しかし、自責はさらに自分を苦しめることも理解しています。 家族や親戚も皆、「ふじいろは悪くない」「あなたは優しいからそうやって考えてしまうんだ」とフォローしてくれます。 でも、本当に私が優しい人間だったのなら、苦しんでいる母に寄り添ったはずです。でも私はそれをしなかった。あまつさえ、母に酷いことも言いました。 こんな私が生きていて良いはずがありません。私に一生懸命尽くしてくれた優しい母が死に、なぜ母を見殺しにしたクズ(=私)が生きているのですか?世の中は思い通りにいかず、理不尽で不条理だからですか?わかりません。 私が生きていることが許せません。それくらい自分が憎くいです。 なぜ優しい母が死に、クズな私が生きているのですか?おかしいです。納得できません。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1