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hasunoha 問答検索結果 : 「他人 勉強 」
検索結果: 1273件

どうして苦しむのですか?

旦那との関係性もあまりよくありません。 不妊治療もうまくいきません。 昔は幸せな恋をしていたし、幸せな人生を歩んでいたと思います。 年をとるにつれて将来が不安になるばかりで希望が持てません。 若い頃は不安なことやうまくいかないこともあったけど、いいなと思うこともたくさんありました。 今はいいこともあるけれど不安がたくさんです。 人間は不幸と幸福のバランスがあるのですか? 不幸なところがあるから片方がうまくいくのでしょうか? 逆に、うまく行ってる部分があるとそれ以外は不幸になるのでしょうか? 自殺をしたらその後も苦しむのでしょうか? もし不幸と幸運のバランスがあるのだとしたら、うまくいく部分があるのは嬉しいけど不幸な部分はそのまま。 不幸な部分がうまく行ったら今ある幸福な部分はなくなる。 そんな人生なんてひどいと思います。 希望が持てなくて、不安ばかりで、人が羨ましくて、自分がどんどん嫌いになりそうで、人生失敗したのかとおもいます。 これから先に希望が持てないのに、生きていくのは辛いです。 自殺したらその後も苦しむのだとしたら、殺されたり病気になるのは別なのでしょうか? その気はないのに死ぬという状況にならないと、だめなのでしょうか? どうして、こんなに苦しむのでしょうか。 前世で悪いことをたくさんしたのでしょうか。 それとも、若いとき幸せな時期があったツケなのでしょうか。 生まれて生きていくのは、本当に幸せなことなのでしょうか。

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私はなぜ、何のために生まれてきたのですか

初めての投稿です、お世話になります。 現在、契約社員として勤務しております。もう10年を超えて働いております。正社員とは、仕事内容は同じ、収入に違いがあります。 正社員への登用試験が不定期にあり、今までに三回受けましたが、すべて最終面談まで行くも落とされています。 先日も、試験不合格の通知を受け取ったところです。 契約社員とは言え、資格も正社員より持っておりますし、契約成績も上位のほうで、何度か表彰もいただきました。 今回、同じ試験を受け、合格した面々を見ると明らかに自分より(会社にとって)価値がないひとばかりなのです。 収益をあげていないひと、周りから使えないと評判のひと、主要部門でないひと。 そして、重役の子供であったり、役員の親戚の人が多いのです。 また、正社員になる必要のない暮らしぶりのひとばかりで(重役の親類ですから)、シングルマザーの私は不合格。 私も、いつか正社員になりたいと願うからこそ努力を重ねて参りました。 とても立派なひとが合格しているならともかく、本当に納得がいきません。 私の周りのひと(=私の仕事ぷりを知っているひと)もこの結果に首を傾げています。 あるひとに言われました。努力の報いは自分でなく、自分の子供に帰ってくると。 でもみんな、自分のも、自分の子供の幸せも追っていますよね? その人の言葉を前向きに捉えて、自分が不幸になればなるほど娘のためになると考える努力をしてはいますが、どうして私だけ、自身の幸せは願ってはいけないのかと悲しくもなります。 今は、早く死にたいと思ってなるべく不摂生にしています。死という最大の不幸が訪れれば娘に幸福がやってくるし、私も悲しい気持ちで生きていかなくて済むからです。 いつか来るその日まで、こんな思いで生きていくのは辛いですが、それでもそれを夢見て頑張らなくてはいけないんですよね。 私だけ、どうしてこんな人生なんだろうと、涙が出ます。次の試験は、という気持ちにもなりません。だって、コネにはかないませんから。 私の何がわるいのでしょう? そして、私の不幸の代わりに絶対に娘に、幸福が来るのでしょうか?不幸なだけで何も帰ってこないと損ですよね。もう本当になにもかも嫌になっています。 こんな思いをするためだけに生まれてきたのかと思うと親、先祖まで憎んでしまいそうです。

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修行の道を選ぶことは社会の弱者より自分を優先すること?

(すべての宗派がそうではないことは理解していますが)座禅をすることによって悟りへの道が開かれる、ということへの質問です。何十年も修行をしたり座禅をしたりすることは確かにその僧侶にとっては悟りへの一歩かもしれません。 でも、その間に途上国ではその日をも生きられるかわからないひとたちがたくさんいます。この日本でも貧困層は存在します。もしも座禅をするかわりにそのひとたちの手をとってくれたら、パンを与えてくれたら、生き延びる道を一緒に検討してくれたら、助かる命もたくさんあるはずです。 修行の道(とくに長い期間社会から断ち切る行為)というのは、ある意味で自分を選択、優先することになる、と思ったことはありませんか?(これは侮辱ではなくて、本当に疑問、のレベルです。本当に本当に悪い意味でいっているのではないことをご理解ください) 自分の道に専念するその思いは素晴らしいと思う。そして得たものを周りのひとに伝えていこうとする気持ちも。でも、現実のこの社会のなかで、仏教が天台宗で言うような「一隅を照らすひとになる」ことが大切だとすれば、それはどこか矛盾していると感じてしまうことは間違っているでしょうか。 僧侶として、途上国や先進国を問わずに、貧困や飢餓などで今日をいきられるかわからないひとたちを前に仏教はなにができると思われますか?

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納得のいかない法話

質問させていただきます。 回答しづらければ、スルーでお願いします。 母の四十九日法要の和尚さんの法話でのことです。 「亡くなった人はどこへ行くか?」と和尚さんは私の甥に尋ねました。 小学生の甥は、「心の中」と答えました。 それは、亡くなった母が教えたことです。 母は「自分が死んでも、いつも見守ってるから」という意味で、生前、そのように話したのだと思います。 が、その和尚さんは、それを完全否定しました。 人は死んだら「無」になる、と。 何もなくなる、心の中ということはない、と。 実際に仏教でどのように考えられているかは知りません。 和尚さんが仰ることが正しいのかもしれません。 ですが、そこはあえて否定する必要があるのでしょうか? マチガイハ タダスベキということですか? 甥だって大人になるにつれ、母の言葉の意味は理解するだろうし、何より母の法要で母を否定されたような気がして、何とも言えない気持ちになりました。(「黙れクソ坊主がっ!」と思ったことは内緒です) また、その話の流れで、ホームレスは人間のクズだから地獄に堕ちるという話をされました。 いや、ちょっと待て! 人は死んだら無になるんじゃなかったのか? 無になったら、地獄も何もないのではないか? それとも、ソレとコレとは違うとでも言うのだろうか? それより、ホームレスが人間のクズとはどういうことなのか!? それが仏教なのか? 和尚さんの偏見ではないのか? 和尚さんに対しての怒りの感情と、母に対して申し訳ない思いと… お前が地獄に堕ちろ!とマジ思いました… ホームレスの方達に炊き出しをするボランティアをしていたので、色々と思うところがありました。 もう数年前のことですし、そのことを引きずって悩んでいる訳ではありません。 過去のことに上書きすることはできませんし、それはソレで、そういう事実があった、でよいです。 ただ、その本当のところが知りたいです。 数年前のことを、なぜ今、このタイミングで?と思われるかもしれませんが、今まで聞く人がいなかったからです。 hasunohaのサイトを最近知りました。(遅っ!) よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 171
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失敗が多い。失敗が続くとモチベーションが下がる。

この質問を開いてくださりありがとうございます。長文になってしまい申し訳ないのですが最後まで読んでいただけたら幸いです。 悩みが2つあります。 1つ目は工学部のクセに計算ミスが多すぎることです。 小学校の頃からずっと簡単な計算ミスを犯し続けてます。大学受験本番の途中計算では少し緊張しただけで1+1を間違えました。大学に入ってからも定期試験での計算ミスで必須科目を10単位以上落としました。 大学の友達には「計算方法はあってるのに“えっ!?ここで!?”ってところで計算間違うからもったいなさすぎる」と言われます。先生には「実際に車とかロボットを設計するときに計算ミスをしたら人が死ぬぞ」と言われてしまいました。 こんな質問をしているのが先生に知られたら「こんな質問する暇があったら計算練習しろ」と言われてしまうかもしれませんが、練習量は自分なりに増やせるところまで増やしたつもりです。計算中にどうしても焦ってしまう点を改善したいです。 2つ目の悩みは一度モチベーションが下がるとなかなか回復しないことです。 普段は多少試験,課題,実験がしんどくても「全ては自分のため,親友たちのため,夢のため」と自分に言い聞かせることでギリギリモチベーションを維持しています。 しかし、上記のようにしょーもない計算ミスで単位を落としたり、図面に醤油をこぼして書き直しになったり、実験データやプログラミング課題が入ったUSBを落としたりといったことが続くと、徐々にではなくある日突然無気力状態になることがあります。 そうなってしまうと、授業に行くことやペンを握ることすらできなくなってしまいます。夢や親友達のことを考えると、やる気よりも自己嫌悪が表に出てしまい、モチベーションが下がっていく悪循環に陥ります。 毎年上記のような状態になってしまうことがありました。だいたい11月の終わりから1月の頭にかけてが無気力スパイラルになりやすいです。 今年もそうなってしまってはもう取り返しがつきません。なんとかしたいです。

有り難し有り難し 41
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お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌

有り難し有り難し 280
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どうすれば、すべての人を尊敬できるようになるのでしょうか?

長文で申し訳ありません。どうぞよろしくお願いいたします。 私は小さな頃から「天才だね」「何でもできるんだね」と言われて育ちました。実際にかなりの才能に恵まれているようですが、自己肯定感が強いので、どうしても傲慢な気持ちが捨て切れません。 私は長い間、業務能力が芳しくない人と一緒に働くことで生じてしまう様々な非効率に悩まされてきたので、正直「賢くないことを自覚していない人」がとても苦手です。 正直「賢くない人と働きたくない」という思いもあり、学生の頃に個人事業を起こして順調に経営していましたが、25歳の頃に孤独なお金儲けが虚しくなり、大きな仕事を純粋に楽しむことを目標に一流企業に入社しました。 日本でも指折りの入社難易度を誇る会社でしたので、入社後は優秀な人に囲まれて本当に楽しく働いていました。「やっぱり、優秀な人に囲まれて過ごせば悩みは解決するんだ。賢くない人に関わりさえしなければ、健全な気持ちで働くことができるんだな」と感じたのです。 しかし心の底では、「優秀ではない人を見下してしまう自分」がすごく嫌いです。その人の人として尊敬できる部分を探して尊敬しようとしても、「あ、この人頭が悪いんだな・・」と感じるとどうしても上から目線になってしまうんです。 これではいけない、傲慢だ・・・と思い何度も謙虚になろうとするのですが、「頭の悪い人に対する嫌悪感」が強く、うまくいきません。 「頭の良さ=人徳」ではないことはわかっているのですが、経験上「頭が悪い人からは迷惑をかけられたり失礼な目にあう」という認識が拭えないのです。 しかし、私が人より器用に生まれたのは、自分ではなく誰かを助けるためなのだろうな、とも感じています。 どうすれば、賢いとはいえない人に対して尊敬の念を持つことができますか?

有り難し有り難し 116
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どうしてお坊さまになったのですか?

相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 229
回答数回答 5