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検索結果: 369件

親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

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妻の遺骨を妻の実家のお墓に納骨することになりました・・・

申し訳ありません。これで三度目のお願いです。自死した妻の49日に納骨をすることになったのですが、当初私の菩提寺に納骨をすることになっておりましたが、義父から「実は死ぬ前に電話があり、離婚することになった。私はお母さんのお墓に入りたい。」と最後に電話があったそうです。 過去2回ご質問をさせて頂いた際、最後の晩、私はお酒を飲んでおり妻に「死にたい。」と言われた時、怒ってしまいました。鬱病の事を忘れてしまいました。うかつでした。 しかし、その後離婚をしたいくらいのことは、夫婦喧嘩の時は普通にあるかと思うのですが、その様な話をしました。 ※ これ以外に妻の子供のことの話をしましたが、内容まで殆ど覚えていません。 しかし、離婚話は本気ではありませんし、離婚するつもりもありません。その後の話の内容を本当に覚えていないのです。ですから非常に苦しいのです。 しかし、自死する前に鬱病の薬とお酒(血中アルコール濃度0.80㎜)を飲んで正常な判断ができるとは思えませんが、義父に妻の最後の言葉だから叶えてあげたいと言われました。私もやむを得ずこの話を菩提寺のご住職にお話をし、ご納得を頂きました。 妻の実家のお墓は、一般の宗派不問の霊園です。 妻の実家と宗派が違います。位牌は私が護ります。私が死んだら菩提寺のお墓に入ることになります。この様なケースはあるのでしょうか。 昨晩、義父に「私の菩提寺ではダメですか。」と電話で伝えたのですが、既に親戚に沙汰をしてあるし、いまさら変更できない。それに娘の最後の言葉だから。と言われると言い返せません。妻の納骨先は、仕方ないと思います。 酒を飲んで何を言ったのか覚えていない罰として受け入れるしかないと思っています。ただ、夫婦で同じお墓に入れないのは辛いです。私としては、再び巡り合って一緒になるつもりでいますが、それが叶わなくなってしまうのではと不安になってしまうのです。 妻を愛しています。だから最後の言葉を尊重するしかないと思います。私の質問は、夫婦別々のお墓に入っても、あの世で再び結ばれるのでしょうか?妻にもう一度再会して、謝罪したい。そしてもう一度夫婦になりたいと心から思っているのです。 申し訳ありませんが、あくまでも納骨先を妻の実家のお墓ということでご回答を頂ければと思います。これで3度目の質問で本当に申し訳ありません。

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檀家寺さんに仏教初心者が訪れるのは、ご迷惑になるでしょうか?

最近、仏教に興味を持ちはじめ、 自分なりに様々な本を読んだり、知識を深め始めています。 そして、私の心の支えになっています。 仏教を学ぶにつれ、 「仏教徒になりたい」という思いや 「お寺さんと繋がりたい」という思いが湧いてきています。 私が現在住んでいるのは、 古くから住んでいる人が多い、いわゆる「田舎」の地域です。 私は、夫の仕事の都合でこの地域に引っ越してきたため、 地縁などもなく、つながりのあるお寺が全くありません。 お寺はありますが、檀家さんは皆、何代も前からのお付き合いのようだし、 「写経の会」などの対外的に開かれているイベントなども特別実施されていないようなので、 興味はあるものの、 「完全なよそ者が訪れても受け入れてもらえるだろうか」 と、不安になってしまい、敷居が高く感じられ、一歩踏み出せずにいます。 また、まだ特定の宗派を信仰する、 というところにまでは至っていないため、 そのような状態で、檀家寺さんを訪れるのも もしかしたら迷惑になってしまうのかな・・・とも考えてしまいます。 昔からの檀家さんばかりのお寺に、 私のような、仏教初心者が訪れるというのは、 お坊さんの本音として、いかがなものでしょうか? 都市部に足を延ばせば、 私のように、仏教に興味を持ち始めた人でも 気軽に参加できるイベントなどが行われているお寺があるようなので 遠いけれど、そういうものに参加した方が良いのかな・・・とも感じます。

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自分の行動が間違ってたのではないでしょうか

先日車を運転中、脇道から子供が自転車で勢いよく出てくる感じを横目で感じました。 ヒヤッとしましたが、ぶつかった衝撃や音はしなかったので、寸止めで止まったと思っています。 危ないと思いながらそのまま行ってしまいましたが、急に本当に大丈夫だったのか不安になり、戻りましたが子供はいませんでした。 翌日、事故の届け出がなかったか交番に確認したら、されてませんでした。 軽く接触してたなんてことも考えて届け出を出した方がいいのかと相談しましたが、キズもないなら出さなくて大丈夫と言われたのですが、不安が拭いきれません。 危ないと思うことがあってもぶつかったりしてなければそのまま通りすぎると思いますが、ぶつかってないと思っていても、こんなに気にするなら、その時止まって声を掛ければよかったのではないかと今は後悔しています。 止まらなかった私の行動は間違ってたのではないでしょうか… 脅迫障害があるので、今は不安と後悔が、ずっと押し寄せてきて、でも誰にも言えないというのと、あとから言われたらどうしようと不安でしょうがないです。 私の行動は間違ってたのではないでしょうか? 私はこれからどうしたらいいでしょうか? 乱文でまとまりがなく申し訳ございませんが、こんな私に何か言っていただけませんでしょうか?

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疲れと怒りで心が悲しい

疲れと怒りで自分の心をコントロールできなくなりました。 最近では「今から僧侶になったら仕事はありますか?」と俗人として尋ねたとき 「僧侶は職業ではなく、仏様を拠り所として生きる生き方です」 と立派な返答がありました。 しかしその方自身は寺を生業に豊かに生活し、立派な返答とは異なる子育て話や美容室代はどこから?と思うほど綺麗に飾っていました。 仏教でビジネスをなさっての言葉で、説得力がありません。 不審感が爆発しそうに感じました。 人の心は小さなきっかけで歪みが生じてしまいますが、半分救われ改善しては半分傷ついてしまう。心が転んでしまう。 苦しんで生きていても人の幸せは喜べます。 しかし僧侶で結婚しても良いけれど、子育てママアピールをしながら、普通の人より派手な生活をしつつ人に説法をする僧侶は苦手です。 違和感があって近づきたくありません。 反対にその浄土真宗は、先進的な経営を全面に自ら堂々と公表して多くの信者の心を獲得しました。 その方が清々しく爽やかで好きです。 他宗派ですが、宗派を変えようと一瞬でも思うほど新しいビジネスモデルの素晴らしさを尊敬しています。正直、先進的な考えを受け入れて時代に発信した僧侶の方々を大好きになりました。 どこも生き残りをかけて頑張っているのなら、中途が僧侶になっても仕事はない可能性が高い点は綺麗な言葉ではなく正直に言えばよいと思いました。 「僧侶は職業ではなく、仏様を拠り所として生きる生き方です」と僧侶を仕事にして豊かな生活をしている方が言うと、檀家離れが起きる気がします。 自分は僧侶を職業とするだけでなく、ママアピールし、YouTube発信で広告を出し、他の質問者にヤフー知恵袋並みのタメ口で近所のおばさんレベルのアドバイスで自分を宣伝する人からの一言ゆえに、人間とは何か、また僧侶の個々人の違いを感じ、墓と先祖を持つ俗人は不安を感じました。私は病気のため死が隣にあります。 苦しんでいるからこそ、悲しいのです。

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日本の宗教に対する意識と新興宗教について

日本には、なんとなく政治と宗教な話は、親しい間でも話しにくいような風潮があると思います。例えば私自身家族の中でも応援している政党が違ったりするとなんとなく気詰まりな感じがします。そういう宗教や政治の話がなかなか気軽にしにくい日本の風潮にお坊さんはどう思いますか? 話は違いますが、うちは曹洞宗ですが、遠くに住んでいる親戚の叔父が韓国の方が教祖のキリスト系の新興宗教を信仰しています。叔父さんはとても元気でタフで明るくて面白くて好きですが、宗教の話をしている時に進化論を否定していることに驚きました。たしかに進化論が正しいかは、私自身教科書でしか教えられておらず、自分で確かめたことはないので、確証や証拠で反駁することはできないのですが。 あと人間だけ霊界があるというその宗教の教えに対しては、全ての生き物が限られた生を命の限り全うするということは同じな世界で、人間にしか霊界が用意されていないという考えがしっくりきませんでした。当然信仰の自由があるので何を信じるかの選択の余地は一人一人あり、全く否定する気はありませんが。その対話をしている時の母がもううんざりといった言動でもう終わりにしてほしいというオーラが全身から漂っていて、とりあえず途中で私が引き下がりました。(こういうところでも宗教の違いを対話するのを嫌がる日本の風潮を感じました。) 比較的歴史の洗礼に耐えて伝統を長く受け継ぐ仏教の宗派のお坊さんは、新興宗教と呼ばれている宗教の特徴や教えについてどういうお考えをお持ちなのか、気になりまります。 お手すきの時にお返事頂けたら嬉しいです。

有り難し有り難し 75
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色々つらいです

姉弟で差がある家庭で、姉だ・女だと事ある毎に理不尽で我慢し、甘えられず頼れず、羨んで憎んでヤケクソな強がりでその場を強く切り抜けましたが、更に憎たらしく思われた日々。 時は過ぎ結婚・出産し、相変わらず差別や罵倒はあったものの初孫はとても可愛がり愛情を見せ、子育てで助けてもらう内に、親に対するマイナスな気持ちも薄らぎ感謝し、私も親の苦労が理解出来る立場になった事でお互い穏やかになりつつあったのですが…親は突然倒れました、救命措置で命は助かったが脳挫傷で意識不明・寝たきり、気管切開で喋れず・食べられずです。そこからは少しは意識はあったけれど病院の診立ては違いリハビリは出来ず、本人も私達も辛い入院が続き、何とか復活を願ったのですが自分たち素人に出来る事は少なく、お見舞いで明るく振る舞ってマッサージや手を握り励ますくらいしかできないのが歯痒くて、とても辛く悲しくてショックで心が変になりました。そして寝たきりのままどんどん悪くなり一年後に亡くなりました。 辛い。残酷だ。恩返しも感謝もこれからだったのに、1人親なのに、孫ともお互い唯一の存在でとても仲良くて子供の心の支えでもあったのに、どうしてこんな酷さで持っていない所から奪っていくの?と受け入れられないで居ましたが 主人は、それは神様が決める事、そして皆んなに訪れる事だから天命だから受け入れよう、と言います。受け入れることは諦めることとどう違うのかわかりません。教えてください。 そして将来がとても不安になりました、親の死の後にもお金が動き手続きで忙しくて、親戚やきょうだいが居る事で助けになったのに、一人っ子で親戚の無い我が子の将来が心配でたまりません。不安と心配と後悔と悲しみで気が狂いそうになる時があります。救いの言葉をください。 それど死んだ後は各宗派によっても違うし、浄土やら魂やら輪廻やら何が本当ですか?ずっと見守っているのですか?生まれ変わるのですか?死後のことはわからないはナシでお言葉をください。よろしくお願いいたします。長文失礼しました。

有り難し有り難し 19
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2024/02/01

消えない憎しみについて

こんにちは。24歳の女性です。 本日も宜しくお願い致します。 私には憎んでも憎んでも、憎み足りない人がいます。去年の話ですが、アルバイト先で休憩室が隣だったことをきっかけに話すようになった10歳ほど上の女性がいました。それからというもの、連絡先を交換し、一般的に言えば「仲が良い」とされる関係性だったと思います。 しかしながら、私は彼女との関係性が進むにつれて、自分が彼女の言葉に度々傷ついていること、不安に感じていること、嫌われまいと自分を偽っていること、心が疲れてしまっていることを感じており、そんな正直な自分の気持ちを見て見ぬふりし続けた結果、相手に対する憎悪が一年たった今でも肥大化しています。 その方の嫌悪点を端的に申し上げますと、 価値観を強制的に押し付ける、マウント(自分の方が上だ、と思うための手段として私を利用してくる)、発言のほとんどが人の悪口、自慢をする(異性にモテること、仕事ができること)、相手の一言一句を否定する、という点です。 さらに、私は同じ職場に好きな人がおり、その女性とその男性を含めて話すこともあるような関係性でした。私はその女性に、彼が好きなことを話していたのですが、「脈は感じられない」「諦めて合コンに行こう」「彼が好きなのはあなたではなく私(その女性)では?」「彼は思わせぶりだ」などといった意見を毎日のように浴びせられ続けました。 ただ自分の方が上だと主張したいだけでは、そのために弱い私を利用しているのでは、と気づいた時には手遅れで、その女性からの連絡を無視し、連絡先自体を削除した今もなお、怒りは消えません。 ただ、こんな女性のように歳を重ねたくはない、という反面教師として勉強させて貰った貴重な機会にはなりました。自分の嫌いな人、モノを理解するための教科書のようなものでした。 しかしやはり、怒り、憎悪、醜さ、相手への攻撃性、その相手を否定しようとするエネルギー、などがふつふつと湧いてくるばかりです。許すことなどできず、正直なところ、相手が死に至れば喜んでしまうほどです。 私はこのような感情とどのように対峙し、理解し、受け入れることができるのでしょうか。自分の心がどんどん悪に染まるような気がしてきて、とても怖いです。

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