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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1816件

死後の夢、来世の不安

また質問させて頂きます。 最近、少し死後の事などについて調べています。 死後は、閻魔大王様やいろんな裁判を下すお方がいらっしゃいますよね。そして来世、どの世界で生きることになるか決められるとありました。 変なことかもしれませんが、私は死後、夢を持っています。仏様に生前で学んだ事や楽しかった思い出をお話ししたいのです。こんな素晴らしい出来事があり、こんなことを学びましたよ、とか、こんな辛い事が、こんな風にして頑張りましたよ、とか。 そして仏様の元で雑用をこなし、時がきたらまた日本人として転生したいのです。 こんな夢があるのですが・・・、叶うでしょうか? また、お話が変わりますが来世に対して 不安があります。 地獄道や餓鬼といったところに落ちていく人もいるのですよね? そこで何兆年も暴力などによって苦しまなくてはいけないと、知りました。 行きたくないです・・・。皆そうでしょうが、そんな場所でどうして殺し合いをしなければならないんでしょうか?? 何のメリットがあってそんな場所を仏様がご用意なさったかわからないです・・・。 ただ苦しむだけですよね? どんな罪を犯した人でもそんな場所に落ちても、ただ苦しむだけで何も学べないんではないでしょうか・・・。 来世、私や私の回りの人達が地獄に落ちてしまうのではないかと思うと不安でなりません・・・。 もし、地獄や餓鬼界があるとすれば、そこに行かずにすむ方法を教えて下さい! ご回答、お願い致します。

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インスピレーションで子どもの名付けをしてはいけませんか

あと1ヶ月ほどで子どもが生まれます。 性別は男の子です。 わが子にどうしてもつけたい名前があります。 いわゆるキラキラネームや流行りの感じではなく、どちらかと言えば古風な名前です。 しかし、なぜその名前にしたいのか、どんな思いが込められているかを問われると、うまく答えられません。 その名前にしたいと思ったのは、全くのインスピレーションだからです。 ある日突然その名前が降ってきて、わが子をこの名前で呼びたい!と思いました。 もともと物事を決めるのに、そういう感覚的なものを大事にする方なので、今回もできれば変えたくありません。 夫も気に入り、賛成してくれています。 しかし、名前は一生背負うものなので、もっと真剣に、意味合いや画数を考えてつけたほうがいいのかとも思います。 一方で、子どもはどうせ親の思い通りになんかならないのだから、あまり色んな思いを背負わせすぎるのもな…とも思います。 その名前につけられている漢字の意味は、もちろん知っています。 決して人の名前としておかしなものではありません。 また、強いて言えば歴史上の人物と同じ名前なので、その方にあやかって立派に育って欲しいと言うことはできます。 わたしは、わたしの思いや感覚に捉われすぎでしょうか。 子どもの立場に立った名付けとは、どのようなものでしょうか。

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自宅敷地内の観音様について

以前、被災した義理の両親との同居を解消することに悩み相談させていただいた者せす。同居して2年が経過しようとしています。相談させていただいてからも、主人とは何度も離婚の話をしてきました。お互いこのストレスに疲れてしまっていたのです。そんな不仲の私達のことをみて、義理の両親がなぜか私達のことで結婚後過去最悪の喧嘩したそうです。 そして、この家からは出ていき、シングルマザーで2人の子供を育ててい る義理姉のことをサポートしにいくことときめたようです。 そこで、ご教示いただきたいことがあります。 彼らがこちらに来る時に、代々祀ってきた観音様を我が家敷地内に、被災地から持ってきました。観音様と呼んでおりますが、どうやら昔の誰かのお墓らしいのです。主人のひいおじいさまの夢に、出てきて「掘ってくれ」とお告げがあり、掘ったらでてきたそうです。それから、その観音様は震災でなくなってしまった自宅近くの山に祠を建て祀られており、代々引き継がれていたようです。 こちらに持ってくるという話の時、私は「海を眺める場所にあったものだし、観音様はあの場所が好きだろうから動かすべきではない。」と言い、また、正直、新しい住宅地なので周りも若い家族が多いため気味悪がられたりされるのではないか、という気もして反対してました。 今、観音様は庭にあり、ホームセンターで購入した物置小屋を祠のようにして祀り、義理母が毎日お水をあげています。 これから家を出で岩手県に戻るとのことで、私は上で申し上げた理由2点から、あちらに戻して欲しいと思っています。 しかし、主人も含め、こちらに置いておきたい、といっていますが私は、義理の母ほど、その観音様に愛着が持てず管理ができる自信もありません。主人は週1くらいであればお水とご飯を供えそうですが、今までの仏壇へのお供え状況を見ていると私より頻度が少いので怪しいです。 こんな雑な夫婦のもとに観音様を置いておいて良いのでしょうか。 それで観音様は幸せでしょうか。 昔、観音様のお供え等をサボっていた時期に義理父が仕事で指を切断したそうで色々と怖いです。 今後どのようにしたら観音様は幸せですか? ご教示ください。

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『なぜ私だけが苦しむのか』

これは私自身が生きる中で抱いた怒りや悲しみではなく、hasunohaで数々の質問を目にする中で生じた仏教への一般的な関心に基づくことを最初にお断りしておきます。 H.S.クシュナーの『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(齋藤武訳)を既にご存知かもしれません。この本は、私の理解する限りでは最後の章で次のような普遍的な問いを扱っています。 「なぜ、善良な人が(あるいは私が)不幸にみまわれたのか」 「私の苦しみが単なる不運であるなら、私が苦しんでいることになんの意味があるのか」 「正しい人も悪い人も同じように苦しむのだとしたら、だれが宗教なんか必要とするだろうか」 諸行無常、諸法無我、一切皆苦。「それはわかっているけれど……」「死んだあとのことを今いわれても……」というのが、これまた雑な理解に基づく感想で申し訳ありませんが、仏教徒にとってもまた正直な反応ではないかと感じています。一例として、ターミナルケアの現場において、死後の世界に関する教義が死への恐怖を有意に和らげているとはいえなかったという話をどこかで耳にしたことがあります。 これらの問いに対して、皆さんは時に誰かの、時にご自身の問題としてどのようにお考えになるでしょうか。あるいは宗旨の違いにより、そもそも仏教ではこうした問い自体が前提から不適切かもしれません。そうであれば、仮に目の前の方がこのような疑問や怒り(たとえば病気について)を投げかけてきた時、その方に対してどのようなお話をされるでしょうか?

有り難し有り難し 35
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