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祠があるのですがどのように管理していけば良いのでしょうか?

お坊様に教えて頂きたいことがあり、こちらに書いてみました。 実家に庭があるのですが、私の祖父の代から庭に行者菩薩と書かれた石碑が置かれた祠のようなものがあります。 祖父はもう20年近く前に亡くなっています。 実家は祖父から私の父に継がれてますが、庭仕事が趣味だった祖父が亡くなり現在は誰も庭の管理をしなくなり荒れた庭となっています。 その行者菩薩様の祠も祖父が建てたらしいのですが、庭も荒れ放題で祠も誰も手入れをしないことが最近気になっております。 そもそもどんな経緯があって実家にこの祠があるのか実家の父も母もよく分からず、荒れた庭にとくに何もされずに放置されてる状態です。 しかし、何か理由があり実家に祀られていて管理をしていた祖父が居なくなって放置というのもどうなのかと思っています。 祠を建てお迎えしておきながら長らく荒れた庭に・・なんとなく実家に今の状態を見に行ったのですが、祠には蔦が絡まり隣に植えられてる紫陽花の枝が祠を覆うように伸びていて、これはちょっと庭全体を片付けるのは難しいにしても、せめて祠と祠の周りくらいは綺麗にした方がいいと思いました。 道具を揃えて実家に掃除に先ほど行ってきました。 なんだか・・そうした方がいいと思って。 私自身も祠の存在のことなど忘れていたので今更という気もしましたが・・。 長らく放置してしまってますが、この祠はこれからどのように管理したら良いのでしょうか? 私自身は家庭を持ち実家を離れております。 隣町なのでいつでも行ける距離ではありますが、どのように管理していくのが適切なのか教えて頂けないでしょうか?

有り難し有り難し 9
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2021/05/30

寺を継いだがこれ以上やりたくない

30代後半独身で地方田舎寺の住職をしております。 元々バイトや契約といった使い捨てのような仕事をしていたのですが、いろいろあって人付き合いなども苦手で何一つ身になりませんでした。 そんな時住職である親からそろそろ寺をやってみないかと言われ、最初はあまり乗る気ではなかったのですが、食べてはいけるということで決心、得度し行を終え、副住職となりました。 行を終えてから数年立ちます。最近親の体調があまりよくないので私が住職となり葬儀や法事などを行っています。 なんというか親の住職に無理やりはめられたといった思いが強く辞めたいと思ってます。 というのも田舎なので四六時中、朝早くや夜でも平気でいきなり他人が急に来たり、電話が鳴ったりといったことがまず多いです。 なる前はそんな話は一切聞いてなかった(私が無知で頭が悪いのも原因です)点とお布施をこちらから供用する点です。 特にお布施は住職側からこの戒名だとこれだけ寺に収めてほしいと亡くなった方に対して毎回いうのが嫌になります。 なにしろ金額が高額で相手の立場に考えたら絶対に払いたくないと住職の私でさえそう思うからです。 親の住職に言っても昔からこれでやってきた、下手に下げると今まで高額なお布施を払ってきた先代の檀家の立場もあるし、ないならないで払えるだけでいいから一応そんな感じで葬儀では伝えるべきだというのです。 まるでヤクザまがいの事を私はしているのだろうか、いや現にもう毎回してきたので今更引き返せないところまで来てしまっている思いが強いです。 いくら寺を守る為だとは言え、檀家にも生活があるのは重々承知です。最近檀家離れや葬儀に金をかけたくない檀家が多いです。 そのたびに思うのです。私はいったい何のために寺をやっているのか・・・、こんな思いを毎回するならまだバイトや契約できついながらもまじめにコツコツと働いていた方が人生よかったのではないだろうかと・・・。 現在檀家数は兼務寺も全て合わせると400件前後となります。現状専業で充分やっていけるレベルです、今後はどうなるかわかりません。兼務寺が多いのでその分もめごとも多いです。 庫裏、本堂、境内内整地などはほぼ終えてます。 できれば親を看取った後60ぐらいまでは私一人でがんばってやる気のある方(他人)に譲りたいのですが、後継者はきそうでしょうか?

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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 55
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真宗や浄土宗での得度のこと

この歳でガンに罹患しました。思えば人生残り半分過ぎ去りました。ここで、死に方の勉強をしていないなと思い、以前から興味があった浄土教を学びたいと思いました。 実家が浄土宗や真宗でないため、所属寺がありません。 父方は曹洞宗、母方は日蓮正宗、私だけが浄土教シンパ。 増上寺、本願寺の東京教区に聞いても、寺は自分で探せ、とやや突き放して言われます。 真宗本願寺派、浄土宗それぞれに知人の僧侶はいますが、得度というのはかなりハードルが高いそうです。 この秋から武蔵野大学または佛教大学の通信制課程に通うつもりです。中央仏教学院通信は所属寺住職印を取らないとならないので断念。東京仏教学院は平日のスケジュールがきつすぎて断念。 僧侶は職業に非ず、生き方だと考えていますので、食い扶持にするつもりは毛頭ないのですが。サラリーマンでありながら、得度を受けたいのです。 得度する理由は何か。僧侶として、一定の仏法…学識を積んで、サラリーマンを早期退職し、布教使になりたいと思います。産業カウンセラーの宗教者バージョンでしょうか。病めるサラリーマンの救いとか息抜きで対話できる存在になりたいです。 聞法、勉学のために所属寺をどうすべきか、得度にあたっても所属寺がないために悩んでいます。寺によっては衆徒(本山賦課金を払いたくないから)になるつもりのヤツはお断りだとか、寺によっては法事ばかりで、全然法座法話がありませんので… いわゆる寺族、でない我々在家にはかなり狭き門、しんどいような気がします。

有り難し有り難し 115
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