何もしたくない それが続き始めました 極僅かな友人への連絡も面倒。 何にも関わらず、何もせずにいたい。 でも、仕事をしなければ生活出来ない。 結論として生きるのもめんどうに行き着き始めました。 でも、死を選べば、親兄弟、会社、迷惑をかけるので、その申し訳なさも。 何をしたら気力がわくのか? なんでこんなに無気力になってしまったのか? やっぱり生きるのは難しいのか? 自分が原因で周囲に迷惑をかけるのは嫌です。 どうしたらこの無気力から抜けられるのか。 もしくは迷惑を掛けない終焉の迎え方それが質問です。
前に回答を頂いたのに 毎日死のことを考えてパニックになりそうです。 いろんなサイトとかで色んな方の考え方を聞いても怖さが消えず、怖いと思いながら亡くなられた方もたくさん、おられる事を知り、 心療内科とかに行った方がいいのか、今も手に汗が止まりません。 小さい頃は大人になったら、受け入れれるだろうと思って夜寝るようにしてたのですが、 30過ぎてもこんな、自分が辛いです。 何度もすみません。
日々、お仏壇を拝むときに義父と息子の法名と、ご先祖様の追善増進菩提を拝んでいます。 拝みながら、ふと思ったのですが自死で先に逝ってしまった息子も、先に亡くなった事で、ご先祖様になるのでしょうか? また、ご先祖様と言っても、昔の写真を見た記憶の大祖父は想像できるのですが、それ以上は想像計り知れずわかりません。 こんな気持ちで拝んでいてもいいでしょうか? あと、不束な事をお聞きしますが毎日お経を読んでいても 仕事で拝めない時などは南無阿弥陀仏を唱えるだけでいいでしょうか?
身近な人の死が怖く、環境が変化することがとても悲しいです。 人はいずれ老いて亡くなることは、自然なことだと理解はできますが、そのことを考えるだけで辛く悲しく涙が出てしまいます。 今を大切に生き、楽しく生きたいと思いますが、どうしても、いつかいなくなってしまうんだと思う気持ちが強く心を蝕めています。 どうか、少しでも心が軽くなる言葉をいただけたら幸いです。
仕事で、あれだけ苦労してできたはずが、今日はうまくいきませんでした。ガッカリ…でも見方を変えれば幸せでした。 だって、どこかに改善できる術があるはず。突破口が見えたら、またガッツポーズができるからです。 仕事内容も人間関係も、なかなか難しいです。失敗もします。そんな中で、失敗は成功のもとを信じて少しずつ成長していきます。 だって、生まれた日から死に向かっているんですよ。楽しまなきゃ損です。 たまに休息をしながら、頑張って楽しい人生をゲットします。 涙の日があったら、輝かしい未来への足がかりだと思って乗りきります。 だから、これからも応援してくださいね!
生きる事は有難い、つまり有ることが難しいのは、 母が子を産むことが命がけで、生まれてくる事が奇跡である、と言う事はとてもよく分かります。 ですが、それと同じくらい「死ぬ事」も難しいのではないでしょうか。 死は人生のゴールだと思います。 ゴールに辿り着くには難しいと思います。 質問に戻りますが、 生きることを望むことは、 多くの人から励ましや称賛を得るのに、 どうして死ぬのを望む事に対しては、 否定されてしまうのでしょうか。 自殺はどうして許してもらえないのでしょうか。 自分のために生きることには 多く人が賛同するのに、 自分のために死ぬ(=自殺)することには どうして多くの人が否定するのですか。 同じくらい、難しいのに。
自傷行為について質問です。私は以前仕事中に建築現場の足場の4メートルくらい上から仰向けのまま地面に落ちました。 幸いにも全身打撲と軽い脳震とうだけでした。 その時体がスローモーションになり空には輝く太陽、澄み渡る綺麗な青空、キラキラした雪、 落ちてる間は「やばい」「死ぬかも」「怖い」などの感情は一切なく、ただただ美しいと思いながら落ちました。 その瞬間一瞬死を悟りました。 それからは嫌な事がある時、ストレスが溜まると死ぬのも怖くないな…と思い自分で自分の首を絞める行為をするようになりました… 不思議と首を絞めると落ち着きます。 ダメな行為と分かってても辞められないです… 死にたくて自傷行為をしたくなったらどうすればいいでしょうか…? 乱文ですいません
20代の頃、とても仲良くしていただいた友人がいました。二十歳も年の離れた男性でした。 その方が結婚され、私も時の流れの中でしばらく連絡を絶っていましたが、自死されたと聞いたのが五年ほど前の夏の終わりです。 私も、生きていた頃のその方と同じ年齢になりました。あの頃は、とても大人で迷いなどないようにみえた40代の友人は、そんなに苦しかったのでしょうか。 私も、毎日、悩み、迷い、苦しいです。でも、兎も角も生きています。あの人は、何故なくなってしまったのでしょう。遠くからでも幸せを願っている私たちがいたのに。苦しいって言ってくれたら、何でもしたのに。 夏の終わりになると思います。 生きているって何ですか。
昨日、普段よりご飯をあげていた野良猫ちゃんの中の1匹の子猫を、自宅駐車場で轢き殺してしまいました。直ぐに病院に連れて行きできる治療はお願いしましたが、安楽死という結果になってしまいました。 わざとではないとしても、厳しい外で産まれ一生懸命生きていた子猫ちゃんと、親猫に申し訳ない思いと自分がしてしまった事に対する罪悪感で頭と心がついていかずどうしたらよいのか.. 亡くなった子猫ちゃんが安らかに天に昇れるように供養しないとという気持ちで今はいっぱいなのですが、猫や犬と縁がある人生を送ってきただけに、自分が命を奪ってしまった現実をどう受け止め、これから生きていったらよいのか、教えて頂けませんでしょうか。どうぞ宜しくお願い致します。
無病息災で生きてきた人は、生きたいと思って生きているのでしょうか? 最近、普通は死にたいと思わないらしいと知りました。私は小学生くらいから希死念慮があったのでちょっと驚きました。 事故にあったり、大切な人が亡くなったりといった、生き死にが関わる悩み無く生きている人もいると思います。 そのような人は、生きたいと思う機会がなかなかないのでは? それとも、正常に死にたいと思わず生きている人は、生きたがりながら生きているのでしょうか。 こんな疑問を身近な人に聞くわけにもいかないので(笑)、こちらに投稿いたしました。 私の場合、死にたいとか死にたくないと思っても、生きたいと思った事があるかは曖昧です。
時の流れの速さを最近特に感じ、とても怖いです。 昔から「時が経つのは早い」と言いますが、成人してからそれがよくわかるようになりました。 今も楽しいですし、楽しくしようと頑張っていますが、どうしても昔のことを思い出してしまうことが多々あります。今にはない昔の楽しさ、そして「昔には絶対に戻れない」時の流れの不可逆性をつくづく感じます。そしてそれはとても怖いことのように思えてきます。 「昔が懐かしいなぁ」とか「昔に戻りたいなぁ」といった回顧の気持ちならまだよいのてますが、「昔には絶対に戻れない」事実を受けて、得体の知れない恐怖とやがて必ず訪れる「死」を無意識に考えてしまいます。 昔を懐かしむようになったとき、それに何か恐怖を持ったとき、どのような気持ちでその感情に向き合ったらよいでしょうか? 今と未来だけ見て生きていくことは、やはり難しいのでしょうか。
こんにちは。 29歳、医療職の女です。 いつからか、タイトルのように『生きることをやめたい』と思うようになりました。ですが、自分の命を経つ一歩が踏み出せずここにいます。 とても恵まれた環境にいることは自覚しています。家族からも愛され、幸いにして友人や恋人と呼べる関係の人もいます。楽しいと感じることもたくさんあるし、幸せを噛み締めることもあります。 ですが、その楽しさや幸せを感じているときでも「死にたいか?」と問われれば「はい」と答えられます。死ねば周りの人が悲しむことも想像できます。それでも、もう生きていたくないのです。 なぜか。 自問自答すると、結局 自分のことを好きになれない 自分が無価値だと感じている ことが根底にあるように思います。 冒頭に申しましたように、医療をかじっているので、この自己肯定感の低さをどうにか変えれば良いのだろうということはわかります。 でも変えられないのです。変えてまで生き続ける理由も価値も自分にはないと考えています。だからずっと“生きていたくない”と思いながら毎日生きています。事故や事件に巻き込まれて死ねないかな。このまま寝て目が覚めなければいいのに。 ただでさえ、死ぬことすらできない自分が嫌いなのに、自分の失敗を酷く嫌い、ストレス耐性の低い私は、ちょっと嫌なことがあるとさらに自分のことが嫌いになります。 そんな精神状態で人を励ましたりケアしたり指導したりする仕事もつらい。 こんな気持ちを抱えながら生き続けるのがつらくてたまりません。このつらい気持ちから逃げたくてたまりません。 理由なく生き続けるには無価値過ぎる自分は、どうすればいいのでしょう(生きるのに目的や理由が必要とは思っていませんが…)。この気持ちにどう折り合いをつければ良いのでしょう。 むしろなぜ皆さんは生きていられるのですか?死にたいと考えることはないのですか? とりとめのない内容ですみません。 死ぬ勇気はないので、当分自ら死ぬことはないと思いますが「死にたい」「自分など死んでしまえ」「なぜ死ねないんだ」と言いながら泣く日々が少しでも楽になればと思い相談させていただきました。 よろしくお願いいたします。
2度目の質問です。 よろしくお願いします。 生きる意味、生きている意味、生かされている意味、それを考えると生きていた中で味わった事のない恐怖を感じました。 なぜ、怖いと思うのか一緒に考えては頂けませんか。
今年の春頃から更年期のためか体調があまり良くなく、また異動により仕事もつらくなりました。 長い間飼っていたペットも死に、それで張り合いがなくなったこともあってか、年齢のわりに元気だった母の認知症が進んで、さらに持病も悪くなり入院しています。 私は未婚で子どももおらず、そう遠くなくこの先ひとり取り残されてしまうことがまざまざと目の前に突きつけられて、息苦しく恐ろしくてひとりの家でただただつらく、眠るのも怖く食欲もありません。 衰えていく母の介護も死も、いずれ来る自分自身の死も何もかもが重くて恐ろしくて背負える気も耐えられる気も全くせず、仕事中でも涙ぐんでしまう始末です。 未来がなく思えてつらいです。いずれくる家族の死と自分の死をどうしたら飲み込むことができるのでしょうか。
数年前に友人を自死で亡くしました。私は一貫して自殺も死の一つの結果に過ぎないと考えていたので、仮にあの世があるならば安楽に生活していると思います。 それはそうと、予定外だったのは友人の死が私を苦しめているということです。 友人は人を思いやる気持ちが人一倍感じられ、常に優しさで溢れていました。 はっきりいってこの世の人間の大半は自分を含めて糞ですが、そんな中で例外的に糞では無かった友人を亡くしてこの世に生きる意味というのも失いかけています。 翻ってこう思うのは自分が人間に向いていないというか、社会不適合者なんだと最近は思うようになりましたがこんな人間でも出来るだけ楽に生きる心構えというのはありますか。それとも前向きに自死を検討するのも一つの方法だと思いますか。 また上記とは別に病苦もあり肉体的にも苦しめられています。
明けましておめでとうございます。 昨年は色々とありがとうございました。 新年になり、ふと思い出したことがあるので二つ質問です。 一つ目はある私の大嫌いなパンクな僧侶が、 『門松は冥土の旅の一里塚めでたくもあり めでたくもなし』 という歌を残して、正月に京の街をシャレコウベを持って『ご用心なさい』と言って練り歩いたという逸話があります。 最初は、死に近づいてるのだから有難がるなよ、髑髏のような死体になるから気を付けなさい、という意味かと思っておりました。 しかし最近は、『寂滅為楽の涅槃に近づいた。めでたいな。でもまだ涅槃への道は遠い、めでたくないな(浮かれてはいられないな)。用心してしっかり行かないと』 と考えるようになりました。皆様の解釈はいかがでしょうか。 (死や死に向かっていく事に対してはめでたいも、めでたくもないのですが) 二つ目は、婆子焼庵という公案です。 内容は以下転載です。 『ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、 衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。 そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が 寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と 言って、娘の誘いをはねのけた。 娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話 してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、 修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。 さて「婆さんの真意はいかに」というもの』 私なら、何故私を気に入ったかを聞いて顔や身体です、とか言われたら返事を翌日まで保留にして、そのまま旅に出ます。 性根や内面が気に入った、とか言われたら、一緒に出家しようと誘います。 片方が顔や身体を気に入って、もう片方の人が内面とか言われたら内面が良いと言ってきた人を出家に誘って、庵を出ていきます。 皆様はどんな解釈や回答になりますか? (作麼生・説破の使い方が違うのはお許しください)
初めて投稿させていただきます。 人の死について、今頭から離れないことがあります。 私や私の両親の事ではなく、近所の80代の男性(ご夫婦でお住まいです)が今年始めに病気で入院手術されました。手術は成功したのですが、先日から急に体調が悪化し手足に水が溜まるようになって今日再び入院することになったそうです。 お医者様によると「いつ何時に…」という事を言われたと奥様が言っておられました。 私は顔見知り程度で何度かお話ししたり、いつもご夫婦でお散歩されている姿を見ていただけですが…なんて言えば良いのか、お二人が並んでお散歩されているお姿がもう見られないのかと思うと急に寂しく感じられ、今日お話を聞いてから落ち込んでしまっています。 お子さんは息子さんがお二人いらっしゃるのですがそれぞれ事情があり、ほとんど会いに来てくれないみたいです。(ご長男は近所に住んでいます) あまりにもご実家に帰ってこない事でご主人は「子供なんて産むんじゃなかったな」とさえ仰ってたと聞きました。もちろん本心からではないと思いますが、病気でしんどくて心が弱っている時に息子が家に全然来てくれない、病院に送ってもくれないとそんな愚痴も言いたくなるのかもしれません。 私が「検査の時や必要なときは病院までいつでも車で送っていきますよ」って言っても、いつも「大丈夫です」って遠慮され、お二人で通っておられました。私の母が奥様から聞いたのはご主人が「息子でさえ来てくれないのに、ご近所さんにそんな迷惑はかけられない」と仰っていたみたいです。 何か私にも出来ることはないかと考えていた矢先、再入院。 そして、もう長くないと… 人は必ず亡くなるものですが、何もしてあげられなかった後悔が溢れてきて。 出来れば、また元気になってもらえたら良いのですが、もし無理なら少しでも穏やかに最期をむかえてほしいと願わざるを得ません。 私は人の死を受け入れる事が難しいのか、覚悟が無いのか、ずっと頭から離れなくて辛いです。 人が死ぬことを想像すると悲しくて怖くて。きっとこれから何度も経験していくのにこんな弱い精神で耐えられるのか。 どう考えていけば良いのでしょうか? 長文になり大変申し訳ありません。
実生活で困っていることはないのに、最近気持ちが追い詰められて、頻繁に死を考えるようになってきました。 趣味もあるし、仕事もある。家もあるし、周りから虐められるような事は今はないのですが、過去の辛い経験が、未だに心の中で私を苦しめているようで、ここ数年落ち着いてきていた死への思いが再び強くなってきてしまいました。 過去、異性から虐められたり、心許した相手からセクハラメールを送られたりして、異性に対してはもう恋愛感情も持てないし、結婚もする気はないのですが、先日結婚相談所から電話が来て、普通に断ればいいものを、良縁を結ぶという言葉を聞いた途端パニックになり、強い口調で返して電話を切ってしまいました。相手は仕事で電話をかけてきただけだというのに、そんな態度をとってしまった自分が心底嫌になり、泣きながら跡が残るほど自分で自分の首をいろんなもので締めてしまいました。 死ななければいけないという思いは二十代の頃から強く常にありました。 最近は落ち着いてきたのに、またそれが強くなって、思うだけでなく自分の首を絞めてしまう状態になってしまいました。 人に迷惑掛けずに生きる事も、自分から命を経つこともいけないことなのは分かっているのです。生きてても案外なんとかなってることも分かってはいるのですが、同時に人に迷惑をかけてはいけない。でも、頻繁にパニックになって倒れる自分は人に迷惑をかけている。そんな自分は早く消えるべきだという気持ちも同時に沸き起こって、そのうち取り返しのつかない事をしてしまうのではないかと恐ろしく感じます。 おそらく、後者は過去に酷い言葉をぶつけられ、散々傷ついた過去の自分が思っている事なのだと思います。それが、未だに心の中に存在して、消えずにいるのだと。 もう、誰も私を傷付けないし、酷い言葉を投げ掛けない。傷つく必要はないのだと、心の中に居座ってる過去の自分に言い聞かせたいのですが、逆に辛い思い出が蘇って、今の自分が参っていってしまっています。 私はこの苦しさを抱えたまま生きていかねばならないのでしょうか。この苦しさを抱えながらも前に進むにはどうすればいいのでしょうか。将来の事を考えても見えるのは死ぬ未来ばかりで、何も見えないのです、昔から。 少しでもいいです。何かアドバイスをいただけたら有難いです。
30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。
自業自得で死にたい。 自分が悪いと確信を持ちながら死にたいです。 地震みたいな災害とか 事故とかの確率の範疇のものでは死にたくない。 命を奪う事は僕の中では悪い事です。 でも僕が直接命を奪ったことは殆ど無い。 ご飯だって、誰かがお金の為に殺してるだけです。 虫を何かの拍子に殺してしまっても何も罪悪感は湧きません。 死にたいです。 悪く無いなら死にたくないです。 でも死にたいので悪いと確信を持ちながら死にたいです。 死刑になるような罪をするのは論外です。 国が決めた良い悪いに付き合いたくないですから。 どうするべきだと思いますか? 生きるべきというのは論外です。 生きてますから。