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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6154件

生きることをやめたい。

こんにちは。 29歳、医療職の女です。 いつからか、タイトルのように『生きることをやめたい』と思うようになりました。ですが、自分の命を経つ一歩が踏み出せずここにいます。 とても恵まれた環境にいることは自覚しています。家族からも愛され、幸いにして友人や恋人と呼べる関係の人もいます。楽しいと感じることもたくさんあるし、幸せを噛み締めることもあります。 ですが、その楽しさや幸せを感じているときでも「死にたいか?」と問われれば「はい」と答えられます。死ねば周りの人が悲しむことも想像できます。それでも、もう生きていたくないのです。 なぜか。 自問自答すると、結局 自分のことを好きになれない 自分が無価値だと感じている ことが根底にあるように思います。 冒頭に申しましたように、医療をかじっているので、この自己肯定感の低さをどうにか変えれば良いのだろうということはわかります。 でも変えられないのです。変えてまで生き続ける理由も価値も自分にはないと考えています。だからずっと“生きていたくない”と思いながら毎日生きています。事故や事件に巻き込まれて死ねないかな。このまま寝て目が覚めなければいいのに。 ただでさえ、死ぬことすらできない自分が嫌いなのに、自分の失敗を酷く嫌い、ストレス耐性の低い私は、ちょっと嫌なことがあるとさらに自分のことが嫌いになります。 そんな精神状態で人を励ましたりケアしたり指導したりする仕事もつらい。 こんな気持ちを抱えながら生き続けるのがつらくてたまりません。このつらい気持ちから逃げたくてたまりません。 理由なく生き続けるには無価値過ぎる自分は、どうすればいいのでしょう(生きるのに目的や理由が必要とは思っていませんが…)。この気持ちにどう折り合いをつければ良いのでしょう。 むしろなぜ皆さんは生きていられるのですか?死にたいと考えることはないのですか? とりとめのない内容ですみません。 死ぬ勇気はないので、当分自ら死ぬことはないと思いますが「死にたい」「自分など死んでしまえ」「なぜ死ねないんだ」と言いながら泣く日々が少しでも楽になればと思い相談させていただきました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 21
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明けましていきなりですが、作麼生・説破(そもさん・せっぱ)

明けましておめでとうございます。 昨年は色々とありがとうございました。 新年になり、ふと思い出したことがあるので二つ質問です。 一つ目はある私の大嫌いなパンクな僧侶が、 『門松は冥土の旅の一里塚めでたくもあり めでたくもなし』 という歌を残して、正月に京の街をシャレコウベを持って『ご用心なさい』と言って練り歩いたという逸話があります。 最初は、死に近づいてるのだから有難がるなよ、髑髏のような死体になるから気を付けなさい、という意味かと思っておりました。 しかし最近は、『寂滅為楽の涅槃に近づいた。めでたいな。でもまだ涅槃への道は遠い、めでたくないな(浮かれてはいられないな)。用心してしっかり行かないと』 と考えるようになりました。皆様の解釈はいかがでしょうか。 (死や死に向かっていく事に対してはめでたいも、めでたくもないのですが) 二つ目は、婆子焼庵という公案です。 内容は以下転載です。 『ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、 衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。 そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が 寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と 言って、娘の誘いをはねのけた。 娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話 してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、 修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。 さて「婆さんの真意はいかに」というもの』 私なら、何故私を気に入ったかを聞いて顔や身体です、とか言われたら返事を翌日まで保留にして、そのまま旅に出ます。 性根や内面が気に入った、とか言われたら、一緒に出家しようと誘います。 片方が顔や身体を気に入って、もう片方の人が内面とか言われたら内面が良いと言ってきた人を出家に誘って、庵を出ていきます。 皆様はどんな解釈や回答になりますか? (作麼生・説破の使い方が違うのはお許しください)

有り難し有り難し 43
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人が死ぬと言うこと

初めて投稿させていただきます。 人の死について、今頭から離れないことがあります。 私や私の両親の事ではなく、近所の80代の男性(ご夫婦でお住まいです)が今年始めに病気で入院手術されました。手術は成功したのですが、先日から急に体調が悪化し手足に水が溜まるようになって今日再び入院することになったそうです。 お医者様によると「いつ何時に…」という事を言われたと奥様が言っておられました。 私は顔見知り程度で何度かお話ししたり、いつもご夫婦でお散歩されている姿を見ていただけですが…なんて言えば良いのか、お二人が並んでお散歩されているお姿がもう見られないのかと思うと急に寂しく感じられ、今日お話を聞いてから落ち込んでしまっています。 お子さんは息子さんがお二人いらっしゃるのですがそれぞれ事情があり、ほとんど会いに来てくれないみたいです。(ご長男は近所に住んでいます) あまりにもご実家に帰ってこない事でご主人は「子供なんて産むんじゃなかったな」とさえ仰ってたと聞きました。もちろん本心からではないと思いますが、病気でしんどくて心が弱っている時に息子が家に全然来てくれない、病院に送ってもくれないとそんな愚痴も言いたくなるのかもしれません。 私が「検査の時や必要なときは病院までいつでも車で送っていきますよ」って言っても、いつも「大丈夫です」って遠慮され、お二人で通っておられました。私の母が奥様から聞いたのはご主人が「息子でさえ来てくれないのに、ご近所さんにそんな迷惑はかけられない」と仰っていたみたいです。 何か私にも出来ることはないかと考えていた矢先、再入院。 そして、もう長くないと… 人は必ず亡くなるものですが、何もしてあげられなかった後悔が溢れてきて。 出来れば、また元気になってもらえたら良いのですが、もし無理なら少しでも穏やかに最期をむかえてほしいと願わざるを得ません。 私は人の死を受け入れる事が難しいのか、覚悟が無いのか、ずっと頭から離れなくて辛いです。 人が死ぬことを想像すると悲しくて怖くて。きっとこれから何度も経験していくのにこんな弱い精神で耐えられるのか。 どう考えていけば良いのでしょうか? 長文になり大変申し訳ありません。

有り難し有り難し 18
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自分の中の相反する感情に振り回されて辛い

実生活で困っていることはないのに、最近気持ちが追い詰められて、頻繁に死を考えるようになってきました。 趣味もあるし、仕事もある。家もあるし、周りから虐められるような事は今はないのですが、過去の辛い経験が、未だに心の中で私を苦しめているようで、ここ数年落ち着いてきていた死への思いが再び強くなってきてしまいました。 過去、異性から虐められたり、心許した相手からセクハラメールを送られたりして、異性に対してはもう恋愛感情も持てないし、結婚もする気はないのですが、先日結婚相談所から電話が来て、普通に断ればいいものを、良縁を結ぶという言葉を聞いた途端パニックになり、強い口調で返して電話を切ってしまいました。相手は仕事で電話をかけてきただけだというのに、そんな態度をとってしまった自分が心底嫌になり、泣きながら跡が残るほど自分で自分の首をいろんなもので締めてしまいました。 死ななければいけないという思いは二十代の頃から強く常にありました。 最近は落ち着いてきたのに、またそれが強くなって、思うだけでなく自分の首を絞めてしまう状態になってしまいました。 人に迷惑掛けずに生きる事も、自分から命を経つこともいけないことなのは分かっているのです。生きてても案外なんとかなってることも分かってはいるのですが、同時に人に迷惑をかけてはいけない。でも、頻繁にパニックになって倒れる自分は人に迷惑をかけている。そんな自分は早く消えるべきだという気持ちも同時に沸き起こって、そのうち取り返しのつかない事をしてしまうのではないかと恐ろしく感じます。 おそらく、後者は過去に酷い言葉をぶつけられ、散々傷ついた過去の自分が思っている事なのだと思います。それが、未だに心の中に存在して、消えずにいるのだと。 もう、誰も私を傷付けないし、酷い言葉を投げ掛けない。傷つく必要はないのだと、心の中に居座ってる過去の自分に言い聞かせたいのですが、逆に辛い思い出が蘇って、今の自分が参っていってしまっています。 私はこの苦しさを抱えたまま生きていかねばならないのでしょうか。この苦しさを抱えながらも前に進むにはどうすればいいのでしょうか。将来の事を考えても見えるのは死ぬ未来ばかりで、何も見えないのです、昔から。 少しでもいいです。何かアドバイスをいただけたら有難いです。

有り難し有り難し 4
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死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 59
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