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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6193件

亡くなった人がどうしても忘れられません。

とても大切な人を亡くしました。突然死でした。 その人は以前お付き合いしていた方です。 既に別れてはいましたが、お互いに悩み事を相談し合ったり、頻繁にご飯を食べにいったりするようなもう家族と同じくらい大切な人でした。 いつも何かあるとすぐに電話していたので、亡くなってからふと電話をしようと思い立っても「あぁ、亡くなってしまったんだな」と何度も何度も 落胆してしまいます。なんでも言い合える仲の人はその人しかいません。 今自分が見ているもの、なにか美味しいものを食べている時、自分のできる全てのことはもうその人にはできないんだと思うとやりきれません。 せめて夢にでも、幽霊でもいいから出てきて欲しいと思っても何の音沙汰もありません。 毎日毎日思い出して所構わず泣きそうになるのを必死に堪えてます。誰かに相談して泣くことも出来ません。 不謹慎ではありますが、自分が代わってあげればよかったとも思います。 こんなに身近に死を実感して、明日誰かが死んでしまうかもしれないという思いが強く、毎日が怖いです。 亡くなったその人は「死にたいとか簡単に言うな!」と怒るような人だったので自殺しようとは思いません。でも生きようとも思えないです。 亡くなった人に対してどう気持ちを整理してこれからの人生を生きていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2
2023/04/18

両親がもういないのが苦しいです

よろしくお願いいたします。 私は半年の間に両親を亡くしました。 母は認知症の症状が酷く、週3回必ずしなければならない通院も困難になり病院に入院し、入院から半年後に亡くなりました。 臨終の際に駆けつけることができず、ひとりで逝かせてしまいました。 父は、母の死から半年後に末期がんで亡くなりました。 母のことがあったので、入院はせずに同居をしたのですが、同居後間もなく症状が急激に悪化し、同居開始からわずか3ヶ月で亡くなってしまいました。 母の死去も悲しかったのですが、私は昔から父が大好きだったためか、父の死を受け入れられず、時たま父や母とのメールを見返したりして思い出しては泣いてしまいます。 父は病気が原因で声を発することができなかったので、もっと伝えたいことややりたい事があったのでは…と、後悔ばかりしています。 もっと一緒にご飯を食べたり私の子ども達と過ごしてほしかった、もっと早く一緒に住めばよかった、父は幸せだったのだろうかと考えては涙しています。 母も、入院することを嫌がっていたのにその時は他にどうすることもできず入院させてしまったこと、最後に会った時に言われた「一緒に帰ろう」という言葉が頭から離れません。 最後駆けつける事もできず、お母さんごめんなさい、とずっと思っています。 時が経てば癒えてくるのでしょうが、今が辛くて… もう「お父さん」「お母さん」と呼んでも返事をもらえない、もう会えないということがこれ程辛いものかと実感しております。 何が前向きになれるようなお言葉をいただけないかと思い、こちらでご相談させていただきました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

脅迫観念をなくす方法はありますか?

苦しく毎日が不安でいっぱいですのでどうかご助力ください。 私の場合は特殊なケースだと思います。 祖父の死がきっかけになって、強迫観念、不吉なことを考えることが抑えられないのです。例えば言葉にしても言いたくないようなかなり残酷なことや、みんな死ねだの、ざまぁみろだの、くたばれなど様々なひどいことを無意識に考えてしまってしまいます。また、突然仏壇や神様やお墓にまで死ねなど心で吐き捨てています。なので、祟りが自分や親しい人にふるかもしれないと毎日怯えています。 精神科やカウンセリング、薬、はては神様にまですがっていますが、祖父の死から2か月たっていまだに治る気配がありません。 私はどうしたのでしょう?こんな残酷な人間だったのかとそういった考えが浮かぶたび深い罪悪感、自己嫌悪に陥ります。 今まで自分は人の死をいたわることができる人間だと思って生きておりましたが、自分の本質はこんなものだったのでしょうか? 神様にすがるばかりでなく、自分でもなおそうと仏教の「慈悲の瞑想」などで変えてみようと奮起しておりますが、いつかはなおりますでしょうか? なにとぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1
2023/09/09

いつか死んだ子に会いたい

我が子を自死で亡くしました。死後、いくつも心の闇を抱えていたことを知りました。その内容は裏切りでもあり、哀しみでもありました。 以来、想像を絶する悲嘆と悲しみに苦しむ日々です。 私自身、寺に生まれ寺で育ちました。懐疑的な性格であったので、熱心な仏教徒ではありません。 我が子の死と向かい合わなくてはならなくなった今、仏教やキリスト教で何かが救われるかと言うと、やはりまだそこに至っていません。 辛くてメンタルクリニックにも行きましたが、薬が欲しかったのではなく、あの子に会いたい、この苦しい気持ちをどうすればよいのか?という問いに医師は薬を勧めるだけでした。(当然ですよね…。) あの子に会いたい。話したい。抱きしめたい。あの子はどこにいるのか、自分が死んだら会えるのか、と日々問い続けています。 あの子が自分の周囲を彷徨っているのなら、声が聞きたいとイタコにすがろうかと思った時期もありました。霊感を説く宗教にはまってしまう人の気持ちがわかるようにもなりました。イタコや変な宗教には何もコンタクトは取っていませんが、辛い気持ちは何も癒されません。 最近、知人の医療従事者が、私に「自死した人はあの世に行けないんだよ」と言ってきたのは、さらに私を打ちのめしました。 私はいつか会いたい、その気持ちだけのためになんとか生きています。 あの世があるのか?そこで会えるのか? 誰もがわからないその問いでしょうが、 これからこの悲しみにどう気持ちをもっていけばよいのでしょうか。 愛別離苦の辛さだけでも、心が悲しみで爆発しそうです。 倶絵一処というのは、自死した子とは願ってはいけないのでしょうか。あの世があるのであれば、死に方次第でそんなに区別されるものなのでしょうか。 会いたい、会いたい。こう願う気持ちはおさまることを知りません。 体調のことがあって止められていた飲酒をするようになりました。長生きしたくないからです。それでも日々、仕事やボランティア等できることは無理してやっています。時々涙が出てきます。 自死したあの子と会いたいと、ひたすら願いながら。 けれどもだんだん疲れてきました。 自死した子と浄土で会えないならば、何に縋って生きていけばよいのでしょうか。

有り難し有り難し 71
回答数回答 2