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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2725件

死への恐怖を改善したい

初めて質問をする者です。 よろしくお願いします。 当方、大学4年生で就活活動中です。 タイトル通りなのですが、 いわゆる自分はタナトフォビアなのだと思います。 きっかけは恐らく 幼稚園の頃に経験した祖母の死 小学生の頃に経験した祖父の死 高校生の頃に経験した母親の死 だと感じています。 身の回りにこれだけの身内の死を経験した人がいなく、あまり共感はされません。 仕方のないことだと分かっています。 避けられないことだとも分かっているのです。 しかし、怖いのです。最近時間があるせいか、毎日のように死んだらどうなるのか、これからの別れに耐えられるのか、生きる意味とは何なのか、そういうことばかり考えています。 何も手につかなくなってしまいます。 周りの人たちは、こういうことを考えず前向きに将来のことを語っているのに、今の私にはそれが出来ません。私も前向きに将来を語りたいです。 心配性なところもあり、果たして自分はいつまで生きることが出来るのか、考えても仕方がない未来のことを心配してばかりいます。 周りからは明るい人間だと言われるのですが、今はとてもそんな状態ではありません。 きっと母親の死が大きすぎたのですが、高校生活が忙しく、適切に処理出来ていなかったのだと思います(泣いたら駄目だと思っていました) 同じように悩んでいらっしゃる方をここのサイトで知ることが出来、私だけではないのだと感じることが出来たのですが、やはり心配性、恐怖は改善されませんでした。様々なQ&Aを見てきた中で、なぜ仏教を学ばないのかと不思議に思うことがあるという回答をしていらっしゃったお坊さんがいたのが印象的でしたので、初心者にもおすすめな本などがあれば教えて頂ければ幸いです。 避けられない運命を、せめて受け入れられる考え方、心得を教えてほしい、助けてほしい。 以上、長文にお付き合いいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 10
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弟は苦しんでますか?

初めまして。 文章下手くそかも知れません、読みづらかったらごめんなさい。 2年前に弟を自死で亡くしました。 弟は家族の誰よりもわたしを信用してわたしだけには何でも言ってくれてましたが本当に悩んでることはわたしにでも言ってくれませんでした。 死んだ時も何も言わず死んでしまいました。 弟は中学生の頃からいじめで苦しんでました。 わたしは事情で離れており、助けることが出来ませんでした。 精神科に通いカウンセリングを受けてたのを見て最初は可哀想だと思いました。 母親も鬱病なので母親と弟の鬱病アピールがひどくなって弟に冷たい態度をとってしまいました。 苦しんでる弟に甘えるなって言ってしまいました。 それから弟の連絡は減りました。 でもたまに地元に帰った時弟はすごい嬉しそうにしてました。 カラオケ行きたい遊園地行きたいって言ってたのにわたしは今度ねって先延ばしにして弟の次いつ帰ってくるの?って質問にも適当に答えて嘘ついて帰りませんでした。 その後に自殺を知りました。 家族から聞いたら姉ちゃんいつも嘘つく、寂しいって言ってたみたいで弟が死んだのは全てわたしのせいだと思います。わたしが殺してしまったんだと思ってます。辛いです。 毎日夢に出てきます。 生き返る夢だとか、二人とも小学生に戻って楽しく遊んでる夢です。 弟はいつも笑ってくれてますがわたしのことを恨んでると思います。 わたしはまだ弟が死んだのを受け入れれてません。 いつか帰ってくると思ってしまいます。 自殺した人は成仏出来ないと聞きました。 弟は生きてる間いっぱい苦しんだのに死んだ今でも苦しんでると思うと辛いです。助けてあげたいです。 本当に優しい弟だったんです。 わたしのせいで死んじゃったんです。 弟は苦しんでますか? わたしはどう救ってあげればよいでしょう? 本当に生きてる間に色々してあげればよかったと毎日後悔してます。 初めてのお葬式が弟でかなりショックを受けました。 皆の前では心配されたくないので平気なフリしてますが本当は毎日辛いです。 弟のことを思い出すと涙が出てきます。 回答お待ちしてます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
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先日母が急死しました。母親は納得できているのでしょうか

らららら社交的で、思った以上に頑張り過ぎてしまうことが多く頼まれて断りきれず始めたラーメン屋さんの仕事、、ボランティアでしてた国税調査 孫の面倒 辞めている会計士の頼まれた仕事ほか多数、本当にするべき事が多すぎて忙しかったと思います。いつも、走り回り誰かのため自分の事は後回しにして、人のために走り回る母でした。亡くなる前の日、私は次の日子供を見てたもらうため実家に泊まっていました。お風呂入ってる最中に脳内出血が起き朝お風呂場で倒れてるところを見つけました。朝父親が叫ぶ声に慌ててお風呂場に行きました。給湯の音が夜中にもなっていたのは知ってました、、でも、、また、夜中にお風呂に入ってるんだなとしか思わず見にも行きませんでした。お風呂に入らなければ、入ったとしても私がすぐに気になって見に行っていれば、どーにかなったのではと、、なぜ見に行かなかったのか、、そんな事ばかり考えてしまい 母の最後があまりにも虚しく。前の日の夜、風邪気味で熱も少しあったため、、早く先に寝てねーっと言ったのが最後、、お休みと目も合わさず、しんどそうに部屋に行きました。あの頃から、もう予兆は見えてたのかもしれません。、でも、何を言っても後のまつりです。母は帰ってきません。時間よ取り戻したいと何度も思いました。父のことも心配です、急だったため、なんの心構えもなく、お風呂場で目に入った光景は、未だに忘れられません。ただ父親と一緒に母の死を分け合えたこと、死を2人で受け入れ救急車を呼び兄夫婦を呼びに行ったり、父親とお風呂場での時間、、あれを父1人ではなく私も一緒に分け合えたことが、なにより良かったとは思います。 母が一番びっくりしてるのではないでしょうか、私は、まだまだやらなければいけない事がいっぱいなのに、死んでられないって、、なんで死んだのって、、1番悔しいのは母ですよね、、孫の面倒をお願いし過ぎてたなと、、母は自分の事はさておき、私や子供達の事を1番に考え本当に助けてくれました。わたしは母に大した事何1つしてあげれてないです。旦那の実家はわたしのいま住んでる所から4時間ほどです。そちらに引越ししようかと言ってる所でした。母に行ってらっしゃといわれてるのか、、こちらで生活しなさいと言われているのか、、私はもう孫の面倒を見れないから、旦那の実家に行きなさいと死をもって教えてくれてるのかと思ったりしてます。

有り難し有り難し 35
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