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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

2021/10/04

仏教徒の方と喧嘩したらどうしたらよいか

過去に仏教徒である事を誇りにしている男性と友人で、男性の仏教の勧めを断ったら非常に激怒され、以来DV?をされた過去を忘れられません。 彼とは趣味が合う事で友達になり、相手はSNSで趣味関係を語る際仏教の教えに絡めたりしていました。 当初私は仏教を勧める彼を無視していましたが、次第に仏教を信じないとあなたの大切な俺に不幸が起こるという言葉や、仏教の縁を解説しながらクソ野郎と言われる等して精神を病み、 まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という状態にまでなってしまいました。 持病で食事を多く取らないといけない私にしつこく断食を勧めたり、こちらが肉を食べるだけで「僕は禁欲してるから賢いんだけどね」と言われたりやらしました。 現在は別れて?います。相手いわく仏教を恐れるあまり人間不信になっていた私は暴力されても仕方なかった哀れな人ようです。 むしろ相手からしたら私は「怨憎会苦」らしいですが… そこで、お坊さん達から、仏教徒の人から酷い仕打ちを受けた際のケア?を聞きたいです。 何かの縁なのか、仏教的にこう考えればよいのか、トラウマを負うほど酷い仕打ちを受けても仏教なら許したり感謝したりするのか…等。 すみません、仏教徒の相手の仕打ちを思い出して書いているので、少し読みづらかったり、仏教に対して攻撃的すぎる文かもしれません。 仏教的に、仏教徒から酷い仕打ちを受けたらどうしたら良いのか教えていただきたいです。 実際にはこの字数には書けないほど、仏教を盾にされて色々な束縛を受けていました。

有り難し有り難し 18
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2021/10/02

老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

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2021/09/27

いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

有り難し有り難し 13
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2021/09/27

私の仏教の修行に対する不安

拙い日本語をお許しください。私は外国人です。私は30年ほど前から仏教に興味を持っています。しばらく前に、正式に真言宗の在家信者になりました。私は高度な密教の儀式を実践する資格を持っていませんし、僧侶でもありません。しかし、平信徒には毎日の勤行の儀式があります。私は様々な真言や祈り、般若心経などを唱えることを求められています。 私は、善良で勤勉な在家仏教徒になりたいと思っています。近年、私は法然上人、親鸞聖人、浄土についてよく読んでいます。これは私を強く感動させました。私は心の中で、ただ弥陀仏に身を委ね、念仏に頼るべきだと思うようになりました。在家信者として仏教に貢献していますが、自分は弱くて罪深いと感じています。私のような者には、シンプルな修行や念仏の方が適しているようです。 真言宗の方のご機嫌を損ねないようにしたいと思います。真言宗在家信者として修行する機会を与えられたことには深く感謝しています。 しかし、毎日の勤行の儀式については疑問と倦怠感を感じています。この修行をやめて、ただ念仏を唱えることはできないのでしょうか?それとも、一生、毎日、真言宗の勤行の儀式を続けなければならないのでしょうか?最終的には、個人的な感情に関わらず、必要なことは何でもしたいと思っています。しかし、私の気持ちは強力です。不安と恐怖を感じているので助けてください。

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