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「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

法灯明について教えて下さい

お釈迦様が入滅の前に弟子のアーナンダに自灯明、法灯明を教えましたが、私は今の世の中こそ、この教えをとても大切にする必要を感じてます。 私は、この、自らを灯とし、他者を拠り所にしないという教えを自分の人生に課しています。自分を理解した上で自らを律して、自分の力で立っていることをとても大切にしているつもりです。 しかしながら、社会の中で多くの人と関わりますが、情報がありふれて混迷するこの時代に、他者との関わり方も形を変えて複雑で多様になる為、自らをよりどころに自らを灯すことも難しく感じることがあります。 そこで、法灯明、法をよりどころに、仏様の教えを学ぼうと考えておりますが、仏教の教えに頼ることは、自らを拠り所にすることになるのでしょうか?法とは、どのようなことを指すのでしょうか? 私は人生で、困難や逆境を前にした時に、自分に自信がなくなり、生き方に、選択に迷いが生じることがあります。誰かに頼らず、自らの意思で乗り越えようと思うのですが、何かの道しるべがほしくなる時があります。 法灯明として仏様の教えに頼ることに、自分が考えることから逃避する恐れを感じるのですが、法灯明の法について教えて下さい。 何の教えを、どのように学び、どのように自分に取り込むべきでしょうか?また、その方法について、何かアドバイスがあれば教えて下さい。

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男尊女卑と信心

私の生まれた環境は複雑で、親戚の家で母と共に暮らしておりました。 親戚一家(男のみ)は浄土真宗と神道を深く信仰しておりました。 母屋には神棚が三つ、仏壇が二つ、もう一つ巨大な石が飾ってある棚がありました。 その一方で物凄い男尊女卑の家庭でもありました。 特に母と私は余所からきた居候という位置づけの為、人として扱われていなかったように感じます。 服や下着は全て親戚一家の男たちのお古でした、当然パンツもです。 「女に服を買い与えると我が儘になる」という理由でした。 汚いシミのついたパンツを履くのが嫌で裏返して履いていました。 大人の男の下着なのでブカブカでずり落ちそうでした。 靴下も穴が空いてゴミ箱に捨てられていたものを穴を縫って履いていました。 食べ物は親戚一家の食べ残ししか食べられませんでした。 「女が男と一緒に食事をとるのはおかしい」という理由です。 白ご飯は滅多に残らないので基本的にお漬物や賞味期限の切れたお惣菜を食べていました。 親戚一家が食べ終わらないと食事が出来ないので、朝は何も食べずに登校することもありました。 お風呂は「女が入った湯に男が浸かると穢れる」という理由で、親戚一家が全員入り終わった後にしか入れません。 シャワーだけでも駄目です。 しかし親戚一家は入浴時間がバラバラで私達が起きてる間に風呂に入るのは至難の業でした。 生理用品を買う為には親戚一家の長男に「穢れを垂れ流して申し訳御座いません」と言いながら土下座をしなければなりません。 親戚一家はもともと一人だけ女がいますが、その人は私たちがやってくる少し前に妊娠し、どこか違う家に連れて行かれたそうです。 私たちが居候になってから半年くらいたって母が急に妊娠し、数日後に自殺しました。 理由は分かっています。 警察に言っても証拠がないせいか全く信用してもらえず、親戚一家は罰せられないまま今も存続しています。 一体信心とはなんでしょう? これが浄土真宗や神道の教えなのですか?

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信仰する宗派・仏様について苦悩しています

初めて質問させて頂きます。 私は昔から仏教に関心があり、最近になって本格的に信仰していきたいと思い立ち我が家の宗派を尋ねたところ、祖父(存命)の菩提寺が浄土真宗だと言われました。 浄土真宗について調べた結果自分に合っていると感じたので信仰させて頂こうと決意し、近隣のお寺を探したり浄土真宗のお坊様がいらっしゃる学習講座に申し込んだりしました。 しかし先日、何気無く祖母の仏壇の掛軸を見たら大日如来様が描かれていることに気付きました。 祖母は特に信仰を持っていた人ではなく(正確には他宗教に“所属だけ”していました)菩提寺も無かったので、言い方は良くありませんが親戚に任せて急拵えで葬儀を行ったそうです。 私以外の家族全員宗教に疎く、祖母が実質的に真言宗式で祀られていることを把握していませんでした。 そして祖父の菩提寺について調べたところ、浄土真宗ではなく真言宗であったと発覚しました。このことも私が調べるまで誰も把握していなかったので祖母が真言宗式で祀られたのは偶然だったようです。 一連のことは大変ショックでしたが、真言宗や大日如来様に関して決して嫌な感情は抱いておらず、私が元々曼荼羅図が好きだったこともあり不思議な御縁を感じてしまいました。 しかし私にとって阿弥陀如来様や浄土真宗の教えは大きな心の支えとなっており今更鞍替えすることは考えられませんが、真言宗との御縁を無視してしまうのも辛く悩んでいます。 浅学の上とりとめもない質問で恥ずかしく思いますが、お坊様方のお考えを宗派問わずお聞かせ頂ければ幸いです。

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弁財天様の夫は梵天様じゃないの?女神の嫉妬でカップル破局?

真面目な質問ばかりの中、くだらない内容ですいません。 もしかしたら仏教の質問ですらないのかも知れませんが。 私は茨城県在住なのですが、車で1時間少々の距離に 不動明王様をご本尊とする、真言宗系の 有名な仏教寺院があります。(千葉県成田市) しかし最近、同僚から「あそこはカップルで行くと別れる。 家族で行くと夫婦仲が悪くなる」と聞きました。 何かと思ってネットで検索したら、入口付近に弁天堂があるので、 弁財天様がカップルに嫉妬して別れさせるのだそうです。 同じようなスポットは全国各地にあり、東京の某公園も弁財天様の からみで破局スポットとして有名です。 特に2人でボートに乗ったら別れるとか・・・ 俗信や迷信の類でしょうが、よく考えたら 弁財天様(サラスバティー)って、ヒンズー神話では梵天様(ブラフマン)の お妃様ではないのでしょうか? これ以上望めないような夫君が居るはずなのに、ネット情報曰く 「弁財天はいつも七福神達と一緒なので出会いが無く、  独り身の為にやきもちを焼く」との事。そんなバナナ。 吉祥天様(ラクシュミー)にしてもヒンズー神話では那羅延天様(ビシュヌ)の 妃のはずが、仏教(日本?)では毘沙門天様の妻君になってます。 インドでは優しい夫婦神なのに、仏教では武神の妻。 なにかしっくり来ません。 夫婦揃ってるのは大自在天様(シヴァ)と 妻の烏摩妃様(ウマー)くらいです。 もっとも、彼らは降三世明王様に踏みつけられる役ですが・・・ ヒンズー教と仏教で配偶神が変わっているのは、 何か教理的な意味があるのでしょうか? それとも、ヒンズーの神様と仏教の天部神様は 別人格(別神格)と考えるべきなのでしょうか?

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海外在住で仏教の勉強をするには??

現在海外に住んでいます。日本を離れて15年になります。日本にいた時は無神論者だった私ですが、海外に住み始めて仏教に関心のある外人さんに出会う機会がとても多く、簡単な質問に答えている間に次第に仏教への関心が高まってきて、改めていろんなことを学びたいと考えるようになりました。でも、ただ仏教と言ってもいろんな宗派があり、ここ海外ではチベット等他国の仏教もあります。ただ私としてはやはり日本の仏教に関心があります。私が現在住んでいるアイルランド(ヨーロッパ)では禅(曹洞宗)が一番盛んで、禅の集まりに度々参加してますが、どうも外人向けに脚色されているのと、英語で説法と聞いても、何か違った意味に聞こえどうもしっくりこないのです。やはり日本語で仏教を習いたいと思っています。でもここ海外で身近に日本人のお坊さんがいない中で何から始めたらいいのか??? 先ず宗派ですが。。。座禅や写経はとても興味がありますが、実家の先祖が代々お世話になっているお寺は浄土宗なので、浄土宗にも興味があります。それもあってこの2つの要素が組み合わされている黄檗宗にも興味があります。お経も自分で唱えられるように覚えたいです。 全く仏教の右も左もまだ解らない私ですが、取りあえず何から始めたらいいでしょうか?取りあえずはYoutube で般若心経を練習して意味を勉強していますが。。。。 また初心者向けの仏教をを勉強するお勧めの本があれば教えてもらいたいのですが? やはり、最初は宗派を決めた方がお経などは勉強しやすいでしょうか? 回答よろしくお願いします。

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死後の世界について

こんばんは。 明日、ひいお婆ちゃんのお葬式があります。 どうして人は死ななければいけないのか、 おばあちゃんや親族とと一緒にいた方が幸せなのに、どうして離れなければいけないのか、全部忘れてしまうのかと 死 についてずっと考えていました。 夜、ねれなくて、死後の世界について調べていると、天国や地獄も実際にあることを、臨死体験の方の証言で知りました。 証言によると、お釈迦様やイエス様の愛が心にある人は天国へ行き、守れなかった人は(宗教が心になかった人は)永遠に地獄で苦しんでいること。誰もが死の後、この裁きを受けこと。 急に全てが怖くなりました。 ひいおばあちゃんも裁きを受けるのか、天国で安らかに過ごしてほしいです。 そして自分も、今、23才ですが、不平不満を言ったり、自己中心的であったり、自分のことが嫌いだったり、正しい行いはできていません。これから正していけば、赦していただけるでしょうか。とても怖いです。 大切な家族や、友人や恋人も、 いつも宗教が心にあるわけではないと思います。 すごく熱心に宗教に精通している家族ではないので、、申し訳ありません。 お釈迦様、イエス様の教えに背いてしまったり、してしまうこともあったのかもしれません。(わたしよりはみんなとてもいい人たちなのですが、) それでも大切な人たちにはみんな天国で過ごしてほしいです。 明日のお別れが辛いこと、 そして今後、大切な人たちや、自分も裁きを受けることが不安で、 死への恐怖が、裁きへの恐怖が怖くてどうしたらいいかわかりません。 これから行きていく上での指針や、 自分がこれからできること、 わたしがこれから家族や大切な人たちの今後のためにできること 仏教の面から助言を頂けますと嬉しいです。 何卒よろしくお願いいたします。

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