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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

一念と執着・執念*強欲と過剰な欲求

どのカテゴリーにしたら良いのか迷いましたが、質問させてください。 「一念」は、岩をも通すとか言って、良い印象があります。 何かを強く強く深く深く一筋に、寝ても覚めてもご飯を食べていても 常に念頭に置くことが出来なければ「一念」とはならない気がします。 でもそればかりで、他はどうでも良いとか、他は全く顧みないとかでは良いことでは無いですよね・・・ 一方「執着」と言うと、良い印象は無く、 こだわりが過ぎて身動きが取れないとか、怖れや邪な感じが見え隠れするような気がします・・・ でもこだわりにも、良い意味でのこだわりってありますよね。 「一念」と「執着」は、それぞれどういうことですか? 違いは何ですか? 「一念を通す」とは、具体的にどうすることですか? そして「執念」とは? 目的や目標を深く思い、諦めるという選択肢は全く無いという状態のように思いますが。 目的を果たすまで何度でも挑み続ける、みたいな。 また、「欲」ですが、 「欲」は誰でも持っていると思いますし、わたしは煩悩の塊です。 「強欲」とは、とても良くないもの、 誰かから奪ったり搾取したり、人を傷付けてでも手に入れようとすることのように思います。 「過剰な欲求」は、どこからですか? どんなことですか? 独り占め的なことは当てはまる気がします。 それから、相手の気持ちを甚だ無視した要求や押し付けみたいなこと。 大変申し訳ございませんが、 解りやすく噛み砕いてご教示頂けましたら幸いです。 もし仏教としてのそれと、社会通念上のそれに違いがあるという場合は それぞれを知りたいです。 わたしの長年の疑問です。 ご回答頂けましたら有り難く存じます。

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私の日課は謎の言葉

『私は「おじいちゃん」!?』で、下関の「おじいちゃん」の話をしたので、今度は「おばあちゃん」の話をしたいと思います。 只今、92歳のおばあちゃん。 『おばあちゃんたるもの』孫(私)の前では絶対人の悪口はいわない。 『おばあちゃんの自慢』まだ自分でトイレに行けること。 『おばあちゃんの口癖』①病院に行くと、いつも医療費が数百円なので、受付で「全国の皆さんのお陰です!」と言って帰ること。②「成るようにしか成らないんじゃけん、文句ば~っかり言っててもしゃぁないけん、笑っていようやぁね~」と前向きなことを言うこと。③食べることが好きで「旨いもんがくえりゃあいい」ばかり言うこと。④ほとんど眠っているので、起きてきたら「アハハ、トラスちゃんかね、まだ生きちょるよ!カツカツ生きちょる!また死なれんじゃった!」と笑い飛ばすこと。⑤夏でも「何でじゃろかぁ?冬はねぇ、足が冷えるんよぅ!」とすごく真剣に、真顔で言うこと。 『おばあちゃんの意地』娘(母)の話をするとき、普段「◯◯ちゃんは…」と呼んでいるのに、孫(私)の前で娘の話をするとき、絶対「(あんたの)お母さんは…」と言うこと。そして、自分のことを普段「お母さんは…」と言っているのに、孫(私)の前では「ばあちゃんは…」と言うこと。 おばあちゃんはスゴい!私が誕生日プレゼントを渡した時もそう。おばあちゃんの目が見難くなり、よくコップをひっくり返すからと、下へ行くほど幅が広くなるマグカップをあげたら、箱を開けた瞬間、「ぅわ~!末広がりじゃ~!」と満面の笑み!極めつけの言葉は「お骨(骨壺)に持ってはいろ~!」と言って喜んでくれたのです。 そんな素敵なおばあちゃんですが、私が物心ついた頃から、それこそず~っと言われ言い続けている言葉があります。それが、タイトルの『私の日課は謎の言葉』です。おばあちゃんの家に行くと、まず最初に言われます。意味でなく、発音が呪文みたいで、何と言ってるのか分かりません。 では、まいります…『ほれ「マンマンチャー」してきぃ!』。 「マンマンチャー」なのか「マンマンチャン」なのか「マンマンチャ」なのか。そもそも、手をあわせてご先祖様に心から感謝やお祈り等々をしておいで!というようなことを、何故「マンマンチャー」?と言うのか、本当のところ分かっていません。一体、何と言っているのでしょうか?

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妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

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