例えば、神社にお参りした後お寺にお参りするなど・・・・・
今高校生なのですが、天台宗のお坊さんになりたいです。 どのようにしてお坊さんになることができるのですか? 仏教系の大学に行くべきなのでしょうか?
外国の仏教と日本の仏教の違いって何ですか? チベット仏教とかテーラワーダ仏教とか色々聞くんですけど日本とは何が違うんでしょうか?
無一物の意味がいまいち理解できません。 何ものにも囚われるなという意味のようですが、仕事とかあるし、囚われない自由な生き方なんて出来ないと思うのですが… そういう意味じゃないんですかね?? どこ読んでも小難しくわかりずらかったので端的にわかりやすく教えて頂ければ幸いです。
私はいつも光明真言や、不動明王などの真言を学校に行く前に大体15分くらい唱えているのですが、真言の効果って、時間と共に薄れていくのですか? また、よく真言を唱えるときに噛んだりしてしまうことがあるのですが、それによって祟りなど、不幸なことが起こるのですか?
いつも心の支えにさせてもらっております。 このサイトに来て仏教という物に関心を持ったのですが、私はお寺に行くという事が滅多になく、どういうところなのかピンと来ません。 神社とか願掛けによく行っていたのですが、お寺は大晦日くらいです。 私の家の宗派は真言宗のようですが、宗派の違うお寺でも皆さん気にせず参ったりしてるようで、ほとんど観光って感じですよね。 日本人はあまり特定の宗派に信仰心が無いのは知っていますし、信仰心が文化レベルまで落ちついているとか言われてますが、寺に観光に行けば願掛けしたり、 健康になると煙を浴びたり、神社とあまり変わらないような、 ふと思ったのですが、みんな何しにお寺に行ってるのかと、 私は神仏に対する知識はほとんど無いけれど、なんとなくのイメージとして 本来寺院は煩悩を無くし、心を正すところと思っているのですが、 願掛けなどは煩悩で、それと真逆の事なのでは? 大抵の人がお寺に参拝するときはどういう心構えなのか気になりました。
こんにちは。 よく夏になると心霊番組をやっています。 そういう番組がやっていることを考えると日本人は霊魂を信じている人が多いのだと思います。 しかし私は霊魂について疑問を持っています。 ほとんどの宗教では霊魂の存在を認め、人は誰でも死ねば不変不滅の霊魂になると言われています。 しかしそうなるとこの世は霊魂だらけになってしまいます。 一方、仏教では不変不滅の霊魂については否定し、あらゆるものが輪廻すると説いています。 仏教では輪廻するものに魂が宿り、霊魂単体では存在できないという考え方なのでしょうか? だとすると霊魂は体に依存した物質的な存在という事になります。 また解脱した場合は無になるとお釈迦様は仰っています。 無になるとは具体的にどういう状況ですか? 寝ているときのような意識がない状態を指すのでしょうか。 あるいは別の次元に行くことなのでしょうか。 疑問に思ったので教えていただきたいです。
父が入ってるお墓を、最近流行りのロッカー式に変えようと思ってます。なぜかと言うと、墓参りになかなか行けない事、墓周りの草抜きが私たち姉妹では手に追えないくらい増えて大変な事です。で、実家の宗教と母も含め、姉妹の嫁ぎ先の宗教が違ってるのですが、この際お墓を変えるのと同時に、父も私たちと同じ宗教に変えることにしました。一旦魂を抜き、その後仏教にする予定です。こんなことって珍しいことでしょうか?私は嫁ぎ先のお墓に入るのは嫌もあるし、今後、子孫も墓の手入れはしないと思います。それ思うと、ロッカー式の墓に、実家の親子で入るのが理想です。未だ先だと思っても、いつどうなるかわからない人生、色々考えてしまいます。
質問内容によってはお坊様たちも回答避けたりすることがあるのでしょうか?
私は現在、30代後半です。 40才からの生き方を模索しています。 私の人生は10代は学力不振、20代はうつ病、30代は仕事を転々と紆余曲折、迷走してまいりました。 そういった中でも20代からのスポーツへの取り組み、30代からの神道仏教の学びと経験は分かりやすい成功ではないものの心身の健康、人格の向上と心の平穏を得る事ができまして、ある一定の価値を感じています。 しかしながらもうすぐ40才にして実家暮らし独身の派遣社員ではなんとも心許なく、これからの生き方に一抹の不安を感じます。 仏教に感銘を受けているので40才から出家、修業してお坊さんになる道を考えています。 出家して修業するとなれば、一般社会よりも厳しいであろうと覚悟はしています。 40才からお坊さんになれますか?お坊さんになる方法を教えて下さい。 よろしくお願い致します。
仏教では親よりも先に死ぬと地獄へ行き、賽の河原で永遠に石をつまされると聞きました。 もし自衛官や消防士などの危険な職の人が任務中、多くの人を救うために親よりも先に死んでしまった場合もそうなってしまうのでしょうか?
いつもお世話になっております。 諸経典に、「法身、報身、応身」「自性輪身、正法輪身、教令輪身」などと記載がありました。 ✳︎ その中の、阿弥陀如来の三輪身、三輪応身(どう違う…?)について、一説には 「阿弥陀仏→文殊菩薩→大威徳明王」、 もう一説には 「阿弥陀仏→白衣観音(うろ覚えですが…)→馬頭明王」とありました。 ✳︎ 私の本山でも、祈願殿に馬頭観音様をお祀りしています。馬頭観音様は一説によると、 競馬場などにお祀りされて動物の供養、回向の本尊とされているそうです。 ✳︎ なぜ、阿弥陀様は分岐しておられるんでしょうか。それと、「輪身」「輪応身」も違うんでしょうか。教えていただけたら幸いです。
先ずは、心からお礼を言わなければいけないハスノハのお坊様がいらっしゃいます。小林覚城様、私の話を誠実に真摯なご姿勢で対応してくださり、本当にどうもありがとうございました。
浄土真宗(西本願寺)です。 菩提寺から、墓檀家には月参りを義務付けると言われました。 理由は、ある檀家が行方不明となり、墓維持費も徴収出来ず、無縁墓トラブルで警察沙汰にまで発展したため、無縁墓対策としてとの事でした。 何かズレているように思えてならないのですが。 月参りをすることで、檀家との繋がりが絶対的なものになるとは思えません。 そもそも、墓を放り出して行方不明になるなんて、寺との信頼関係が出来ていなかったからでは!? 月参りの意義が分からなくなりました。 月参りが出来ないのであれば、墓仕舞いをするようにとまで言われています。 後継ぎがいませんので、墓仕舞いも考えないといけないのですが、まだまだ先の事と思っておりましたので、今回の寺からの発言に不信感がつのっております。 私は、毎日家族が仏壇に手を合わせる事が一番だと思っています。(言い換えれば月参りは必要ないと思っています。) それだけではいけないのでしょうか?
いつもお世話になっております。 暴言、失礼発言お許しください。 仏教、坊さんって精神医学とか発達医学そんなに嫌いなんですか?じゃあ今まで私が拝んできた仏様は一体なんだったのさ? ✳︎ 先日、菩提寺の僧侶と話をしました。 「貴女は自分を自閉症だって言ってるけど、思い込まされているだけだからね。 医者如きが数値や検査結果で人格決めるとかwあなたの何がわかるっていうの? そんなだったら宗教成立しないからwww」 確かに私は自閉症ではありません。 「自閉性スペクトラム障害(別名:広汎性発達障害)」と診断は受けましたが、それで混同したと思われます。 ✳︎ その後薬を自己判断で中断し、著しく症状が悪化、職安の担当者さんにきつく叱られました。 「無責任な発言。希死念慮のある人だったら自殺未遂をする」とも言っていました。 ✳︎ この話をその僧侶にしたら 「本当にごめんね!ちゃんと病院行ってる?薬飲んでる?」と心配してくれている様ですが、 未だに腹の虫が治りません。まるで 「仏教的に見ても精神疾患、障害者は悪!!」 とでも言いたげな発言でした。 ✳︎ 仏教は、精神医学、脳神経医学が嫌いなんですか?だとしたら、 これから私は何に縋ればいいの? 極楽浄土にも行けないの? 教えてください。よろしくお願いいたします。
先祖供養についてお聞きしたいことがあります。 私の知人はとある新興宗教の教徒で、以前私を勧誘した際に私たちのご先祖様についてこのようなことを言っていました。曰く、私たちの先祖は供養してもらうために自分が受けた苦しみと同じ苦しみを与えるものであるそうです。 例えば、夫婦関係で悩んでる人ならばその人の先祖も夫婦関係で苦しんだ過去があり、自分を供養してもらいたくて子孫に悪い因縁をもたらすそうです。 この話を聞いたとき、私は先祖供養は自主的に行うものであり亡くなった先祖の霊が自分から要求するものでは無いのではと考えたため勧誘の件はお断りさせていただきました。 先祖供養についてこちらのお坊さんの方々のご意見を伺いたいのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?
菩提寺が浄土宗です。 菩提寺では南無阿弥陀仏を唱えますが、日蓮宗のお寺などを御参拝の時はどちらを唱えればよいのでしょうか。
お寺や仏像を見ることが好きで、心が落ち着きます。(お墓参りもおなじです) いつも思うことですが、お寺(神社もそうですが)金色を施しているものが多く見かけます。お守りも赤や金色をつかっていますが、何か意味はあるのでしょうか? 仏像を見ると心が落ち着き昔の方の、こと(どうやって作られたのだろうか。とか)を思い浮かべて拝見させてもらってます。
お坊さんは、職業柄お葬式などに伺う回数が多い方もおられると思います。 とても親しい檀家や門徒の方が亡くなったときは、やはりお坊さんも涙を流すことがあるのですか? 友人の知り合いのお坊さんに以前伺ったときは、「一応僧侶として伺う場合のお通夜や葬儀の場では、立場上泣かないように心がけているし、実際に泣いたことも今のところはない。」と言うようなことをおっしゃっていました。 もし、泣かないと言う方がおられたら、どのように悲しみを乗り越えておられるのかも合わせて教えていただけると幸いです。