自分の大きな悩みである僧侶として生きるべきかと何ヵ月も悩み答えを探してまいりましたがとある僧侶の方よりやってみなさいとの言葉が心に響き真言宗の修行をしてまいりたいと思いお大師様の御廟の前にてご報告をさせていただきました。 そこでネットにて師僧様を探しておりますが求人もなく気持ちと現実がかけ離れている為どのように師僧様とのご縁をいただけるかご教授よろしくお願い致します。
いつもお世話になっております。祈願寺の椅子席で足を組んで 座っていたら女性の修験者さんに 「こんにちは〜…あっ!ご祈祷始まったら足を閉じて お座り下さいネ!あ、まだ大丈夫ですヨ!」と言われました ✳︎ 素直に笑って謝りましたが、なんだかモヤついています。 私はいつも時間前に畳に降りて正座、マナーも守るし、経頭さん にも合わせます。お堂中の防犯カメラにいつも映っている筈です。 おまけに、「これから仕事ですか」と同じお坊さんにまた 聞かれて休みと返したら「日曜日だからね」とか言われるし。 ✳︎ 私は色々な意味で目につくんでしょうか。 熱心な若者は珍しいから見本になって欲しかったのか、 若い修験者さんだったので、新米警察官がやると言われている バン掛け練習のように、お客への注意の練習なのか。 だったら喜んで協力します。 ✳︎ それとも、以前ここでも相談したお嬢様が何か言ったのを 真に受けてしまったのか。 ✳︎ 仕事云々に関しては、あと1回我慢して、4回目となる次で苦情 言おうと思います。といっても、みんな私の事知ってるし…。 ✳︎ 「お勤めしてない人はお参りしたらいけないお寺なのですか? 私なんかよりもっと自分勝手やってる信者さんいますね? どれだけ我慢させられてると思ってるんですか。 私だって色々あるけどちゃんと周り見て考えてるんですよ?」 くらい言いたい気分です。 * なんだかな…ご意見頂けたら嬉しいです。
私の家は信仰が深く、私は幼い頃からお寺に行っています。 そのお寺には私より4つくらい年上のお坊さんがいます。小さい頃から一緒に遊んでもらったり、県外への団参に行ったりしているので、幼なじみでお兄さんのような存在です。 私はそのお坊さんのことが好きです。 お互い20代になった今でも、お寺に行く度に会いますし(月に数回は会います)、用事があればLINEや電話をすることもあります。 2人だけではないですが、他の檀家の人と一緒に食事に行くこともあります。年も近く、幼なじみということで、仲は良いほうだと思います。 お互いの好きなことについて話すこともあります。お寺の帰り際(別れ際)には手を振ってバイバイするのがいつの間にか2人のお決まり(?)にもなっています。 積極的にお寺のお手伝いもさせていただいています。お寺の奥様を見ていると、かなり大変そうですが、そのお坊さんを支えることができるならお寺に嫁ぎたい、というくらいそのお坊さんのことが好きです。 しかし… 2人で食事に行ってみたい、いつかは告白も…なんて考えるのですが、いくら仲が良くても私は所詮檀家。 お坊さんはお寺の副住職で忙しそうだし、私が食事に誘っても、邪魔になってしまうかも…。 とても真面目なお坊さんなので、今は恋愛なんか興味ないかも…。(別の知り合いのお坊さんには30代後半でまだ未婚の方もいるので…) ずっとそんなことを考えて、時間だけが過ぎていきます。 そこでお坊さんの皆様に教えていただきたいです。 お坊さんは恋をしますか? 檀家の私がお坊さんの彼女になることは可能ですか? 女性に食事に誘われることをどう思いますか? 結婚を考えるのはいつ頃ですか? いろいろな方の意見を聞かせていただけると幸いです(合掌)
先日、ある弥勒菩薩を見るために京都へ行ってきました。 優しげで、今にも語りかけてきそうなその表情に、心の底まで見透かされてしまっているような感覚になりました。 自分の日頃の行い、気持ちの弱さ、多くのことを改めなければと思わされた一時でした。 質問なのですが、お坊さん方は、普段ご自分が良くない考えや気持ちを持ってしまった場合、どのように向き合っていますか? 人間誰しも、穏やかな気持ちを持ち続けるのは難しいことだと思います。 (厳しい修行をされていたら、それも可能になるのでしょうか…?) ハスノハのお坊さん方には、これまでにも沢山お話を聞いていただきました。 お陰様で、自分の中の考えも少しずつですが変わってきたように思っております。 しかしまだまだ、怠けたい気持ちや誰かへの嫉妬など、消えては現れてくる嫌な気持ちが残ったままです。 出来るだけ穏やかに、やさしく居たいです。 些細なことでは惑わされない自分になりたいのです。 お坊さん流の、穏やかでやさしい気持ちの持ち方を教えてはいただけませんか?
この度はお世話になります。 私も家族もキリスト教の洗礼も受けていないし、仏教の宗派にも属していません。 きちんとどこかに属されて宗教を信仰されている方々からしたら無宗教と言われるかもしれませんが、神様、お釈迦様、仏様・・・具体的には分かりませんがすべてに感謝し、毎日何度か感謝と祈りを心の中で唱えています。 両親の実家はお寺とのお付き合いもあり、法事もきちんとされていたのですが、私の実家は兄弟が多く、裕福な家庭ではなかったので日々の生活に追われ、お寺とのお付き合いなどもありませんでした。 でも、母は自分が小さい頃に両親から聞いた仏教のお話を私たち子供にしてくれて、兄弟は皆おとぎ話か昔話のように興味深く聞いていたのを覚えています。 先祖の仏壇にお供えをし、お線香をあげ、手も合わせています。 最近仏教についていろいろ調べて、興味を持ちましたが、知ることが増えるにつれて、分からないことが出てきたため、どの宗派がいいのか決められません。 そこでいくつかお話をお聞かせいただけたら幸いです。 ①宗派に属さないと仏教徒とは言えないのでしょうか。 ②もし、宗派に属さなくても、仏教を信じる場合は、どのように手を合わせ、何と唱えればいいのでしょうか。宗派によって違うと思うのですが、共通するものや一般的なものがありましたらご教示ください。 ③仏教を信じているけど宗派に属していない場合は、お葬式、戒名、位牌などはどうすればいいのでしょうか。 ④日本でのお葬式は仏式が多いと思うのですが、仏教徒ではなくて仏式のお葬式をあげているだけの場合でも、戒名や位牌をいただくだけで出家して成仏し、極楽浄土へ行くことができるのでしょうか。 ⑤仏教を信じ、どんな困難も乗り越えて、真面目に、人を助け、一生懸命に生きた人でも、宗派に属さない、または宗派を決められないために戒名も位牌もない場合は成仏も極楽浄土へ行くこともできないのでしょうか。 調べているうちに、どこの宗派にも属さない単立の寺院や神社もあると知りました。 でも、それはそれである意味、単立という宗派のようにも思ってしまいます。無知な意見をお許しください。 お答え辛い質問かとも思いますが、ご教示いただけると助かります。 どうぞよろしくお願いいたします。
念仏以外の修行は雑行だと伺いました。では六波羅蜜は行わないほうがいいのでしょうか?
阿弥陀さまは念仏を称えない人も極楽に往生させてくださいますか?
現在、高齢の叔母がいます。 叔母は嫁いだ先が曹洞宗で、その旦那さんはすでに亡く、子どももいないので独り身です。 旦那さんの墓は老人ホームに入居する際、墓をなくしました。 終活ということで、将来どうしたいか訪ねたところ、「迷惑になるから、散骨でもして」と言います。 出来ることなら、実家である本家の墓と仏壇にと思っているのですが、他の叔母に聞いたところ「そんな話は聞いたことがない。家を出たのに仏壇に入れるのは反対だ」と言います。 墓については悩んでいたみたいですが、こちらもカッとなってしまい、「仏壇には入れず、墓に入れても、浄土宗の坊さんが念仏唱えるやろ!」と言ってしまい、墓の話もなくなってしまいました。 私の考えとしては、もし高齢の叔母が望むなら、仏壇墓に入れてあげたいと思っていますし、宗派関係なしに、故人を想うことが本来の仏教であるとも思っています。 どうしてあげるのが一番良いと思いますか? よろしくお願いいたします。
はじめまして。 このサイトを知ってから、仏教やお坊さん、お寺に興味を抱き、仏教について勉強中の者です。 先日、テレビを観ていると、檀家さんから頂いた鮎を住職さんが調理する前に「南無阿弥陀」と唱えておられました。(南無妙法蓮華経だったかもしれません) 仏教では(自分の為の)殺生はいけない事だと知りましたが、私は害虫などは殺してしまいます。 その様な時に「申し訳ない」と言う気持ちを込めて南無阿弥陀を唱えれば良いのでしょうか? 南無阿弥陀は「阿弥陀さまを信じています」と言う意味だと本で読んだのですが… 鮎を頂いた時の住職さんが唱えた「南無阿弥陀」はどの様な心情だったのでしょうか? どの様な心情の時に南無阿弥陀を唱えるものなのでしょうか? 教えて頂くと有難いです。 よろしくお願いします。
ふと死後の世界を考えて、疑問があったので質問させてください。 私は末っ子です。事故や病気にならずに健康体であれば、順番的に私は最後1人で死ぬ事となるでしょう。 結婚などをすればまた違うのでしょうが、結婚はしようとは思っていません。 もし一生独身で生涯に幕を閉じる場合です、天国でちゃんと家族と無事に合流というか、ちゃんと会えるのか心配です。 私の勝手な想像なのですが、死んだ後は 1人厚い雲の中をかき分けて、天国への階段を探し、天国へ目指すというような感じです。その間に道に迷って、天国に行けず、家族にも会えない、という事があるのでしょうか?それが心配です。 それか、死んだ後にちゃんと天国への道しるべがあってちゃんと合流できるようになっているのでしょうか? 死んだ後の事なので、そこに意識があるのかも分かりませんが、死んだ後はちゃんと迷わずに天国に行って家族に会いたいです。 また、私は幼少期には問題児で人に迷惑をかける事をしてしまいました。 私は地獄行きなのでしょうか? 死後の世界とはどういう風になっているのでしょうか?
以前の投稿では表現が回りくどくてイマイチ聞きたいことが伝わっていない様でしたので簡潔な質問文にして投稿し直しました。 宜しければご回答お願い致します。 私の悩みの元に関してはプロフィールに記載しました。 『なぜ愛する女性の命を出産という危険に晒してまで子どもを望んだのですか?』
私は女性で、仏教の考え(特に原始仏教に惹かれましたが、家は浄土真宗です)にとても興味を持ち自分なりにいろいろと勉強しています。 そんな中、仏教は女性蔑視をしているとの意見を目にしました。調べてみると、女性は女性であるというだけで地獄に落ちることが決まっていたり、またお釈迦様もスッタニパータなどの中で女性はひどい生き物だというようなことを言っておられたりするということがわかりました。今まで信じてきたものはなんだったのだろうと正直ショックです。私は仏様にいくら念仏をささげても救われないということでしょうか。死んだら地獄行きなのでしょうか。どうか本当のことを教えてください。
出釈迦寺の弘法大師(真魚)のことについて調べています。 以下伝説の内容です ------------------------- 弘法大師が真魚(まお)呼ばれていた7歳の時、我拝師山に登り 「将来仏門に入って、仏の教えを広め多くの人々を迷いから救いたい。この願いが叶うかどうか、お釈迦様の証をお示しください。もしもそれが叶わないなら、この身を諸仏に供養としてささげます。」 と願い、断崖絶壁から飛び降りました。 すると、紫色の雲が湧き、羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。 天女が真魚を飛び降りた場所に戻すのと同時に紫色の雲が湧き、釈迦如来が現れ「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就されました。 -------------------------------------------------------- この 「釈迦如来が現れ「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就されました。」 という意味がわかりません。 生きながらにして仏になったということですか? 空海さんは即身仏になる前から仏だったということでしょうか? 誰かわかりやすく教えて頂きたいです。 よろしくお願いいたします。
毎日お釈迦様や観音様へお経をあげ、灯明やお水、線香を炊いているのですが、父親から仏様を拝むのを縁起が悪いから辞めろと言われました。 ですが辞めたくありません、私はどうしたら良いのでしょうか。 家にあった仏像や仏画などは撤去されてしまい、どのように今後拝めばよいのか分かりません。 お坊様、助けてもらえませんでしょうか。
私は人の価値観や思想、行動に大きな影響を与える「宗教」に興味があり、その中でも仏教の思想が好きなので今まで仏さまを信仰してきました。 しかし、さまざまな意見を見聞きし、調べる中で、どの宗教も一長一短で私にとって良いなぁと思う面もあれば、あんまりだなぁと思う面もあります。そして、仏教にも少し不信感が芽生える時があり、悩んでいます。カルトや新興宗教のようなものは一旦おいておいて仏教について考えたとき、原始仏教は哲学のようですが、現在の仏教は極楽浄土や阿弥陀如来など空想上のものに頼りすぎている気がします。もちろんそれによって私も救われた時がありますし、救われる人も多いのだと思いますがどうしても信じきれません。 キリスト教においても私はイエスの存在を信じきることができずに合わないなぁと感じました。私に仏教は合わない宗教なのでしょうか。また、お坊さん方から見た仏教の良さを教えてください。
お釈迦様が入滅の前に弟子のアーナンダに自灯明、法灯明を教えましたが、私は今の世の中こそ、この教えをとても大切にする必要を感じてます。 私は、この、自らを灯とし、他者を拠り所にしないという教えを自分の人生に課しています。自分を理解した上で自らを律して、自分の力で立っていることをとても大切にしているつもりです。 しかしながら、社会の中で多くの人と関わりますが、情報がありふれて混迷するこの時代に、他者との関わり方も形を変えて複雑で多様になる為、自らをよりどころに自らを灯すことも難しく感じることがあります。 そこで、法灯明、法をよりどころに、仏様の教えを学ぼうと考えておりますが、仏教の教えに頼ることは、自らを拠り所にすることになるのでしょうか?法とは、どのようなことを指すのでしょうか? 私は人生で、困難や逆境を前にした時に、自分に自信がなくなり、生き方に、選択に迷いが生じることがあります。誰かに頼らず、自らの意思で乗り越えようと思うのですが、何かの道しるべがほしくなる時があります。 法灯明として仏様の教えに頼ることに、自分が考えることから逃避する恐れを感じるのですが、法灯明の法について教えて下さい。 何の教えを、どのように学び、どのように自分に取り込むべきでしょうか?また、その方法について、何かアドバイスがあれば教えて下さい。
いつもお世話になります。 実は、近ごろ気がついたことが、あります。 それは、人間の醜さです。 いじめ 殺人 盗み 性犯罪 子供の虐待 詐欺 セクハラ パワハラ 悪口 ネットの炎上 戦争 独裁者 カルト宗教 弱肉強食の世界 近ごろこんな事ばかりが、頭をよぎるようになりました。 正直 人間の醜さに嫌気がさしてしまいました。 そして人間は死後全員地獄に落ちて然るべきなのではないか?と考えてしまいました。 むしろ人間は、死んだら醜い人間として生まれた罪を背負うべきなのではないか?と考えてしまいました。 現に私のこの書き込みをみてバカにしたり蔑む人がいるかもしれない それが確かな例でしょう。 ちなみに私も醜い部分をたくさん持ってます。 仏教では、この人間の醜さとどう向き合うのでしょうか?
いつもお世話になっております。 私は最近、なかなか寝つけません。寝ようとすると「寝ている間に死んでしまったらどうしよう」とか「災害が起きたらどうしよう」といった考えや、過去に対する後悔や自己嫌悪などがぐるぐるして眠れません。 私は寝る前に神さまや仏さまに今日もありがとうございましたと言って寝るようにしています。そこで、お数珠をそのまま持って寝るといつもより安心感があって心配事もなく眠れました。 しかし、お数珠はお念仏を唱えた回数を数えるものだと聞きます。持ったまま眠ってしまっても大丈夫なのでしょうか。また、法事じゃなくても、なにか不安や心配事が出てきたときに持っていてもいいですか。いろいろなご意見、お待ちしております。
私の生まれた環境は複雑で、親戚の家で母と共に暮らしておりました。 親戚一家(男のみ)は浄土真宗と神道を深く信仰しておりました。 母屋には神棚が三つ、仏壇が二つ、もう一つ巨大な石が飾ってある棚がありました。 その一方で物凄い男尊女卑の家庭でもありました。 特に母と私は余所からきた居候という位置づけの為、人として扱われていなかったように感じます。 服や下着は全て親戚一家の男たちのお古でした、当然パンツもです。 「女に服を買い与えると我が儘になる」という理由でした。 汚いシミのついたパンツを履くのが嫌で裏返して履いていました。 大人の男の下着なのでブカブカでずり落ちそうでした。 靴下も穴が空いてゴミ箱に捨てられていたものを穴を縫って履いていました。 食べ物は親戚一家の食べ残ししか食べられませんでした。 「女が男と一緒に食事をとるのはおかしい」という理由です。 白ご飯は滅多に残らないので基本的にお漬物や賞味期限の切れたお惣菜を食べていました。 親戚一家が食べ終わらないと食事が出来ないので、朝は何も食べずに登校することもありました。 お風呂は「女が入った湯に男が浸かると穢れる」という理由で、親戚一家が全員入り終わった後にしか入れません。 シャワーだけでも駄目です。 しかし親戚一家は入浴時間がバラバラで私達が起きてる間に風呂に入るのは至難の業でした。 生理用品を買う為には親戚一家の長男に「穢れを垂れ流して申し訳御座いません」と言いながら土下座をしなければなりません。 親戚一家はもともと一人だけ女がいますが、その人は私たちがやってくる少し前に妊娠し、どこか違う家に連れて行かれたそうです。 私たちが居候になってから半年くらいたって母が急に妊娠し、数日後に自殺しました。 理由は分かっています。 警察に言っても証拠がないせいか全く信用してもらえず、親戚一家は罰せられないまま今も存続しています。 一体信心とはなんでしょう? これが浄土真宗や神道の教えなのですか?
おはようございます。 朝昼晩と拝読させていただき問答より沢山のお知恵をいただいております。 本当にありがたいことです。 今朝は6時半にhasunohaを読ませていただきました。 良い秋晴れでいつも通わせている神社にお参りさせていただきました。 これも大変ありがたいことです。 しかし頭の中からは朝イチに読んだ問答が離れません。 【お母さん?「死にたい」は「生きたい」てことやで。 環境とか何かが違ったらみんな本当は生きてたいんやで?わかる?ほんまにわかる?】 何度も聞いた娘からの言葉です。 自殺サイトをみていた娘の言葉です。 自殺を考えている人間がかなり運よくこのサイト辿り着く確率はどれくらいでしょうか。 若者が官公庁や各自治体が運営しているところに相談するでしょうか。 電話するでしょうか。 政府は迅速に対応したいと言ってますが如何なるものか、と個人的には…。 お坊さま、お忙しくされている中、ボランティアで私共に人生を変えるが如くのご対応、本当にありがとうございます。 いのちを救われた人もたくさんおられると思います。 感謝の限りです。 朝晩冷えますしどうぞご自愛くださいませ。 質問じゃなくてすみません。