hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 2789件

感情をコントロールする智慧をご教授下さい。

はじめまして。 ネットで相談させて頂くなど 初めての事で 勝手が分からず 失礼がありましたらお許し下さい。 私は、白黒をはっきりさせないと気がすまない いい加減な事が嫌いな 完璧主義なところがあり 又、一番大変なのが 「短気」という性格です。 亡き母が 「短気は損気」と口癖のように申しておりましたが 全く その通りの人生で… 日々、そんな自分の性格をなおそうと 努力…というより 無理をしています。 人間関係の事では、 「 妬みや悪口は 受け取らなければ 相手は自分が持って帰るしかない」という お釈迦様の教えを胸に 我慢我慢と自分に言い聞かせおりますが 哀しいかな 我慢している 時点で しっかり 受け取ってしまってる訳で… 傷つきもし 腹ただしく苦しい想いは しっかり味わってしまいます。 それでも 言動は 精一杯 控えておりますと 相手は 気付かず 調子に乗って更に エスカレートして行きます。 そして…結果的に 私の堪忍袋の緒が切れて 感情を爆発させてしまい 今までの自分の我慢も努力も自ら無駄にしてしまうという事が 度々です。 「受け取らない」事の難しさを痛感致しております。 お釈迦様がなさるような事が 私に出来れば 世話は無いわ!と思いますが 妬みや嫉み嫌味や陰口を我慢していると 自分の心が 怒りや恨みにしめられ 八つ当たりしてしまったり 身体の不調も起き 負のスパイラルにおちいります。 このような事で 大切な日々を無駄に暮らすのは全く勿体無く思い 感情をコントロールする よい智慧を拝借致したく 相談させて頂きました。 お忙しいとは存じますが、宜しくご教授の程 お願い申し上げます。

有り難し有り難し 60
回答数回答 2

仏教徒に対する疑問パート6

では回答率99.9パーセントのお坊様に質問です 前回の質問の答えに大慈様が言われた内容ですが 仏教では世界の始まりは「わからない」、「無始」、「無記」であると これって原因である始まりを無視して結果であるこの世界だけを見てる 因を無視した果の法則ですよね そして「蕎麦のレシピばかり論じる(原因)蕎麦がのびる(結果)とっとと食え(対策)」 「頭の中でこねくりまわすから(原因)迷いが続く(結果)頭の中でこねくりまわすのを止めましょう(対策)」 この対策こそが瞑想で悟りを開くことですよね お釈迦様は生まれた時から瞑想すれば悟りを開けるなんて知らないですよね ではお釈迦様に瞑想を教えた人は誰ですか?そしてその人にも教えたのは?そしてその人にも教えたのは? 仏教→バラモン→ヒンドゥー→ゾロアスターと土着信仰の融合→メソポタミア こうやってどんどんどん突き止めると悟りを開く瞑想を教えたのは因を無視した果の法則ですよ 因を無視した果の法則が悟りの瞑想法を作り因果関係のシルクロードを渡って我々に瞑想を教えたというのに 瞑想で悟りを開けばこの因果関係や因を無視した果の法則からも解脱できるってぶっ飛びすぎてないですか 悟りの境地の空間ですら先に因を無視した果の法則が始まる前から終わった状態での結果として作られたと思うんです そうすると煩悩と悟りは最初から二つの性質が同時に存在する量子力学みたいに共存してると思うんですが? あと諸行無常の教えで全てのものは変化するなら 善業も悟りも幸せも形を変えただけの煩悩ではないんですか? 涅槃の境地で夜に眠り煩悩で朝に起きて  涅槃の境地で瞑想してて煩悩で仕事行かなきゃいけなくて 涅槃の境地のお釈迦様は煩悩の梵天に娑婆の世界行かされた様に 悟りと煩悩は共存してると思うんです もしくは形を変えただけか 良文様が言われたヴィトゲンシュタイン様の形而上学的な疑問は言葉で説明できないという話 最初から量子力学としてある言葉に出来る世界と言葉に出来ない世界 その言葉に出来ない世界のような概念のないような形而上学の世界に神ならまだしも人間がいけると思いますか? たった6年の修行で・・・この6と言う数字・・・666 お釈迦様が実はフリーメーソンのメンバーで仏教をある理由で作ったとか思ったことないですか? 物事を理屈で考えさせない政治的プロパガンダのためとか

有り難し有り難し 160
回答数回答 7
2022/07/13

亡父の死期を早めたかもしれません。

お釈迦様に料理を供して、結果的に死に至らしめてしまったチュンダの話。 チュンダはその後、どうなってしまったのでしょうか? 自分と重ね合わせて考えてしまいます。 神経難病で長い闘病の末、89歳で亡くなった父親。 ほぼ末期に近いと医師からは言われ、せめて自分に何が出来るか考えて、 父の大好きなコーヒーを許可を得て持っていくことにしました。 10日程経って、ある日突然父が腹痛と嘔吐を訴え、吐血をし、 それを誤嚥したことがきっかけでみるみる容態が悪化、 1か月余で亡くなりました。 仕事をしながらの介護・入院・看取り・葬送、 その後の諸々と振り返る余裕もなく時は過ぎましたが、 少し振り返れるようになった今になって気づいたことがあります。 吐血をした前の日、 いつもの通り仕事帰りに病院に行き、 夕食介助の後、私は父に持ち込んだインスタントコーヒーをトロミをつけて飲ませました。 父はあまり声が出なくなったのに、 「あぁ、コーヒーはやっぱり美味しいなぁ」とその時はハッキリ言いました。 それが本当に美味しそうだったので、今もありありと思い出します。 そして、翌日の昼頃に腹痛と嘔吐を訴え吐血したのですが、 あのコーヒーがその原因ではなかったかと。 会社で私も飲んでいたインスタントコーヒーを夕方ポットに作って持って行ったのですが、 そのインスタントコーヒーは何か月も前に開封したものでした。 健康体の私には特に差支えはなくても、父の弱った体には酸化したコーヒーが害があったのではないかと。 内視鏡検査も出来ない全身状態で、原因を特定できなかったのですが、 一日でも長く生きて欲しいと心から願っていたのに、 私が父の命を縮めてしまったのではないかと。 取り返しがつかないだけに苦しいです。 こんな罪を背負って、生きていっていいのかと思います。 私が死んで詫びたところで、どうにもならなのは承知です。 救いが欲しくて、読んだ仏教の本の中に、 チュンダのことが書かれていました。 チュンダは自分のせいでお釈迦様が亡くなったと、苦しみ続けて それでも尚生きたのでしょうか? 私はどう償えばいいのでしょうか?

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

息子の供養と義理母

3回の流産、不妊治療、不育症治療4年でやっと授かった赤ちゃんに10万人に1人と言われる脳の病気が見つかりました。 どんどん頭が大きくなり、最後は子宮から出ない可能性が高い。 早めに出産をしても両方の脳を取らないといけないし、脳を取っても薬も効かない痙攣が続き、植物人間になると言われました。 すでに妊娠6ヶ月、どうしても信じられずセカンドオピニオンを2回受けましたが、全ての病院で同じ診断でした。 どうしても中期中絶と言うのが嫌だったので、中絶という気持ちより、出産と言う形で人工的に赤ちゃんを出産しました。 赤ちゃんは生きれないので亡くなりました。 先生には事前に「赤ちゃんを抱っこしたい」「家に連れて帰りたい」と念願し、3日間の子宮拡張処置、3日間の陣痛の末、赤ちゃんを傷つけることなく出産しました。 出産した息子は可愛くて可愛くて何回も大事な子だと、愛していると泣き叫び伝えました。 しかし、出産直前に義理母が私達夫婦に対して赤ちゃんの供養についての口出しをしてきました。 義理母があまりにも信仰心が強すぎるのですが、お寺や神社ではなく、よく分からない大阪の「見える人」の意見を信用しています。 そのよく見える人は「先祖供養の方法が間違っている」「先祖供養の前に赤ちゃんを3年間墓に入れてはいけない」「赤ちゃんの仏壇を用意してはいけない」と言ったそうで、供養は本家から世話になっている家の墓が有るお寺ではない、宗派が違う知り合いのお寺で行い、お骨も3年間預かってもらいなさい。と言いました。 (その「見える人」と言うのは義理母が通うマッサージの女性が霊能力が強いからと紹介した人らしいです) 生まれた赤ちゃんを見て、流石の義理母も涙をし、義理父の申し出により、実家の墓で私たち夫婦の墓が出来るまでお骨を預かって貰えることになりました。また、家族だけでお葬式もしました。 母は信用していますが、見える人とは何なのでしょうか? 仏さまは私に何をしたかったのでしょうか。 毎日生きる希望も無く、息子のお骨を抱き泣くしかありません。 望んでいるのに、愛おしいのに、どうしてこんなめに合わないといけないのでしょうか。 もし不幸を与えるなら私にだけでいいのに。出来るなら息子のそばに行きたいです。 また、義理母に対して一気に冷めました。義理母にはどう接したらよいでしょうか。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

仏教徒に対する疑問パート4

それではさっそく質問です この世の最初の最初にあった無明それはなんの原因と結果で生まれたんですか? 無明を作った原因と結果それを作った原因と結果それすらも作った原因と結果 そうやって全ての原因を作った犯人を永遠と見つけれないでただ結果だけあったら 因果の法則というより因を無視した果の法則じゃないんですかね そしてその無明が業を作り出しこの娑婆の世界を作ったそして自分の存在も 最初の最初だった頃は自分は何の業も作ってないのに無明が勝手に業を作り 業の濡れ衣を着せられた自分はこの娑婆の世界へ落とされた これも因を無視した果の法則じゃないですか? ホントに最初の最初の状態 そこには原因の犯人がわからない結果だけがただ無明としてあり その無明は業を作り続けて 勝手に自分も業を作ったことにされるなら 悟りを開いても勝手に業を作らされれるんじゃないですか 無明は因果なんて無関係に悟りにも襲ってくると思います 無明は因果の法則というより因を無視した果の法則として 無明は最初の最初に始まりの原因と終わりの結果の全てを作ってしまった この世の法として襲ってくるからですよ まるで神のような速さで煩悩として悟りに追いつくと思います それなのになんで悟りはそこからも解脱できるんですか? 毒矢のたとえでそんなこと考えないで修行しろと説いた お釈迦様は無明からも解脱した根拠はなんですか? 人前で誰にも出来ない奇跡を起こしたりしたんですか? なぜお釈迦様は周りの娑婆僧とは完全に違うと周りは気ずいて その人の言うことが真理だとして宗教にしようとしたのですか? もしも何の根拠もないなら そこらへんの神を妄信するカルト宗教と大して変わらないですよね

有り難し有り難し 37
回答数回答 3

自灯明・法灯明の真意とは

 大乗経典はあたかもお釈迦様が直接に説いたかのように書かれた物語的なものが多くあるといわれています。お釈迦様以降に悟られた方が、仏教のすばらしさを広く一般の人まで広げることを目的にしたのでしょうか。  大乗経典には、きらびやかな極楽浄土や荘厳な仏国土、功徳のすばらしさなどなど珠玉の言葉で埋め尽くされているように感じます。  先輩が口をすっぱくしていうことには、「経典に書いてあるからといって、そのまま信じてはいけない。そもそも信じるとは「知らない」ということだ。20メートルの崖から「信じて」飛び降りる人はいない。飛び降りて死ぬということは判り切っているから「信じる」必要がない。「信じる」というのは「知らない・体験がない」ということに他ならない。仏道は「体験」してなんぼのものだ。言葉はすべて方便であり、言葉では表現できない実体験で確認するものだ。坐禅和讃の最後にある「当所即ち蓮華国 此身即ち仏なり」を体験しなさいということでした。死んでから極楽浄土へ行くのではなく「今ここ」で体験する。因縁によって生まれてきた意味は、体験することだ。」ということでした。 「自灯明・法灯明」の真意は、修行を先行させ法によって確認せよということでしょうか? 体験できるかどうかもあやふやな修行よりも、お念仏によって西方浄土で修行したほうが効率的ではないでしょうか?

有り難し有り難し 53
回答数回答 2

自分の家族の一人が家族に対してストレスになっています

こんばんは、母のことです。 人に話しても解決するわけではないですが、母がタバコを毎日吸っています。 私が小さい頃ときから吸ってました。 タバコを吸っていた母にブッダの本にも(ブッダのことばゴールド 植西 聰 王様文庫)に書いてあったでしょ。…←自分の言ったことはそこまで覚えてません。母は、私が一番ストレスなのは何かって?家族がストレスなんだよ! 私は、昼御飯終えた後、少し考えました。 お母さんがストレスになる原因もわからなくはないな、私はこうだから…私の場合は、「細かく言われないとわからない」、「勝手に食べるなと言っても食べる」、「言ったことを理解できてない」(そんなことばかりでないのは母もわかっております)、「食べたくてしょうがない😢 」ただ、1つ自分でわかったことがありました。あくまで私が思ったことです。母には、私の行動そのもの部分に疲れを感じているのだと思いました。 一番ひどかったのは、食べたくて押さえられず食べることでした。いまだに変わらず… 食べないと落ち着かないと食べて幸せと思うその繰り返しが辛いし、自分がしないように見てもらうことが相手に迷惑ですよねー 母は、神経質で疲れやすい人です。どうしたら改善できますか? 自分に問題があるのならお寺でそういう見つめるところというかそういうところは、ありますか?  後、二つ目は、部活が今年から男子のみになり、女子は私ともう一人の子で二人だけです。 たまに、もう来てもしょうがないと思って休んだこともあります。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

不幸が重なり愛犬の死がいつまでも悲しい

長いです、申し訳ありません。 去年の10月まで母方の祖母、父方の祖父母が存命でした。親子犬2匹(10歳、5歳)飼っていました。 犬は5年前に保護犬を里親として引き取り、大事に育てて過ごしてきました。(親犬は当時から心臓が悪かった) 昨年の3月、4歳だった子の方の犬に悪性腫瘍が見つかり治療開始しました。治癒困難と言われていましたが半年かけて寛解しました。 同じ頃に父方の祖母の癌がみつかりこちらも手術しました。(がのちに再発) 昨年10月に祖父(97)が急死。 今年2月に長らく寝たきりだった母方の祖母(96)が無くなり、その10日ほど後に心臓病が悪化した親犬が亡くなりました。 5月に容態が急激に悪化した父方祖母が入院後1週間で亡くなりました。 1ヶ月後の6月に悪性腫瘍再発で治療中だった子の方の犬(5歳)が急死。前日まで元気に遊んでいたのでとても急に感じました。 半年の間に祖父母3人と犬2匹を失い、非常に落ち込みました。しかし祖父母は高齢であり、親犬も心臓が元々悪かったので悲しいながらも納得しています。 職業柄生死について考えることは多く、乱暴な言い方ですが死に抵抗はあまりありません。 死ぬことや病気にかかるという事は誰のせいでもなく、誰にもコントロールできることではなく、仕方のないことだと思っているのです。出来るだけのことはして、それ以上は人ではなす術もないと思っております。 しかし、若くして亡くなった犬の事を考えると未だに涙がとまりません。納得がいかないのです。なぜ普通若い犬がかからないような悪性の病気にかかってしまったのか。苦しまずに急に亡くなってよかったと思う反面、元気だったのに急に亡くなったことに心がついていかない。 でも本当はこうなることは病気が見つかった時からわかっていました。命が長くないこと。でももしかして治るかもしれないと、奇跡を信じて現実から目を背けてしまった。 日常生活はいつもと変わらず過ごしており、誰にもこの感情は話していません。 時間以外にこの悲しみを和らげるお言葉をいただければと思います。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ