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hasunoha 問答検索結果 : 「他人 人生 」
検索結果: 4533件

自分の無力さが辛いです

こんにちは。精神病になって10年経つ者です。 波はありますが、10年目にしてやっと身の回りのことがある程度できるようになりました。 毎日、夢の中に居るような感覚で、ぼんやり生きています。 発病して数年は寝たきりの生活でした。 いつも天井を見つめながら、普通のこと、当たり前のことができるようになりたいと思い続けてきました。 それがある程度できるようになった今、今度は自分の現実を突き付けられています。 私は精神病の無職独身女。まもなく40歳を迎えようとしています。 結婚した友人は家を持ち、子供の成長を楽しみ、独身の友人はキャリアを積み、休暇は海外旅行を楽しみ…。 私の経験した10年と友人達の経験した10年の格差を感じてとても苦しいです。 時間が足りないです。本当にあっという間に日々は過ぎて行き、このままでは年ばかり取って私はやりたいこともほとんどできないまま死んでしまうのかと思うと悔しくて涙が出ます。 もちろん、私よりももっと苦しんでいらっしゃる方もたくさんおられることはわかっています。 家族、友人の支えもあってここまで来られたと感謝もしています。 でも、こんなに無力で何もない人生でいいのでしょうか? 気持ちがうまく書き切れませんが、アドバイスいただけたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 206
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友人が出産

また自分が嫌になるようなことがありご相談させていただきます。 昨日、友人が女の赤ちゃんを出産しました。 今月の上旬に出産後は、なかなか会えなくなりそうだから産まれる前にランチへ行きたいと誘われ行ってきました。 大きなお腹を時々擦りながら幸せそうに話す友人。 私は、未婚のアラフォー。生活も苦しく女一人で生きていくのに必死な毎日。 そんな友人を妬み、赤ちゃんの画像が添付された出産報告のメールを削除してやりたい気分でした。 友人とは誕生日も1週間違いの同級生で幼馴染です。 人生を比べるのは無意味なことは分かっているのですが、幸せそうな友人に対して素直におめでとうが言えません。 友達なら自分のことのように喜んであげるべきなのでしょうが 私にはできそうにありません。 身体のことがあって私は出産することが困難なため結婚できたとしても子どもを授かることはありません。 幸せそうな友人に不幸自慢をし、嫌なおもいをさせてしまったこともあると思います。 24日に家族ぐるみでお付き合いのある友人なので、私の両親と一緒にお祝いへ行くことになっています。 その時に○○ちゃんは赤ちゃんも産まれて幸せなのだからあなたも 早く結婚しなさいと両親に言われることは目に見えています。 それを考えると憂鬱で仕方ありません。 きっとそれを言われることによって、もっと友人を妬み、憎しみをもってしまうのではないかと思っています。 大切な友人に変わりはなく本当は妬んだり憎んだりしたくありませんが、今の私にはどうしたらよいのか分からないくらい嫉妬してしまっています。 友人の幸せを喜んであげることができない自分も嫌になります。 でもどうしても喜べません。 どうしたらよいでしょうか?教えてください。

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良い親に恵まれなかった不幸をどう考えるべきか?

ご質問させて頂きます。ハルソラと申します。 私の人生の根幹的な問題として両親との関係が良くなかったことで、だいぶ長い間苦しんでいます。 私の両親は短的に説明しますと、冷淡で子供とコミュニケーションを取ることをほとんどしない親で、特に父親とは私が30代後半の今になってもいままでろくに会話をした事がありません。 そんなただ食べ物と着る物を与えられ、生かされてただけの実感しかない私の心は小さい時から荒んでいたのだと思います。 愛された経験のない私は自分の存在意義も分からず、学生時代は無気力、社会に出てからはそんな自分を変えようと努力し過ぎて鬱病に、本気で自殺を考える事もありましたし、この世こそ地獄そのものだなとずっと思っていました。 しかしそんな私にも転機が訪れ、30代半ば(つまり数年前)にふと四国遍路に行ってみようと思い立ち会社を辞めて、歩きで八十八ヶ所を結願致しました。 自然の雄大さ、人々の出会いと暖かな態度、また歩き旅の不自由さから日常の便利さを改めて見直し、私は感謝と謙虚の念を学びました。 それ以降も各地を巡礼しながら仏道を独学ですが学ぶ事で、地獄の人生を歩んでいた私は僅かですが平穏さと幸せすら感じられるまでになったのです。 それでも両親との関係は変わらず、たまに思い返すと怒り、悲しみ、後悔、虚無感すら感じる時があり、そんな両親との関係性から自分が子供を生み育てたいとも思わない私が未だにいます。 こんな両親との関係性または私の執着(…でしょうか?)を真に乗り越えるにはどう考え、どう行動すれば良いのでしょうか? お坊さまのご意見、ご回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 82
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2024/12/04

魂のレベルと評価点について

自分は魂にレベルがあると思ってます。 魂のレベルが低い人は極端な事を言えば殺人などの凶悪な事件を引き起こしてしまう可能性がある。 そんな人間が例えば凶悪な事件を起こさずに我慢して人生を終えたらそれは偉業レベルの評価を神仏からされると私は考えています。 俗に言う徳の高い人間になる訳です。 つまり魂のレベルによって徳の積み方は人それぞれ違うという事を私は言いたいのです。 魂のレベルは何十年も生きていれば自分の事なので何となく分かります。 そこで漸く自分が何をする事で徳を積むか理解する事になります。 取り敢えず、分かりやすい例を出しとくと赤ん坊が物を掴まずに立ったとします。 周りがそれを凄いと評価します。 ですが大人が普通に立っててもだから何?ってなります。 評価は魂のレベルによって違うというのはこれと全く同じです。 人生において成長する事は身長が伸びたり、賢くなったりするという意味では殆どの場合、普遍的です。 ですが魂のレベルに限っては全く成長しない人もいるし逆に評価を下げる恐れもあります。 魂のレベルが高い人がニュースで取り上げられる程のスーパースターになったからといっても人間界では評価されても神仏から見ると評価されないなんて事もあると私は考えます。 一概に良い人だから徳が高いと言う訳ではないのです。 前置きが長くなりました。 かくいう私はというと魂のレベルが低いです。 勉強も駄目、スポーツも駄目、社会に出ても使い物にならないし転職ばかり、友達0、恋人0と負のステータスがこんなにも高い訳です。 魂のレベルが高い人は友達が0って事は先ずないし、ましてや恋人が0(今まで居たことがない)という事は考えにくい。 魂のレベルが極端に低いと見た目にも表れます。 この前なんか何もしてないのに警察官から職務質問されました。 魂のレベルが高い人が職務質問なんかされません。 正直、軽い自暴自棄になりながらこの文章を打ってます。 こんな生活をしてるうちに長々と述べた理論に至りました。 私は一般社会から見たらヤバい奴ですが、神仏から見たら今も徳を積みまくってる訳です。

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今まで何をしていたのか…これからどう生きていけば良いですか

今朝、目覚めてすぐに、 「私は今まで何をして生きてきたのだろう」 と頭を過り焦燥感に襲われました。 こちらに最初に相談させて頂いた時に、今年心折れる事が続きどうすればいいのかとネット内を彷徨う内に、斉藤一人さんや小林正観さん、ホ・オポノポノ等々を知り、そこから派生して、心理カウンセリングやスピリチュアル系の記事を読むようになった事をお伝えしました。 それらに何度も頼りたくなったのですが、完全には信用出来ず、入り込まずに無料メルマガを読むに留まっています。 それらは総じて、「潜在意識が自分の世界を創っている」というもので、その潜在意識を書き換えれば、自分の望む人生を創っていくことが出来るというのです。 ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という著書が一番の大元なのでしょうか、分かりませんが… 今の自分について言うと、家があり主人が居てお互いに仕事を持ちお金も多少はあり、生きていくには充分に足りている生活をしています。 ただ子供が居ないことについては、長い間、寂しさを消す事が出来ませんでしたが、やっとここ数年で諦めが付いた処です。 子供が居ない分、両親に対して時間やお金を使って喜んでもらえる事が自分の喜びでした。 特に、仲の良かった父とは一緒に居られるだけで楽しく幸せでした。 その父は他界し、母だけとなった今、それまでと同様、母に喜んでもらえる事を考えたり行動したりすることに幸せを感じています。 しかし、そのような幸せとは別に、物質的環境的には事足りているのに、何故か心が満たされません。 特に、スピリチュアル系ジプシーになってからは強く感じるようになってしまい、本末転倒です。 2回ほど、こちらで相談させて頂いた事により、苦悩からは解放されつつあります。 お蔭様で、姑の件は心を落ち着かせることが出来、感謝に堪えません。 以前から薄々感じてはいたのですが、人生を振り返ったとき、自分自身何を残してきたのか何をしてきたのか、という事が見えず愕然となります。 仏教では、「相対の幸福」に対する「絶対の幸福」が「真の幸福」である、というのだそうですが、「絶対の幸福」とは何か、またそれをを得るにはどうすればいいのかご指南頂けますでしょうか。 心の持ちようであり、自分は感謝と幸福に包まれている、というのは頭では理解出来るのですが、正体のない何かが拭えず困惑しています。

有り難し有り難し 29
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22歳差の結婚

彼は20歳 消防士をされています。彼はもちろん結婚はされた事はありません。私とは年の差22歳。 彼と私の子供達は仲良く関係は良好です。 結婚や彼との子供をつくりたい話は私の子供達は承諾してくれています。 私は子供は2人いますが、不妊治療を経験しております。妊娠はしにくい身体であること、生まれてくる子、私にもリスクが伴うことは彼は知っていますが、出来ることなら自分の子供が欲しい気持ちはあると話てくれました。変なプレッシャーには思わないでとも優しく言ってくれています。私は子供を作る気持ちは無いことを当初は口にしていましたが、子供達からの承諾と、彼の御家族、私の両親にも私達の関係を理解していただくには子供が授かればと考えはかわりました。でも、一番は彼の子供が欲しい気持ちがあり、この気持ちに嘘はありません。彼は彼なりに、若い自分が私の子供達の父親になれるのか悩んでいる気持ちも私にしっかり話てくれています。 年の差の壁、相手の御家族の気持ち、自分の子供達との年齢差など一般の方々でも感じる問題点を自分なりにも考え彼にはお付き合いを一旦断りましたが、彼の本気であるという気持ちをしり、私も気持ちが彼に対し真剣であると実感し、現在付き添っています。 彼と一緒にいて本当に幸せですし、年の差を感じないように自然に私を支え気を付かってくれる彼を本当に1人の男性として見ています。 彼は祖父母、お父さ様に育てられました。 三兄弟の真ん中で真面目で正義感が強く、人を助けることに情熱が高い素敵な方です。 家族愛も高く彼をみていると大変な幼少期からの家庭環境を吹き飛ばすくらい素敵な大人に育てていただいたんだな、育ってこられたんだなって思います。 大切な育ての親であるおばあ様からは私との御付き合いは当たり前のことですが、反対されています。 彼との人生を考えてもよいのでしょうか? 彼は私を母親代わりに感じているだけなのでしょうか? 私が彼にしてあげることは付き合うのではなく別れなんでしょうか? 彼を好きになっただけ悩み、答えがわからなくなってしまっています。私だけでなく、将来性の高い彼の為にも どうか愚かな私の質問にお答えをいただけますよう、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 11
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父の生活

今回は父の事で相談させていただきます。 父は70歳、退職し10年程経ちます。 父の生活はというと家族の中で1番遅く起き、朝食が出来るまで自室にいます。朝食後は洗濯を干し、終わるとお菓子を食べ、昼食が出来るまでわけもなくリビングと自室を行き来。 昼食後は昼寝をしTVでゴルフや将棋、相撲のスポーツ番組を観ます。それが夕食が出来るまでずっとです。好きな番組がない時は自室に行き、何の役にも立たない計算やTVで言っていた事をそのまま書くということをしています。得た知識を書くわけではないのでただの落書きです。 夕食後はTVを観ながら夕寝をします。夕寝が終わるとお風呂に入り1番先に就寝します。 退職したら料理学校へ通うと言っていたのに学校どころか手伝ってと言っても手伝おうともしません。TVの前に座りっぱなしです。 ほとんど外出もしないのではっきり言って時代遅れで知らない事ばかりです。 自分から習い事を見つけたり運動したりと「自分から」というのが一切なく、こちらが「ボランティアやパソコン教室はどう?」とチラシを置いてみても見向きもしません。将棋番組が好きなので「将棋の出来る所に行ってみたら?」と言ってもダメ。本を見て勉強するなんてとんでもない。押し入れにしまってあった将棋セットを出してあげましたがそれには手をつけずとにかくTVしか興味なし。 無気力という言葉がぴったりです。 私は、生きているのだから少しは外に目を向けて欲しいのです。この生活について親子で何度も言い争いをしました。父は何もしなければそのまま死ねると思っているらしく、この間「俺はこのまま後2、3年で死ぬから」と発言し人生を放棄するような発言をし、私は怒りました。(父は家族の中で1番健康です。)私は持病がありますので生きる事に関しては敏感です。日々勉強したり、出かけたりとありふれた日常にとても感謝して過ごしています。 だらだらすることは悪いとは思いません。休息は必要です。でもメリハリをつけた方が良いと思うのです。父の生き方ですから、口出しする事ではないと言われてしまえばそれまでですが、一緒に暮らしているとどうしても目につきますし、家族だから何とか理解しようと思いますがどうしても理解出来そうにありません。 アドバイスいただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 5
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幸せな働き方とは

就活中の大学四年生です。 私は今、人生の岐路に立たされているように感じています。 右の分かれ道は、女性には厳しいとされる会社でプライベートな時間も仕事につぎ込んでがむしゃらに生きるような生活です。 左の分かれ道は、女性にとって働きやすい環境で、与えられた仕事をコツコツとこなして夜は好きなことをする、という生活です。 どちらの道にも不安はあります。がむしゃらに働けば心身のバランスを崩すかも知れませんし、男社会に揉まれて生きることは容易ではないはずです。プライベートな時間がなくなれば、何のために生きるのか悩んでしまう日も来るような気がします。 また、コツコツと働く道では、がむしゃらに働く場合のような輝かしい功績や評価は得られないかも知れません。もし、もっと頑張りたいと思った時にどうしたら良いのだろうと不安に思います。 どちらかの道を選ぶのは私です。だからどちらが良いか問うことはできません。しかし、悩むほどに「何が幸せだろうか」と思います。 私の夢は家庭を持つことです。両親が私に無償の愛を注ぎ込んでくれたように、自分も豊かな家庭を築きたいと考えています。 そのために、女性として働きやすい環境を選択することは間違いではないと思います。ただし、自分の中には「それは逃げではないのか?」と責める気持ちもあります。 私は両親のお陰で良い暮らしをしてきました。お嬢様校で育ち、名の知れた大学に通い、何不自由ない暮らしです。これまで散々贅沢をしたのだから辛い環境に身を置くべきではないのかと何故か思うのです。 両親に就職先に文句を言われたり、どんな仕事をして欲しいと言われたことはありません。 なのに楽をしてはいけない、きっと後悔する、と思ってしまいます。余裕ある暮らしを望むのはなぜこんなに罪悪感があるのでしょう。あるいは、罪悪感を押し切って選んだ「余裕ある暮らし」に幸せを感じることはできるのでしょうか。 一体「幸せ」とはなんなのでしょう。

有り難し有り難し 18
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夫と離婚したいです

はじめて相談させていただきます。 ゆうと申します。 私は4年前に東海地方から東北の田舎へ嫁ぎました。 結婚前は教員としてバリバリ働き、とにかく仕事がすきで仕事中心の毎日を過ごしていました。 しかし、嫁ぎ先が自営業であることで、義家族から外に稼ぎにいくことを禁止され、事務の手伝いをしています。 義家族と完全同居で、自由に外に出掛けることもできずにおります。 以前に夫や義母と、離婚寸前のもめ事をおこしたこともあります。 しかし、全てわたしがこちらの慣習になれていない、これから学んでいくということで、おさめてきました。 そして現在タイトル通り、夫との離婚を考えております。 理由は複数あります。 一つはこの完全同居でプライバシーもない、そして外出さえ自由にできないこの環境に限界がきたから。 また、子どもをつくるよう言われるが、いまの環境では子を持つことに前向きになれないから。 そして、なにより、この環境から出て、再び教員として働きたいと思っているからです。 以前にこの次問題をおこしたらでていってもらう、と義母に言われており、 また、環境の改善を夫に相談しても、無理。いやなら出ていって。の一点張りで、 解決策はわたしが我慢し、こちらの考えを全て受け入れることしかありません。 地元の友人がインターネット上で、幸せそうな結婚の様子や子どもの成長をアップしているのをみると、なぜ私はここにいるのか、つらくなってしまいます。 離婚をしたい、けれど、夫に悪いところがあるわけではなく、不貞があるわけでもない。 ただ私が言い出すことを恐れて前に進めません。 どうか、ご助言おねがいいたします。 背中を押す言葉、もっと我慢し婚家に馴染む努力をしろという方向の叱咤でもなんでもいいです。 だれかにきいてほしくて相談させていただきました。

有り難し有り難し 60
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2023/01/11

憎しみや恨みについて解せません

憎しみや恨みの感情を持つのは、それ程誰かから酷く傷つけられ、心が病むほど深く悲しみ、余程耐え難い事があったからだと思います。それなのに、被害を受けた方が、自分で悲しさや心の傷を癒せずに相手を憎んでしまうと、怒りという煩悩に負けて一番不幸になり、結局被害を受けた方が悪いのでしょうか。相手を傷つけた方は、傷つけたことすら理解する気もなく、忘れて、何にも囚われずに今を楽しく生きられて素晴らしいのでしょうか。 恨みや憎しみの裏側には、きっとその相手に同じことを体感して自分がしたことを理解して悔いて欲しいという思いがあるのだと思います。でも、傷つけるような人がそんな考えに至ることもないだろうし、空虚な願いというか…だから制裁が加わってほしいとか、因果応報はないの?とか、どうして理解すら、同じ苦しみを味わうことすらないの?とか思いが膨らんでしまうのだと思います。 恨みを抱える方も、そうしたいわけではなく、悲しすぎて自動的に反芻してしまったり、反芻することにうんざりしたり、そんな風に生きていると心が一杯になって、新しい幸せや喜びを心に入れる隙間やキャッチするアンテナがなくなっていく事もわかって辛くなったり…。でもそれでも悲しみが大きすぎて止められなくて、時間が流れていき、自分だけが悲しみの中に取り残されていく焦りがどんどん溜まり、それでも昇華できないから憎んでしまうんだと思います。 でもそれって原点に帰れば元々それだけ傷つける行為を相手がしなければ起こらなかったことですよね?ではなぜ被った方が、その原因に対する第1段階の悲しみと、憎しみが増殖していく第2段階の悲しみと、"憎しみや恨みを持つなんて良くない"と抜け出せない自分が悪いような罪悪感と何重苦も抱えて、人を傷つけた方がお気楽に人生を楽しめるのでしょう。だとしたら、人の事なんて気にも止めず、我を通して相手が傷つこうが傷つくまいが知ったことかとやりたい放題やって楽しく生きられるのが良しなんでしょうか。それが道理なら虚しすぎます。 それとも何があっても人生そんな事もあるよねと水に流し、次の瞬間には忘れてハッピーに!とか、比較することでもないのに、もっと恵まれない人だっているから幸せなのよとか、もしくは自分の知らない前世で罪を犯したのだから全てを甘んじて受け入れて下さいなんて言うことなんでしょうか。どう考えたら良いのでしょう…

有り難し有り難し 50
回答数回答 2