2018年ももうすぐ終わりますが、私にとって2017年年末から2018年にかけて、さまざまな意味での別れが続き、楽しかったこと幸せだったこともたくさんありましたが、それ以上に悲しい出来事が多く、とても辛い一年でした。2017年年末に祖祖母が亡くなり、春には付き合っていても辛いという状況でしたがそれでも大好きだった彼氏と苦しい別れ方をし、少しずつ彼への気持ちが落ち着いてきたと思っていたら、昨日10年一緒に過ごしてきた愛犬を病気で亡くしました。心臓病を抱えており通院しながら闘病していましたが、急変とのことでした。覚悟はしていましたが、愛犬の死は耐えられないほど辛いものです。今までも周りの友人たちに支えられ、一つずつ乗り越えてきたつもりですが、愛犬が亡くなったことは私に追い打ちをかける出来事で、もう乗り越えたと思っていた過去の出来事についても思い出してしまい、また苦しくなってしまいました。もう明日が来るのも辛くて、喪失感が大きすぎてどういう気持ちで2019年を迎えていいのかわからないです。ですが、2019年を今年よりもはるかに素敵な一年にしようという気持ちももちろんあります。新しい一年をいい一年にするにはどのような心持ちでいたら良いのでしょうか。今の私に助言を頂きたいです。よろしくお願いします。
マインドフルネスをやっているのですが、hasunohaを観覧していたら、独学(ネットから見たもの)で瞑想を行うのは良くないとの回答も見たのですが、最近では海外や日本の企業、そしてテレビでも取り上げられていて、自分でもやってみたら、効果はある気がするのですが。 辞めるか、続けるか迷っています。 またマインドフルネスですが、毎日行っていて数日途切れてしまった場合は、また毎日行うようにすれば良いのでしょうか? 宜しくお願いします。
私は寺の生まれです。長男です。 実家は檀家が多い大きなお寺で、歴史も古く、大変な期待の もとに生まれました。 父は事業家肌で若くして住職になり、寺の普請を立て続けに成功させ ました。私が仕事していた時には京都での出張が多く、月の半分以上いないほどでした。 そんな中、実家の寺の本寺の住職に父がなり、実家の寺を本格的に 継がなくてはならない矢先に私は病魔に倒れました。(こころの病気 です。) 以来十何年入退院を繰り返しながら、過ごしてきましたが、 ようやく最近病状は安定してきて、少し仕事も始めました。 一時期寺のHP作りなどもしていましたが、最近は寺の仕事は全然していませんでした。 というか、実務からは十何年遠ざかっています。 親も70過ぎなので、心配ですし、少しでも、寺の仕事を手伝えたらと思うのですが、「中途半端はだめだ。」と、なかなか復職への道は見えません。 どうしたらよいのでしょうか?アドバイスいただけたら幸いです。
私は今、会社員です。仕事はうまくいっています。同世代の中でも周りからは出世頭と言われるほどです。 しかし先日、労働組合の偉い人からスカウトを受けました。とても私のことを高く評価してくれてあなたみたいな人と一緒に取り組みたいと熱烈な勧誘を受けました。 勉強になるかと思い行くことに決めたのですが 会社の上司たちは今まで目をかけて出世させてきたのに… 同僚たちは今のポストを捨ててなぜ? と言われ不安と自己嫌悪に陥っています。人材不足の組合に騙された気すら覚えます。 軽率な判断だったのか?会社での将来を失う判断だったのか?今までお世話になった人に申し訳ないという思いで一杯です。 異動は半年後、このままの気持ちで労働組合の仕事を始めてもうまくいかない気がします。どうか今後の気の持ち方の参考になる話をいただけたら幸いです。
以前こちらで相談させて頂いていた者です。 相談サイトに質問した内容から個人を特定され、数年経った今でも差別が解消されません。 幼少時からのイジメが原因で男性嫌いであり、女性からも陰湿なイジメや誤情報からのLGBT差別を受け、人間不信が強くなりました。 他の地域に旅行した際にも、学生や観光地の店員などに「あいつは性同一だ」と言われたことがあります。 実際は、恋愛感情の判らない人、だと思うのですが、相談サイトにまとめた際、レズビアンで性同一と認識され、所属している団体を通じ、周囲に言いふらされました。 どこにも逃げ場がない感覚、かといって完璧に女らしく出来ない自分、地域の偏見や差別意識、とにかく「疲れた」の一言です。 子供や主婦、高齢者など、地域の人はとにかく信用できません。 自意識過剰、妄想が酷い、などと他の相談サイトで言われましたが、直接大声で「性同一」と言われたりしています。 他県の友人のところへ遊びに行った際も、若者が集う飲食店などでは知らない人は居ない感じがしました。 この先、家族の為にも地元で過ごすかどうか悩んでいます。 アドバイスなどありましたら、宜しくお願いします。
私なんて他の皆さんの悩みと比べたらとてもちっぽけなものです。 自分でも何故だかわかりませんが、中学の頃から早く死にたいなぁって思ってました。大きな不幸があったわけでもなく、幸せと呼べる環境で育ってきたと思います。 まだ人生ほんの少ししか生きていませんが、なんだか生きるのに飽きてきている気がします。自分は何のために生まれてきたのか、何をしていけばいいのか分かりません。 趣味や好きなことをたくさんしていますが、ふとした時に、あぁ早く死なないかなぁって思ってしまいます。 自殺をしようとは思いません。親よりも先に逝くのは申し訳なさ過ぎて嫌です。でも早く死にたい。 生活環境の変化で気が滅入っているのもあります。いっそ鬱になれたらいいのになんて馬鹿なことを考えたりします。 生きる気力がだんだんなくなって食欲が落ちてる気もします。 自分はいい環境で暮らしてるんだからこんなこと思うのはおかしいと思います。 人の役に立ちたいけど、どうすればいいか分かりません。 支離滅裂で申し訳ないです。 私はどうすればこの人生に希望を持ち、期待できるようになりますか? こんな歳で早く死にたいなんて自分勝手でおかしいことですか? こんか文を見て、嫌な気持ちになるかもしれませんがどうぞ、よろしくお願いいたします。
「自己肯定感が低いのにプライドが高いのはなぜ? 「自己肯定感」の低い人は、他人と自分を比較し、他人からの承認や評価を求める傾向も強い。 そのため、他人からの批判や評価を過剰に敏感となり、受け入れることが難しくなる。 また自分自身の都合の良いことしか容認できず、正当化しようとしてしまう。」 検索したら出てきました。 正に私の事です。 もっと楽に生きるにはどうしたら良いでしょうか? アドバイス頂けたら助かります。 よろしくお願い致します。
10か月前に、尊敬する人がわたしに言った言葉で心に傷を負いました。 その時は、即座に自分の気持ちを感じないようにしたので、傷ついたことに気づいてもいませんでした。 4か月前に、あの時のあの言葉に傷ついていたんだ、仕舞い込んでいた自分にはじめて気がつきました。その日から大きな深い傷と向き合いました。とても痛み、痛くていつも大泣きしました。 3か月半前から、考えるのをやめました。 2か月半前からPTSDの症状がでました。すぐに自分で気がつき、トラウマを治すノートに取り組んだり、思い出すきっかけからはあえて逃げないようにしました。 2か月前に予測できないような思い出すきっかけが、ふいに降ってきて、壊れました。当人に連絡し、電話で話をしました。10か月前のことについて、どうしてそんなことを言ったのかなど話をして、私が抱いていた疑惑を解くことができました。その日から、目の前の景色が急に明るく変わりました。予約していた心療内科にも行き、PTSDは多分大丈夫と診断を受けました。 それから2か月くらいは穏やかに過ごしていました。わたしは今まで自分がどう感じるかなどを無視してきたので、努めて自分の気持ちと向き合うようにしました。 半月前くらいから、10か月前のことで、またたびたび傷が疼くようになりました。言った相手に対して、ひどい、あり得ない、とか思うようになりました。相手とはたまに変わらず大丈夫ですとか連絡していましたが、関わらない方がよい気がしてきました。 いま、1日に一回くらい傷が疼きます。つらいです。嫌です。でも、こんな経緯があったので、これは乗り越える過程なのでしょうか?正直不安です。
この前、阿難尊者のお母さんが餓鬼道へ落ちた話を聞きました。 お母さんは自分の息子ばかりを可愛がっており、周りに気を配らなかった為に落ちたと解釈しております。 そこで思ったのですが、上座部仏教の僧侶達は自分の悟りのことしか考えていないように見受けられます。 これだと餓鬼道においてしまうのでしょうか? それともこれはまた別なのでしょうか?
以前に一度相談させて頂いております。 娘が病気で亡くなったことは運命であったと理解しており、辛さ、悲しさは日々増しますが残された高齢の父を看取ることが私の使命と思っています。 そのような日々の中、私の中でどうしても払しょくできない自責と後悔の念があります。 娘の病気が発覚した当初から私の役目は娘が最後の最後まで楽しく前向きに生きれるようにする事だと考えていました。最初に主治医にお願いしたことは、『娘との最後の会話は「今日はゆっくり休もうね。明日になったら元気になるからね。お天気だったら公園に行こうね。」と言って見送りたい』でした。 闘病中は病気の重篤さを悟られないように、治るんだと思えるように、私なりに努力しました。 しかし肺に転移した腫瘍が増悪し、最後の3日は病院で鎮静が必要な状態でした。娘は仰向けになる事ができず、ベッド上のテーブルに突っ伏して半分寝て半分起きているような状態で右に左にふらふらして本当に辛そうでした。 この時点で鎮静を多くして娘の苦痛を取り除いてもらうべきだったのですが、こんな状態でもまだ私は娘の死が間近であると認識していませんでした。 ふと、トイレに行くのは苦しくなるのでオムツにしてもらわなければ、と気づき、看護師さんにお願いしようと思った矢先に娘が「おしっこしちゃった」と息も絶え絶えに訴えました。私は「やってしまった。最後に失敗してしまった」と思いました。苦しい思いは絶対にさせまいと誓って頑張ってきたのに。 娘を私に寄りかからせて看護師さんにパジャマをハサミで切ってもらい何とか着替えさせました。すると娘が「もう死にたい」と私の耳元で一言いったのです。10歳にも満たない娘に「死にたい」と言わせてしまった。最後の最後で私が気付くのが遅れて苦しい思いをさせてしまった。すぐに鎮静を多くしてもらい、娘はやっと仰向けになって眠れるようになりました。その後目を覚ますことはなく、翌朝早くに亡くなりました。 病院側から残り僅かであると一言あればもっと早くに苦痛を取り除いてあげられたのに、とも思いますが、最後まで意思の疎通をさせてあげたいという善意だったと理解しています。気づかなかった親の私の責任です。 楽しくお浄土にいると言われても、この世の最後の言葉が「もう死にたい」であった幼い娘の気持ちを考えると、自分自身がどうしてよいか分かりません。
孤独で、相談相手も居ない。生きてる意味が分からない。
父が亡くなって3カ月が経ちました、普段の生活の中ではあまり父を思い出さなくなって来ています。 でもふとした瞬間に、父を思い出し一人で泣いています。 辛い時、どうしたらいいのかわからない時、父ならこう言うかな、と思い出し涙。そして一番思うのが父に会いたい、声を聞きたいと強く思います。 生前、2人でやっていた農家も、今は周りの人に聞きながら自分1人でなんとか回しています。 そんな自分の姿を見たら父はきっと嬉しそうに笑いながら喜んでくれただろうな、と思いながら涙。 正直、かなり辛いです。 周りは「いつまでも悲しんでないで頑張るんだよ」と、言いますが、そんな事、無理です。だって間違いなく、父はこの前までは自分の隣にいて一緒に苦楽を共に過ごしてきのですから。 夢でもいいから会いたいと何度も思いました。でも会えません。 父が居た家に居ると泣いてしまうので今は離れで生活しています。 自分はこんな感じでコレから先もいいのでしょうか、本当にわかりません。
遠方に住む叔父がなくなりました。 コロナ禍で、葬儀は叔父が住む土地で済ませました。 お墓は私の住む土地=叔父の実家の墓 に納骨する予定ですが、 葬儀を行ったお坊さんからは、お墓のあるお寺から戒名をもらうように言われたようです。ですが、叔父の実家の菩提寺では、戒名をつけることはできない。と言われています。どうしてなのでしょうか?
本当はこれと決めた阿弥陀如来像を一体、自分の揺るぎない念持仏としたいのですがあれこれ目移りしてしまい、小さな仏像・絵像をあちこちで購入してはしばらくじっと眺めていると「白毫が中心からずれている」とか「蓮台の葉の並びが整ってない」とかの粗を見つけてしまい、それを理由に結局タンスの肥やしにしてしまうことを繰り返しています。だからといってお焚き上げに出すのもそれはそれで購入した時の思い出なんかがあって抵抗がありますし、仏様が可哀想な気もします。どうしたらいいでしょうか。 そんな状況で息が長いのが信州善光寺で頂いた手のひらサイズの善光寺如来像です。小さすぎて細部が見えないのでかえって粗も見つからないという訳ですが、僕にふさわしい念持仏はやはりこれなのでしょうか。
私は大学生なのですが、学校のことで手一杯なのでバイトをしたくありません。 ですが、交通費や交際費、好きなことをするためや物を買うお金はほしいです。 家族はお金がほしいならバイトをしろと言いますが、バイトをしないといけないと考えるだけで辛くなり憂鬱になります。 何か良い考え方などはありますか?
人に相談すると笑われてしまうかもしれないような内容なので、ここで相談させてください。 私は日本史がとても好きで、日本史を勉強することがなによりも楽しいような学生です。いつも心の支えはとある歴史上の人物でした。 私には親しい友人(以下Aさん)がいます。クラスで一番仲の良い友達ですが、ここ3〜4ヶ月でAさんがだんだん私の負担になるようになってしまいました。Aさんは毎日のようにネガティブな(例えば死にたいなど)メールを私に送るようになりました。最初は私も毎日違った形で励ましていましたが、それにもだんだん疲れてしまっています。放っておくとAさんのネガティブはどんどんエスカレートし、翌日学校で会うことを考えると返信せざるをえません。 私にとってストレスなので、一度そういうことを伝えたのですが、Aさんは「ごめんね、やっぱり私なんて…」となってしまい、結局私が励ますことになります。離れようと思っても、Aさんに「私にはねもちゃんしか友達がいないから」「一人になるのは絶対に嫌だ」と言われそれもできません。 友達が辛いときに励ますのは当たり前だと思っていますが、毎日のようにこれが続いているのでさすがに疲れてしまいました。 でも、私の心の支えであるその歴史上の人物のことを考えたら、Aさんと付き合っていくことも頑張ろうと思えていました。心の中では神様のような存在でした。 けれど、最近あることがきっかけでその人がもう既に亡くなっているという事実を突きつけられ、心の支えがなくなってしまいました。今まで耐えてきたストレスが一気に押し寄せてきました。涙が止まらず夜眠ることもできず、精神が不安定です。学校に行くのも辛いです。 Aさんにはどういう対処をしたらよいでしょうか。精神をたもつにはどうしたらよいですか……なにか少しでもきっかけが欲しいです、よろしくお願いします。
相手は、ノロウイルスです。 日常生活に支障を来す程の、強い恐怖心や不安感があります。 何とか仏教の教えをヒントに、克服できないものかと質問しました。 例えば、 (1) 汚物を処理する時の精神的ストレス (2) 激しい症状による肉体的苦痛 (3) 二次感染の不安 これらを過剰に恐れない考え方(捉え方)が見つかれば、気持ちが楽になり、もっと生きやすくなると思います。 適切な対処法は厚生労働省のHPを見て知っています。また、どんなに予防しても対処しても100%じゃない、なるときはなるもの、と分かっています。でも、心が追い付いてこないのです。 3つのうち1つでも構いません。ノロウイルスに対して動じない心を持てるよう、どうか知恵を貸して下さい。 よろしくお願いします。
マインドフルネスというものは存在するのでしょうか?または、なにかの比喩なのでしょうか? 見よう見真似で、数十分間呼吸に集中してみて、、、なにか落ち着いたような気にはなれるのですが、ゴールがどこなのかよくわからず。 一般人レベルでは、ちょっと落ち着いた気分になれればそれで良いのでしょうか? きちんとやると、スピリチュアルな境地があるのでしょうか? 坐禅に取り組む際のヒントをいただければありがたいです。
質問させていただきます。 私の祖母が亡くなり、約25日程経ちます。 大人になってから、身近な人が死んでしまうことが初めてで… 死というものが、大きくて考えることも増えました。 祖母が死んでから、ハスノハで質問させていただいたり、自分なりに調べたりしていますが… 人が死んだら、四十九日まで毎週7日づつお裁きを受けるとインターネットにありました。 だから、毎週供養するべきだと…。 毎週、親戚が集まれる曜日には お坊さんに来ていただいています。 祖母の遺品整理も始めています。 これで、いいのでしょうか? 祖母の為に他にできることはないのでしょうか? 祖母の家は、とても遠くなかなか簡単に行けず、四十九日までの集まりも毎週1回しか行けていません。 祖母の遺影やお骨も私の家にはなく、今後は長男さんの家に移るそうです。 私は、祖母が大好きでした。 でも、祖母に何もしてあげられない孫でした。 絶対、成仏して極楽にいってほしいです。 私にできる事は、何でしょうか。
与えて頂いた命ですが、限界です。 この世間から離れ、仏門を目指す事は出来ますか。