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hasunoha 問答検索結果 : 「私 宗派 」
検索結果: 2552件

四十九日法要で導師を変えても良いですか

先日父が亡くなり、通夜と葬儀を葬儀社からの紹介である導師にお願いしました。 葬儀の直前、葬儀社の方からの連絡で導師の控え室に参りました時少しお話しさせて頂きました。導師からは供養の仕方やお寺の合同葬のパンフ等頂いたのですが、私がネガティブな言葉で導師の言葉を遮ったり話の腰を折ったとの事で導師から不愉快だと言われ、そのお言葉に総早々に退散致しました。 時間になり導師が控え室から出て来られ皆が着席し、導師は開口一番長女の方と言い合いになりましたと仰ったのです。私は耳を疑いました。導師と言い合いなんてする訳もないです。導師に不愉快と言われたので、それではと席を立ったのです。 家族や親戚には何も話していなかったので、誰も理解できず反応もなかったからでしょうか、導師はそれ以上は何も言わず読経をされました。 でも、終わってから家族にあの意味は何だと聞かれました。私は大切な父の葬儀の時に導師を不愉快にさせてしまったこと、読経の前に導師に言われてしまったことで葬儀を台無しにしてしまい亡き父にも本当に申し訳ない思いで一杯で悲しくて涙が止まりませんでした。 葬儀もせめてもの親孝行だと、金額は張りましたが大手の葬儀会社に手配を依頼して抜かりなく、気持ち良くと思っていたのに情けないです。 葬儀社とお寺の住職の奥様から、導師に何でもご相談下さいとのお言葉に甘えてしまい、結局は導師を不愉快にさせてしまった自分自身が情けなく、葬儀も気持ち良く満足にあげられなかったと後悔の日々です。 ご相談したいのは、戒名を頂いたお寺の導師だから当然四十九日も同じ導師にお願いするべきとの意見が家族にあります。一方、親族に非があっても、導師が葬儀の時に持ち出す言葉ではなかったのではないかとの意見もあります。 私にしても導師が何も仰らなければ水に流して四十九日もお願いするつもりでおりましたが、葬儀をぶち壊しにされたような思いは残りますし、不愉快と仰られたので四十九日に出席する勇気はないです。 今後は亡父の出身の地方のお寺に納骨する予定です。そのお寺に問い合わせましたら四十九日法要、開眼供養、納骨供養など引き受けてもらえるとのことです。 同じ導師にお願いして私は欠席するべきか、或いは納骨して頂く地方のお寺に四十九日法要をお願いするべきか、悩んでおります。よろしくお願い致します。

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2024/03/28

罪を犯してしまいました

高校二年生です。もう少しで三年生になります。 昨年の夏に著作権侵害を起こしてしまいました。人の絵を複写して販売しました。ネットに載せてしまいました。 悪いことだと分かった後も少し続けてしまいました。 それがどれほど悪いことなのか、身に染みて誰かに指摘される前に、アカウントも作品も消して、逃げてきてしまいました。 罪の償い方が分からず弁護士さんに相談をしたところ、なにかあるまで、黙っていた方がいいと言われました。やれるだけのことはやりました。 当時は見てくださる第三者の方に下手だと思われたくない、もっと見てほしい、そういう理由で悪事に手を染めてしまいました。 甘い考えで起こした私の罪は到底許されるべき行ないではないと思います。自業自得なのですが死んだ方がマシだと思うようになりました。 死んでも罪が許されるわけではないので、そのような行為をすることはありませんが、罪悪感なのか、後ろめたい気持ちか、色々な気持ちがぐちゃぐちゃになり、眠ることもできなくなりました。 自分は幸せになるべきではないのだと思います。 絵を描くことも大好きで生きがいなのですが本当はそのようなことも、するべきではないと思ってしまいます。 誰かにこのことが露呈してネットで言う炎上のような案件が起きたら、そう考えると涙が止まらなくなります。何も解決しないのに。 私はどう生きるべきなのでしょうか。 生きていてもよいのでしょうか。 まだ絵を描いていてもいいのでしょうか…。 被害者の方たちのことを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。 謝罪する勇気も何もないです。 身内や友達にも申し訳ないです。 今は1から絵を描いていますが、自分の絵を好きだと言ってくださる方たちにも、申し訳ない気持ちを抱きます。 自分はこれからどうしたらよいのでしょうか。

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死にたい

何度も申し訳ございません。 私は高校生(今から10年以上前)からギャルと言われる謎のくくりの中で調子に乗り、アホなことばかりし、しっかりと考えるともなく楽で楽しいことばかりをしてきてしまいました。今となっては後悔することだらけです。挙げ句の果てには中絶までしてしまいました。そのまま赤ちゃんのことを思い出すことも泣くこともなく、自分からとしっかりと向き合わずに日々を送ってしまいました。そして、「これ以上の悪はない」その一線を越えてしまったのだ…という感覚になってしまい、もう人生がどうでもよくなり、更にエスカレートするよにひどい堕落生活を送ってしまっていました。 それからと言うもの、しっかりと自分の人生を歩んでいる感覚がなく、生きている実感がなく今はカウンセリングに行っていますが、仕事を正社員で働いたこともなくもうすぐ30歳にもなるにもかかわらず、1年半程しか働いたことがなく(派遣社員で)それ以外はほとんど短期でしか働いておらず、大切な20代が空白のまま、社会人経験のない人生になってしまい、今後どうなるのか生きていくことができるのか…など考えるとただただ恐怖が襲ってきます。 部屋にはお地蔵様を、リビングには阿弥陀様を奉り、手を合わせているのですが、一心ではないからか、何故かこのまま手遅れで死んでしまうのではないかという気持ちがとれません。お地蔵は髪の毛ほどの善根でもあってもしっかりと見ているので積むように。とどこかで聞いたことがあるのですが、わたしの場合はもう、何が善根なのかもさっぱりわからなくなってしまいました。善根どころか当たり前のこと(働いたり)すらもできていないので、何が善根なんだか、もう善根なんて積めないのではないか、そもそもこれから先何をしても善根になんてならないのではないか、と思いもう救われることはない…と思って気力を失ってしまっています。この人生が嫌で嫌で、後悔だらけでやり直すにももう遅いと何故か体が直感的に感じ取ってしまっているため希望がありません。自分の罪のあまりの数や大きさに押し潰され、生きる気力がだんだんとなくなりもう死にたいです。今後どのような心持ちでいれば天命まで死なずに、生きて行くことができるでしょうか。 ご多忙の中申し訳ございませんが、アドバイスや渇などございましたら、何でも結構ですのでお待ちしております。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 61
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