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検索結果: 2438件

Jアラートの朝に

自分の預かり知らぬところで、生きていいいのちと奪っていいいのちの選別が行われる。少し不快になったら「死ね」と言う人々が多い小中高時代でした。故に、生きる権利は簡単に奪われるものであるもののように思います。 実際に「不快だから殺す」が個人レベルではなく国家レベルで行われる可能性があり、それがもうすぐそこまで来ていること、発射ボタンひとつで何の心構えもできないまま全てが終わることを感じた今朝、不安と恐怖に耐え切れず、書き込ませて頂きます。 物理的要因で人間は簡単に終わらされます。凄惨な死は避けられず、成す術もない。自分はあまりに無力で、何をしたって意味がないと自暴自棄になりそうです。楽観はあてになりません。苦しみと凄惨な死があるだけです。何かを信じるのも怖いです。 自分について上手くいくイメージができないことと社会的な問題が解決する見込みが得られないことで、人生に希望を持てずにいます。意欲は薄れ、渦巻く感情を持て余し、生きていけないのに生きていようとします。 物理的問題は高潔な精神でどうにかできるものではないのです。「全てが自分の思い通りになるなら何がしたい」と考えた結論は、「存在していたくない、あらゆる感覚を捨て、物理的世界から完全に解放されたい」でした。 「みんな辛いのに頑張って生きている、辛いことを我慢して適応しなければ生きていけない」 ただ吐き出したいだけ、甘えたいだけなのだと思います。本当は他人の言葉を聞き入れる余裕もなく、それだけで死にたい、死ななければならないような気になります。 駄目でした。やはり生きることが難しいです。

有り難し有り難し 34
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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
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菩提寺の住職に葬式を頼まない人

住職の予定を無視して、通夜葬儀の日程、場所を決めてきました。 このままだと、離檀になってしまいます。どう対処した方が良いかご相談です。 最初に決めて来た日程が住職の予定と合わずに出来ないので、その旨を伝えると、葬儀会社の紹介する5万円のお坊さんにやってもらうからいいとのこと。 だって、そちらは出来ないんでしょ?という感じでした。 葬儀会社さんは寺の檀家制度ご存知無いのでしょうか? 住職が戒名も付けず、通夜葬儀を他のお坊さんがなさる場合、離檀となる檀家規約が存在します。もちろん、葬儀の日程を調整する際に直にお渡ししていますし、説明しています。 お父様はずっと前に亡くなっています。今回お母様が亡くなられた方で、御歳90歳でした。 喪主の長男さんは入院中で、何番目かの弟さんが葬儀のために動いています。 その家は、代々地域の組、昔でいう講中、分かりやすい言い方だと、檀家さんで作る自治会みたいなところに所属している家です。 お寺には管理費や積立金などは存在せず、お檀家さんの付届け、お気持を年に5回、盆、暮正月、彼岸2回、お十夜、頂いてます。その任意の付届けも欠かさずいらっしゃっていて、施餓鬼などの塔婆もあげてらっしゃいました。 喪主の弟さんが言うには、「〇〇葬儀会社でやって、会場は〇〇斎場でやってほしい」と亡くなられたお母様がおっしゃっていた。遺言だからその通りにしたいと。 だったら、最初に提示して来た日ならば、〇〇時通夜、〇〇時から予定があるので、〇〇時の火葬だったら間に合います。葬儀屋さんと逆算して、相談して開式の時間決めてください。と伝えたのですが、葬儀会場が空いて無いようで、その日は「火葬場が空いていない」と言われました。火葬場には電話して、空きを確認済だったので、おどろきましたが、まあ、葬儀会社が押さえているところが空いてないのかな、と思いました。 ではその日がダメなら、〇〇日や〇〇日はどうですか?お金の面も心配されていたので、町内会館を使うと使用料が安くて、尚且つ、日にち空いているので、使えるという旨までお話ししました。 火葬場、会館の管理をしている方などにも電話をしたりして手を尽くしたのですが、聞き入れてもらえませんでした。 このままだと、離檀になってしまう危機感もお骨を持って次を探さなくてはいけない大変さも感じられません。

有り難し有り難し 53
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お叱りください

こんなことを質問させていただいて良いのかわからないのですが… すべてもう遅いとりかえしがつかない、人生立て直すにももう無理だと思い、前まで一生懸命に頑張っていたことも頑張る気力がなくなってしまっています。 自分の今までの行いがただ悪かったから自業自得なのですが、悪に悪を塗り重ねもう自分が嫌になってしまいます。 そうすることでしか自分を守ることができず悪の環境から結局抜け出せれず、変わることが出来なかった、自分が弱く誘惑に打ち勝つことができなかった。 自分が情けないしもう何もかも嫌になってしまいます。 中絶の経験もあり、うつ病になり、気がつけば人生に相当の遅れをとってしまい、悪を重ねてしか生きれない、うそをついて進もうとする自分に本当に悲しいです。もう戻れません。 「人の道」をしっかりと歩みたかった。本当に悲しい人生です。上辺で偽りではなく心から人生を大切に生きたかったです。 中絶のこともあり明るく過ごすものの、すぐに心に重くのしかかりため息ばかりでます。 生きていても、何があるのか、悪に悪を塗り重ねることしかできない未来に希望がない、こんな人間生きていて良いのでしょうか。 お忙しい中このような投稿をし申し訳わけございません。

有り難し有り難し 51
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古いお守りを全て紛失してしまいました…

幼い頃に日本を離れ、ずっと海外に住んでおります。子供の頃から古いお守りを3つ持っていました。 今年になって、日本に帰国する機会ができたので、その際にお守りを神社やお寺に返そうと思っていたのですが、3つとも全て無くしてしまいました…。 飛行機に乗る前日に旅行バッグに入れた筈なのですが、日本に着いてバッグの中を確認したら入っていませんでした。うっかり家に置いてきてしまったのではないかと思い、日本から帰った後、部屋の中を探してみたのですが何処にも見当たりません…。 子供の頃からずっと持っていたお守りなので、ショックです。「もしかしたら、どこかで間違えて捨ててしまったのではないか?」「どこか粗末な場所に置きっぱなしなのではないか?」と色々考えてしまいます。 お守りを無くしてから何やら気持ちが落ち着かず、常にイライラしている気がします。職場では上司に口答えして立場を危うくしてしまったり、部下を感情的に怒ってしまったり。プライベートでは、友人の幸せを素直に喜べなくなったり…自己嫌悪に陥る毎日です。 今回、日本に帰国した際に新しくお守りを購入したのですが、あまり効果を得られていない気がします。やっぱり、古いお守りを無くしてしまったから罰が当たったのでしょうか?何か対処法はありましたら教えて頂けませんでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 45
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2022/01/01

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 63
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