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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2816件

大切な愛犬を看取れませんでした

我が子の様に育てていた5歳の愛犬が亡くなりました。 8月に悪性腫瘍が出来、手術で摘出したものの血液に癌細胞がのっており転移の可能性もありました。 でも私は元気になった愛犬を見て病気は完治したと安心しきっていました。 12月に入りある日から呼吸が早い愛犬を病院に連れて行くと、肺に転移していました。 先生からは緩和治療をすすめられお薬と家では酸素ハウスをレンタルすることになりました。 家では呼吸は浅いけど大好きなおもちゃで遊んでました。 家には見守りカメラもつけ、一安心、頑張ろう。という気持ちでした。この時も私はまだまだ長生きすると思っていました。 とても甘えん坊な子で家の中では常にひっつき虫、一緒に寝ていました。 酸素ハウスが到着した日の夜、愛犬の苦しそうな呼吸で目覚め急いでリビングに連れて行き酸素ハウスに入れましたが出して出してと言うので、結局酸素ハウスの横で一緒に眠りました。 次の日の朝、私は仕事で日帰り出張がありバタバタしてろくに挨拶もせず家を出ました。 移動中は見守りカメラで見ていると明らかにゼーゼーしており心配でたまりませんでした。 お昼にはコタツの中にいて姿が見えませんでしたが、夕方見るといつもいたお気に入りのクッションの上にいましたが、ゼーゼーしていませんでした。 不安な気持ちもありましたがまさか、まさかと思い帰宅すると既に息を引き取っていました。 とても苦しそうな顔をしていました。どうして仕事に行った?何を根拠に大丈夫だと過信した?何故もっと早く病院にいかなかった?どうして粗相してもいいから一日中酸素ハウスに入れなかった?朝沢山抱きしめてあげればよかったと後悔の気持ちで泣いてばかりです。 きっと私の帰りをずっと待っていたと思います。 1人で逝かせてしまいました。 心にぽっかり穴が空いて気を抜くと声を出して泣いてしまいます。 もう一度あの子に会いたくてたまりません。 寂しい、苦しい思いをさせてごめんねの気持ちしかありません。 愛犬が死んだのは私のせいです。

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ふと思いました。宗教とは、仏教とはなんだろう。

 いつもお世話になっております。最近になって考えている事 なんですが、宗教とは、仏教とは一体何なんでしょうか?  釈尊曰く、  「行や祈りで障害や疾病が治癒すること、また事態が好転すること はない。精進努力、また常に学び続ける姿勢が肝要」 だそうです。  ですが昨今、経文の曲解等により霊感商法や洗脳ともとれる 行動や言動に出る者が数多く存在することもわかりました。  信徒では憑き物信仰と思い込み、護摩の最中に暴れたり奇声を 上げたりしてお坊さんからお咎めを受ける人がいたり、  蹴落とす目的か他の信徒さんを誹謗中傷、または異性の信徒に 境内で付きまとい行為をしたりなど、無法な輩もしばしば 見かけることがあります。  私たちはどうあるべき?また、仏教とは何なんでしょうか?    私は、とにかく暇だと余計なことを考えてしまって気分が悪く なるので様々な資格の勉強に手を出しています。  また、刑法や仏教とも縁が深いであろう人権がらみの法律を 勉強しています。(法燈明の教えによる)    基本、自分の体質の事は医師や行政のサポーターにのみ話し、 相談する事にしました。余計なトラブルを避けるためです。  死後のことは仏様に一任し、現世の修行としては常に学びの 姿勢を忘れず過ごすようにしています。  ご意見お待ちしております。よろしくお願いいたします。

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2024/11/22

地方の寺の今後について

地方の小さな寺で生まれ、寺だけでは住職の生活できない為に祖父の代から保育園を経営しています。 寺の為に保育園の給与から私費を投じていますが、半数以上の檀家さん(現在存命の方)からは「当然だ」という態度をとられて育ってきました。 現在伽藍の修復を計画していますが、法人が赤字であることを理解していただけなく、「何年も葬式や法事で布施を払ってきたんだからそこから出して、足りない分を住職一家が出せば良い」という意見が非常に多い為、伽藍の再建は難しそうです。 地方の過疎地域に建っている為、実際のところは保育園の閉園も視野に入れなければならなくなってきており、これ以上の私費投入はできないことを伝えて閉園と同時に一族が寺から出ていくことを真剣に考えています。 「寺に生まれたのだから寺を継げ」という方もいらっしゃいますが、檀家による再建ができない寺を息子に継がせたくはありませんし、私個人が信心して転居先で信者として、もしくはフリーランスの兼業僧侶として生きて行けば良いと思っています。 人生のうち数年間を修行という期間で過ごしたにしては、杜撰な自分と、求められる理不尽さに耐えられません。 ・修行、信心が足りない ・心構えが間違っている ・自分の生活を犠牲にしてでも寺に尽くすべき ・檀家さんのことを考えろ 等、耳障りの良い綺麗なことはいくらでも思いつきますが、僧侶であっても生き物であり人間です。 元々経済的な土台が崩れており、悪化しか見込めない地域の寺を、私が寺以外から得た収入でもって維持する必要はあるのでしょうか? 妻と二人で得る年収であれば、一般的な家庭として家を建てて暮らせる程度と思いますが、それを寺の会計に寄付し、息子に「檀家さんに住ませてもらっている」と言い聞かせて貧乏な暮らしをさせなければいけませんか?

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お寺を継ぐべきか

初めまして。 わたくしは福岡県内にある、臨済宗のお寺の息子でございます。 私は、京都の大学を中退後、2年間地元で働きました。 京都では、本山内にある禅塾で生活を送り大学に通っておりました。 そこから、2年間働き その後 修行道場へ掛塔しました。 ですが、修行はやはりとてもつらくこの世のものとは思えないくらいでした。 そこから3か月目のことです。 ある日足が動かなくなり、病院へ行きました。 両足を疲労骨折しておりました。 それが一度目の逃げ(失敗)でした。 そしてその後、道場へ戻ったのですが。 何か月か外に出ていたら 周りの雲水との関係に亀裂が入っており それに耐えきれず 逃げ出してしまいました。 それが二度目の逃げ(失敗)です。 そしてその翌年の春 違う修行道場へ掛塔しました。 庭詰めが終わり旦過詰の途中で いきなりとんでもない恐怖心に襲われ 気が付けば倒れておりました。 そしてそのまま、気が付けば実家のお寺にいました。  三度目の失敗です。 そして今、パソコンに向かってこの相談を記入している状態です。 私は、昔から父親(師匠)毎晩毎晩 「お前は早く修行に行ってこの寺をついでもらわんといかん」と 口うるさく言われて育ってきました。 私は当時お坊さんには絶対になりたくないと思ってました。 大学も京都の花園大学(仏教の大学)へ行けといわれっておりましたが、京都の仏教大学ではない普通の大学へ進学 そこで、一人暮らしできるかと思いきや 京都のあるお寺にある学生寮に強制的に入れられました。 そこで、朝5時に起き朝課を行い掃除をして大学へ行き 17時(門限)までに帰宅し、掃除を行いというような 小僧のような生活を送りました。 その生活を2年間送り、嫌気がさし大学自体、独断で中退し 無理やり実家へ帰えりそこで、2年間仕事をしながら お寺のことを手伝いをしながら生活を送っておりました。 その後、修行へ行ったのですが3回も失敗し このような状態です。 正直、私はお坊さんに今はなりたいと考えています。 ですが、今はなりたくありません。 ほんとに今どうしていいか全くわかりません。 お寺のこと、家族のこと、自分のこと 何がしたいかもどうすればいいのかも わかりません。 ほんとに文章能力が全くなく申し訳ございません。

有り難し有り難し 18
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