度々お世話になります。 就職して、紆余曲折あって辞職して、自死に失敗して、そして転職して1年が経ちました。 この1年、仕事こそが生きがいだと自分に言い聞かせ、前職を辞めた自分への罪滅ぼしも兼ねて脇目も振らず突っ走ってきました。結果的に仕事に不満はなく、良好な人間関係に恵まれています。 ですが、その裏で常にどうしようもない生きづらさを感じています。物心ついてから今まで、ただ生きてるだけであれこれ考える事が多すぎて、生きる事が相変わらず苦しいです。 仕事もキャパオーバー気味な上、いろいろなことを考え込んでしまい潰れそうです。地元在住ですが頼れる人はいません。上手く例えられないのですが、自分を支えてる張り詰めた糸が何かの拍子に切れてしまいそうです。 そもそも、自分は1度自死を試みた時に死んでたはずです。あの時感じた「やっと終わった」という、今までにない安堵感のようなものが忘れられません。 耐えられなくなった時、衝動的に自死を選んでしまいそうで、実際その一歩手前の段階まできています。 苦しみながら生きる意味が分かりません。かといって前回とは違って仕事上の責任を負った今、投げ出すこともできません。 以前、死んでしまおうと思っていたところを救っていただき今に至ります。今回も何とか頑張りたいのですが、こんな状態の私はどうしたらいいでしょうか。
生きる事は有難い、つまり有ることが難しいのは、 母が子を産むことが命がけで、生まれてくる事が奇跡である、と言う事はとてもよく分かります。 ですが、それと同じくらい「死ぬ事」も難しいのではないでしょうか。 死は人生のゴールだと思います。 ゴールに辿り着くには難しいと思います。 質問に戻りますが、 生きることを望むことは、 多くの人から励ましや称賛を得るのに、 どうして死ぬのを望む事に対しては、 否定されてしまうのでしょうか。 自殺はどうして許してもらえないのでしょうか。 自分のために生きることには 多く人が賛同するのに、 自分のために死ぬ(=自殺)することには どうして多くの人が否定するのですか。 同じくらい、難しいのに。
はじめまして。 先月、不妊治療の末授かった大事な息子がわずか10ヶ月で亡くなりました。 死因は解剖の結果もわかりませんでしたが、私の寝かせ方が悪かったのではと今でも思っています。 息子は本当にかわいくて優しい良い子で、息子から愛される幸せを毎日感じ、とても幸せな日々でした。 あんなにかわいい良い子がなぜ死んでしまったのでしょうか。沢山の幸せをくれて感謝している一方で、こんなに早く死んでしまうなら生まれてこなければこんな絶望を感じることもなかったのにと思ってしまうことがあります。 あの時こうしていれば、今も生きていたかもしれないと考えると余計に辛くなるので、あれが息子の運命だったんだと思うようにしていますが、それでもなお「なぜ死んでしまったのか」と毎日のように考えてしまいます。 主人や両親は、また赤ちゃんを産んで母親になれると励ましてくれますが、30代も後半で不妊治療を再びして授かることができるのかとても不安です。 息子は帰ってこないことはわかっていますが、もう二度と母親になれないかもしれないと思うと、人生に絶望します。 もう生きていても良いことなんて起こらないから死んでしまいたいとも思いますが、両親にこの辛さを味合わせる訳にはいかないので両親が亡くなるまでは死ねません。 なぜ息子は死んでしまったのでしょうか。 私の行いが悪く、その罰として息子は死んでしまったのでしょうか。 もう生きていく自信がありません。
過去に似た質問があったらすみません。 こんにちは、私は27歳の一児の母です。 私は高校生くらいのときから、 寝る前に、自分が死んだ後の世界について 考えて、怖くて眠れなくなることが よくあります。寝室で、恐怖で叫んでしまうこともあります。私達は、 当たり前に回っている地球の、ほんの 一瞬を生きているだけで、私が死んでも 世界は回って、過ぎていきます。 何が言いたいかというと、つまり 死ぬのが怖いのです。人が死んだら、 どうなるのですか? 魂と肉体が、とか言いますが、 脳の働きで精神と自我があるだけですよね。 死んだら無に還るのですか? お坊さんだからこそ、 お聞きしたいです。 よろしくお願い致します。
私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?
はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします
先日こちらでお言葉を頂き、冷静になれ、自分を取り戻す事が出来ました。ありがとうございました。 色々と考える中で、以前 住職さんに頂いたお言葉で疑問に思った事がありますので教えて下さい。 二十歳の頃、四国八十八箇所を1人で回ってきました。その際にどこのお寺か覚えていませんが いつ死んでもいい様に生きなさい 死を恐れる生き方をしてはいけません というお言葉を頂きました。 アレをやってない、まだ生きたい、遊びたい、食べたい、こういう欲が死を恐れさせるから〜と言うお話でした。 ハッキリ言いますと 私は今死んでもいいです。 死にたいのではなく 今 突然交通事故に合って死んでしまっても人生に悔い無し、幸せでした。 もちろん死ななくてもいいです。 いずれ訪れるものなので仏様が決めた結果なら、どちらでも受け入れます。 と思う反面、飼っている猫がいます。 私が死んだら一人ぼっち 猫の面倒は誰が見るのだろう… など考えたら、今死んではいけない!と思ってしまいます。 これは欲になるのですか? そうなるならば、家族がいる人間は 『いつ死んでもいい』 と言う気持ちには一生なれないのでは無いでしょうか? どんなに考えても答えが出せませんでした。 教えて頂けませんでしょうか?
小一の息子が最近、『隕石が怖い、どうしたら悟りを開けるの?』と真剣な顔で聞いてきました。理由をよく聞いてみると、以下のようなことでした。 宇宙に関する教材で、地球にはその昔たくさんの隕石が落ちて来たこと、そのせいで恐竜は絶滅したことを学んだ。さらに、これからも落ちて来る可能性があると聞いて、隕石に対して強い恐怖を感じている。 また、別の日にTVでたまたま見た仏教の番組で、人は何度も何度も新しい人生を繰り返し生きる輪廻の話を聞いた。そこから脱するためには悟りを開くしか方法がない、ということを知った。 だから、自分がお爺さんになって死ぬまでに隕石が落ちて来なかったとしても、次の人生がまた来てしまうから、早く悟りを開かないと、隕石の恐怖からは逃れられない!と考えて先の質問をしたようです。 毎晩思い出してしまい、眠れなくなるほどで、本人はかなり真剣に悩んでいます。色々と安心させる言葉をかけてみましたが効果なく、、専門家の皆さまのお力をお借りできますと大変有り難いです。よろしくお願いいたします。
私は人生を終わりにしたい 私は今年で34歳になります 多分生まれた時にもっとちゃんと計画を立てていれば、 こんなことにはならなかったと思ってます。 でもそれを言えばきりがありません。 でも明確な失敗は、 私は31歳の11月にその会社の上司と揉め 仕事を辞めました。 今思えば、あれが私の人生が転落していったのだと思います。 あそこで我慢して辞めなければこんなことにはならなかったと それから仕事以外のことでも色々あり、就職活動もうまくいかず 親が協力してくれた。仕事に投げやり出入り 今年9月に内定をもらい入りました。 母親は泣いて喜んでくれました。 でも明らかに職場と自分が会いませんでした 4日でストレスで吐血、下痢を発症 今日早退をし病院にいきましたが、 胃と大腸が炎症を起こしていると言われました。 なんで炎症を起こしているか原因はわからないと言われましたが、私には、原因がわかっています。仕事のストレスです。 今の会社を続けながら転職活動するしかないんですが、今はそんな気力と体力がないです。 私が小さい時に進路をもっと考えていれば選択肢もあったのに いやそもそも31歳の時に会社を辞めなければこんなことにはならなかったと深く後悔しています。 未来に絶望しています。 睡眠薬を飲んでも眠れず、たまに癇癪をおこすぐらいイラつくようになってしまいました。 私は、過去を永遠に振り返って蛇足で進んでいます。 母の姉が自殺して母親が一生もののトラウマを背負ったので、私は自殺しないと思っていましたが、 私もそろそろ生きるのが限界に近いです。 『毎日寝る前に誰か私を殺してください』なんでもないなにかに祈り続けています 多分ここが外国で拳銃があったらもう死んでると思います。 通勤では、事故ってしなないかなと思いながら運転をし 眠る前は祈りながら死を願い無理やり寝 仕事中では、『〇〇』さん死んだ目をしていますよ。と言われました 入社して4日目でもう吐血して早退して病院で書いています。 私はもう終わりなんです。 今の合わない仕事をしたまた 転職してもうまくいかず 親にどうにかこれ以上きづかれないように後悔しながら死ぬのを願って生きていくんです。 それがとても辛いです。なんでこんなことになったのかこれが試練だというならもう私を殺して欲しい終わりにして欲しい こんなのはただの拷問
私は死ぬべき人間ではないかと考えてしまいます。 常に罪悪感に駆られ、私の精神を蝕む。 他人と接するときは別の自分に偽り、恰も他人を騙しているような感覚を覚える。 出来損ないの自分に腹が立つ。 このままならいっそ綺麗に消え去りたい。 こんな精神状態では駄目だ、なにか見つかるかもしれないと自分では理解・模索しているつもりですが、どこか蓋をしている自分がいる。 私は一体何処に向かってしまうのか。 私は死ぬことが出来たら白紙に戻るのか。 また私は黒く塗りつぶされてしまうのか。 私は生きるに値する価値があるのか分からなくなってきました。 こんな愚鈍な私ではございますが、なにかご助言を頂きたいと存じます。 宜しくお願いします。
こんにちは。 私は、命が怖いです。人は簡単に死ねるからです。屋上から飛び降りたり、線路に飛び込むことで。 私はそんなあやうく、儚い命が怖いです。なぜ、私たちは死ぬのにそのような命を今生きているのでしょうか?死のうと思えばいつでも死ねる、なのに何故皆生きているのか、と思います。 そして、そんなことを考えているとふと、ここから落ちたらどうなるんだろうなどという想像をしてしまいます。私はそんな自分もとても怖いです。 死にたいわけではないのですが、自分が突発的に自殺したらどうしよう、と…。 しかし世の中には生きたくても生きられなかった方もいます。それに、私の命は親から頂いた大切なものです。だから、こんなことを考えるのはいけない、そう思います。 ですがだめとおもってもその想像は私の頭から離れません。怖いし、苦しいです。 どうすればこの考えから抜け出せるのでしょうか…。私の考えはおかしいのでしょうか? 又、冒頭の繰り返しになりますが、なぜ生きているのでしょうか。命とは何なのでしょうか? まとまりのない文章で申し訳ないですが、教えていただきたいです。よろしくお願い致します。
ふとした瞬間、居なくなりたい、消えてしまいたいと思う時があります。自分の全てが嫌で嫌で仕方なくなるのです。 勿論家族を思えば実行には移しませんが、この気持ちの行き場がなく、苦しくなります。
はじめまして、33歳の女性です。 私は双極性障害二型と言う病気(鬱と躁の気分の波がある病気です)で、治療をしています。 最近、薬物療法の薬が合わなくて、身体的にも精神的にもかなりしんどい状態になってしまっています。 何で病気なのか、このまま一人で死んでいくのか…誰からも愛されない。 生きる気力が擦り切れてしまって、身も心もボロボロです…。 両親は頼れない、兄弟に迷惑は掛けたくない。 生きるのが本当に辛くて辛くて、毎日死ぬことばかり考えてしまいます。 本当は、死ぬのは怖いし、楽しく生きたいです。 でも、いつもうまくいきません…。 気分が不安定なので、友達も一人もいませんし、先日入院したのですがやはり誰も助けてくれる人はいませんでした。 当然ですが…。 皆と仲良く生きたいです。 でも気分の波が抑えられないし、何をどうやったら良いのか分かりません。 本当は生きたいけど…薬や自傷行為でしか安らげる時がありません。 死ぬのはとても怖いです、でも生きるのも私には辛すぎます。 もうどうしたら良いのか分かりません。
私より早く死なないでよ〜と歳上の方がよくおっしゃるテンプレートな言葉がありますよね。私を大切に想ってくれている言葉だと理解してありがたく思う反面、好きにさせろ!と思ってしまう自分がいます。 長く生きることが大切なことなんでしょうか?私は全力でやりたいことをやってすぐに死にたいと思ってしまうのですが...。 人生に悲観的なわけではないんです。私はおかしいのでしょうか。
付き合って半年で妊娠してしまい、結婚に向けて話を進めていたところ、さまざまな問題が浮き彫りになり、 相手方の家が障害者家系で、 入籍一週間前に2歳の甥っ子までに難病が発覚し入籍を延期しました。 その難病は遺伝する恐れがあり、 私も中絶することも考えましたが、下ろせない週数に入り、なくなく産むことを決意。 すると向こうの親が、障害者をバカにしてきたと文句をいろいろつけて結婚させないといいだしました。 息子は責任とるから結婚しようと言っていたが、 親が結婚するなら縁をきれとか、嫌がらせをするとかいろいろ言うため、 どうすることもできず、出産がせまっています。 私は結婚もうまくいかず、子供もまともに産んであげられないかもしれず、先の事を考えると、生きる力も失い、お腹の子と死にたくなります。 弁護士は入れようと思っていますが、 それでまた、向こうの親がごねだしそうで怖いです。 もう生きる力もないため、 このまま死んでしまいたい。 自分の軽率な行動が招いた結果なのはわかりますが、ひどすぎる結末に生きる力をなくしました。 これからどうやって生きていけばいいのでしょうか? 人を不幸にする人間に振り回されて、、ほんとうにゆるせないです。 どう心の整理をつけたらいいのか。 助けてください。
こんにちわ うつ病になり何年も治らないですし、いろいろな治療をしたのですけど、もう治る見込みがないですし、疲れたので自殺しようと思ってます、 もう苦しすぎて限界を迎えました、 母からいじめを受けて育ってきて それが原因でうつになりました、 でももう誰も恨んでないですし後悔もしてません、 そうゆう運命だったのだと思えるようになりました、 本当によくやったと思います 自分を誉めてあげれるくらいに頑張って やってきて治療もいろいろしてきました、 もう限界です、 うつ病で自殺するのは 立派な病死だと思います、 もう生きる気力がないです こんな苦しい思いをしたのだから、自殺したら、死後の世界も地獄に行かず、神様も阿弥陀仏様も助けてもらえるのでしょうか? もう 死ぬのが怖くないですし 生きるのが辛すぎるので、 死後の世界を教えて下さい、 死んでは駄目だとか言うのは何回も聞いて 頑張ってきましたが、治る見込みがないので、生きろなどの綺麗事ではなくて、死後の世界を教えてもらえたら嬉しいです、僕はあの世でどうやったら報われますか? お願いいたします
自殺未遂の後遺症で近いうちに死んでしまいます。 これはふとした気の迷いのせいで、この頃はネガティブになってたのか、どんどん悪い方に行き難聴の次はついには命さえあと少しという最悪の状況になってしまいました。 病は気からと難聴になったときふと思ってましたがなんとなく死にたいという前の私じゃ考えられないようなネガティブさにいつのまにか振り回されました。 視野が狭くなってて未来とかいろいろ考えられなくなってたし、いろんなものに無関心になってました。正気なときとネガティブなときがあるのです。 障害で仕事先が限られること、自分の能力に自信がないこと、楽しみがないことで内心絶望して自殺を試みたのだと思います。 自分の体で実験するくらいのノリで死のうとしてしまったんです。 現実に向き合うことさえできないような人間が死や死後の苦しみに耐えられる自信がありません。自殺した人間は基本的に大きな苦しみを追い続ける死後が怖いです。 私という人間の人生はあと少しで終わるし、また人間に生まれ変われるのか、もう極楽や天国へ行けないのか、もし地獄ならその長い苦しみに耐えられるか不安しかないです。 現実から逃げ続け、命の期限を勝手に設定してしまいました。散々死ぬ方法や確率以外にも自殺したらどうなるかもみたのに頭がはっきりしてなくてどう行動したらの結果がわかってなくて。死んだら自分が終わること理解できてませんでした。自分のメンタルが弱いばっかりに家族を悲しませることになるのは少し悲しいです。自分の人生があと少しで終わるのも怖いですがネガティブなループに気づけない限り難聴と違って避けられなかったことなのかもと、もう少し思い切ってサイクリングが早ければ違ってましたが。 死ぬときの苦しみも怖いし、自殺行為の末の死なので、死後どうなるか不安です。 あと体が動くうちにやっておいたほうがいいことのアドバイスが欲しいです。
死について質問です。 今の私にとって死とは、必ず行き着く先であるからこそ、明日すら計り知れない今を頑張る源となっているように思います。 小学生の頃はずっと死にたくないと思っていたのに対し、大学時代は死にたいけれど自分から死ぬ勇気はない、そんなことで周りに迷惑もかけたくないと思っていました。 また一度だけどうしようもない気持ちがいっぱいで手で首を締めた時、少しの吐血で非常に驚き、やっぱり自分から積極的に死を選ぶことはできないと実感しました。 そうして死の捉え方が変わっていきながらも、今は明日死んでも、五十年以上後に死ぬことになっても、いつでも悔いなく安らかに眠れるような気がしています。 一方で医療職に就き人の命を救う立場でありながら、このような死の捉え方をしていることには、どこか自分や他人に嘘をついている気がしてしまうこともあります。 お坊さんがたは、お葬式などで死者を弔う役目を果たされながら、死をどのように捉えておられますでしょうか? どうぞお聞かせ頂ければと思います。 宜しくお願い致します。
はじめて相談します。 今回の相談は、端的にいうと喝を入れて頂きたいというものです。 現在、就活真っ只中の就活生なのですが、書類選考や面接がうまく行かず、内定を頂くことができません。 ・ 原因としては、準備不足、そして就活自体を始めるのが遅すぎた、といったことが考えられます。 ・ また、根本的な問題として ぼんやりとした希死念慮に取り憑かれており、ずっと思考が不明瞭な状態が続いております。 ・ 小学生の頃からぼんやりと死にたいな。と思い続けていて、その考えが定着しすぎてしまい、嫌な事がある度に死にたくなります。 ・ 今では、精神的に落ち着いている日でさえ、「生きているのが面倒くさい。 また、明日も明後日も生きるために、 普通に生きるために頑張らなきゃないんだ。」と思って、苦しくて死にたくなります。 ・ 就活も、わたしにとっては 「生きる」という行為を前向きに進めているように思えて、なんだかとても面倒くさいし、 死にたいなと思ってしまいます。 ・ ここまでかなり支離滅裂なのですが、 生きるのが面倒くさいという、そんなどうしようもない人間に喝を入れて頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。