hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 」
検索結果: 5456件

来週からの仕事復帰について

私は1月から約5ヶ月、うつのため病気休暇をとっています。自分は休みたくなかったのですが、希死念慮もあったため、3ヶ月入院していました。 今はうつの症状はほとんど見られず、休養の必要がないとのことなので、念願の仕事復帰に来週からチャレンジします。1ヶ月はまだ病気休暇中なので、リハビリを兼ねて自分のペースで行く予定です。復帰するにはまず職員に共通理解してもらう必要があります。なので、初日に自分の口から説明をする予定です。しかし、職場に行くと顕著に体調が悪くなり、その場から逃げ出したくなります。今までも何度かこっそりチャレンジしましたが、体調が悪くなってしまいました。だから、行くのがとても怖いです。しかし病気は良くなっているので、前にも進みたいです。 職員にどのように説明したら良いか、どのように思われるかとても不安です。そして、情けなく恥ずかしいです。しかし、前に進むにはどうしても通らないといけないことだとはわかっています。どのように説明すればいいか、教えてください。また、大丈夫だと励ましてほしいです。前に進むにはとても大切で、勇気の必要な時です。よろしくお願いします!

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

逝去した母のラブレター

母が先日、逝去しました 遺品を整理している際に、母が元同級生に宛てたラブレターを発見しました 母は、私が小学生のころ父と離別し、その後再婚することなく、ずっと独りでした その元同級生とは同窓会で再会したようです 手紙の内容は 彼が自分(母)を気にかけていてくれたことが嬉しかったこと、 同窓会のときに人目を気にして話ができなかったこと、 この先あと何年お互い生きるのか分からないけれど悔いのない人生を送りましょうね、といった内容などでした 連絡先は同じく遺品整理で出てきたそのときの同窓会名簿に掲載されており、母もそこへ連絡してほしい、と書いていました が、出すはずだったであろう手紙が出されずにしまいこんであるわけで、 本人が恥ずかしくなって出すのをやめたのかもしれません 何十年も独り身だった母にとって彼との再会は心底嬉しかったと察します しかしながら、その他の遺品を整理しても彼とコンタクトを取った形跡は見受けられません ということは、彼からは母と連絡を取っていないのでしょう 彼に母の死を伝えてもいいものなのか ましてやラブレターの存在を伝えてもいいものなのか それは単なるお節介なのだろうか 悩んでいます

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

心が弱い

心が弱く、目の前の現実と向き合うことができません。 希死念慮が昔からあります。 HSPだとわかり、一時期は楽になりました。 しかしふとしたきっかけで落ち込み、辛さを感じると(HSPは気質で治るものではない為)私はこの先もこういう感覚を持たなければいけないのか、できればもう味わいたくない、とくじけそうになります。 自分で自分の気持ちに心を潰されそうになるような感覚です。とても苦しく、消えたいと考えます。 HSPはいい面もあり、美しい景色やアートなど、人より敏感に感じ取れ人の何倍も感動できるといいます。 その面は嬉しいですが、やはり前述したものが辛いです また、ショッキングな出来事にも心が潰れそうになります。 そうなると現実と向き合えず、心が泣いたままその現実が終わるのを待つようになっている気がします。物理的に逃げてはいないけど心が逃げているというか、心が傷つくのできちんと受け止められていない、そんな感じで過ごしています。 それは常に自分の心と戦うような感覚で、自分の心を守るばかりで人のためになにかをするということができていないように感じるのです。 普段は、以前よりは自分も周りも心地よく過ごせるように行動できるようにはなりましたし、それはとても幸せに思います。ただなにがきっかけで落ちるか自分でもわからないため不安です。 死にたいわけではないけれど消えたいという気持ち、心が潰される感覚をもう味わいたくない、そんな自分がこれから健やかに心を育てるにはどうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

浄土とは何か

お世話になっています。浄土真宗についての質問ですが、浄土というのは死後の世界だと解釈しているのですが、どうも死後の世界ではないと解釈している人もいるようです。浄土真宗は、この「浄土」というのが大前提の教えなので、この「浄土」が分からなければ教えが根底から変わってしまうのですね。そこが悩みところです。 浄土真宗の教義について僕の一連の解釈を書きます。 1本願に疑い無くなるのが信心 2しかし、本願を信じられない 3信じられないのは煩悩があるからだ 4阿弥陀仏は煩悩ある者こそ救う 5そこで、「自分にできることはなかった」と自覚する(機) 6阿弥陀仏の浄土に救うという「働き」(本願)のみがある(法) これが一連の僕の理解です。僕は「異安心」なのでしょうか?すごく不安です。これはあくまで「死後」を前提にした解釈です。 浄土真宗の救いは、「自分の姿が明らかになることだけだ」と言う人もいますが、それだけだと何のメリットもなく、ただただ自分に失望するだけだと思うのです。しかし、自分の姿を知り、「だからこそ、死後、阿弥陀仏に救われるのだ」と解釈すれば、煩悩を受け入れることができ、様々なメリットがあると思うのです。 僕が浄土を死後の世界と解釈する理由は、浄土が死後の世界じゃないと、死後の解決にはなりませんよね。 自然の理法(仮の阿弥陀仏の解釈)におまかせするのも、解決になるのではないかとも考えましたが、それは「死の解決」であって「死後の解決」にはなりません。だいいち、自然は何をするのか分かりません。地震を起こしたり、コロナを起こしたり、そんな自然におまかせするのは、余計恐怖でしかないように思います。 ただ、死後の解決には死後の世界は必要なのですが、仏教には「無記」というものがありますよね。死後があるのかないのかは人間には分からないから、今を生きなさい。という内容だと解釈していますが、これも一理あると思っていて、浄土の教えは死後を説いているのか、いないのか、どちらでもないのか、分からないのです。これは、浄土真宗の一番重要なものだと思うのです。皆さんは「浄土」をどのように解釈しているのか気になって書きました。詳しい方、回答していただけると有難いです。 南無阿弥陀仏

有り難し有り難し 23
回答数回答 3

病の不安

先日行った人間ドックで肺に炎症性変化があり3ヶ月後の再検査となってしまいました。 現時点での医師の説明ではおそらく心配ないものであるが、可能性はゼロではないので念のためという事での再検査です。 CTを撮ると結構な人数の方が再検査になるらしく、風邪の炎症でもよく映り込むので癌ではない人が殆どですと。 医師の感触では否定的でした。 癌宣告を受けた訳ではないですが親を肺癌で亡くしているため、先々を考えると恐怖心が拭えません。 平常心を保とうと普通に生活し、歩いて気分転換を図ったりしていますが、また直ぐに考えてはネット検索してしまいます。 人間はいつか死ぬ事は身近な人の死から分かってはいるものの、やはり怖いです。 一人っ子の子供を置いて逝くのも忍びなく、できれば自分の親の年齢を超えるまでは一緒にいてあげたい。 それに施設にいる親の介護もある。 など、色々と考えてしまう心のざわつきを鎮める方法はありますでしょうか? プロフィールを読んで頂くと分かりますが、親や夫婦間で様々な問題に長いこと悩まされ、いけない事とは思いながらも他の男性と長期的にお付き合いを重ね、心のバランスを保ってきました。 この様な事をしているので天罰が当たったのかもしれません。 彼とは割り切った付き合いであるものの、付き合いも長いのでお互い情が入っています。 いつかは病や生活の変化で別れる時が来るだろうとも思っていましたが、お互い心の拠り所になっていたのは確かです。 病の心配と彼との今後について混同してしまいましたが、どうやって今後の人生に向き合ったら良いのか教えてください。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

消えない絶望感

はじめまして。 現在自営業をしております。 自由な時間と会社員時代には考えられなかった収入を手にし、これからの人生がバラ色かなと思いながら生活をしてきましたが、コロナで事態が急変し、仕事が激減しました。 現在の仕事に未来を見出せなくなりました。 この生活を5年近く続けてきた手前、今から会社員に戻り時間を拘束されて収入も限定的になってしまう事を思うと働く意欲が湧かなく、また、仕事柄若い感性が求められる職業のため、30代もこれから後半を迎える自分は後何年この世界にいられるだろうと考えると、絶望感が心の中に根付いてしまいました。 この時期、定職につけるだけでも幸せなんだと思いますが、楽しい時間を過ごしすぎたのか、これから選ぶ選択肢に希望が見出せません。 ちなみに一度離婚もし、子供はいませんが、結婚や恋愛にもあまり興味が持てなくなりました。子供も欲しい気持ちはあrjぼですが今の時代とても育てられる気がしません。 この世の中で子育てをしていらっしゃる方々を本当に尊敬しています。 借金や身内や近しい人の自殺、事故死、介護の苦悩など、自分が思う大きな不幸を今まで出会った事がありません。が、この先そういったものに出会う確率も上がりそうです。 子供の頃から人並みに悩みながらも成長し社会に出てからも色々な事がありつつ現在の幸せをようやく手に入れ、その生活が失われつつある現状と、この先の40代50代と老いていく未来を考えるといいイメージが湧いてこず、ただただ絶望感の苛まれます。 今年に入り、希死念慮というものに人生で初めて出会い、一向に消えないまま今も過ごしております。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 今すぐではないにせよ、このままではどこかの時点で自殺してしまう可能性もありそうです。 人生に希望が見出せない時はどうしたらよいでしょうか? アドバイスなどいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 54
回答数回答 2
2021/10/29

父の葬儀でのお寺さんの選択について

先日、82歳で父が他界しました。 慌ただしく葬儀の詳細を決める際、葬儀場に紹介されたお坊さんに決めてしまったことを後悔しています。   父には遠方の田舎に檀家として先祖代々お世話になっていた菩提寺がありますが、生前本人は今の住まいから通いやすいお寺(葬儀場で紹介されたお寺とは別です)での永代供養を希望していました。母はこの場合、誰にお経を読んでもらったらいいのか…とさんざん悩んだ挙げ句、葬儀場に紹介されたお坊さんに決めました。事後報告になってはいけないから菩提寺に電話するよう葬儀の担当者から勧められ、母はその場で本当に申し訳なさそうに父の死と読経を別のお寺にお願いすることを伝えました。菩提寺の住職さんは大変驚いておられたようですが、電話の最後にはまた何かお役に立てることがあればいつでも連絡下さいとおっしゃっていたそうです。 その菩提寺は長男である父が昔から丁寧にお付き合いしており、お盆やお正月に帰省する度に挨拶に伺っていました。私も子供の頃から法事の度に伺っていたし、田舎の家や裏山にあるお墓に来ていただいた記憶があります。慌ただしさの中決めてしまいましたが、父も最後のお経は菩提寺のお寺さんにあげてもらいたかっただろうと、父にも申し訳なく後悔の念に苛まれています。 離檀することは決めていますが、このまま電話一本で終わらせてはいけないと思っています。母は認知症の症状が見られ、あらゆる場面で判断力が低下していることが、葬儀後の手続きをしていて分かりました。私達姉妹で今後は対応したいと思っていますが、まずは電話でお詫びし改めてご挨拶に伺うべきか悩んでいます。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

眠ることができない

母が1週間前、狭心症で入院し、今日退院しました。 入院期間中は勿論、退院後も動き回ると再入院のリスクが高まるので、分担していた家事がほぼ私の仕事になりました 父も私の前では言わないけれど不安そうでストレスも酷く一気に痩せてしまいました だから、2人を極力不安にさせないようなるべく笑顔で家事を頑張ろう!と思いそうしていました 母が帰ってきて、 「お父さんは色弱だから顔色は分からなかったんだろうけど真っ青よ、隈も酷くて、いつも以上に痩せてるし...夜中でもなんでもいいからお腹すいたら食べてね」 と。 体調はどこも悪くなく、耳鳴りがするくらいなので鬱陶しいけどそこまでだとは思っていませんでした 母が死ぬかもしれないと言う恐怖や、手術による合併症で死ぬかもしれないリスクを説明された恐怖、いつも父と母がはしゃぎ合う賑やかな家が静かだという寂しさが強く、ちゃんと眠れず食べられていませんでした 眠っていないことを自覚してから何もしたくないくらいの猛烈な眠気に襲われて布団に向かったのですが、寝室に向かう途中段々と眠気が嘘のようになくなって、 目を瞑ってみても眠れずいつになっても眠気が戻らないので もしかしたら家事やれるかも、 という気がして起きるのですが、母曰く顔色は全く良くなっていないし見ていて切なくなる程、らしくて 母が自分のペースでリハビリにだけ専念して過ごせれば、 父が家では無理することなく心穏やかに過ごせたら私は安心なので、休まなくても別にいいかなという気がしてしまいます。 休みたいのになとも思いません。だからこそ問題なのかもしれませんが... ですが顔色の悪く隈が酷く痩せている娘に気兼ねなく何かを頼むと言うのも無理な話でしょうし、 愛してくれている人達にこれ以上無駄な心配をかける訳にはいきません ちゃんと寝ないとなぁと思うのですがどうやっても、眠りにつけません。 眠い気もするけど、横になっても眠れず、安眠グッズを使っても眠れずここに書き込んでいます ストレスを発散すれば眠れるのか、問題はそこでは無いのか、全くわかりません

有り難し有り難し 4
回答数回答 1